高順は天幕内で難しい顔をしていた。
彼女を難しい顔にさせているのは烏丸でもなければ漢の連合軍でもなかった。
その顔の原因は彼女子飼いの兵隊であった。
展開されていた狼群作戦、30余りの数十人から200余名で構成された小規模部隊を繰り出していたが、うち、名のある将が率いた部隊は11部隊。
率いていった将は高順側から華雄、張遼、董卓、馬騰、馬超、馬岱、呂布、関羽、波才の9名でありそれぞれ1部隊ずつ、合計9部隊。
孫策らは3人で1部隊、曹操からの援軍のうち、羊祜、杜預の2名2部隊。
将がいない部隊は20部隊程だが、これらのうち16部隊は曹操の援軍。
残る4部隊が高順の兵だが、うち2部隊はしっかりと戻ってきた。
だが、残る2部隊およそ300名は戻ってこなかった。
烏丸側も連合軍の全面攻勢の予兆を掴んでいるらしく、このところ兵力が減少傾向である、という報告を高順は賈詡から受けていた。
とすると、戻ってこなかった部隊が烏丸の部隊と戦闘になり全滅したという可能性は低い。
対する曹操の援軍で構成された部隊は将がいなくても、戦闘で多少人数が少なくなっているが、全ての部隊が帰還している。
このことから練度というより忠誠心の問題だろう。
戻ってこなかった連中に対して考えられるのは……烏丸の物資を奪って逃亡、そしてそのまま山賊にでもなる……というものだろう。
高順は確かに自分についてくればいい思いさせてやる、と匂わせつつ、給金などにも気を使い、その上で猛訓練を施した。
だが、やはり彼女の見通しは甘かったのだ。
「……うん、どうしよう」
大見得を切った手前、こういう事態はかなり拙かった。
それみたことか、とネチネチと責められる可能性は極めて高い。
「失礼します」
ちょうどそんなときであった。
悪いタイミングで郭嘉が入ってきた。
彼女は一見、いつもと変わらぬ表情だ。
高順はどう言い訳しようか、と知恵を巡らせつつ、平静な態度で問いかける。
「何か御用かしら?」
「はい、帰ってこなかったあなたの兵隊について」
きらり、と郭嘉のメガネが光った。
頼みの賈詡、そしていざというときの陳宮はこの場におらず、抜けた300名をどう穴埋めしようかと喧々諤々の議論を張遼や華雄らの武官達としている。
「ちょーっと失礼するわよー」
そんなときに駄目押しとばかりに孫策が周瑜と孫権を連れ立ってやってきた。
もうダメかもわからんね、と高順は小さく呟いた。
自分の責任追及であることは明白。
ネチネチと責められるのだろう。
「で、高順。あんた、どうすんの?」
孫策はどかっと適当なところに腰を下ろして単刀直入に問いかけた。
何を、という単語が抜けていてもこの場の全員には通じる。
どうしようどうしよう、と心の中で迷ったそのとき、高順の脳裏を天啓の如く、とある人物の名言が駆け巡った。
優秀な政治家の条件とは「将来何が起こるかを予言する能力」と「予言が当たらなかったとき、なぜそうならなかったのかを弁解する能力」である――
高順はごほん、と咳払いし、堂々とした態度で孫策達や郭嘉へ視線をやる。
「全く問題ない。そもそも、今回の失敗は致命的なものではない。烏丸と本格的な戦闘となれば300名程度の損害では済まないことは明白。今回で失われなかったとしても、烏丸と戦闘となったときに失われることは容易に予想できる。ならばこそ、この300名は元々失われる兵力であったのだ」
嘘や虚勢も大きく、堂々とした態度で言えば本当のように聞こえてくる。
内心の動揺をどうにか隠した彼女の言い訳。
当然、百戦錬磨の郭嘉や孫策らにその動揺はバレバレであった。
故に、郭嘉がそこを指摘すべく、口を開こうとしたのを見てとった高順は言葉を紡がせまい、と更に言葉を続ける。
「大切なのは勇気を持ち続けること。成功とは多くの失敗の上に成り立つものである」
何か異論はあるか、と視線で問いかければ郭嘉は渋い顔ながらも口を閉じ、首を左右に振った。
間髪入れずに彼女は問いかける。
「伯符殿、あなた方は何か?」
高順の問いかけに孫策はくすくすと笑う。
「虎かと思ったら、狐だったわね」
孫策の答えに周瑜が続く。
「うまい逃げ口ですね。参考にさせてもらいます」
その言葉に高順は苦笑いするしかない。
だが、一応は追求を回避できたのだから良しとするべきだろう。
未来知識があろうがなかろうが、彼女らと真面目に討論したら勝てないことは誰よりも高順本人が分かっていた。
対する孫権は微妙な表情だった。
生真面目な彼女としては自分の非を認めずに苦しい言い訳をしているようにしか――事実そうなのだが――見えない。
「それって結局言い訳しているだけですよね?」
孫権の言葉に高順はさらりと返す。
「過ぎた事をあれこれ言うよりも目の前のことを処理する方が先よね」
厚顔無恥であるが、このくらいでなければ組織のトップは務まらない。
「高順殿が言われた通り、所詮は300名程度です。確かに練度は脅威ですが、数で潰せますし、烏丸と結びつくという可能性も低い」
郭嘉の言葉に高順らは頷く。
住民を強制徴兵している烏丸だが、いくら彼らが兵力不足に悩んでいたとしても、武装した漢族の兵隊達を受け入れないことは容易に分かる。
獅子人中の虫になられてはたまらない。
「しかし、これが余所にバレたら大変なことになるのでは?」
周瑜は挑戦的な視線を高順へと向ける。
うまく追求をかわしたとはいえ、逃げたという事実は事実。
対する高順は意外と余裕の表情であった。
彼女にとって直接会って追求されるのが拙いのであって、この場にいない輩ならばうまいこと誤魔化せることができるだろう、と思っていた。
まあ、いわゆるいつも通りの助けて賈詡先生なのである。
「問題ないわ。既に手は打ってある」
高順の言葉に郭嘉達は脳内である単語を補完する。
既に賈詡が手を打ってある――そういうことである。
郭嘉らはこうして高順と過ごしてみて、頭脳比べは賈詡がいなければ――というか、組織運営において賈詡の役割が大きすぎ、彼女が財務から法務まで全部取り仕切っているのが実情であることに気づいていた。
確かに高順も自分にできることを精一杯やっており、他の面々も各々の職務を遂行している。
だが、あまりにも歪な組織体系であった。
故に郭嘉も周瑜も高順と敵対するならばまず賈詡を潰すことが先決だ、とを密かに思い描いていた。
賈詡さえ潰せば後は戦わずに勢力を細切れにできる……そういう自信が彼女らにはあった。
確かに直接刃を交えることに対しては郭嘉らは慎重だ。
だが、それ以外にも戦い方は幾らでもある。
「まあ、いいです。あなたがそう言うならば」
郭嘉はそう言い、部屋を出ていった。
彼女に続くように孫策らも出ていき、高順は1人になった。
1人になった彼女はゆっくりと大きく息を吐き出す。
「……やはり、アレを使うしかないか」
国家、国民という概念は存在していない。
故に団結力を高めるには曹操のようなカリスマが必要だ。
「別に国家や国民の概念を教え込む必要はない、要は魅力的なスローガンがあればいい」
そう考えてますます高順はとてもではないが、中国に民主主義は不可能だと痛感する。
何しろ、未来でさえ地方ごとに分裂していると言っても過言ではないのだ。
地域で文化などが違うことは当たり前、広大過ぎて行政組織の目は行き届かず、しかもあちこちに漢族以外の民族が住み着いている……
アメリカが超大国としてうまくやっていけているのは元々アメリカ人はヨーロッパから渡ってきた者達であるからだ。
彼らはいわば顔見知りであり、文化も宗教もほとんど同じである。
そんな彼らが奴隷を駆使してインディアンを駆逐し、白人国家を作り上げた……というのが簡単なアメリカ建国のお話だ。
中国とは似ているようで全く違う。
そんな中国と似ているのはロシアだ。
そして、そのロシアから民主主義というのは到底連想できない。
多民族国家がうまくやっていくには強烈な独裁を敷かなければ成り立たず、中途半端な統治では簡単に国が割れてしまうことがソ連崩壊時、色んな国がソ連からの独立を宣言したことから分かるだろう。
ソ連は共産党による支配というものであった為に多民族多文化国家でありながら、強大な力を維持していたのだ。
高順が将来的に――数十年単位で目指していたものはイギリス型統治。
皇帝は君臨すれども統治せず、という形を取りたかった。
数百年かければそれもできるかもしれないが、高順としては自分が生きているうちに国の土台は固めておきたい。
それができないとなると独裁ということになる。
一見悪いイメージしかないが、トップに立つ人間及びその取り巻きが賢明であり、国益を追求する人物達であればその人間が命を下せば反対する者はいない。
それ故にフットワークが軽いといえる。
問題があるとすれば高順には独裁者として必須のカリスマが曹操のようにはないことだ。
それなりの勢力を築けていることから多少はある……と本人としては思いたいところだった。
「……やはり未来は変わらないのかしらね」
全体主義は分かりやすく言ってしまえば自らの属する国家の為に奉仕するか、それとも国家を取り払って理想社会を作る為に奉仕するか、その2種類に分けられるだろう。
だが、国家の概念自体が無いことから必然的に後者しか取る道はない。
そして後者とはすなわち共産主義なのである。
「皆が笑って暮らせる平和な世界、ね」
夢物語だが、あくまでスローガンだ。
そして、高順にはそれへ近づける為に、手っ取り早く纏める方法があった。
「一歩間違えれば世界中が真っ赤に染まるけど……この際仕方ない」
若干アレンジを加え、高順は適当な紙にそのスローガンというか、歌を書きだした。
その内容は至極純粋かつ単純なものだ。
要するに圧政を敷く権力者をぶっ殺して自分達で良い社会を築こう、とそういうものである。
あの光和維新の歌と並んで漢に見つかれば即刻死刑にされそうな危険物であった。
勿論、高順は馬鹿正直に理想国家建設を目指すわけがない。
所詮は民衆を纏め上げる手段。
民衆が求めるのは衣食住が保障され、税金が安く、他国から侵略を受けないそういう社会であり、国家である。
わざわざ共産国家みたいにしなくても、しっかりと実績を出せば特に問題はない。
まあ……その共産国家の親玉のソ連自体が書記長を皇帝、共産党の役員連中が貴族として君臨していたのだが。
「こっちの弱点もバレてるか……」
高順は書き終わった後に呟いた。
彼女が言った弱点は言うまでもなく、その組織体系にある。
武官は揃っている。
質・量共に曹操らにかろうじて対抗できる程度には。
だが、文官は深刻だ。
実質的に賈詡が1人で切り盛りし、その補佐を陳宮が行なっている。
故に、賈詡が暗殺でもされたらそれでオシマイなのだ。
陳宮ではまだ荷が重すぎる。
「孔明、龐統、そしてうまくいけば徐福。ただ……可能性は低いわね」
あの曹操が目をつけないわけがない。
おまけに3人の先生は司馬徽、すなわち司馬一門なのである。
その司馬家は曹操に対して全面的な援助を行なっていることも分かっていた。
「なんかどっか適当なところに軍師とか転がってないかしらね……」
そう考えてふと気がついた。
劉璋陣営には法正、張松という極めて有能な人材がいる筈であった。
「……完全に記憶していても、その知識を使おうとしなければ出てこないのは当然ね」
高順は自らの失態に溜息を吐いた。
色々とやってきたが、まだまだ彼女は未熟であった。
厳顔と黄忠という2人が出てきて、慰謝料として毟り取ることばかりに目がいっていたが故のこと。
「まず最優先に為すべきことは……」
賈詡に護衛をつけることであった。
故に高順は天幕の外で控えている伝令に賈詡を呼んでくるよう命じた。
「で、このクソ忙しい時に何の用?」
不機嫌さ10割増しの賈詡の目付きはかなり恐ろしかった。
曹操も怯むのではないかという程に。
「現状の山積みの問題のうち、もっとも優先されるものがあると思ってね」
「こっちのメンツ丸潰れと兵力減少の問題よりも?」
賈詡の問いかけに高順は頷き、告げる。
「あなたの代わりはいない。それだけで分かると思うわ」
その言葉で賈詡は充分理解でき、僅かに頷いた。
そんな彼女に対し、高順は告げる。
「関羽をあなたの護衛に。陳宮に馬岱をつけるわ」
「それだと前線に穴が空くわ。魏延と公孫瓚は?」
「2人では荷が重すぎると思う。選りすぐりの暗殺者を送り込んでくるでしょうからね」
「嫌なところで気を遣ってくれるわね」
賈詡はやれやれ、と溜息を吐く。
暗殺を仕掛けてこない、という選択肢は高順にも賈詡にも無かった。
曹操も袁紹も孫策も確かに英傑であるが、聖人ではないのだ。
「それで詠。深刻な文官不足を補う為にまた劉璋にお世話になろうと思うんだけども」
「何かいるの? 使えるヤツ」
「あなたの業務を5割くらい減らせる人材がいるかもしれないわ。法孝直と張子喬という者なのだけども」
「……そんな人材がいるならボクの耳に入らない筈がないんだけど」
「あの劉璋が使いこなせると思う?」
「ああ、つまり冷遇されているのね。何であのときに言わなかったのよ?」
「人間、うっかりってこともあるの」
高順の言葉に賈詡は再び溜息を吐きつつも、現状が打開されるならば大歓迎であった。
「厳顔と黄忠の2人に聞いてみるわ。で、引き抜くとしたらどのくらいの待遇を?」
「2人共、最大限の便宜を図りたい」
「わかった。まあ、劉璋のところからなら簡単に引き抜けるでしょう。ついでに2人から他に誰かいないか聞いてみるわ」
「そうして頂戴。ただし、孟達は有能ではあるがコウモリ癖があるから」
高順の言葉に賈詡は頷き、踵を返す。
やらねばならないことは山ほどあった。