偶然は必然であった

「そういえばそろそろ地上に戻るか?」

 ふと思い出したようにアシュタロスがアシュレイに問いかけた。
 本日の講義は全て終了し、あとは帰ってのんびりするだけというそのときに。

「今日で何年だっけ?」
「前に聞いたときから加速空間換算でおよそ17万年だな。現実だと20年」
「何か色々あったような気がするけど、エシュタルの他にディアナが加わった程度しか変化がなかった」
「お呼びですか、アシュ様」

 アシュレイの言葉から数秒と経たずに傍に現れたディアナ。
 背中にコウモリのような黒い翼が生えているのを除けば、見た目は極々普通の人間の女性だ。
 ただ問題点が一つ。

「相変わらず、けしからん乳をしているわね……!」

 一言で言えばすごい大きさ。
 もっと言えばおっぱい革命。
 何かもう悪魔なのに神秘的かつ神聖的ですんごい胸であった。
 アシュレイが自分のところに連れてきたのも、その容姿が気に入ったからだ。
 連れてきたとはいえ、それはほとんど誘拐と同じであった。

 魔族同士、破壊欲を満たす為の殺し合いはよくあること――なにせ、肉体が損傷してもすぐに再生する――だ。
 そんな感じでディアナもまた戦っていたところをアシュレイが見かけ、一目で気に入り、ディアナが戦っていた相手を瞬殺して、ついでにディアナも半殺しにした上で私に従え、と迫った。
 魔界の基本である力による上下関係はスッキリとしたもので、人間にありがちな、感情的な不都合というものは一切無い。
 また力の差があまりにも大きすぎるので下克上をしよう、という選択肢は下位の者には存在しない。
 そんなわけでディアナはあっさりとアシュレイに忠誠を誓ってしまったのであった。

「特に用はないわ。しいて言えば……その乳揉ませろ」
「存分に……」

 そう言って胸を張るディアナ。
 ぽよんと揺れる大きな胸部装甲。

「どーでもいいが、大人のエシュタルも結構大きくはなかったかね?」
「私はどちらかというと彼女は子供形態の方が好きだわ。いや、大人形態もいいけども」

 一応、魔族も時間経過によって大人へと成長する。
 しかし、精神生命体である魔族や神族にとって、見た目など簡単に変更できるものだ。
 そういうわけでエシュタルには子供形態を取らせているアシュレイである。
 無論、アシュレイ自身も大人形態になれるのだが、彼女自身が少女形態を気に入っているということもあり、普段は少女である。

「ともあれ、そろそろ地上に行ってみましょうか。麗しき地上! あの村はまだあるのかしら?」

 彼女のこの一言で地上……すなわち、人間界へ戻ることが決定したのであった。








「イシュタル様! イシュタル様!」

 歓呼の声で迎えられたアシュレイ。
 四方八方を人間に囲まれているが、誰もが好意的だ。

 彼女がかつて訪れた村は村という規模を大きく超えて街となっていた。
 彼女がやってきたのを見つけたある中年男性がイシュタル様、と叫んだところで今のこの騒ぎとなった。

「ていうか、イシュタルって誰よ……私はアシュレイでアシュタロス!」
「尊敬の意味を込めてイシュタル様と呼ばせていただいております」

 叫べばそんな言葉が返ってきた。
 どうやら尊敬の形容詞をつけて勝手に名前を変化させてしまったらしい。
 イシュタル、というのはアシュタロスが堕天する前、呼ばれていた名前だ。
 世界の流れに恐ろしさを感じつつも、アシュレイはその背中にある翼をはためかせ、角を指さす。

「この翼と角を見なさい! 私は悪魔! あ・く・ま!」
「なんと美しい翼じゃ……まさか死ぬ前にもう一度イシュタル様にお会いできるとは……」

 30年前は青年であった老人が頭を垂れる。
 アシュレイはがっくりと項垂れた。
 もう観念するしかないらしい。
 さすがの彼女もここまで好意を向けられては容赦なく皆殺し……なんてことはできない。

「イシュタル様、どうぞ神殿の方へ……清らかな巫女がお相手致します」

 清らかな巫女、という単語に反応した魔王候補はほいほい住民達についていってしまった。






「人間にしてはよくやったじゃないの」

 アシュレイは玉座に座り、供え物として出されたご馳走に舌鼓をうつ。
 神殿の天井は高く、石畳の床は綺麗に掃除されており、清潔感が漂っている。
 彼女の機嫌が良いのはそれらも確かに重要な要素であるが、最も大きな原因ではない。
 その大きな原因は白い薄手の服を纏った若い少女や女性達だ。
 彼女達は10代前半から20代前半までの生娘。
 色々な意味でアシュレイの大好物であった。
 

「イシュタル様、葡萄酒をどうぞ」
「これも魔王の特権ね……」

 そんなことを言いつつ、コップに葡萄酒を注いでもらうアシュレイ。
 そして一気に飲み干してふと考える。


 私、何しに来たんだっけ?


「ナニしに来たんだった。つまり、私が穢すのは全く問題ない。だって、私の巫女なんだもの」
 
 そう呟いて彼女は手近な巫女を抱き寄せる。
 巫女達も覚悟はできているのか、嫌な素振りは全く見せず、むしろ興奮した様子だ。

「よーしよーし、私は自分を崇める人間には利益を与えざるを得ない……つまり、この街に私は幸福をもたらそう」

 そう告げ、彼女は巫女のお尻を触りつつ考える。
 何をあげれば幸福になれるか、と。

 数秒思案し、ここはやはり農学と医学を伝えよう、と。
 とはいうものの、医学はともかくとしてさすがのアシュレイも農学をアシュタロスから習ってはいない。
 アシュタロスから聞かねば、と頭にとどめておく。
 基本、何でも知っているアシュタロスだ。きっと農学についても何か知っているだろう、というアシュレイの楽観的な予測だ。
 彼女の予測はあながち間違ってはいない。
 なにしろ、アシュタロスは悪魔となる前は豊穣の神であったのだから。

「ところでここの街は何という名前なの?」
「この神殿や住民の住居がある地区一帯をソドム、商業地区としてゴモラと呼ばれております」
「……決めた。私、この街を全身全霊をかけて護るわ」

 嘘か本当か定かではないが、神の怒りによって滅びた都市だ。
 キーやんがやるのかどうか定かではないが、ともあれ何がしかの大災害によって滅びてしまう都市であることは間違いない。
 自分を崇めてくれる人間を見殺しにするようなアシュレイではなかった。
 しかし……ソドムとゴモラは紀元前2600年辺りに成立したとされているのだが、今はまだおよそ紀元前7900年。
 史実よりも5000年以上速い成立はアシュレイが手を出したからに他ならない。

「念の為に看板を作っておきましょうか。アシュタロスがいる街って看板を立てときなさい。それで弱い魔族には効果があるから」

 もし滅んだら、キーやんをゴーモンする、と心に誓うアシュレイであった。

「まあ、今はとりあえず」

 そう言って尻を触っていた巫女を押し倒す。
 きゃっと短い悲鳴。
 他の巫女達はごくり、と唾を飲み込み、その様子をつぶさに観察する。

「ヤるか」

 その後、ナニが行われたかは言うまでもなかった。







 翌日、アシュレイはとりあえず農地の視察を行うことにした。
 知識は無いが、魔法で雨をふらせたり、土壌を豊かにしたりはできる。
 そんなわけで視察が始まったのだが……

「おお、さすがはイシュタル様!」
「さすがって……これくらいはまあ……」

 アシュレイは農民達から讃えられても微妙な顔だ。
 それもその筈で鳥が農地を荒らして回っているという苦情を聞き、鳥よけにカカシを作らせただけであった。
 彼女としてはもっと自分の力を使いたいのである。

「他に何か困ったことはない? 雨が降らないとか、土地が痩せたとか」

 農民達は顔を見合わせ、何やら小声で相談しているようだ。
 アシュレイの優れた聴覚は「お願いしてもいいものか」とか「これ以上世話になるわけにも」という言葉が聞き取れた。
 そんな彼らに対してアシュレイは咳払いを一つ。

「何でも言ってみなさい。私は私を崇める人間には優しいのよ」

 そんな彼女の言葉にやがて農民の1人が意を決したように口を開いた。

「実は近くの川が雨が降ると氾濫して……」
「農地が水浸しになる、と。要望は治水ね」

 頷く農民達。

「案内して。治水してあげるから」

 歓声を上げる農民達。
 そんな彼らを見つつ、アシュレイは思う。

 地道な活動が好感度アップの秘訣。選挙活動みたいだ、と。







 数時間後――
 アシュレイは川辺に数mの土手を魔法でこしらえ、お礼として農民達から作物などをもらった。
 その後、暇であったので、ソドムとゴモラにある病院……という上等なものはまだ存在せず、病気が治ることを祈願する祈祷所へと赴いた。

「イシュタル様!?」
「このような場所に……」

 突然のアシュレイの来訪に戸惑う祈祷師や患者達。
 そんな彼らに楽にするように告げると、祈祷師に一番重症な患者は誰か、と尋ねた。
 祈祷師達は困惑しつつも、イシュタル様の頼みならば、と祈祷所の奥の隔離部屋へと案内した。






「これは酷い……」

 凄惨な光景を自分で作り出すアシュレイでも思わずそう呟いてしまった。
 嗅いだこともない異臭が漂っている。
 隔離部屋は大部屋であった。
 そこには数十人の患者達がベッドに身を横たえている。

「ここにいる者達はもう死期が間近に迫った者達です」

 案内してくれた男の祈祷師が悔しそうな顔でそう告げる。
 21世紀の医学であれば治せる病気も、この時代では不治の病だ。
 病気や大怪我をしてしまったら、それは緩慢な死と同義であった。

「ぉ、お……」

 包帯なども存在しない為、単なる布切れを体に巻かれた中年の男性が寝ていた体をゆっくりと起こす。

「いしゅたるさま……」

 その声にアシュレイは彼の傍に近寄り、その手を握る。
 彼はその行動に目を丸くした後、やがて泣き出した。

「いしゅたるさまが……てをにぎってくださっている……」

 アシュレイは彼の様子を見つつ、やはり医学は早急に伝えるべき、と確信した。
 たとえそれが歴史を乱すことになろうとも。
 彼女は自分をここまで慕ってくれる存在を見捨てることなんて到底できなかった。

「イシュタル様、今日明日にも死にそうな者が……是非、会ってやってください」
「わかったわ」

 彼女はそう告げ、男の耳元で囁く。

「少し待っていなさい。すぐに戻ってくるから」
「あ、ありがとう、ございます……!」

 彼女は彼から離れると、祈祷師の案内で隔離部屋のさらに奥へと進む。
 





 やがて扉の前にたどり着いた。
 祈祷師は深刻な顔で告げる。

「この部屋は死を隔離する為のものです。死を外に出さない為に窓もありません」

 この時代特有の言い方にアシュレイは頷きつつ、祈祷師には下がるように指示する。
 しかし、彼は自分も部屋に入る、と頑として譲らない。
 アシュレイとしても、酷い感染症でもなければ死人の横にいても死ぬ危険はないことを知っているので、あっさりと了承した。 

 祈祷師が扉を開けた。
 中は薄暗いが、アシュレイの目にはハッキリと映っていた。
 ベッドに横たわったやせ細った少女の姿が。
 意識はあるのか、その瞳がアシュレイへと向けられる。

「食事は食べられないの?」

 アシュレイの問いに祈祷師は頷いた。

「食べてもすぐに吐いてしまいます。また、体の至るところに黒いシミのようなものが……」

 なるほど、と頷き彼女は少女が纏っている布切れを捲ってみる。
 壊死だ、と彼女は心の中で呟く。
 
 確かにこの時代ではお手上げだろうし、何より見た目からして不気味だ。

「今から悪魔の奇跡を見せてあげるわ」

 アシュレイは少女の耳元でそう囁いて、彼女の胸元に手を置いた。
 そして、呟いた。

「アシュタロスの名において、この者を治癒せん。病魔よ退け。我が民に仇なすことは我に仇なすことなり」



 光が、溢れた。
 







「奇跡だ……」

 祈祷師は呟いた。
 先ほど、アシュレイが捲った箇所にあった黒いシミが無くなっている。
 少女は目をパチクリとさせ、ベッドから起き上がり、自分の体のあちこちを触っている。

「とりあえず学校を作りましょうか。そして私が病気を治す術を教えてあげるわ。それと、この子には私名義で栄養のあるものを食べさせなさい」

 アシュレイは手早くそう告げ、踵を返す。

「イシュタル様、どこへ……?」

 祈祷師が尋ねると彼女は不敵な笑みを浮かべ、彼を見つめた。

「隔離部屋の患者達を、全員治してしまっても構わんだろう……?」

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