賈文和の大手柄

「いつも思うが……あの歌は何とかならんのか?」

 馬騰は渋い顔で傍らにいる華雄に問いかけた。
 対する華雄はただ笑うのみ。

 2人の目の前には運動場を走る一団。
 彼らは兵達の中で一番練度のいい連中であり、波才ら元山賊達だった。
 山賊に限らず賊というのは上下関係が非常に厳しい世界であるから、上の命令は絶対。
 故に一度、高順を上と認識してしまえば彼女らはどんな理不尽な命令にも従った。
 給金がいい、というのも勿論ある。

 さて、そんな彼女達はただ走っているだけではなく、ある歌を歌いながら走っている。
 先頭を走る波才がまず大声で歌い、その後ろにいる張曼成らが続けて歌うという感じだ。

 その歌っている内容だが……真面目な馬超が聞いたら顔を真っ赤にしてぶっ倒れるような卑猥な内容である。
 フルメタルジャケットなる海兵隊映画に出てくる軍曹ソング、あれを今の時代に合わせて改変したバージョンだったりする。
 荒くれ者しかいない波才隊は好んでその歌を歌って走っていた。
 勿論、他にも歩兵の本領やら雪の進軍やら敵は幾万やらそういったもののが使われている。

「まあいいじゃないか。それで士気が上がるなら問題ない」

 華雄はそう言いつつも、内心は複雑だ。
 騎兵を存分に操りたかったが、その騎兵は高順の命により、全て張遼に与えられていた。
 歩兵戦よりも騎馬戦の方が得意な者が多い中、輜重隊含めて全て馬車化して移動速度を高めるだけ、というのは華雄からしてみれば失敗である、と判断していた。
 そのおかげで軍事費が余計に掛かっては元も子もない。

 馬車化は輜重隊のみにとどめ、残りの予算を騎兵育成に費やした方が良いように思える。
 
 無論、華雄を含め、張遼、馬超や馬岱、陳宮はそのように主張し、反対した。
 だが、賈詡と、歩兵を後方撹乱にも使えるようになるのではないか、という馬騰の意見により結局は押し切られてしまった。

「騎兵か?」

 唐突に掛けられた言葉に華雄はドキッとしてしまう。
 横を見れば馬騰が何とも言えない表情となっている。

「私としても騎兵を揃えたいが……後方撹乱をやれる可能性についてな……」

 華雄は馬騰がどうして賛成に回ったのかそれで悟った。
 つまるところ、華雄の自業自得あった。

「まあ、過ぎたことはしょうがない。手持ちの兵力でなんとかするのも給金のうちだ」

 馬騰はそう言い、快活に笑った。




 

「どうにかならん?」
「どうにもなりませんな」

 張遼の言葉に陳宮はそう答えた。
 何がどうにかならないか、というと兵隊の数だ。
 さすがに僅かな兵で精強無比な烏丸に突っ込め、というのは張遼としても嫌であった。
 そこでお願いする為に陳宮を頼ったのだが……彼女は首を横に振るばかり。

「せめてもう800人くらい……駄目?」
「駄目ですなぁ……今は袁家の監視が緩いとはいえ、下手に兵力を増やせば難癖つけて攻めてくるのです」
「ええやんかー、袁家とか本気になれば10万くらい動員できるやんかー」

 ぶー垂れる張遼。

「向こうはそれだけ高順殿を恐れているのです」

 何故か陳宮はそう言うと胸を張る。
 そんな様子に張遼は彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。
 やめるのです、ともがくが張遼にとっては可愛いものだった。

 そんなとき、陳宮はあることを思いついた。

「……張遼殿、ねね達が集めるのは問題あるですが、自分達から勝手に加わるというのなら問題はないのです」

 張遼もその言葉にピンときたのか、猫のような笑みを浮かべる。

「義勇軍として参加している、もしくは参加しようとしている連中はまだまだいる筈や。そこをうまくして取り込めば……」
「それなのです! ですが、独断専行は忌むべきことなのです。多少は遅れますが、賈詡の帰還を待った方がいいのです。その間にねねは案を纏めておくのです!」
「頼んだでぇ……多少なりとも兵隊が加われば……」

 うんうん、と満足気に頷く張遼。
 ともあれ、その新兵連中を鍛えるという難問があるのだが、彼女としては何も前線に全ての兵力がいる必要はないと思っている。
 つまるところ、予備兵力が欲しかった。
 予備兵力があるのとないのでは将兵にかかる心理的重圧はまるで違う。
 勿論、それで油断や慢心しては意味がないが、冷静な判断を下すという意味では予備兵力の存在は極めて有難いものである。

「……ただ、給金や装備、糧食などで金がまたかかるのです」
 
 しょんぼりする陳宮に張遼は背筋がぞくぞくとした。
 可愛らしいのである。
 これ以上ないくらいに。

「何だか寒気を感じたので、失礼するのです」

 しかし、陳宮も嫌な予感をハッキリと感じ取ったらしく、そそくさと張遼の執務室から出ていった。

「……カネカネカネ、か。ああ、気楽に得物振るってたあの頃に戻りたい……」

 張遼としても理解はできるが、何だかなぁ、という感じだ。

「戦争やっても、金ばっか掛かって利益でんとちゃう? ウチら武人は武人だけで戦争やってた方が迷惑掛からんかもなぁ」

 お互いに最強の武人を出しあって、一騎打ちで勝敗を決める。
 張遼的にはそれが一番簡単で、一番金が掛からず、そして自分が満足できそうであった。
 










 一方その頃、洛陽にて賈詡が宦官の総元締めとの謁見に臨んでいた。



「賈文和と申します」

 賈詡はそう言い、平伏する。
 彼女の目の前にいるのは悪名高い十常侍、その筆頭である張譲だ。
 とはいえ、その姿は妖怪婆などではなく、どう見ても子供であり、中性的な容姿であった。

「君の主は良い返事をしてくれたかな?」

 開口一番、彼女はそう尋ねた。

「はい、張譲様」

 ならいい、と張譲は頷き、部屋を後にすべく立ち上がる。
 彼女も忙しい身、こんなところでちっぽけな一勢力の使者と遊んでいる暇はない。

 しかし、そうは問屋がおろさないのが賈詡であった。

「張譲様は麦を生育しているらしいですね。あちらこちらで」

 張譲はその言葉に動きを止めた。

「意味が分からないのだが?」
「麦では些か隠語に過ぎました。圧政を敷く太守らに不満を持つ農民達と置き換えてください」
「馬鹿馬鹿しい。そういうのは現地の者に言ってくれ」

 もっともな言葉であるが、賈詡は伏せていた目を僅かに上げた。
 鋭い眼光に思わず張譲は怯んだ。

「不満を持った農民達に反乱を起こすよう、煽っているそうですね」
「何をふざけたことを……今すぐ首を刎ねても良いんだぞ?」

 恫喝に対し、賈詡は静かに返す。

「私が調べたところによりますと、旅人や商人、そういった者達が実際には煽っております。そして、その旅人や商人達すらもあなたの手勢ではない」
「ならば問題ないではないか。僕が関与したなどという寝言は寝て言うがいい」
「確かに彼らはあなたの手勢ではありませんが……彼らは皆、どこかの街や村の酒家でそういった暗愚な太守の話を聞いております」
「別に普通ではないか? 酒家はそれだけ情報が集まるところだ」
「ええ、それはおかしくはありません」

 ですが、と賈詡は完全に顔を上げ、続ける。

「その旅人や商人達が話を聞いて数日のうちに必ず暗愚な太守の領地から逃げてきたという貧しい格好をした者達と遭遇しているのです」

 張譲はわずかにたじろいだ。

「これは偶然では済まされないことです。その太守をよろしく思わない者による手引きとも考えられます。ちなみに、その貧しい格好の者達を探ってみたところ、彼らは暗愚な太守の領地から来たものではありませんでした」
「……どこから来たというのか?」
「司州から来た食うに困った農民達です。問題は全員が司州にいたとき、役人から税を免除する代わりに話を持ちかけられたということ……」

 張譲は笑みをこぼす。
 もはや隠しても無駄だと悟ったからであった。

「その役人本人は僕の派閥ではないが、上司や友人などが僕の派閥であったんだろう?」
「その通りです。ああ、この話は私だけでなく、主を含めた数名が知っておりますので」

 賈詡はそう答え、暗に自分をここで殺しても意味はない、と告げる。
 張譲は苦々しい顔で告げる。

「頭の回る奴だ。忌々しいくらいにな。それで、お前が望むのは何だ?」
「今回の連合参加による報酬として遼東郡と金を」

 張譲は目をパチクリとさせた。

「金はわかるが……遼東郡か? そんなところでいいなら幾らでもやるが……」

 益少なく害多し。
 張譲ですらもそんな認識であった。

「構いません。それともう一つ、今度はあなたにも利益がある話です」

 賈詡の言葉に張譲は頷き、続きを促す。

「庶民達の間での宦官の印象は蛇蝎の如く。これを回復するのはもはや不可能です」
「無知蒙昧な連中が幾ら喚こうがこちらには影響はない。何よりも、連中に好かれる為に宦官になったのではない」

 張譲のもっともな言葉に賈詡は頷きつつも、さらに言葉を続ける。

「誰からも非難されずに英雄として金をいただく方法がありますが……乗りますか?」
「……聞くだけ聞こう」

 張譲の返事に構いません、と賈詡は返し、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。







 そして、張譲は賈詡の提案に乗った。
 彼女は漢や同僚よりも自分の財を肥やしつつ、安穏とした生活を過ごすことを選んだ。
 同時に彼女は賈詡の策の為に洛陽での最大限の援助、そして高順一派への資金援助をも約束した。
 勿論、張譲が出す金は彼女の金ではなく、公金だ。
 早い話が彼女が横領している金の一部を高順一派へ流すことにしたのだ。
 あくまで自分の懐を傷めたくない張譲としてはこれでも最大の勇気を振り絞ったといえよう。




 確かな成果を手土産に、意気揚々と洛陽から帰還した賈詡を待ち構えていたのは陳宮と張遼による提案であった。
 賈詡はどうせなら、と二度手間を避ける為、そして洛陽での成果を報告する為に高順の執務室で2人の提案を聞くことにした。


「……最近、あんたお飾りになってない?」

 賈詡の言葉に高順はしょんぼりと肩を落とす。
 その横では関羽が苦笑し、張遼は愛想笑い。
 そして陳宮はそんなことないのです、と力説し始める。

「だって、賈詡が凄すぎて私の存在感皆無。助けてカクセンセーって叫べば問題ないもの」

 ブツブツとそんなことを言い、高順はイジケ始めた。
 高順の言ったことは事実であるので、誰も何も言えなくなる。
 ただし、賈詡本人を除いて。

「あんたバカァ? 他のところじゃボクはこんなに自由にできないわよ? 袁紹だって曹操だってきっとボクをここまで好きにさせない」

 そりゃそうやろなぁ、と張遼は呟き、その言葉に同意する関羽、陳宮。

「だって……賈詡、後は任せたで難問は解決だもの」
「だーかーら! それがボクにとっては何よりも嬉しいの!」

 言って、賈詡は顔を真っ赤にする。
 張遼と関羽は微笑ましくそんな彼女を見、陳宮はむーっと頬を膨らます。

「高順殿、ねねも負けてはおりませんぞー!」

 胸を張る陳宮。
 高順は優しくその頭を撫でてやる。
 えへへ、と嬉しそうな陳宮。

「まあ、元々は賈詡が言ったことから始まったのですが」

 関羽のさり気ない言葉で高順はじーっと賈詡を見つめる。
 主を補佐するのが自分の役目と自認している関羽にとってはこれくらいは当然である。

 向けられた視線に賈詡は咳払いをして誤魔化しつつ、陳宮に提案の内容を話すよう告げる。
 陳宮はすぐにその提案について話し始めた。






「ああ、全く問題ないわ」

 全容を聞き終えた賈詡の結論はそれであった。
 あっさりと許可が出たことに陳宮と張遼は目を丸くしてしまう。

 そんな2人にニヤリ、と笑みを浮かべつつ、賈詡は高順へと視線を向ける。

「張譲、こっちに引っ張り込んだわ。こっちが相手の利益になり続ける限りは手切れされる心配もないから、安心していいわ」

 高順も関羽も陳宮も張遼もポカンと口を開けてしまった。
 一番に我に返ったのは関羽だ。

「宦官は倒すというのではなかったのですか?」

 そう言いつつ、賈詡を睨む。

「そうよ。でもね、それはあくまで通過点にしか過ぎないわ」
「通過点?」

 関羽ははて、と首を傾げる。
 賈詡は彼女に頷き、高順へと目配せ。
 それを受け、高順は頷き、口をゆっくりと開く。

「宦官を倒したところで地方の悪徳太守が根絶されるわけでもない。漢はもはや瀕死の老いぼれた龍に過ぎないわ」

 関羽は言葉を失った。
 不敬罪で捕らえられても文句は言えない言葉であった。
 そして、彼女は容易くとある結論に辿り着く。

「大陸全てを漢に代わり治める……それが最終目標ですか?」
「その通り。私の目標は1000年以上続く統一王朝を打ち立てること。どうかしら?」

 問いかけに関羽は小さく、だがハッキリと問いかける。

「民についてはどのように?」
「大陸全ての民に衣食住が満ち足りるようにしたい。それが内政目標。具体的な政策については賈詡に聞いて頂戴」
「なぜ、張譲と?」

 関羽は再び問いかけた。
 これには高順ではなく、賈詡が答えた。

「張譲の庇護下にあれば、おいそれと袁家などの有力諸侯も手は出せないからよ。現に張譲も袁家をはじめとした有力諸侯を嫌ってるし……何より、ボク達が彼女と協力関係にあるというのは張譲本人とボクらを除いて誰も知らないわ」

 賈詡はそう言いつつ、もし誰かに漏れればすぐに分かる、と暗に警告する。
 関羽は賈詡の言葉を聞き、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「綺麗事だけで世の中が回らないことは知っております。そして、あなた方が理由なき悪をやらないことも」

 関羽とて知っている。
 高順一派の財源がどこにあるのか、自分の給料はどこからきているのかを。

「先立つもんがないと何もできへん。得物一つで……っちゅうのも、賊やらの敵がいるからできることや。平和になったら、武人は皆、お役御免やさかい」

 張遼の言葉にすかさず高順が告げる。

「そのことについてもしっかりと考えてあるわ。軍に残りたい人は残ってもらって、普通の仕事をしたいなら、職業訓練でも受けてもらって……全ての民に衣食住を、というのは武人も当然含まれるもの」

 そう告げる高順にホッとした様子の張遼。
 気楽な彼女としても、収入が無くなるのはさすがに嫌である。

「で、関羽。何か問題ある?」
「いいえ、全くありません。むしろ、腕が鳴ります」

 賈詡の問いかけに関羽は不敵な笑みを浮かべ、答えたのだった。 

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