渦巻く嫉妬、実行された陰謀

「ん……」

 リリスはゆっくりと瞼を開けた。
 彼女の視界にはご主人様の愛らしい寝顔。
 その額にくちづけして、寝顔を存分に眺める。
 彼女だけに許された特権だ。
 その特権を活かしつつ、彼女は思案する。

 なぜ自分がアシュレイのお気に入りなのか、その理由を。

 自分よりも容姿がいい淫魔は無論、テクニックが上の淫魔も、より淫らな淫魔も、より魔力の強い淫魔もいる。
 だが、なぜ自分なのか。
 
 リリスは今の待遇に不満はないどころか満足している。

 他の淫魔達は月に数回、アシュレイと寝れればいい方で中には数ヶ月に1回という者すらもいる。
 何分、アシュレイとしても一度に相手にできる数は限られ、対する淫魔の数は万に迫る。
 そんな中で自分だけは毎日アシュレイと一緒だ。
 彼女が言った通りに毎日壊れるくらいにやってもらっており、その為か、最近ではテクニックも魔力も大幅に向上している。

 それはいいが、どうにも腑に落ちない。
 自分の名前を知っていたらしいところがますます気にかかる。

 リリスは今まで何度かそのことをアシュレイに聞こうと思ったことがあるが、その度に……というよりもいつも聞く暇すら与えられない程に激しくされるのでどうでもいいや、としてしまっていた。
 アシュレイは知らなかったが、淫魔にとって「毎日壊れるまでしてやる」とかそれ系の淫らな言葉は実質的なプロポーズだ。
 考えれば分かることだが、性欲を食料とする淫魔にそれを言うということは人間で言うところの「毎日ご飯を作ってあげる」とかそういう意味なのだ。
 もっとも、人間の結婚と淫魔の結婚ではその意味が異なるのだが。

 ともあれ、まあいいか、と彼女はこれまでと同じように結論し、アシュレイの小柄な体を抱きしめる。
 彼女の腕の中でアシュレイが身じろぎした。
 睡眠からの覚醒の兆候にリリスは彼女の顔をじっと見つめる。
 やがてゆっくりとその瞼を開ける。

 紅い、ルビーのような瞳がリリスの瞳と交差する。

「おはよう、アシュ様」
「……おはよ」

 ふああ、とあくびを噛み殺し、アシュレイはリリスの背中に手を回す。
 二度寝は悪魔にとっても最高の快楽であった。
 リリスとしては二度寝も構わないが、残念ながらアシュレイに二度寝されると困る存在がいた。





 じーっとその翡翠の瞳でアシュレイを見つめる真っ黒なゴスロリチックなメイド服を纏ったテレジア。
 リリスがアシュレイにキスしたり抱きついたりしているところからずーっと彼女は部屋の隅で待機していた。
 テレジアをはじめ、古くからの従者であるシルヴィア、ベアトリクスは最近、主のアシュレイに構ってもらえなくて寂しい思いをしている。
 故に今日のテレジアは少し積極的に出ようと決めていた。

「……テレジア」

 アシュレイが視線に気づいたのか、二度寝をやめて起き上がる。
 彼女はテレジアに手招きすると、テレジアはスススと音もなく近寄る。

「あなたって意外と胸が大きくて形がいいのよね。さすが私の最初の従者」

 褒められて悪い気はしないどころか、嬉しいテレジアは顔を俯かせる。
 久しぶりに構ってもらえそうだ、という期待を胸に込めつつ。

「アシュ様、私の胸はどうかしら?」

 テレジアはリリスの相変わらずのタメ口に眉を顰めるも、口には出さない。
 リリスはアシュレイのお気に入りであるが、最近のその増長ぶりはテレジアをはじめとした従者達にとって見逃せないものになりつつある。
 あまりにもアシュレイに気安いのだ。
 そして、それはリリス以外の淫魔達にとっても同じこと。
 最高の食料であるアシュレイを実質的に独占しているリリスに対する不満は水面下で広がっている。 

「リリスの胸は黄金比なの。大きすぎず、小さすぎず、弾力が良くて……」

 無駄に具体的な褒め方にリリスはアシュレイをその胸に抱きしめる。
 テレジアは一縷の望みを込めて、顔を上げアシュレイに視線を送った。
 構ってほしい、と。
 その視線に気づいたアシュレイはテレジアの方を向いてにっこりと笑った。

「テレジア、今夜は2人で……ね?」
「はい……!」

 その言葉に笑みを浮かべるテレジアに対してリリスは不満顔だ。
 リリスとしてはいつでもどこでもアシュレイに構ってもらえないと嫌なのである。
 そんな彼女にテレジアは心で決める。
 淫魔からの、あの提案を実行しよう、と。








「リリスのヤツ、ちょっとアシュ様に気に入られてるからってお高くとまって……」
「この前、アシュ様におねだりしに行ったら、これから私とするからってリリスが出てきて手で追っ払われたわ」
「なんで偉そうにしてるのかしら……」

 加速空間内にある淫魔専用の居住地区。
 そこに設けられた広場では淫魔達がよく集まって雑談しているのだが……最近はもっぱらリリスの態度を非難する話しかない。

「問題ないわ」

 1人の淫魔が話の輪に加わった。
 銀髪をセミロングにした淫魔だ。

「リリム……問題ないって……あなたの母親よ?」

 その問いかけに淫魔――リリムは口元に笑みを浮かべた。

「さっき、テレジア様が私の提案を承諾なされたの。リリスを人間界に捨てるって提案をね」
「ただ捨てても、戻ってくるじゃないの」

 幼い少女の姿をした淫魔が当然の指摘をした。
 リリムは懐から小瓶を取り出した。
 その中身を見た淫魔達は一様に嫌そうな表情をする。

「吸精虫よ。淫魔なら誰でも嫌がるこの虫、淫魔から精気を吸いとったりする効果があることは知ってるわね? で、精気を吸い取られた淫魔は常に飢えた状態になるわ」
「アシュ様にバレずにやれるの?」

 先程の少女の淫魔が再び問いかけた。

「うまくやるわ。で、やり方は簡単よ。人間界にリリスを捨てて、この虫の効果で発情しっぱなしで、誰かれ構わず人間たちと交わっているところをアシュ様に見せるの」
「それはいいけど……今度はあなたが独占するんじゃないでしょうね?」

 ジト目で少女が尋ねる。
 
「交代制でやろうと思うの。人数は10人くらいで」

 リリムの返事にとりあえず淫魔達は納得したように各々頷く。
 しかし、懸念もある。それはアシュレイがそれだけでリリスを手放すかどうか、という根本的なものであった。

「時期をみて……慎重にやらなくてはならないわ。数百年くらいは掛かるかもしれない」
「リリスにチャンスを?」

 黒髪の淫魔が問いかけた。
 リリムは頷いてみせる。

「一応、母親だから……まあ、親子同士でやったりするから、親も子もないんだけど……一応ね。ラストチャンス」

 失敗してもリリムだけが泥を被り、成功すればリリムも含めた全員にリターンがある。
 ならばこそ、この程度の猶予は我慢できるレベルであった。
 寿命の無い種族にとっては数百年などあっという間であるからだ。

「そういうわけでよろしくねー」

 リリムはそう告げて、テレジアに猶予期間を伝えるべくその場を後にしたのだった。
 そのチャンスは意外と早く訪れることとなった。











「それじゃちょっと視察してくる」

 アシュレイはそう言い残し、アシュタロスと共にソドムとゴモラへと転移した。
 年に数度、2人は発展具合を見る為に1週間掛けて視察に出かけている。
 そんな2人を見送ったテレジアはリリムに念話を行う。
 実行するなら今がチャンス、と。

  リリムが淫魔達に自らの策を伝えてから加速空間内で既に200年以上が経過しているが、未だに改善は見られず。
 故に今回、計略の実施に踏み切ったのだ。




「んふふ……あしゅさま~」

 甘えた声を出しているリリスは現在、夢の中。
 アシュレイのベッドの上で枕を抱いてすやすやと眠っている。

 そんな彼女に近寄る影。
 テレジアだ。

 彼女は素早くリリスを特製の魔力封じの鎖でもって拘束する。
 縛られて起きない程、リリスは鈍感ではない。

「テレジア!? 何をしているの!?」
「お前がやりすぎたからだ」

 それだけ告げて、彼女はリリスの口を封じるべく、静寂の魔法を彼女に掛けた。
 彼女は口を何度も開くが、言葉は出てこない。

「もう大丈夫だ」

 テレジアの言葉に新たな人物が現れた。
 その人物にリリスは目を見開いた。

「はぁい、お母様……いえ、リリス」

 リリスは口をパクパクとさせるが、やはり言葉は出ない。
 その様子に満足しつつ、リリムは小瓶を取り出した。
 そこに入っている奇怪な虫を見て、リリスの顔は恐怖に染まる。

「もう分かったみたいね? あなた、ちょっと調子に乗りすぎたのよ。アシュ様のお気に入りだからって、自分だけアシュ様のモノをもらうなんて」

 リリムはそう切り出し、リリスに対して純粋な疑問をぶつけた。

「何であなたは自分だけアシュ様に抱かれたの? 何で抱かれるとき、他の淫魔達も呼ばなかったの? 何で他の淫魔達と一緒に抱いて欲しいって、アシュ様にお願いをしなかったの?」

 リリスは口を閉じ、俯いた。
 それらは全て考えもしなかったことだ。
 現状に満足し、思考停止に陥っていた彼女。
 彼女は後悔する。
 もう少し考えていれば、これから先の生き地獄を回避できたのに、と。

「まあ、今となってはどうでもいいことだわ。アシュ様にあなたが人間と交わっている姿を見て、あなたに失望してもらうし」

 リリスはその言葉でこれから先の展開が容易に予想できた。
 ただ吸精虫を寄生させられるだけでなく、人間界に捨てられるのだ、と。

「あら、今更怯えてるの?」

 その瞳にある感情を読み取ったリリムはくすくすと笑う。

「でも、もう遅い。あなたは人間の家畜にでもなりなさい」

 瓶の蓋を開け、その口をリリスの腹部に押し当てた。
 リリスは拒否しようと藻掻くが、その抵抗は虚しいものであった。
 そして、吸精虫はリリスの腹の中へと溶けるように消えた。
 数秒後、彼女は全身を震わせた。

 息遣いは荒く、瞳は潤んでいる。

「さすが淫魔の拷問に使われる虫ね。効果抜群だわ」

 そう呟いて、彼女はテレジアへと向き直り、頭を下げる。

「あとはお願いします。テレジア様」
「任された。適当な街の路地裏にでも捨てておこう。アシュ様への説明はそちらが……」
「はい、お任せを」


 こうしてリリスは人間界へと捨てられた。


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