楼桑村は良くも悪くも平凡な村であった。
村の真ん中に名前の通りに大きな桑の木がある程度で、住民の数は100人にも満たない。
こんな村にも役人がわざわざやってきて税を徴収していたというのだから驚きだ。
高順らは公孫瓚の案内で村の長の屋敷へと赴いた。
広間に通された高順らは長である白髪が目立つ老人、そしてその横に座っている緋色の髪をした少女がいた。
緋色の少女が公孫瓚の友人、劉玄徳だ。
予定は少しばかり変更され、長と共に彼女とも会うことになった。
そちらの方が手間が省けるだろう、という長の判断による。
「初めまして。私、高順と申します。この度は我々の無理を聞いて下さり、本当にありがとうございます」
そう言い、高順は頭を下げた。
それにつられ、賈詡、馬超、ついでに公孫瓚も頭を下げた。
これに面食らったのは長と劉備の方だった。
「頭を上げてくだされ!」
「そ、そうですよ! 困っている人がいたら放っておけないですし!」
「わかりました。こちらとしても時間は惜しい……早速ですが実務的な話に入りましょう」
高順は頭を上げ、そう切り出した。
彼女の言葉を受け、賈詡が口を開く。
「こちらとしては村の近くに陣を張らせてもらい、村内への立ち入りは一切行いません。我々が欲しいのは水、できれば食糧と飼葉を。無論、代金は支払います。なお、我々は3000名以上の幽州の民を保護しておりますが、彼らの食事と宿泊施設に関してはこちらで面倒を見ます」
予想以上の良い条件に長は再び驚いた。
その条件ならば実質的に村への被害が無い。
兵士達の立ち入りを禁止すれば軋轢が起こることもなかった。
「保護している方に関してはどうするつもりですか?」
劉備の問いかけに賈詡が告げる。
「ここで食糧を持たせて各自解散という形にしてもいいのですが、烏丸に襲撃されないとも限りません。幸いにも、援軍として曹孟徳殿の騎兵が5000、こちらへ向かっているとのこと。彼らが到着次第、涿郡の烏丸勢力の駆逐に掛かります」
賈詡は8000もいれば涿郡から追い出す程度なら十分可能と判断していた。
何よりも、高順が倒れそうになる程に優れた人材を囲っている曹操だ。
援軍にやってくる3人も当然一流であることは容易に想像がついた。
そして、その間に孫堅は他地域で――もしかしたら全域で――大攻勢を仕掛けるつもりだろう。
多方面の戦を強いられる烏丸は支えきれずに食い破られる。
そうすれば後は坂道を転げ落ちるように崩壊するのみ。
「あと数ヶ月……冬までにこの戦も終わるでしょう。それまでの辛抱です」
賈詡の言葉は実に頼もしかった。
長との会談後、高順らは劉備に村の各所を案内されることとなった。
劉備の人当たりの良さもあり、一行は和やかな雰囲気で進んでいたのだが……
「何で戦を持ってきたの! 私達は静かに暮らしたいだけなのに!」
茶髪の少女が高順らを見、そう叫んだ。
その言葉に慌てて周囲にいた村人達が取り押さえるが、彼女の口は止まらない。
「たくさんの兵隊を連れてきてお願いなんて恫喝と変わらないじゃない!」
「藍華ちゃん!」
劉備が叫んだ。
おそらくはその少女の真名だろう。
少女は村人の手により口を押さえられた。
まだ何かを叫んでいるが、全く聞こえない。
代わりに少女の視線は親の敵でも見るかのような目だ。
高順は賈詡に尋ねる。
「ああいうのはどう対処するべき?」
「自分達のことばかり良くて、酷い目に遭っている他人のことはいいのか、というのが正攻法だけど、ボク達にそういうことは言えない」
元を正せば高順が英雄になりたい、という願望から立ち上げた勢力である。
英雄になる為の手段として天下統一、民に安寧を与えるのが手っ取り早いということから、それを目指している。
崇高な理想とは程遠い。
「言ってることは分かるんだけど、何ていうかな……こっちにもこっちの事情があるというか……」
唸りながら馬超は頭をガシガシと片手でかく。
気が短い馬超が激昂せずにいるのはかなり稀有な事態といえるが、彼女も烏丸にも目を付けられていなかったちっぽけな村を戦乱に巻き込むのは気が引けた。
そんな最も怒りやすい馬超が怒らずに代わりに最も怒りにくいだろう彼女が怒った。
「何だよ……私や先生、それ以外にも大勢の人が烏丸を追いだそうって戦ったのに……!」
公孫瓚を知る者なら誰もが驚くに違いないだろう。
彼女は今、眦を吊り上げた怒りの形相であった。
「何でそんなことが言えるんだよ! 烏丸を認めろっていうのか!?」
公孫瓚からすれば目をつけられていないとはいえ、これから先もそうだとは言えない。
勿論、圧政でもしかれていたのなら話は別だが、村を見たところ、そこまで困窮しているようには見えない。
これに答えるように、茶髪の少女は自らを拘束している村人達から逃れ、口を開く。
「どうせ税を収める相手が変わるだけでしょ! 上が代わったって下は代わらない! 平穏に暮らせるなら烏丸だろうが漢だろうがどっちでもいい!」
売り言葉に買い言葉。
公孫瓚は大きな声で言った。
「じゃあ作ってやる! コイツじゃなきゃ嫌だって言うくらいの凄い治世を!」
「ふん、精々やってみせなさい! この簡憲和、そんな日を楽しみに待ってるわ!」
高順は心の中でなるほど、と納得する。
ここまでズケズケと言えるのは確かに簡雍くらいしかいない。
簡雍は鼻息荒く、その場を後にした。
「ぱ、白蓮ちゃん……?」
恐る恐る劉備が公孫瓚を呼ぶ。
人前で真名を呼んでしまっているが、劉備にはそこまで気にする余裕がない。
呼ばれ、我に返ったのか、公孫瓚は急にオロオロし始めた。
あっちこっちに視線をやり、最終的に公孫瓚が視線を向けたのは高順であった。
視線を向けられ、彼女はじーっと公孫瓚を見つめる。
それもそうだろう。
公孫瓚がまさかの独立宣言だ。
ついこの前、配下に引き入れたと思った矢先である。
「あ、えっと……その、高順? 私はその……お、お前のところから独立するとかそういう意味じゃないからな!?」
「変なことしたら速攻で潰すから。そこんとこよろしく」
賈詡が眼鏡をきらりと怪しく光らせ、静かに告げた。
公孫瓚は背筋に寒気が走る。
怖かった。烏丸よりも余程に。
「で、これからどうすんだ?」
馬超の問いに高順が答える。
「とりあえず私はそこにいるあなたの友達を登用しようと思うんだけど」
「え……? わ、私ですか!?」
「桃香を!?」
公孫瓚と劉備、どちらも驚いた。
そんな2人に当然とばかりに高順は頷く。
「私の勘によれば……あなた、手先が器用でしょ?」
「え、は、はい……筵とか草履とかをよく作るので……」
「被り笠とか籠は?」
「作れますが……」
「採用。職人として今日からよろしく」
再び驚く劉備。
対する公孫瓚は納得がいったのか、なるほどと頷く。
「ちょうどいいじゃないか。桃香、筵とか作るのが巧いし速いし」
「そ、そんなことないよぉ……」
公孫瓚の言葉に劉備はいやいやと首を振る。
渋る劉備に高順は伝家の宝刀を使うことに決めた。
すなわち……給金である。
「月に1000でどう? 勿論、三食寝床付き」
劉備の動きが止まった。
烏丸に襲われる前、幼い頃に母を無くした彼女は1人、筵や草履を売って生活していたのだが、そのときの月の稼ぎが平均450銭程度。
それと比べたら実に2倍近い収入だ。
「筵とかの作り方を職人になりたいっていう人に教えてくれたりするなら、更に500銭上乗せ」
本来なら、劉備は数年の内に起こるだろう黄巾の乱をきっかけに困っている人の為に立ち上がる。
つまり、劉備は未だ自分で勢力を立ち上げないといけない、というような理想なり何なりを持っていない。
元々のきっかけとなるものが起こっていないのだからそれも当然だ。
また、劉備は呑気だが馬鹿ではない。
彼女は自分ができることを正確に把握しているが故に、烏丸に関して自分は何もできない、と結論を出していた。
それもその筈で劉備にできることといえば、義勇軍を立ち上げて抵抗運動をするとか、話し合いでどうにかする、というくらいだ。
しかし、前者はそもそも義勇軍に参加するような気概に満ちた連中はとっくの昔に入っているか、既にあの世に行っているかのどちらかで集まるかどうか怪しい。
また、後者の話し合いに関してだが、ただの小娘に過ぎない劉備が行ったところで何の権限もなく、ただ陳情するくらいしかできない。
劉備は自分が中山靖王劉勝の末裔らしい、ということは知っていたが、異民族である烏丸にそんな言い分が通るわけもない。
犯されて殺されておしまい――そうなることは分かりきったことだった。
「えーっと……私ってそんなに役に立てないですけど……いいですか?」
「勿論。こう、殺伐とした中にある癒しというか何というか……」
残念ながら高順の傍には劉備のような女の子がいない。
唯一、該当するのは張三姉妹だが、彼女達は歌姫としての道を歩み始めており、高順としては彼女らの邪魔をしたくはない。
つまるところ、劉備の登用は筵職人としての面も勿論あるが、主に高順の精神的な保養の為であった。
「ああ、どうせなら私の補佐にしましょう。関羽にも戦場で働いてもらわないといけないし」
「何だかどんどん凄いことになっているんですが……」
「いいのよ。私のところは人手不足なの……賈詡もそれでいい?」
問いかけた先は腕を組んで不機嫌な顔の賈詡。
彼女はまた女が増えることに――それも巨乳――機嫌を大いに損ねていた。
勿論、高順も気づいているが、後数時間もすれば彼女の機嫌が直ることもまた予期できていた。
行軍中は禁止であったが、一応の拠点を得ることができた故に解禁なのである。
「ボクは別に構わないわよ。ただし、変なことしたら速攻で……握り潰す」
劉備の胸に鋭い眼光をぶつけつつ、賈詡は宣言した。
具体的にどこをとは言っていないが、劉備は悟ったのだろう。
彼女は胸を両手で押さえ、体を震わせる。
その様子に高順はさり気なく劉備の腰に手を回し、抱き寄せる。
そして、彼女の耳元で囁く。
「私の真名は彩よ。よろしくね」
ふぅ、と息を吹きかければ劉備はへたり込んでしまう。
羞恥やら何やらで彼女の顔は真っ赤だ。
「うぅ……彩ちゃん……」
まさかのちゃん付けに高順は無論、他の面々も目をパチクリとさせる。
「いや、桃香? ちゃん付けはないだろ、ちゃん付けは」
さすがに公孫瓚が諌めるが、当の劉備はほぇ、と首を傾げる。
「呼び捨てにしている私が言うのも何だが、あの高順だぞ?」
「え? だって、良い人でしょ? あ、私のことは桃香って呼んで!」
劉備のまさかの良い人発言に一同唖然。
その中には賈詡も含まれている。
色んな人間を見てきた彼女も、ここまであっさりとそんなことを言う輩には出会ったことがなかった。
「彩ちゃんは噂だけがひとり歩きした感じで、全然悪い人じゃないと思う」
花の咲くような笑顔でそう言い切る劉備。
高順は確かに劉備――それも演義補正付き――だと納得した。
彼女がそう思っていたとき、賈詡は劉備を最も警戒すべきだと確信した。
一見底抜けのお人好しにしか見えない劉備だが、その言葉は不思議と心の中に浸透してくる。
すなわち、彼女がお願いすればきっと多くの人間は彼女についていってしまうだろう……
それは何としても防がねばならなかった。
だが、同時に彼女は使える。
彼女の言葉を使えば高順の風評を良いものとすることができる上に人材集めや徴兵も楽になるだろう。
賈詡はとてもではないが軍師の策とは思えない稚拙でありながら、極めて効果的なやり方を思いついた。
それは高順をも犠牲にするものだが――
「彩、桃香のことはひとまずボクに任せて。さすがにすぐに関羽の代役をやらせるわけにもいかないでしょう?」
賈詡の問いに高順は頷きつつも、尋ねる。
「伯珪と文長もいるけど、大丈夫なの?」
「陳宮や董卓にも手伝わせるから大丈夫よ。いい薬にしてみせるわ」
高順は賈詡の最後の単語が誰のことを指しているのかすぐに思い至った。
そして、その為に何かやるつもりだ、ということも。
高順はその琥珀色の瞳で賈詡の瞳をまっすぐに見つめ、告げる。
「あなたに任せる。私に構わず、どんなことをしてもいい」
賈詡はその返事に心の底から告げる。
「ありがとう――」
「……で、これからどうすんだ?」
見つめ合っている高順と賈詡に馬超は呆れながら問いかけた。
彼女は趙雲から高順が馬超を敢えて選んだ理由を聞かされ、高順は実はお主のことが好きなのだと吹きこまれていたりするのだが、こんな光景を見せられては全くの嘘だと思わざるを得ない。
第一、馬超本人としては自分のことを可愛いとか綺麗だとかは全然思っていないので同性にも異性にもモテるとは思ってもみないことだ。
それ故、色恋にてんで奥手であった。
西涼にいた頃、彼女は錦馬超として名を馳せていたが故によく女の子から告白されたりしたのだが、どうしていいか分からず、混乱してその場から逃げ出すということを繰り返していた。
これにはさすがの馬騰も苦笑いするしかなかった。
「とりあえず、決定を伝えて陣を張るくらいかしらね。あとは適当に周囲を哨戒……何なら、馬超、一緒に馬でも走らせる?」
「いいぞ。私もやることないしな」
「どうせならその後、模擬戦でも……」
「おう、かかってこい」
豪快に笑う馬超。
高順も笑みを浮かべたのだった。
村の真ん中に名前の通りに大きな桑の木がある程度で、住民の数は100人にも満たない。
こんな村にも役人がわざわざやってきて税を徴収していたというのだから驚きだ。
高順らは公孫瓚の案内で村の長の屋敷へと赴いた。
広間に通された高順らは長である白髪が目立つ老人、そしてその横に座っている緋色の髪をした少女がいた。
緋色の少女が公孫瓚の友人、劉玄徳だ。
予定は少しばかり変更され、長と共に彼女とも会うことになった。
そちらの方が手間が省けるだろう、という長の判断による。
「初めまして。私、高順と申します。この度は我々の無理を聞いて下さり、本当にありがとうございます」
そう言い、高順は頭を下げた。
それにつられ、賈詡、馬超、ついでに公孫瓚も頭を下げた。
これに面食らったのは長と劉備の方だった。
「頭を上げてくだされ!」
「そ、そうですよ! 困っている人がいたら放っておけないですし!」
「わかりました。こちらとしても時間は惜しい……早速ですが実務的な話に入りましょう」
高順は頭を上げ、そう切り出した。
彼女の言葉を受け、賈詡が口を開く。
「こちらとしては村の近くに陣を張らせてもらい、村内への立ち入りは一切行いません。我々が欲しいのは水、できれば食糧と飼葉を。無論、代金は支払います。なお、我々は3000名以上の幽州の民を保護しておりますが、彼らの食事と宿泊施設に関してはこちらで面倒を見ます」
予想以上の良い条件に長は再び驚いた。
その条件ならば実質的に村への被害が無い。
兵士達の立ち入りを禁止すれば軋轢が起こることもなかった。
「保護している方に関してはどうするつもりですか?」
劉備の問いかけに賈詡が告げる。
「ここで食糧を持たせて各自解散という形にしてもいいのですが、烏丸に襲撃されないとも限りません。幸いにも、援軍として曹孟徳殿の騎兵が5000、こちらへ向かっているとのこと。彼らが到着次第、涿郡の烏丸勢力の駆逐に掛かります」
賈詡は8000もいれば涿郡から追い出す程度なら十分可能と判断していた。
何よりも、高順が倒れそうになる程に優れた人材を囲っている曹操だ。
援軍にやってくる3人も当然一流であることは容易に想像がついた。
そして、その間に孫堅は他地域で――もしかしたら全域で――大攻勢を仕掛けるつもりだろう。
多方面の戦を強いられる烏丸は支えきれずに食い破られる。
そうすれば後は坂道を転げ落ちるように崩壊するのみ。
「あと数ヶ月……冬までにこの戦も終わるでしょう。それまでの辛抱です」
賈詡の言葉は実に頼もしかった。
長との会談後、高順らは劉備に村の各所を案内されることとなった。
劉備の人当たりの良さもあり、一行は和やかな雰囲気で進んでいたのだが……
「何で戦を持ってきたの! 私達は静かに暮らしたいだけなのに!」
茶髪の少女が高順らを見、そう叫んだ。
その言葉に慌てて周囲にいた村人達が取り押さえるが、彼女の口は止まらない。
「たくさんの兵隊を連れてきてお願いなんて恫喝と変わらないじゃない!」
「藍華ちゃん!」
劉備が叫んだ。
おそらくはその少女の真名だろう。
少女は村人の手により口を押さえられた。
まだ何かを叫んでいるが、全く聞こえない。
代わりに少女の視線は親の敵でも見るかのような目だ。
高順は賈詡に尋ねる。
「ああいうのはどう対処するべき?」
「自分達のことばかり良くて、酷い目に遭っている他人のことはいいのか、というのが正攻法だけど、ボク達にそういうことは言えない」
元を正せば高順が英雄になりたい、という願望から立ち上げた勢力である。
英雄になる為の手段として天下統一、民に安寧を与えるのが手っ取り早いということから、それを目指している。
崇高な理想とは程遠い。
「言ってることは分かるんだけど、何ていうかな……こっちにもこっちの事情があるというか……」
唸りながら馬超は頭をガシガシと片手でかく。
気が短い馬超が激昂せずにいるのはかなり稀有な事態といえるが、彼女も烏丸にも目を付けられていなかったちっぽけな村を戦乱に巻き込むのは気が引けた。
そんな最も怒りやすい馬超が怒らずに代わりに最も怒りにくいだろう彼女が怒った。
「何だよ……私や先生、それ以外にも大勢の人が烏丸を追いだそうって戦ったのに……!」
公孫瓚を知る者なら誰もが驚くに違いないだろう。
彼女は今、眦を吊り上げた怒りの形相であった。
「何でそんなことが言えるんだよ! 烏丸を認めろっていうのか!?」
公孫瓚からすれば目をつけられていないとはいえ、これから先もそうだとは言えない。
勿論、圧政でもしかれていたのなら話は別だが、村を見たところ、そこまで困窮しているようには見えない。
これに答えるように、茶髪の少女は自らを拘束している村人達から逃れ、口を開く。
「どうせ税を収める相手が変わるだけでしょ! 上が代わったって下は代わらない! 平穏に暮らせるなら烏丸だろうが漢だろうがどっちでもいい!」
売り言葉に買い言葉。
公孫瓚は大きな声で言った。
「じゃあ作ってやる! コイツじゃなきゃ嫌だって言うくらいの凄い治世を!」
「ふん、精々やってみせなさい! この簡憲和、そんな日を楽しみに待ってるわ!」
高順は心の中でなるほど、と納得する。
ここまでズケズケと言えるのは確かに簡雍くらいしかいない。
簡雍は鼻息荒く、その場を後にした。
「ぱ、白蓮ちゃん……?」
恐る恐る劉備が公孫瓚を呼ぶ。
人前で真名を呼んでしまっているが、劉備にはそこまで気にする余裕がない。
呼ばれ、我に返ったのか、公孫瓚は急にオロオロし始めた。
あっちこっちに視線をやり、最終的に公孫瓚が視線を向けたのは高順であった。
視線を向けられ、彼女はじーっと公孫瓚を見つめる。
それもそうだろう。
公孫瓚がまさかの独立宣言だ。
ついこの前、配下に引き入れたと思った矢先である。
「あ、えっと……その、高順? 私はその……お、お前のところから独立するとかそういう意味じゃないからな!?」
「変なことしたら速攻で潰すから。そこんとこよろしく」
賈詡が眼鏡をきらりと怪しく光らせ、静かに告げた。
公孫瓚は背筋に寒気が走る。
怖かった。烏丸よりも余程に。
「で、これからどうすんだ?」
馬超の問いに高順が答える。
「とりあえず私はそこにいるあなたの友達を登用しようと思うんだけど」
「え……? わ、私ですか!?」
「桃香を!?」
公孫瓚と劉備、どちらも驚いた。
そんな2人に当然とばかりに高順は頷く。
「私の勘によれば……あなた、手先が器用でしょ?」
「え、は、はい……筵とか草履とかをよく作るので……」
「被り笠とか籠は?」
「作れますが……」
「採用。職人として今日からよろしく」
再び驚く劉備。
対する公孫瓚は納得がいったのか、なるほどと頷く。
「ちょうどいいじゃないか。桃香、筵とか作るのが巧いし速いし」
「そ、そんなことないよぉ……」
公孫瓚の言葉に劉備はいやいやと首を振る。
渋る劉備に高順は伝家の宝刀を使うことに決めた。
すなわち……給金である。
「月に1000でどう? 勿論、三食寝床付き」
劉備の動きが止まった。
烏丸に襲われる前、幼い頃に母を無くした彼女は1人、筵や草履を売って生活していたのだが、そのときの月の稼ぎが平均450銭程度。
それと比べたら実に2倍近い収入だ。
「筵とかの作り方を職人になりたいっていう人に教えてくれたりするなら、更に500銭上乗せ」
本来なら、劉備は数年の内に起こるだろう黄巾の乱をきっかけに困っている人の為に立ち上がる。
つまり、劉備は未だ自分で勢力を立ち上げないといけない、というような理想なり何なりを持っていない。
元々のきっかけとなるものが起こっていないのだからそれも当然だ。
また、劉備は呑気だが馬鹿ではない。
彼女は自分ができることを正確に把握しているが故に、烏丸に関して自分は何もできない、と結論を出していた。
それもその筈で劉備にできることといえば、義勇軍を立ち上げて抵抗運動をするとか、話し合いでどうにかする、というくらいだ。
しかし、前者はそもそも義勇軍に参加するような気概に満ちた連中はとっくの昔に入っているか、既にあの世に行っているかのどちらかで集まるかどうか怪しい。
また、後者の話し合いに関してだが、ただの小娘に過ぎない劉備が行ったところで何の権限もなく、ただ陳情するくらいしかできない。
劉備は自分が中山靖王劉勝の末裔らしい、ということは知っていたが、異民族である烏丸にそんな言い分が通るわけもない。
犯されて殺されておしまい――そうなることは分かりきったことだった。
「えーっと……私ってそんなに役に立てないですけど……いいですか?」
「勿論。こう、殺伐とした中にある癒しというか何というか……」
残念ながら高順の傍には劉備のような女の子がいない。
唯一、該当するのは張三姉妹だが、彼女達は歌姫としての道を歩み始めており、高順としては彼女らの邪魔をしたくはない。
つまるところ、劉備の登用は筵職人としての面も勿論あるが、主に高順の精神的な保養の為であった。
「ああ、どうせなら私の補佐にしましょう。関羽にも戦場で働いてもらわないといけないし」
「何だかどんどん凄いことになっているんですが……」
「いいのよ。私のところは人手不足なの……賈詡もそれでいい?」
問いかけた先は腕を組んで不機嫌な顔の賈詡。
彼女はまた女が増えることに――それも巨乳――機嫌を大いに損ねていた。
勿論、高順も気づいているが、後数時間もすれば彼女の機嫌が直ることもまた予期できていた。
行軍中は禁止であったが、一応の拠点を得ることができた故に解禁なのである。
「ボクは別に構わないわよ。ただし、変なことしたら速攻で……握り潰す」
劉備の胸に鋭い眼光をぶつけつつ、賈詡は宣言した。
具体的にどこをとは言っていないが、劉備は悟ったのだろう。
彼女は胸を両手で押さえ、体を震わせる。
その様子に高順はさり気なく劉備の腰に手を回し、抱き寄せる。
そして、彼女の耳元で囁く。
「私の真名は彩よ。よろしくね」
ふぅ、と息を吹きかければ劉備はへたり込んでしまう。
羞恥やら何やらで彼女の顔は真っ赤だ。
「うぅ……彩ちゃん……」
まさかのちゃん付けに高順は無論、他の面々も目をパチクリとさせる。
「いや、桃香? ちゃん付けはないだろ、ちゃん付けは」
さすがに公孫瓚が諌めるが、当の劉備はほぇ、と首を傾げる。
「呼び捨てにしている私が言うのも何だが、あの高順だぞ?」
「え? だって、良い人でしょ? あ、私のことは桃香って呼んで!」
劉備のまさかの良い人発言に一同唖然。
その中には賈詡も含まれている。
色んな人間を見てきた彼女も、ここまであっさりとそんなことを言う輩には出会ったことがなかった。
「彩ちゃんは噂だけがひとり歩きした感じで、全然悪い人じゃないと思う」
花の咲くような笑顔でそう言い切る劉備。
高順は確かに劉備――それも演義補正付き――だと納得した。
彼女がそう思っていたとき、賈詡は劉備を最も警戒すべきだと確信した。
一見底抜けのお人好しにしか見えない劉備だが、その言葉は不思議と心の中に浸透してくる。
すなわち、彼女がお願いすればきっと多くの人間は彼女についていってしまうだろう……
それは何としても防がねばならなかった。
だが、同時に彼女は使える。
彼女の言葉を使えば高順の風評を良いものとすることができる上に人材集めや徴兵も楽になるだろう。
賈詡はとてもではないが軍師の策とは思えない稚拙でありながら、極めて効果的なやり方を思いついた。
それは高順をも犠牲にするものだが――
「彩、桃香のことはひとまずボクに任せて。さすがにすぐに関羽の代役をやらせるわけにもいかないでしょう?」
賈詡の問いに高順は頷きつつも、尋ねる。
「伯珪と文長もいるけど、大丈夫なの?」
「陳宮や董卓にも手伝わせるから大丈夫よ。いい薬にしてみせるわ」
高順は賈詡の最後の単語が誰のことを指しているのかすぐに思い至った。
そして、その為に何かやるつもりだ、ということも。
高順はその琥珀色の瞳で賈詡の瞳をまっすぐに見つめ、告げる。
「あなたに任せる。私に構わず、どんなことをしてもいい」
賈詡はその返事に心の底から告げる。
「ありがとう――」
「……で、これからどうすんだ?」
見つめ合っている高順と賈詡に馬超は呆れながら問いかけた。
彼女は趙雲から高順が馬超を敢えて選んだ理由を聞かされ、高順は実はお主のことが好きなのだと吹きこまれていたりするのだが、こんな光景を見せられては全くの嘘だと思わざるを得ない。
第一、馬超本人としては自分のことを可愛いとか綺麗だとかは全然思っていないので同性にも異性にもモテるとは思ってもみないことだ。
それ故、色恋にてんで奥手であった。
西涼にいた頃、彼女は錦馬超として名を馳せていたが故によく女の子から告白されたりしたのだが、どうしていいか分からず、混乱してその場から逃げ出すということを繰り返していた。
これにはさすがの馬騰も苦笑いするしかなかった。
「とりあえず、決定を伝えて陣を張るくらいかしらね。あとは適当に周囲を哨戒……何なら、馬超、一緒に馬でも走らせる?」
「いいぞ。私もやることないしな」
「どうせならその後、模擬戦でも……」
「おう、かかってこい」
豪快に笑う馬超。
高順も笑みを浮かべたのだった。