未来知識の本格的活用への第一歩

 そろりそろりと忍び寄る。
 夜の闇に紛れて、彼らは獲物に襲いかかる。

 見張りは疎ら。
 野戦軍のように柵で囲んだ陣を張っているということもない。
 それもそうだろう。
 敵の烏丸は兵力不足に喘いでいる。
 彼らが拠点としている街や村の連絡の為の早馬や物資のやり取りの為の輜重隊に十分な護衛をつけることができなかった。
 ましてや、連合軍による大反攻の予兆あり、と上が察知していた為に余計に兵力を取られている。



 目と鼻の先まで匍匐前進した後、狩人の1人が喇叭を響かせる。

 夜空に高らかに響く突撃喇叭。
 獲物達は突如として鳴り響いた聞き慣れぬ音に驚くが、それも一瞬。
 ただちに始まる狩人達の一斉突撃。
 轟き渡る雄叫び。

 彼らの白刃が月明かりを受け、怪しく煌く。
 たちまちのうちに喧騒と怒号。
 
 しかし、圧倒的に数が多い狩人達は獲物をあっという間に駆逐した。
 残ったのは死体と山積みされた物資とそれを運んでいた牛や駄馬。



 波才に率いられた兵士は烏丸の小規模な輜重隊をまた一つ、潰したのだった。











「予想以上に効果を上げているわ」

 賈詡の言葉に高順はホクホク顔だった。

 ここは楼桑村に設けられた高順らの司令部。
 数日前に正式に高順は烏丸をこちらに引きつける為の陽動作戦を発動した。
 その際、呼びにくいからと涿郡方面軍と自称している。

 彼女が提案した効率的な輜重隊狩り戦術――狼群戦術はうまく機能しているようだった。

 この狼群戦術とは馬車と騎兵の機動力を生かし、複数の少数部隊で敵地後方に浸透。
 騎兵が馬車隊の前方へ展開し、輜重隊を捜索し、発見次第直ちに馬車隊へ通報。
 その後に輜重隊を追尾・包囲し、夜を待って狩るという実に簡単なものだ。

 言うまでもなく、この戦術をやるにあたって必要なのは指揮官と兵隊。
 それも逃亡も反乱もしない者達だ。
 高順はその両者を用意できていた。
 また、馬車による移動は水や飼葉を大量に消費するが、中距離までならその輸送力は魅力的であった。

 狼群戦術とは本来第2次大戦でドイツがやっていたUボートを使った戦術のことだが、まあ似たようなものだろう。
 さて、意外なことにこういった少数部隊を複数、敵地後方へ浸透させ補給路や連絡路を潰す、というのはこの時代、行われていない。
 基本は大軍同士のぶつかり合いが主であり、輜重隊襲撃の最たるものの官渡の戦いにおける曹操の烏巣襲撃も許攸という情報源があり、かつ彼は5000もの兵を率いていっている。
 勿論、それには明確な理由があり、少数部隊を敵地へ送るなど無闇に犠牲を増やすだけという考えだ。
 いわゆる兵力の逐次投入という愚を犯すことに繋がり、いたずらに自軍の戦力を低下させてしまう。
 また明確な指揮官を配置しなければ兵隊が逃亡してしまう、そういう可能性も大きい。

 確かにそれは一理ある。
 高順が提案したときも郭嘉らや周瑜にそこを指摘された。
 しかし、高順には彼女らを説得するだけのものを持っていた。

 それは他の軍にはない兵の練度と馬車を多数保有していることだ。

「あなた方の率いる兵の練度が恐ろしい程に高いことが勝因でしょう。我々と比べても、なお上とは……」

 郭嘉の言葉に周瑜が頷く。
 彼女は孫策、孫権、甘寧が揃って兵を連れて輜重隊狩りに参加してしまい、高順との連絡係として留守を任されている。
 同じように郭嘉と荀彧も留守役だ。
 対する高順は賈詡や陳宮、張勲、劉備の他に護衛として厳顔と黄忠を手元に残していた。

「私達も初めて見たときは目を剥いたものだ。現場指揮官にほとんど丸投げするなんぞ、どこもやっていないし、そもそもできないだろう」

 そんな周瑜に対し、荀彧はまた違った感想を述べる。

「さすが孟徳様がお認めになった方……」

 荀彧は目を輝かせていた。
 彼女にとって判断基準は曹操である。
 その曹操に頭を下げて仕官を頼まれる、なんぞ荀彧にとっては尊敬の念こそあれ、軽蔑する理由はない。
 同じような理由で彼女は司馬懿も尊敬していたりする。
 ともあれ、荀彧にとっては高順は異民族であるとかそういうこと無く、凄いヤツと認識していたのだ。

 さて、高順の軍が特殊なところは将軍ではなく、率いる兵にある。
 かつて、賈詡が言った。
 高順が書いた調練手引書はどこの諸侯も喉から手が出る程に欲しがるものだ、と。

 その手引書にはただの兵隊を育成するもの以外にも士官や下士官といったいわゆる中堅的な立場にある現場指揮官育成の為のことも書かれていた。

 曹操を始めとした諸侯や官軍は基本的に将軍が指示を出して兵隊を動かす。
 これは高順も同じことだが、決定的な違いは前者は将軍が事細かに戦況の変化に応じて指示を出さないと兵隊が動かないこと。
 無論、高順以外の軍勢にも将軍以外の、下士官などの現場指揮官は存在する。
 だが、彼らは自ら思考し、戦闘を行うということができない。
 彼らの仕事は上から与えられた命令を忠実に実行するということだけだ。
 上が進めと言ったら兵隊を進ませ、突撃と言ったら突撃させる。

 上からの指示が無くてもどのように兵を進ませ、どのタイミングで攻撃させるか、引き際はどこか、そういった判断ができないのだ。
 
 曹操や孫策、あるいは袁紹の軍勢は兵士の練度は確かに凄いだろう。
 規律正しく、整然と上の命令に従って動くことができる。
 当たり前といえば当たり前のことなのだが、元農民、あるいは傭兵、元山賊といった連中をそこまで育て上げるのは並大抵のことではない。

 また、自己判断ができる現場指揮官は危険でもある。
 いつでも反乱を起こすことができ、また逃亡することができるからだ。


 曹操のようにカリスマ溢れているわけでもなく、孫策のように人柄に優れているわけでもなく、あるいは袁紹のように確たるした民への実績と家柄があるわけでもない。
 何もしなくても慕ってくれるなんてことがない故に、高順は猛訓練を施し、徹底的に自分への忠誠を叩き込んだ。
 そのやり方は多岐に渡ったが、要約してしまえば「私についてくれば良い思いさせてやる」とそう思わせた。
 無論、それに加えて給金や待遇を良くすることも同時に忘れない。


 その結果、優秀な下士官や兵が育ち、上からの指示がなくても自力で動ける部隊ができたのだ。
 群狼戦術には曹操からの援軍も参加しているが、郭嘉が指揮系統の明確化の為に一時的に高順の指揮下に入れたことで指示に従わないという事態には陥っていない。
 元々曹操の兵はよく訓練されている為に逃亡するなどということはなかったのだが。

「とはいえ、困ることもあるわ」
「困ること?」

 郭嘉の問いかけに高順は頷き、告げる。

「幾ら強くても、数で押されては勝てない。100万200万ならどうにかできるけど、300万くらいはちょっと……」

 冗談なのか本気なのか、いまいち判別がつかない高順の言葉に郭嘉らは反応に困った。
 2万で10倍の敵を破ったならば、20万もいれば200万を破れるんじゃないか……単純な話であったが、実績があるだけに郭嘉らは怖かった。

 ともあれ、この場にいる全員の共通見解として、もはや烏丸は敵ではないというものだ。
 そこから先についてもほとんど同じことを考えていた。
 烏丸の後に待ち構えるもの、何事も無ければ高順征伐であろうことは想像に容易い。
 高順を潰せば失われた漢の権威も多少は回復するというものだ。

「涿郡の烏丸に関してはどれほどの期間、やるつもりですか?」

 周瑜が話題を変えるように問いかけた。

「連合軍の攻勢直前まで。涿郡内を暴れ回ればこっちに兵力回してくれ、とあちこちに泣きつく筈よ」

 高順の答えになるほど、と周瑜らは頷く。

「第二段階としては連合軍の攻勢開始と同時に涿郡内にある7つの県を順次落とす」
「その頃になれば涿郡内にある烏丸の兵力はこちらの攻勢に対応する為、あちこちに引き抜かれ激減している……そういうわけですね?」

 郭嘉の確認の問いに高順は頷く。

「ただ、問題はここを狙われた場合。おそらく烏丸は連合軍の一部が涿郡内に浸透していることに気がついている。地面の足跡を辿ればどこに根拠地があるのかも一目瞭然」
「そちらとこちら、合計して1万を超える兵隊の移動ですから、致し方ありません」

 郭嘉の言葉に続けるように荀彧が口を開く。

「高順様、今ここにはうちの騎兵が2000、そのうち、戦闘に繰り出せるのは1500、そちらは歩兵のみでたった300しかいません。これだけでここを守れますか?」
「やり方次第では十分。楼桑村の周囲は森が半分、平原が半分。森には張勲に命じて罠を仕掛けさせているわ」
「……確かに彼女はそういうのが得意そうですね」

 荀彧も含め、多くの者の張勲に対しての第一印象は腹黒というものであったりする。
 高順は更に言葉を続ける。

「そういうわけで平原での戦闘となるけど、いち早く察知する為に楼桑村から馬で飛ばして1日の距離を半径にそちらの騎兵に哨戒を任せている。遊牧民族といえど、さすがに夜は馬を休める」
「夜襲ですね?」

 周瑜の問いかけに高順は頷く。

「まさか500名もの騎兵を順番を組んで常時偵察させるなんて思いもしませんでした。夜間を除けば常時監視体制が整っています」

 郭嘉の感心したような、呆れたような顔に高順は苦笑する。

「何よりも大切なのは敵がどこから、どの程度の規模でやってくるか。基本的なことだけど、だからこそ重要……まあ、あなた方には言うまでもないと思うけど」

 当然とばかりに頷く郭嘉、荀彧、周瑜の3人。
 そんな3人に他に何か、と高順は問いかけるが、特に何もなかった。

「それじゃ、本日の連絡会は解散。あ、文若殿はこの後ちょっと残ってね」

 最近の高順は居残り組の郭嘉らと1対1で色々なことを話している。
 その中でも特にお気に入りなのは荀彧であった。


 高順は自分はロリコンなのかなぁ、と最近感じ始めていた。
 荀彧の年齢は今13歳。
 この時代では15歳で成人であり、結婚の適齢期であるので、少し早いが十分に問題がない。
 その高順も14歳なので、年齢的にはロリコンでも何でもないのだが、如何せん見た目が完全に大人と子供である。


「高順様、今日は何を?」

 天幕に荀彧と高順以外の者が出ていったところで荀彧が問いかけた。

「そうね……あなたの郷里のことや趣味、政治に軍事、経済と色々話したから、今日はあなたの大好きな華琳について熱く語って頂戴」

 荀彧は目を輝かせ、ゆっくりと口を開いた。


 






 天幕を出た3人のうち、賈詡は自分の仕事を片付けに、残る郭嘉と周瑜は特にやることがない為、郭嘉が割り当てられた天幕で適当に雑談でもすることとなった。
 郭嘉の天幕周辺には高順の兵ではなく、曹操から預かった兵が常駐しており、防諜の面でも安心だ。

 お茶を飲みつつ、当初は世間話をしていた2人だったが、彼女らの職業柄、そして性格上、徐々にその話は高順の軍備についてのものになっていった。

「私は最初見た時は驚きましたよ」

 郭嘉の言葉に周瑜は同意と頷く。

「馬車の大量利用というのは理論としてはあるが、実践するには相当な金と労力が必要だ。駄馬や牛に荷車で引かせた方が安上がりだし、数を揃えられる」

 周瑜のその言葉に郭嘉は全くです、と言い、さらに続ける。

「聞けば文和殿は高順様と合流する前は袁家にいたとか……おそらくそこで色々と巻き上げたんでしょう」
「高順陣営でもっとも油断のならん相手だ。無論、武力でいえば奉先、仲穎の2人をはじめとし、恐ろしい面々が揃っている」
「奉先と仲穎、あの2人は規格外です。うちの典韋、許褚の2人でも敵わないでしょう」 

 悪来典韋と剛力無双の許褚――その2人の名は周瑜も聞いていた。

「そちらの元譲殿は?」
「素人目ですが、数合もてば御の字でしょう。まともにやるならこちらの将軍全てを繰り出して五分、更に奉先と仲穎の2人を数万の兵隊で取り囲んで袋叩きにすればほぼ確実……被害は考えたくありませんが」

 郭嘉の言葉に周瑜は苦笑する。

「うちの伯符も同じようなことを言ってたよ。あの2人には敵わないとな」
「ですが、我々は軍師です」

 郭嘉の言い方に周瑜は不敵な笑みを浮かべる。
 単純な武力では天下無双。
 だが、郭嘉や周瑜は武力では戦わない。

「何にしても、賈詡が厄介だ」

 高順陣営のど真ん中で堂々とそう言える2人の度胸は半端ではない。
 難癖つけて自分にとって都合の良い方向へ持っていくのは賈詡の十八番。
 
 だが、賈詡は今はそうするつもりはなかった。
 何故ならば、存分に自分達の強さ、厄介さを喧伝することで手を出しにくくする為だ。

「しかし、高順の兵士達の装備は中々に金がかかっているな」
「ええ、おそらく諸侯の中でもっとも金をかけているでしょう」
「背嚢……だったか? あの背負う袋の中には携帯口糧や包帯、薬草など色々入っているそうだ。また、お揃いの軍服の下には鉄の胸当てと鎖帷子、頭にはお椀をひっくり返したような鉄帽……聞けば装備だけで1人、2万銭かかっているらしい」

 諸侯軍において鎧の普及率は一つの軍において4割程度。
 高順の軍は個々の兵士に至るまで全員が鉄の胸当てと鎖帷子、鉄帽を身につけていた。
 対する郭嘉は別の点を述べる。

「私としては1人の兵士が幾つも武器を持っていることが不思議に思いました。あれでは兵士の武に関する練度がどれもこれも中途半端になると思うのですが……」
「背中に小型の弩、腰には剣、手には槍……確かに純粋な、兵個人の武力としてはどれか一つに特化した我々の兵と比べて劣るだろう。だが、あの高順のことだ。何かしら、我々には想像もつかない理由がある」
「元帥や大将といった独特の階級制度もありますし、何よりも名のある将がいなくとも、自力で行動し、かつ、逃亡や反乱を起こさない、そういう指揮官……」

 独特の階級制度であるが、その実態はお粗末なものだ。
 米軍や日本軍のような現代軍の制度の真似事どころか、より前時代的な軍制度の真似事すらできない。
 階級制度はただ単純に高順が分かりやすくする為につけているものだったりする。

 国民とか国家とかそういう概念がほとんど皆無なこの時代において、そういう軍制を真似るのは不可能だ。
 とはいえ、実態を知らなければ不気味にしか思えない。 

「100万200万では負けぬ、というのはあながち間違いではないかもしれんな」

 周瑜の言葉に郭嘉は頷く。
 搦め手を使うしかない、そう2人は心に思ったのだった。











 郭嘉と周瑜が話し合っていた頃、別の天幕では――


「郭嘉達はボクの予想通りに動く筈よ」

 賈詡は陳宮にそう言った。

「はいです。これまでの宣伝の結果、まずは搦め手でこちらを弱体化させようとする筈です」

 陳宮は大げさに頷きつつ、告げた。
 今まで賈詡は高順陣営の恐ろしさを存分に郭嘉や周瑜らに喧伝した。
 故に、彼女らは高順攻めとなった場合、必ず進言するだろう。

 慎重に兵を進めるべし、直接対決は極力避けるべし、と。

 それこそが賈詡が望んでいたこと。
 電撃的に侵攻されたり、騎兵による大規模浸透でもされたら到底対処できない。
 それを防ぐ為の印象操作。

 漸減火力巣や旅順要塞構築の為の時間を稼ぐことが賈詡にとって至上命題であった。
 その時間も多ければ多い程にいい。

 陣地構築や要塞建設はまずは測量や地質調査から始めねばならず、資材や人手、予算などなど大量にやらねばならない課題がある。
 とはいえ、金があれば時間以外は何とかなるのが世の常。

 賈詡は高順から旅順近くにある、宝の山のことを聞いていた。

「鞍山にある大鉱山。そこを開発できればボク達は勝てる」

 古くから鞍山は鉄を産出すると知られてきた。
 だが、その開発規模は極めて小さい。
 高順は未来知識から鞍山は鉱物資源が豊富であり、鉄鉱石の埋蔵量は中国全土の4分の1、100億トンにも達することを知っていた。
 他にもヒスイやマグネシウムなども産出し、その量はやはり豊富だ。
 また遼東郡の他に属国として幾つか遼東郡と遼西郡の狭間にある地域がある。
 そこの阜新地区には遼河油田が存在するが、最低でも1000mは掘らないと原油は吹き出してこない。
 1000年以上先の未来に商業化前提とするならば6000m程、掘らないといけない。

 原油は火攻めにおいて有効である為、高順としては欲しいところだ。
 原油に火がついたらその火は水では消えず、化学消火剤を使うしかないが、この時代にそんなものがあるわけがない。
 とはいえ、中国にはそこ以外にも幾つか大規模な油田があり、比較的簡単に掘削できるものは未来においては黒龍江省と呼ばれる地区にある大慶油田が挙げられる。
 この油田は高度な掘削技術は必要ではなく、手掘りでも採掘が可能だ。
 位置発見も簡単であり、地面に染みでている悪臭のする黒い水を探せば良い。
 もっとも、パイプラインなんていう洒落たものは作れないので桶や壺などに詰めて輸送という形になるが、そこはしょうがない。

 ただ、その黒龍江省には屈強な鮮卑族がいる。
 烏丸は北は鮮卑と南は漢に挟まれた形となっており、彼らが疑心暗鬼に囚われ、匈奴を滅ぼしたのも頷ける情勢であった。


 閑話休題――


「とりあえずは目の前の烏丸を片付けるのが先です。油断していると痛い目みるかもしれないのです」

 陳宮の言葉に賈詡は当然とばかりに頷いたのだった。
 

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