「曹孟徳様より派遣された郭奉孝です」
「同じく、羊叙子です」
「杜元凱です」
そう言う3人に高順はやれやれ、といった感じで呟いた。
「予想はしていたけど、何だかなぁ」
郭嘉と杜預が10代前半程度の少女であり、羊祜が10代半ば程度。
本来なら郭嘉が死んでから数十年後に活躍する2人が郭嘉と同い年程度か、年を取っているという、極めて摩訶不思議であった。
今更と言えるが、やっぱり不思議なものは不思議であった。
「何か?」
そう問いかけてくる郭嘉に何でもない、と返し高順は告げる。
「聞いていると思うけど、私が高順よ。ところで……何で元凱はあちこちボロボロなのかしら?」
小柄な杜預はあちこち土埃がつき、衣服も若干擦り切れていた。
郭嘉が言い難そうな顔となり、杜預は顔を俯かせる。
「彼女は運動が全くできません。馬に乗ればその場で落ち、剣を振るえば剣が飛んでいきます」
答えた羊祜は身内の恥部を晒す行為に顔を真っ赤にしている。
「……剣が飛んでいくのはいいとして、その場で落ちるってどういうこと?」
「私も初めて見たときは目を疑いました」
郭嘉がメガネを指先で上下に動かしながら言った。
どうやら余程信じられないものらしい。
「どういうものか見せましょうか?」
「えー!?」
そう言った羊祜に杜預が叫ぶ。
「いい機会だから高順様に教えてもらえ」
羊祜はそう言い、嫌だ嫌だと駄々をこねる杜預を無視して兵士に馬を呼ばせる。
すぐに馬が連れてこられた。
「乗れ」
「嫌ぁああ! 明ちゃんのいじわるぅううう!」
これがあの杜預なのか、と高順は頭を抱えたくなったが、何とか踏みとどまる。
嫌がる杜預を無理矢理羊祜が馬に乗せた。
するとどうだろうか、杜預は馬にまたがって左右に大きく身体を揺らしたと思ったら、そのまま地面に落下した。
「……いや、それ日常生活にも支障が出るでしょ? 冗談よね?」
「孟徳様も初めて見たときはあなたと全く同じ反応でした」
郭嘉の言葉にうわーんと泣く杜預。
「出立した直後に落馬30回、それ以後私が後ろに乗せてきました」
「着替えるのもアレですし……」
羊祜と郭嘉の言葉になるほど、と高順は頷いた。
さすがに30回もしていては衣服の替えも無くなるだろう。
「まあ、とりあえず天幕にでも入りましょう」
高順の提案に彼女らは頷いたのだった。
「高順様。文台様より言伝を預かっております」
天幕に入り、劉備にお茶を淹れてもらい、一息ついた後、郭嘉が口を開いた。
高順はその意味を悟り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「烏丸をこちらで引きつけている間に他の地域で全面攻勢……そうかしら?」
問いに郭嘉は頷きつつ、口を開く。
「戦上手の誉れ高いあなたの手腕を拝見したく……」
戦上手という単語が高順の脳裏に反芻する。
それは彼女の機嫌を一気に良くする魔法の単語。
言ったのがあの郭嘉なら尚更だ。
とはいえ、郭嘉がそう言ったのは曹操の入れ知恵というのもある。
そう言っとけば機嫌が良くなる筈だから色々探ってきなさい、と。
もっとも、郭嘉本人としてはその入れ知恵も当然あるが、高順のやったことはそう称するに相応しいと思ってた。
情報伝達手段が発達していないこの時代において、高順のやったことは20万を2万で破ったという程度の情報しか伝わっていない。
具体的な作戦運びなどは全く伝わっていないし、何よりそういった戦場の推移を記したものも存在しないことから、そういったことを知るには実際に参加した者に聞くしかない。
とはいえ、人間の記憶はあやふやなものであるから、当時の状況など完全に分かるわけもない。
なお、そのことから高順は今日に至るまで全て業務日誌や戦場の推移などについて事細かに書かせていた。
こういう地味なものの積み重ねが、後に大きなものとなるのだ。
「ということは基本的に攻勢防御という形で?」
高順の問いかけに郭嘉は頷いた。
どうやら彼女が援軍の総司令官的な立場のようだ。
杜預、羊祜を従えた郭嘉……彼女らだけでも普通に涿郡から烏丸を追い出せそうだ。
「ところで一つ気になるところがあるのだけど……」
そう前置きし、高順は問う。
「何でそっちに武官はいないの?」
郭嘉も羊祜も武勇に優れてはいない。
杜預など言うまでもないだろう。
「孟徳様は高順様のところに武官はたくさんいるから、と」
「まぁそうね」
郭嘉の言葉に高順はそう答えつつ、的確にこちらの弱点を見抜いている曹操にさすがだ、と感心する。
高順一派には武官は錚々たる面子が揃っているが、文官となれば賈詡と陳宮くらいしかいない。
無論、これまで手塩にかけて育ててきた文官達も中々のものであるが、それでも名のある者と比べれば残念ながら及ばない。
対する曹操は武官も文官も選り取りみどり、綺羅星の如く。
「高順様、実は孟徳様からの援軍は我々だけではありません。もう1人、飛び入りでおります」
郭嘉の言葉に高順は首を傾げる。
仲達でもやってきたんだろうか、と彼女は考えた。
仲達――すなわち、司馬懿がいればもう高順達は遊んでてもいいくらいに万全だろう。
郭嘉が杜預に目配せすると彼女は頷き、天幕の外へ出ていった。
そして、入れ替わるように賈詡が入ってきた。
彼女は曹操軍の騎兵の受け入れやら彼らの輜重隊の受け入れやらであちこち飛び回っていたのだ。
「賈詡、こっちは郭奉孝殿と羊叙子殿よ」
「賈文和よ。ああ、もう1人の杜元凱って子とはすぐそこですれ違ったから」
二度手間を避ける為に賈詡はそう言い、定位置となっている高順の横に座る。
「基本的に攻勢防御だそうよ。どこを攻めるかは張遼と公孫瓚を呼んで決めましょう」
「それでいいと思うわ。で、今は何をやっているの?」
賈詡の問いに答えるように、天幕に入ってくる者がいた。
1人は先程の杜預。
もう1人は見慣れぬ少女だった。
少女は高順の前で平伏した。
「はじめまして、高順様。私は荀文若と申します」
「はじめまして、私が高順よ」
高順は何とか平静を保ち、そう返した。
まさかもう1人の飛び入り参加者があの荀彧とはさすがに予想がつかなかった。
政治担当の彼女が何でこんなところまでやってきたのか――その疑問を高順が考えるよりも早く、荀彧は高順へ書簡を差し出した。
高順は訝しく思いながらも、それを受け取り内容を読み始め……
「……これは凄い」
荀彧を心の底から称賛した。
そして、高順は賈詡に書簡を渡す。
受け取った彼女もまた流し読みし、感心したような表情となった。
書簡に書いてあったのは曹操陣営と高順陣営の戦力比較。
武官や文官は勿論、資金や兵の質、勢力基盤などなど事細かに書かれていた。
その比較はちょっとでも軍略をかじった者であれば曹操陣営が圧倒的に有利ということが分かるものであった。
「私、荀文若は高順様を我が主、曹孟徳様の都督として推挙いたします」
それを踏まえた上で荀彧はそう言った。
郭嘉らは荀彧が来たことから予想できていたのだろう。
特に動揺はない。
賈詡もこれは予想がついていたのか、いつもの不機嫌な表情で――おそらく本当に不機嫌なのだろうが――尋ねた。
「都督とは聞きなれない言葉だけど、何の役職かしら?」
「全軍の司令官でございます。曹孟徳様がより軍を精強にすべく、制度を整えまして」
どうやら曹操は今回の戦乱を機に色々と内部改革を推し進めているようだ。
対する高順は思考を高速で巡らせていた。
荀彧に推挙された――これは極めて名誉なことだ。
荀子の系譜であり、名家の中の名家である筍家に異民族でありながら認められたということになる。
だが、下手な断り方をしてはそれを使って大変恐ろしいことを引き起こしてくれる可能性が高い。
先見の明がない人物ならふざけるなとか俺はどこにもつかねぇ、とかそのときの気分や格好を気にして言ったりするところだが、あいにく高順はそんな輩ではない。
高順は頭の中で曹操が高笑いしている光景が思い浮かび……はたと気がついた。
「推挙の件は華琳は何と?」
荀彧は勿論、郭嘉らに動揺が見られた。
どうやら彼女らは高順と曹操が個人的に友好関係にあり、真名を呼び合う仲だとは知らなかったらしい。
これが突破口と見た高順は更に言葉を続けた。
「私は華琳が夏侯姉妹の2人しか傍にいなかった頃、彼女が頭を下げた仕官要請を涙ながらに断っているのだけど……」
「そ、そうなのですか?」
荀彧はあからさまに動揺している。
どうやら彼女の独断だったようだ。
でなければ曹操が止めるに違いない。
彼女は一度仕官を断られた相手に部下を遣わせて登用できると考える馬鹿ではない。
「そうよ。ところで文若殿。あなたは華琳から人材を集めるよう、命を受けているのね?」
高順の問いに荀彧は青い顔で頷く。
自分の仕出かした失態をどう利用されるか、と戦々恐々といったところだろう。
荀彧はことさら、曹操を好いており、その為なら火の中水の中といった具合だ。
また、曹操は度量も広いことから羌族だからと差別したりはしない。
確かに無礼ではあるが、高順の置かれた状況を考えればほとんど確実にこちらに取り込めると荀彧は予想していた。
今は協力しているが、烏丸討伐が一段落したならば、再び目の敵にされるのは高順なのだから。
そのとき、独立勢力としているか、それとも曹操の配下としているか、どちらがお互いに良い状況かは言うまでもない。
高順が独立勢力としていれば、諸侯に袋叩きに遭うのは想像に難くなかった。
故に決行したのだが……完全に裏目に出てしまった。
他ならぬ、曹操自身が話していなかった高順との関係により。
しかし、荀彧のその怯えや不安は高順の言葉で払拭されることになった。
「あなたがしたことは当然であって、何ら問題になるものではないわ」
鷹揚に頷く高順に荀彧は彼女の顔をまじまじと見た。
「……要請を受けて戦に参加しているボクらにそういうことをするのは、こちらを舐め腐っているとしか言えないんだけど?」
賈詡の当然といえば当然の言葉に高順はうんうんと頷く。
「だが、人に失敗はつきもの。失敗をしない人間は存在しない。ここは一つ、華琳と私の個人的な友好に免じて水に流しましょう」
にこにこ笑顔の高順に賈詡はやれやれ、と溜息を吐きつつも高順が敢えてそうした理由に感心していた。
高順はただの甘ちゃんでもなければ底抜けのお人好しでもない。
彼女はこれを利用して、荀彧を心情的にこちらの味方にしてしまうつもりだ。
名家出身の荀彧が高順を徳の人物と評価すればどうなるか、想像は容易い。
一気に高順の評判は上がることだろう。
そして、それは他勢力に手を出されにくくすることに繋がり、高順にとって貴重な時間を稼ぐことができる。
時間を稼げれば安定した基盤を築くこともできるのだ。
「ありがとうございます……!」
そう言い、荀彧は頭を下げた。
それを見、高順は笑顔で大したことない、と言いつつ心の中では勝どきをあげていたのだった。
「同じく、羊叙子です」
「杜元凱です」
そう言う3人に高順はやれやれ、といった感じで呟いた。
「予想はしていたけど、何だかなぁ」
郭嘉と杜預が10代前半程度の少女であり、羊祜が10代半ば程度。
本来なら郭嘉が死んでから数十年後に活躍する2人が郭嘉と同い年程度か、年を取っているという、極めて摩訶不思議であった。
今更と言えるが、やっぱり不思議なものは不思議であった。
「何か?」
そう問いかけてくる郭嘉に何でもない、と返し高順は告げる。
「聞いていると思うけど、私が高順よ。ところで……何で元凱はあちこちボロボロなのかしら?」
小柄な杜預はあちこち土埃がつき、衣服も若干擦り切れていた。
郭嘉が言い難そうな顔となり、杜預は顔を俯かせる。
「彼女は運動が全くできません。馬に乗ればその場で落ち、剣を振るえば剣が飛んでいきます」
答えた羊祜は身内の恥部を晒す行為に顔を真っ赤にしている。
「……剣が飛んでいくのはいいとして、その場で落ちるってどういうこと?」
「私も初めて見たときは目を疑いました」
郭嘉がメガネを指先で上下に動かしながら言った。
どうやら余程信じられないものらしい。
「どういうものか見せましょうか?」
「えー!?」
そう言った羊祜に杜預が叫ぶ。
「いい機会だから高順様に教えてもらえ」
羊祜はそう言い、嫌だ嫌だと駄々をこねる杜預を無視して兵士に馬を呼ばせる。
すぐに馬が連れてこられた。
「乗れ」
「嫌ぁああ! 明ちゃんのいじわるぅううう!」
これがあの杜預なのか、と高順は頭を抱えたくなったが、何とか踏みとどまる。
嫌がる杜預を無理矢理羊祜が馬に乗せた。
するとどうだろうか、杜預は馬にまたがって左右に大きく身体を揺らしたと思ったら、そのまま地面に落下した。
「……いや、それ日常生活にも支障が出るでしょ? 冗談よね?」
「孟徳様も初めて見たときはあなたと全く同じ反応でした」
郭嘉の言葉にうわーんと泣く杜預。
「出立した直後に落馬30回、それ以後私が後ろに乗せてきました」
「着替えるのもアレですし……」
羊祜と郭嘉の言葉になるほど、と高順は頷いた。
さすがに30回もしていては衣服の替えも無くなるだろう。
「まあ、とりあえず天幕にでも入りましょう」
高順の提案に彼女らは頷いたのだった。
「高順様。文台様より言伝を預かっております」
天幕に入り、劉備にお茶を淹れてもらい、一息ついた後、郭嘉が口を開いた。
高順はその意味を悟り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「烏丸をこちらで引きつけている間に他の地域で全面攻勢……そうかしら?」
問いに郭嘉は頷きつつ、口を開く。
「戦上手の誉れ高いあなたの手腕を拝見したく……」
戦上手という単語が高順の脳裏に反芻する。
それは彼女の機嫌を一気に良くする魔法の単語。
言ったのがあの郭嘉なら尚更だ。
とはいえ、郭嘉がそう言ったのは曹操の入れ知恵というのもある。
そう言っとけば機嫌が良くなる筈だから色々探ってきなさい、と。
もっとも、郭嘉本人としてはその入れ知恵も当然あるが、高順のやったことはそう称するに相応しいと思ってた。
情報伝達手段が発達していないこの時代において、高順のやったことは20万を2万で破ったという程度の情報しか伝わっていない。
具体的な作戦運びなどは全く伝わっていないし、何よりそういった戦場の推移を記したものも存在しないことから、そういったことを知るには実際に参加した者に聞くしかない。
とはいえ、人間の記憶はあやふやなものであるから、当時の状況など完全に分かるわけもない。
なお、そのことから高順は今日に至るまで全て業務日誌や戦場の推移などについて事細かに書かせていた。
こういう地味なものの積み重ねが、後に大きなものとなるのだ。
「ということは基本的に攻勢防御という形で?」
高順の問いかけに郭嘉は頷いた。
どうやら彼女が援軍の総司令官的な立場のようだ。
杜預、羊祜を従えた郭嘉……彼女らだけでも普通に涿郡から烏丸を追い出せそうだ。
「ところで一つ気になるところがあるのだけど……」
そう前置きし、高順は問う。
「何でそっちに武官はいないの?」
郭嘉も羊祜も武勇に優れてはいない。
杜預など言うまでもないだろう。
「孟徳様は高順様のところに武官はたくさんいるから、と」
「まぁそうね」
郭嘉の言葉に高順はそう答えつつ、的確にこちらの弱点を見抜いている曹操にさすがだ、と感心する。
高順一派には武官は錚々たる面子が揃っているが、文官となれば賈詡と陳宮くらいしかいない。
無論、これまで手塩にかけて育ててきた文官達も中々のものであるが、それでも名のある者と比べれば残念ながら及ばない。
対する曹操は武官も文官も選り取りみどり、綺羅星の如く。
「高順様、実は孟徳様からの援軍は我々だけではありません。もう1人、飛び入りでおります」
郭嘉の言葉に高順は首を傾げる。
仲達でもやってきたんだろうか、と彼女は考えた。
仲達――すなわち、司馬懿がいればもう高順達は遊んでてもいいくらいに万全だろう。
郭嘉が杜預に目配せすると彼女は頷き、天幕の外へ出ていった。
そして、入れ替わるように賈詡が入ってきた。
彼女は曹操軍の騎兵の受け入れやら彼らの輜重隊の受け入れやらであちこち飛び回っていたのだ。
「賈詡、こっちは郭奉孝殿と羊叙子殿よ」
「賈文和よ。ああ、もう1人の杜元凱って子とはすぐそこですれ違ったから」
二度手間を避ける為に賈詡はそう言い、定位置となっている高順の横に座る。
「基本的に攻勢防御だそうよ。どこを攻めるかは張遼と公孫瓚を呼んで決めましょう」
「それでいいと思うわ。で、今は何をやっているの?」
賈詡の問いに答えるように、天幕に入ってくる者がいた。
1人は先程の杜預。
もう1人は見慣れぬ少女だった。
少女は高順の前で平伏した。
「はじめまして、高順様。私は荀文若と申します」
「はじめまして、私が高順よ」
高順は何とか平静を保ち、そう返した。
まさかもう1人の飛び入り参加者があの荀彧とはさすがに予想がつかなかった。
政治担当の彼女が何でこんなところまでやってきたのか――その疑問を高順が考えるよりも早く、荀彧は高順へ書簡を差し出した。
高順は訝しく思いながらも、それを受け取り内容を読み始め……
「……これは凄い」
荀彧を心の底から称賛した。
そして、高順は賈詡に書簡を渡す。
受け取った彼女もまた流し読みし、感心したような表情となった。
書簡に書いてあったのは曹操陣営と高順陣営の戦力比較。
武官や文官は勿論、資金や兵の質、勢力基盤などなど事細かに書かれていた。
その比較はちょっとでも軍略をかじった者であれば曹操陣営が圧倒的に有利ということが分かるものであった。
「私、荀文若は高順様を我が主、曹孟徳様の都督として推挙いたします」
それを踏まえた上で荀彧はそう言った。
郭嘉らは荀彧が来たことから予想できていたのだろう。
特に動揺はない。
賈詡もこれは予想がついていたのか、いつもの不機嫌な表情で――おそらく本当に不機嫌なのだろうが――尋ねた。
「都督とは聞きなれない言葉だけど、何の役職かしら?」
「全軍の司令官でございます。曹孟徳様がより軍を精強にすべく、制度を整えまして」
どうやら曹操は今回の戦乱を機に色々と内部改革を推し進めているようだ。
対する高順は思考を高速で巡らせていた。
荀彧に推挙された――これは極めて名誉なことだ。
荀子の系譜であり、名家の中の名家である筍家に異民族でありながら認められたということになる。
だが、下手な断り方をしてはそれを使って大変恐ろしいことを引き起こしてくれる可能性が高い。
先見の明がない人物ならふざけるなとか俺はどこにもつかねぇ、とかそのときの気分や格好を気にして言ったりするところだが、あいにく高順はそんな輩ではない。
高順は頭の中で曹操が高笑いしている光景が思い浮かび……はたと気がついた。
「推挙の件は華琳は何と?」
荀彧は勿論、郭嘉らに動揺が見られた。
どうやら彼女らは高順と曹操が個人的に友好関係にあり、真名を呼び合う仲だとは知らなかったらしい。
これが突破口と見た高順は更に言葉を続けた。
「私は華琳が夏侯姉妹の2人しか傍にいなかった頃、彼女が頭を下げた仕官要請を涙ながらに断っているのだけど……」
「そ、そうなのですか?」
荀彧はあからさまに動揺している。
どうやら彼女の独断だったようだ。
でなければ曹操が止めるに違いない。
彼女は一度仕官を断られた相手に部下を遣わせて登用できると考える馬鹿ではない。
「そうよ。ところで文若殿。あなたは華琳から人材を集めるよう、命を受けているのね?」
高順の問いに荀彧は青い顔で頷く。
自分の仕出かした失態をどう利用されるか、と戦々恐々といったところだろう。
荀彧はことさら、曹操を好いており、その為なら火の中水の中といった具合だ。
また、曹操は度量も広いことから羌族だからと差別したりはしない。
確かに無礼ではあるが、高順の置かれた状況を考えればほとんど確実にこちらに取り込めると荀彧は予想していた。
今は協力しているが、烏丸討伐が一段落したならば、再び目の敵にされるのは高順なのだから。
そのとき、独立勢力としているか、それとも曹操の配下としているか、どちらがお互いに良い状況かは言うまでもない。
高順が独立勢力としていれば、諸侯に袋叩きに遭うのは想像に難くなかった。
故に決行したのだが……完全に裏目に出てしまった。
他ならぬ、曹操自身が話していなかった高順との関係により。
しかし、荀彧のその怯えや不安は高順の言葉で払拭されることになった。
「あなたがしたことは当然であって、何ら問題になるものではないわ」
鷹揚に頷く高順に荀彧は彼女の顔をまじまじと見た。
「……要請を受けて戦に参加しているボクらにそういうことをするのは、こちらを舐め腐っているとしか言えないんだけど?」
賈詡の当然といえば当然の言葉に高順はうんうんと頷く。
「だが、人に失敗はつきもの。失敗をしない人間は存在しない。ここは一つ、華琳と私の個人的な友好に免じて水に流しましょう」
にこにこ笑顔の高順に賈詡はやれやれ、と溜息を吐きつつも高順が敢えてそうした理由に感心していた。
高順はただの甘ちゃんでもなければ底抜けのお人好しでもない。
彼女はこれを利用して、荀彧を心情的にこちらの味方にしてしまうつもりだ。
名家出身の荀彧が高順を徳の人物と評価すればどうなるか、想像は容易い。
一気に高順の評判は上がることだろう。
そして、それは他勢力に手を出されにくくすることに繋がり、高順にとって貴重な時間を稼ぐことができる。
時間を稼げれば安定した基盤を築くこともできるのだ。
「ありがとうございます……!」
そう言い、荀彧は頭を下げた。
それを見、高順は笑顔で大したことない、と言いつつ心の中では勝どきをあげていたのだった。