楼桑村へ

 降伏した烏丸兵を取り込み、そして3000以上の幽州の住民達を一時的に保護した高順らは幽州の地理に詳しいという公孫瓚の言に従い、現在位置から近い位置にあるらしい涿県楼桑村を目指した。
 公孫瓚によれば涿郡はともかく、他の地域の烏丸は正面兵力を整えるだけで精一杯であり、一度後方へ突き抜けてしまえば後は少数の治安維持兵力しか置いていないとのこと。
 また、その後方兵力も全ての街や村に置かれているわけでもなく、比較的大規模な街に数百から数千程度しか配置されていないらしい。
 官軍の浸透を防ぐ為に、また街や村の行き来を遮断し反乱を起こさせないようにする為、時折、李穎らのような警戒部隊が巡回しており、街道上で見つかれば商人だろうが旅人だろうが問答無用で殺すとのこと。

 そのことについて当の李穎に聞いてみれば広すぎて到底手が回らないようだ。
 ちなみに郭覧は郭覧で聞いてもいないことを喋り、彼女や李穎以外の烏丸兵達も高順の覚えを良くしたいのか、ペラペラと喋ってくれた。
 そんな様に高順や賈詡をはじめとした面々は勿論、被害者である公孫瓚も同情してしまった。

 ちなみにだが、楼桑村は劉備の出身地。
 高順は公孫瓚と劉備が友人であることを知っていたので、それとなく尋ねてみたら、公孫瓚は予想外の答えを返してくれた。
 天然でぽわわんとしていて誰からも好かれる呑気な少女。
 それが劉備である、と聞いたときの高順の受けた衝撃たるや筆舌に尽くし難い。

 元々はヤクザの親分みたいなものであったが、一発奮起して、仲間を集めて最後には国を建てる、というのが凄く簡単な劉備の経歴だ。
 親分肌であったことから義に厚く、面倒見も良いところが劉備の魅力。
 また度胸も半端無く、機を見るに敏であり、転々と主人を変えるということもまた凄い。
 ある意味、賈詡に通じるところがある。
 賈詡も転々と主人を変えながら、最後には曹操に仕え、天寿を全うしている。
 曹操に仕える前、賈詡は張繡の軍師として曹操と戦い、典韋と長男の曹昂をその策で討ち取っているにも関わらず。
 
 とはいえ、高順としては曹操に自分と並ぶ英雄と言わしめた、そういうカッコいい劉備を勝手に期待していたのだが……世界が違うから仕方がない。
 高順はそう納得することにした。

 なお、公孫瓚によれば彼女は劉備と共に盧植の私塾にいたが、戦争間近と悟った盧植により門下生は郷里に帰されたとのこと。
 公孫瓚も一度は帰ったものの、義憤に燃えて義勇兵として参加したが、破れてあちこちを転々としながら楼桑村の劉備のところに厄介になろうと思った矢先に強制徴兵されてしまったらしい。
 盧植も劉虞に従い、参加したとのことだが何分、病気の身であった為に指揮は冴えなかったそうだ。
 そして、その盧植も行方不明とのこと。


 閑話休題――


 高順は楼桑村を目指すついでに李穎らの輜重隊の接収に掛かった。
 野営した場所から数日程離れた場所に陣を張っており、ちょうどいいことに楼桑村への通り道でもあった。

 警護の烏丸兵は50名程で残りはやはり強制徴兵された漢族と李穎は伝えた。



 道すがら、李穎は司令部とされた馬車に乗せられていた。
 彼女に烏丸情報を詳しく聞く為だ。
 郭覧らは所詮は末端の兵に過ぎない。
 無論、野営しているときにも事情聴取は行われたが、疲労などを考慮して深くは行われなかった。
 ともあれ、李穎ならば一応部隊長であるから、それなりに何か知っているだろう……そういう判断であった。



「強制徴兵ってあんたの策なの?」

 睨みつける賈詡に李穎は物怖じせずに頷いた。

「どうして?」

 高順の問いに李穎は答えた。

「敗北を先延ばしにする為に。陣取り合戦になった時点で我々の負けです」

 その言葉に居並ぶ面々――高順、賈詡、陳宮、周瑜は目を見開いた。
 最終的に烏丸は必敗……そういう認識はここにいる高順らだけでなく、連合軍の中に既にある。
 それはまさに李穎の言ったことが理由だ。

 烏丸は五胡と同じく遊牧民族であり、広大な草原を縦横無尽に走り回る戦い方を得意とする。
 しかし、街や村を占領し、そこに居着いてしまえばそれは自らの長所を殺すことになる。
 部隊を容易に捉えられないからこそ強いのであって、街や村に張り付いてしまえば幾ら烏丸といえど、漢族の軍と大して変わらなくなる。
 略奪だけしたら占領地を捨てればいい、と思うかもしれない。
 だが、一度手に入れたものは中々手放せないものだ。
 何より、厳しい遊牧生活とは打って変わり、水は好きなときに飲めるし、狩りに出ずとも食糧がある。
 その魅力には抗いがたい。
 
 街や村から出陣し、合戦して帰ってくる。
 騎射ができるという点や戦術などを除けば漢族の軍と何ら変わりはない。
 そうなってしまえば兵力や物資で勝る漢が勝つ。
 高順がかつて官軍相手に取ったあのやり方では漢が勝つ可能性が高かった。
 とはいえ、決戦する為に集まった一族らを前に逃げることが最良の手です、と言えなかったのも事実であり、高順が功を焦ったのも事実。
 人間の感情というのが厄介なことが窺える。
 反対に、遊牧民族の機動性を生かして西へ北へとどんどん奥深くへ引きずり込むなんてことをしたら、漢は絶対に勝てない。
 


 もしや、と思い賈詡は問いかける。

「涿郡の兵力を薄くし、連合が侵攻してきたら周囲から援軍を集めて集中攻撃……これもあなたかしら?」

 李穎は頷く。
 そんな彼女に周瑜は内心溜息を吐いた。
 何で高順といい、曹操といい、こんなとんでもない者ばかり集まるのか、と。
 しかし、と周瑜は思い直す。
 不和を作り、李穎の心情をこちら側に傾けてしまえば……

「そういえば公瑾殿。このような場ですが、忠告を。飲み過ぎには注意してください。孫堅殿の懐が寒くなるでしょうから」

 賈詡は笑みを浮かべ、そう言った。
 瞬間、周瑜の肌が粟立った。

 彼女の額から冷や汗が一筋、床へと落ちる。
 
 見抜かれた――

 だが、さすが周瑜。
 彼女は何事も無かったかのように表情を作り、声色も平常そのもので答える。

「そうします。飲み過ぎは毒ですし……」
「伯符殿は底なしですからなぁ」

 陳宮は気づいているのかいないのか。
 敢えて孫策の名前を出し、肝心なところから逸らした。
 高順も意味は何となく悟ったのか、特に何も言わずに話を元に戻す。 

「そちらのウワバミさんのことは置いておいて……李穎は正直どうしたい? 郭覧とかは私や華雄と共に戦えるなら烏丸と戦うのも構わないと言っているけど」

 問いに李穎は告げる。

「どれだけの待遇を提示してもらえるかで返事は変わります」

 生意気な返事であるが、ここで激昂するような輩はいない。
 高順はふむ、と顎に手を当てて思案。
 彼女としては李穎なんていう人物は全く記憶にない。
 下手に軍を預けて大失敗するよりも、軍師や文官としようか、と思いつつ李穎の顔を見てみる。
 彼女はこちらを試すような笑みを浮かべていた。

 その笑みに高順はもう一度、李穎のことを考え……答えを出した。

「ウチの騎兵、30騎を全て李穎に預ける。郭覧らはもうちょっと素直になってもらう為に張遼らに預ける。給金は月に3000。能力次第で昇給あり。三食付き」
「思い切った決断ですなぁ……」

 陳宮の言葉に高順は不敵に笑う。

「指揮者が代わった程度で命令に従わないような鍛え方はしていないから大丈夫よ。まあ、さすがに今すぐに渡すというわけにはいかないけど、ある程度落ち着いたらね」

 李穎は笑みを浮かべ、高順に深々と頭を下げた。

「我が真名は月華。よろしくお願いします」
「私は彩よ。よろしく」

 そう言い、高順は手を差し出した。
 差し出された手に李穎は驚き、まじまじと高順の顔を見つめた。

「私に恥をかかせないで頂戴」

 その言葉で李穎は意味をすぐに悟り、笑みをこぼした。
 虎の子を預けるのだから、期待に答えてみせろ……そういう意味であった。

 李穎は高順の手を両手で握った。

「期待に答えましょう」

 その言葉は実に頼もしかった。







 李穎らの輜重隊を降伏させ、楼桑村へ歩みを進めること1週間余り。
 村の目前まで高順一行は迫り、いきなり行って驚かさぬようにと数名の騎兵と共に公孫瓚を使者として送り出した。
 彼らが戻ってくるまでの間、高順はのんびりしようか、と思っていたがその願いが叶うことはなかった。
 関羽が見慣れぬ者を連れてやってきた為だ。


「高順様、孟徳殿より使者が参りました」

 関羽はそう告げた。
 その声に使者である少女が前へと進み出る。
 彼女は袖に蝶の刺繍が施された白を基調とした着物を身に纏っている。
 だが、その雰囲気はただの少女などではなく、歴戦の戦士を思わせた。
 少女は片膝をつき、頭を下げた。

「我が名は趙子龍。曹孟徳殿の客将をやっております」

 高順は彼女の言葉をたっぷり数十秒掛けて頭で理解し、そして後ろへひっくり返りそうになった。
 そんな彼女を慌てて関羽が横から支える。
 賈詡はそんな高順に内心溜息を吐きつつ、問いかける。

「子龍殿、孟徳殿は何と?」
「……使者の私が言うのも何ですが、高順殿はよろしいのですか?」
「ああ、いいのよ。原因は分かってるから」

 コメカミを抑える賈詡に趙雲は気を取り直し、告げる。

「こちらへ羊叔子殿、杜元凱殿、郭奉孝殿が騎兵5000を率いて援軍として参ります。文台殿も既に承知されており、しばらくの間、涿郡に敵を引きつけてもらいたいとのこと。それと私はこの用件を伝えた後は孟徳殿より暇をもらっております故」

 ちらり、と趙雲は賈詡と高順へ視線をやる。
 すると高順はどうにか体勢を立て直し、咳払いをして口を開いた。

「何故、孟徳のところを辞めたの?」
「あの方の下では私の活躍が曇ってしまいまして……優秀な人材が多すぎます故」
「優秀な人材と言ったが、司馬八達はいるの?」
「おります。特に仲達殿は文若殿、奉孝殿と並び、孟徳殿の信頼厚く」

 高順はそれで曹操陣営がどんな状態になっているか察した。
 意識が遠のきそうになるが、何とか堪える。

「子龍殿、うちの客将になってみてはどうか?」
「元よりそのつもりでした。孟徳殿もうち以外なら高順と」

 曹操の気遣いに感謝しつつ、高順は告げる。

「趙子龍殿、これからよろしくお願いします」

 そう言い、彼女は頭を下げた。
 それを目の当たりにし、趙雲はくすりと笑った。

「何故、孟徳殿があなたを薦めたのか、よく分かりました。これからよろしくお願いします」

 そう言う趙雲に高順はじっとその瞳を見据え、彼女の両肩をガシっと掴んだ。

「曹操のところに誰がいるのか、ねっとりと話して頂戴」
「目が据わっていて怖いですぞ……」

 さすがの趙雲も高順の妙な気迫に押され、タジタジであった。





 そして、半刻後。
 公孫瓚は意気揚々と戻ってきた。
 戻ってきた彼女を出迎えたのは賈詡をはじめとした高順を除いた将全員――無論、孫策らの姿も――であった。
 高順の姿が見えないことと見慣れぬ白い着物の者に公孫瓚は首を傾げつつも、報告を行う。

「私の友人である劉玄徳と接触することができた。彼女と一緒に長に面会し事情を話すと心から歓迎するそうだ」

 公孫瓚の人柄ゆえに、彼女は早くも高順をはじめとした全員と対等な口調を許されている。
 ともあれ、賈詡はその報告に頷き、居並ぶ面々に告げる。

「そういうわけで私達はしばらくここで厄介になるわ。保護している住民達を解放するわけにもいかない」

 ここで解放したところで無事に郷里に辿りつける保証はどこにもない。
 幸いにも物資に余裕はある。
 ここで消費するのは痛いが、民心を得る為には致し方ない。
 だから、と賈詡は言葉を続ける。

「住民達の中から志願者を兵としたい。その徴兵の責任者として伯珪、あなたに任せるわ。補佐には陳宮」

 いきなりの大任に狼狽する公孫瓚であったが、陳宮は毅然と告げる。

「伯珪、高順殿や賈詡の目は確かですぞ。ならば、あなたにはうまくやれる能力があるのです」
「ああ……頑張る」

 頷く公孫瓚に陳宮は胸を張る。

「まあ、ねねがついているのだから失敗することなど、ありえないのですが」

 生意気というよりは微笑ましい陳宮に一同の頬が緩む。
 孫策はウチにもああいう子が欲しい、と洩らし、周瑜が孫策の脇腹を抓った。
 飛び上がる孫策に孫権は頭を抱える。

「で、伯珪。こっちは新しくウチの客将となった趙子龍」

 賈詡の紹介に会釈する趙雲。

「公孫伯珪だ。よろしく」
「よろしく……ところで伯珪殿。初対面で失礼かと存じますが……もしやあなたは義勇兵として参加されましたか?」
「ああ、でも、負けてしまったよ」
「いやいや、私が聞いた話によれば公孫一族の者が何故か義勇兵として参加し、烏丸の首を5つ取ったと聞きまして……」
「私は母の身分が低かったからな。あんまり良い待遇じゃなかったんだよ」

 あはは、と苦笑する公孫瓚。
 すぐに趙雲は己の失態を悟り、頭を下げた。
 そんな彼女に気にするな、と声を掛ける公孫瓚。

「ところで……高順はどこに行ったんだ?」

 公孫瓚の問いかけに全員が視線を逸らした。
 賈詡は勿論、馬騰や董卓……そして呂布までも小さく怖い、と呟いた。

「何があったんだ?」

 公孫瓚の問いに答えたのは黄忠であった。
 彼女は困った顔だ。

「それがね、高順様は孟徳殿の配下に誰がいるかと子龍さんに尋ねて……」
「高順程の者があそこまで怯えるなど、余程の化物揃いと見たが……」

 黄忠の言葉に厳顔が続けた。
 2人は前線から離れた補給基地にいた為に曹操陣営がどうなっているかは知らなかったのだ。

「いや、私としては事実をただ述べただけなのだが……」

 歯切れの悪い趙雲。
 さすがの彼女もまさか高順が将来曹操と戦うかもしれない、ということまで考えつかないようだ。

「今はうちの魏延が相手をしている……ああ、わしの兵の中で一番腕っ節が強い奴だ。多少、気が短いのが欠点だが」

 厳顔はそう補足した。
 実質的に高順配下となったとはいえ、さすがに厳顔と黄忠の兵士1人1人に自己紹介をするわけにもいかないので高順も魏延の存在は知らない。
 また、賈詡も高順が登用すべき人物の目録に魏延の名は無かった為に今、厳顔から聞いたところでそういう兵士がいるのだ、という認識でしかない。
 言っては悪いが、魏延よりも有能な者は数多くいる。
 そちらが優先されても致し方なかった。

「もう一度、私が尻を叩いてこよう」

 華雄が告げた。

「アイツのことは賈詡や董卓よりもよく知っているのでな」
「待って。とりあえず全員で押しかけてみましょう。囲んで袋叩きにすればどうにかなるわ」
「袋叩きは何か違うような……」

 馬超の呟きに賈詡は言葉のあやと答える。
 ともあれ、その提案に華雄はむぅ、と唸ったものの、了承した。
 勿論、孫策達もくっついていったのは言うまでもなかった。








「うふ、うふふふ……もう駄目だもう駄目だもう駄目だ」

 ずーんと馬車の影で膝を抱えて地面に座り込んでいる高順。
 
「えーっと、高順様。私が言うのも何ですが、そこまで駄目なようでもないような……」

 魏延は何度目になるか分からない、無謀な説得を試みる。
 すると高順は魏延の方を向いてにっこりと笑った。
 見るからに壊れた笑みであり、呂布も逃げ出す程の不気味さがあった。

「司馬八達、荀彧に荀攸に郭嘉に程昱に陳羣に劉曄に満寵に徐晃に張郃に楽進に于禁に李典に杜預に羊祜に……」

 次々と名前が高順の口から出てくる。
 呪詛のようで魏延はもう逃げ出したかった。

「諸侯の中で抜群な人材が揃っているのにどうやれというのよ……おまけに兵は5万近く、資金・物資共に豊富」
「いやあの、何で戦うこと前提なんですか?」

 そもそもの前提を魏延はつついてみた。

「烏丸が終われば次は私が狙われるからよ。一時的に手を組んでいるに過ぎないわ」
「そんなことは……」

 無い、と言いかけて魏延は忘れていたことを思い出した。
 それは高順が自分達漢族とは違う羌族であること。
 しかし、魏延にはそこまで恐ろしくは感じられなかった。
 もし伝え聞くような化物であるのなら、こんな風に落ち込んだりはしないだろう。
 また同時に情けなく思ってしまった。

 あの高順が、諸侯の恐怖の的である高順がたかがその程度のことで恐れている――

 そう魏延には感じられた。
 厳顔、黄忠が味方すると決めた人物。
 敬愛する2人が主と定めた者がこんなにも情けないのは魏延からして我慢ならなかった。

 元より、彼女は気が長い方ではない。
 故に魏延は自分の命などどうなっても構わないと覚悟し、彼女は高順の頬を思いっきり叩いた。
 乾いた音が周囲に響き渡る。
 
 叩かれた頬を高順は手で押さえ、魏延に目を向ける。
 驚きと恐怖が入り混じった瞳に魏延は声を張り上げる。

「あなたはそれでも高順か! 官軍20万相手に一歩も引かず戦い、勝利した者か! 座して死を待つならば戦い打ち破る……それがあなたではないか!」

 魏延は高順の瞳をまっすぐに見据える。

「あなたには人材がいない? ならば、文和様や華雄様、厳顔様や漢升様はどうなるのか? 官軍の大将でありながら、あなたについた寿成様は?」

 一度そこで言葉を切った後、魏延は更に告げる。

「所詮、私は厳顔様に拾われた一兵卒に過ぎない。だが、そんな私でも自分についてきてくれる人を信じることくらいは分かる……あなたは今までについてきてくれた人に裏切られたことはあるか!」

 高順は顔を俯かせてしまう。
 彼女は異民族――それも五胡の一つである羌族でありながら、唯の一度も将に裏切られていなかった。
 賈詡をはじめとした面々は高順を売ろうと思えばいつでもできた筈だ。
 特に張勲などは元より誰かに誠心誠意仕えるというような性格はしていない。
 だが、彼女らはそれをしなかった。
 どころか全力で尽くしてくれた。
 張勲も自分にできることを精一杯やってくれた。
 袁術につこうと思えばつけたにも関わらず。

 高順は異民族であることから裏切られやすい。
 だが、一度も彼女は裏切られたことがなかったのだ。

「……そうね」

 高順は呟き、顔を上げた。
 そこにあったのは先程までの情けない表情ではない。
 魏延をして、思わず見蕩れてしまう程に凛々しかった。

「色々なところで大見え切っているんだもの。曹操だろうが劉邦だろうが項羽だろうが、私の敵となった者の陣は全て落としてみせる」

 魏延はその様子にもう大丈夫だ、と確信した。
 同時に彼女は平伏し、告げる。

「私はあなたに無礼を働きました。その罰として……」
「その前にあなたの名前を教えて頂戴」
「私は魏文長と申します」

 高順はポカンとした顔となり、そしてまじまじと魏延の顔を見つめた。
 見つめられた魏延は思わず頬を染めてしまう。

 そのときであった。

「話は聞かせてもらったわ!」

 無駄に大きな声を出し、賈詡が現れた。
 高順と魏延が顔をそちらへ向ければ賈詡だけでなく、高順配下の将と孫策らが勢揃いしていた。

「……地球は滅亡するって言ったら承知しないわよ?」

 賈詡に高順はそう言っておく。
 彼女はそんな事言わないわよ、と返し、眼鏡を光らせ告げる。

「信賞必罰の原理に従ってあんたが判断しなさい」

 賈詡の言葉に高順は頷く。
 そして、そのとき孫策はどういう判断を下すかピンときた。
 故に孫権に耳打ちする。
 あれが王よ、と。

「魏文長の功績を称え、彼女を将とする。只今より公孫瓚と同じく賈詡につき、必要な知識を学ぶように」

 その言葉に魏延は呆気に取られてしまった。
 華雄ら長い付き合いの連中は当然だろう、という顔なのに対し、厳顔や黄忠、公孫瓚は驚いていた。
 もはや隠す必要もないが、賈詡達は魏延と高順の一部始終をこっそり隠れて見ていたのだ。
 魏延が叩いたときは厳顔も黄忠も心臓が飛び出そうだったことは言うまでもない。
 顔にこそ出していないものの、趙雲もまた驚き、感心していた。
 身に纏う覇気こそ曹操に劣るものの、曹操と同じ程度に度量が広い、と趙雲は判断する。

 知らず知らずに趙雲は笑みを浮かべてしまう。
 噂で聞いていた化物なんぞではなく、王の器であった。

「あ、有り難き幸せ! この魏文長、身命を懸けてお仕え致します!」


 呆気に取られていた魏延はようやく我に返り、地面に頭がつかんばかりの勢いで頭を下げた。
 その様子に鷹揚に頷きつつ、高順はついでとばかりに告げる。

「魏延、あなたはきっと馬岱とは性格的に合わないと思うけど、馬岱はまだ子供だからからかわれても笑って許してあげてね」
「彩姉様、それってどういう意味!?」
「まあ、蒲公英だしな」

 そう言い、馬騰は馬岱の頭をわしゃわしゃと撫でる。
 そんな馬岱に馬超が告げる。

「その悪戯癖が直ればいいんじゃないか?」
「翠姉様のおもらし癖が直るのと同じくらい難しいかなぁ」

 おもらし癖という言葉に多くの視線が馬超に集中する。
 慌てて馬岱の口を塞ぐがもう遅い。
 ふと、馬超の視界に高順が目に入った。
 彼女は目を瞬かせていたが、ゆっくりと口を開いた。

「……錦馬超がおもらし……」

 ずーん、とまた高順は影を背負って膝を抱えてしまった。
 史実や演義の馬超を知っていたらそうなるのも無理はない。
 いくら何でもおもらしは衝撃が強すぎた。

 その様子に馬超に向けられる視線がきつくなった。
 特に賈詡からの視線は凄まじい。
 視線で人が殺せたなら、馬超はこの一瞬で数万回は死んでいるだろう。
 そんな中、趙雲や張遼、華雄といった連中は声を殺して笑っていた。

「ま、待て待て待て! 私はおもらしなんて断じてしないぞ!? このバカが勝手に言ってるだけだ!」
「えー、でもこの前も立派な地図を……」

 何とかそう言う馬岱であったが、すぐに馬超により拳骨を食らわされ、その口を閉じる。

「あー、うん、その何て言っていいか分からないけど……」

 笑っている筆頭でありそうな孫策であるがさすがに可哀想と思ったのか、笑わずに困った顔で馬超に声を掛けた。

「まあ……頑張れ?」

 そう孫策が告げたときであった。

「……決めた」

 塞ぎ込んでいた高順が呟き、顔を上げた。
 その顔にもう暗さはない。
 どうやら彼女は立ち直りが早くなったようだ。

「おもらしとか悪戯とか、それは人それぞれの癖であり、直そうと思っても容易に直るものではない! 伯符殿が酒を止められないのと同じ!」

 高順はそこまで告げ、一同を見回す。
 そして、再び大声で叫ぶ。

「以後、馬超について陰でこっそり、あるいは堂々とからかうようなことをした者は問答無用でからかった回数だけ給料から差っ引く! 0になったら負に突入して給料を払ってもらうからそのつもりで!」

 一同戦慄した。
 特に笑っていた連中が一瞬で固まった。

「……いや、それはやり過ぎなんじゃないの?」

 さすがの賈詡も高順を諌める。

「こんな下らないことで馬超を失うなど、私には耐えられない! 彼女は私の槍である!」

 そう宣言した高順には一片の迷いも無い。
 対する馬超はというと、嬉しさやら恥ずかしさやらで顔を真っ赤にしていた。
 元々の発端は彼女のおもらしであるというのが何とも情けない。

「……恋は?」

 さすが呂布。
 この微妙な空気にも関わらず、高順に問いかけた。

「恋は私の方天画戟」

 その言葉に呂布は僅かに頷く。
 どうやら満足したらしい。
 賈詡は溜息一つ、口を開く。

「とりあえず馬超をからかうのは禁止。あと馬岱。あんたは言い出しっぺだから減給1ヶ月ね。あと寿成殿、あなたも連帯責任。しっかり監督してください。彩、とりあえずこれで満足しなさい」

 まさかの飛び火に馬騰は苦笑する。
 馬岱は馬岱で余計なことを言ったことを後悔しつつ、頭を押さえている。
 馬超の拳骨はそれほどに痛かった。

 そして高順は高順で不満気な顔であるが、一応納得したように頷く。

 それを見、公孫瓚が告げる。

「楼桑村に関してだが、私の友人の劉玄徳と会って、それから長と会って欲しい」
「わかったわ。いきなり大所帯で押し掛けるのもあれだから、私と伯珪と賈詡、あと馬超を」
「私もか!?」

 まさかの指名に馬超は慌てる。
 しかし、高順の意図を察した賈詡がすかさず告げる。

「ちょうどいいわ。彩はあんたを信頼してるんだから、しっかり働きなさい」
「わ、わかった」

 頷く馬超。
 高順は安堵する。
 こんな騒動があったばかりでは馬超は居づらいだろう、ということを考慮しての指名であった。
 すると趙雲が馬超に近づき、何やら耳打ちする。
 何を吹き込んだのか、馬超の顔は再び赤くなっていく。

「行ってこい」

 バン、と馬超の背中を叩いて押す趙雲。
 何を吹き込んだのかさっぱり分からないが、とりあえずからかいの類ではないことは馬超の様子から分かった。
 故に高順も賈詡も不思議に思いつつも、公孫瓚の案内で馬超を連れて楼桑村へと赴くのであった。

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