綱渡り陣営

 年が明けて光和2年、西暦にすれば179年。
 忘年会新年会と立て続けに宴会が行われ、多くの者がぐったりとしていたが、さすがに1週間もすればしゃきっとしてくる。
 そんな中、袁家を通じて1通の要請書が届けられていた。
 出したのは袁紹ではなく、もっと上の、大将軍何進及び宦官の張譲からものだ。
 皇帝の権威が及ばぬ相手と高順らを見、敢えて勅命としてではなく彼らの名義でもって出されていた。
 そして、それを巡って賈詡は会議を開いたのであった。

  
「年明け早々悪いけど……」

 賈詡はそう言いつつ、居並ぶ面々を見る。
 会議の出席者は高順、関羽、賈詡、張遼、馬騰、華雄、陳宮だ。

「大将軍と宦官から連名で連合軍の先陣をきれって言ってきてるわ」
「たった2000ぽっちで烏丸とやりあえとか……無理や」

 軍事の総責任者として張遼が誰よりも早く答えた。
 彼女がそう言うならそうであり、この案件は終了……としたいところだが、マトモに考える頭を持っているならば断ったらどうなるか容易にわかるが故にそうはできない。

「まあ、やれと言われたらやるけども、半年も保つか怪しいで?」

 張遼はそう言い、口を閉じた。

「まずは現状を確認しておきましょう」

 高順はそう言い、関羽に目配せする。
 すると彼女は立ち上がって説明し始める。

「連合軍は1ヶ月前に行われた戦闘にて烏丸に対し、多大な損害を与えることに成功しました。これに伴い、烏丸は戦線を後退させ、同時に連合軍は全面攻勢を行い、2週間前に薊、1週間前には北平を奪還しております」

 そこで関羽は一度言葉を切り、しかし、と続ける。

「連合軍の損害多く、前線では壊滅した部隊を数えるよりも生き残っている部隊を数えた方が早い状況です。開戦当初は100万を超える兵力であった連合軍は80万あまりにまでその兵力を減少させております」

 なお、と関羽は更に続ける。

「戦闘の詳しい経過報告については細作から入手しており、その分析については賈詡殿にお任せしてあります」

 関羽が言った経過報告は相手が勝った、負けたという情報ではなく、双方がどのように兵を動かし、どのような戦闘を行ったか、という文字通りの過程のことだ。
 具体的な戦訓の蓄積は極めて重要だ。
 しかも今回のように、他人の経験から学ぶというのは最も安上がりで、かつ自分に損害が無い……やらないわけがない。

「連合軍及び烏丸の兵站状況は?」

 華雄の問いに関羽はすかさず答える。

「連合軍側はさすがというべきか、物資に余裕があります。減った分だけ物資の消費が浮くというのもありますが」
「100万を超える兵隊を辺境に送り込む、というのは並大抵じゃできない。そういった意味では連中は並外れているな」

 華雄はそう言いつつ、関羽に続きを促す。

「烏丸側は元々遊牧民族であることから、占領地の統治を行うということがうまくできず、現地での略奪や連合軍側の物資の強奪で賄っているようです。その為か、現地では烏丸に対する抵抗運動が起きている模様です」

 華雄はだろうな、と頷きつつ、口を開く。

「一連の戦いで烏丸も大きく兵力を減らした上に内憂を抱えている。突騎は厄介だが、対策はある。報酬が十分に保障されるならばやるべきだろう」

 自身の意見を述べる華雄に高順は苦笑しつつ、賈詡に視線を向ける。
 彼女はその視線に頷き、口を開いた。

「我々の状況としては現在、資金・物資共にそれなりに豊富であり、後方支援の人員もまた豊富です。ただし、戦闘における兵力はわずか2200余名と極めて少なく、予算の都合上、騎兵はおよそ30騎しかおりません」

 賈詡の言葉にすかさず張遼が告げる。

「軍としては早急に騎兵の割合を増やす為に予算増額を要求するで。少数精鋭やから、機動力がないと容易く包囲殲滅されるやろな」
「馬の購入費用だけで900万も掛かってるのよ? それに加えて飼葉やら馬具やらで1ヶ月で50万。これが1年で600万……一桁増やすだけで年間で6000万以上掛かるわ。財務としては承認できないわね」

 腕を組んでいつもの不機嫌な表情で張遼を見つめる賈詡。
 彼女は軍師であると同時に財務から法律に至るまで、全てのトップだ。
 それでいて軍では張遼に命令を出せる立場にある。
 伊達で高順と同等程度の権限を彼女は持っていないのだ。

 無論、賈詡はそんな大きな権限を与えられた期待に答えようと十分以上の成果を常に上げ続けている。
 
「せやけどなぁ……もう少しどうにかならへんか? 馬車もええねんけど、戦場に到着するまでで、戦闘では降りて戦わんとあかんねん」
「輜重隊に至るまで完全に馬車にして、その馬車を引く為の馬の購入費用と飼葉代……騎兵を揃えるよりも、こっちの方が金が掛かってるんだけど?」

 ジト目でそう告げる賈詡に張遼も黙らざるを得ない。
 軍馬とはそれだけ金食い虫なのである。
 賈詡や張勲が袁家から金を多くむしり取っているとはいえ、これ以上軍馬を導入すればそれだけで経済的に破綻してしまう可能性が極めて高かった。

「それに馬車は遠距離輸送には使えないわ。馬車自体の消費する飼葉で運べる物資が極端に少なくなるの。だから河川を利用した輸送の為に船の整備もしなくちゃいけない……その代金も考えれば……」

 張遼は笑って誤魔化す。

「……賈詡、今までに掛かった費用の総額は幾らなんだ?」

 馬騰は敢えて尋ねてみた。
 
「人件費無しでおよそ7000万よ。元々蓄えていたお金のほとんどが消えて、必死にボクらが袁家からむしり取ってどうにか支出分を取り戻したけど」

 馬騰や華雄も金額の大きさに笑うしかなかった。

「先に言っておくけど、商人から援助を受けるか、どっかに勢力を築くかしないと、早晩、資金が底をつくわ」

 そう告げる賈詡。
 しかし、彼女が言った商人から援助を受けるというのは高順の出自上、極めて難しい。
 暗い未来に多くの者がげんなりとした表情の中、空気を変えるかのように高順が告げた。

「暗い未来については後で大いに語ってもらうとして……賈詡、資金豊富と言ったけど、その資金の大半は将来もらうであろう任地の為に?」

 それに賈詡はすぐさま答える。

「そうよ。おそらくだけど、ウチが領地を得た場合、嫌がらせとしてその領地の官吏全員が辞表を出してくることも考えてるわ。当人の意思もあるだろうけど、大将軍とか宦官とかの上の連中が圧力掛けるでしょうね」
「……さすがにそれはないだろう」

 馬騰は呟いた。
 彼女の言葉に賛同する者はほとんどだ。
 ただ華雄と高順だけはありえるなぁ、としみじみと思っていた。
 異民族の嫌われっぷりは当人達が一番よく分かっている。

「その後は就任してすぐに領地全土で反乱祭り。勿論、上の連中の支援で。ボクだったらそれくらいはやるわね。敵は徹底的に叩き潰す。でなければやられるのは自分よ」

 賈詡の言葉にううむ、と唸る馬騰達。
 そこで高順が話を元に戻すべく問いかける。

「で、賈詡。ぶっちゃけた話、うちは連合軍の先陣きれるの?」
「張遼も言ったように、やってやれないことはないわ。ただ、下手をすれば完全に捨て駒にされるでしょうね。戦力を磨り潰されて、いつの間にかどっかの勢力に取り込まれておしまいってなりそうだわ」
「対抗策は?」

 高順の問いに賈詡はその胸を張る。

「敵の戦線の薄い場所を突く。兵法の基本に則れば戦力を維持したまま、戦功を上げることができると確信しているわ。向こうは先陣をきれと言っただけで、どこどこの戦場での先陣とは指定していない」
「それだけで主導権を奪い取れるかしら?」
「何進や宦官ならば無駄にすり潰そうと考えるでしょう。だけど、戦場での指揮者は孫堅。彼女はあくまで戦人《いくさびと》よ。戦場で勝利を得る為なら私達に自由に動いてもらった方がやりやすいでしょう」

 それに、と彼女は続ける。

「今回の戦はあくまで烏丸討伐のもの。ボクらは烏丸じゃないから、後ろから撃たれることはないだろうから、安心していいわ」

 高順以外の面々は改めて賈詡の頭の回りように感心している。
 高順自身もなるほど、と頷きつつ、更に問いかける。

「報酬については?」
「遼東郡よ。今回の一件で現地は勿論、漢の経済自体も疲弊しているでしょうから、喜んで差し出してくれると思うわ」
「幽州そのものを取れるかしら?」
「まずは経験を積むべきよ。それにさっき言ったボクの予想はたぶん当たるから、狭い範囲で少しずつ対処していくべき」


 高順はそこまで聞き、陳宮へと視線を向ける。

「陳宮、私が太守となった場合、予想される住民の抵抗は?」
「賈詡殿の言った反乱を除けばそこまで多いとは思えませんな。元々幽州は漢による烏丸との同化政策が行われており、それに伴う軋轢はあるものの、逆にいえばそれくらいしかないのです。また、幽州刺史劉虞も含め、多くの太守や豪族らは討ち死にしており、前任者と同じか、それ以上の良い統治を行えば全く問題ないのです」

 高順はその言葉に僅かに頷き、居並ぶ面々に告げる。

「参加しない、という選択ができない以上、我々は参加せざるを得ない。我々は少数だが、最高の将と最高の兵であると私は確信している。故に……最高の戦いを連中に見せてやろう」

 方針は決まった。
 その言葉を契機に、各々が席を立ち、部屋を出ていく。
 彼女らの顔に浮かんでいるのは不敵な笑み。

 烏丸、連合軍、何するものぞ――

 そういう気概に満ちていた。







 高順が動かない限り、動くわけにはいかない関羽に席を外すよう高順がお願いし、部屋に残っているのは彼女と賈詡だけになった。

「中々の名言じゃない?」

 そんな賈詡に高順は苦笑する。

「狙ってやったわけじゃない……まあ、それはいいとして……麦の生育《・・・・》は順調かしら?」
「ええ。麦に関しては順調よ。数年の内に多くの諸侯はきっと喜ぶことになるわ。ただし、他の参加者《・・・》もいたみたいよ」

 他の参加者、というところで高順は眉を顰める。
 しかし、賈詡は彼女の不安を拭い去るように告げる。

「その参加者も諸侯への贈り物ということで目的は一致しているわ。ボクは彼女を取り込むつもりだけど、どう?」
「その彼女は雑役婦の纏め役?」

 高順の問いに賈詡は頷く。

「彼女は抜け目がないから、下手に関わると面倒くさいことになるわ」
「それなら問題ないわ。彼女は頭が良い故に雇用主の寿命も正確に分かる。彼女には持ち主のいない財宝を与え、恥ずかしい成績表の抹消を行えば、少なくとも余計なことはしないと思う」

 頷きつつ、高順は更に問う。

「野心はあるのかしら?」
「対価を与えれば大人しいと思うわ」
「なぜ、参加を?」
「諸侯に贈り物をして自分に対して余計な手出しをさせない為でしょうね」

 そこまで聞き、高順は賈詡に結論を告げる。

「あなたに任せるわ。ただし、気を抜いては駄目よ」
「わかった。ボクが交渉してくる」

 賈詡に高順は頷く。
 彼女としても纏め役と結びつくのは危険も多いが、その分、利益も多い。
 どちらにせよ、異民族であることから多い危険に今更多少の危険が加わったところで何ら問題はない。

「しかし、宦官って私の知っている宦官とは全く違って吃驚したわ」
「帝も後宮の者も全員女、夫だけが男であり、種付け要員。それなら宦官なんて女でもいいわ。帝が孕むことが重要だし」

 高順は肩を竦めてみせた。
 賈詡の言うように、高順の知っている宦官とこの世界の宦官は全く違っている。
 
 女性優位社会であることから、帝も当然女。
 そして、強い女ほど女を愛し、男をただの種付け要員としてしか見ていない。
 故に、帝の夫に選ばれた者は月に数回の子作りのときに帝と会うだけであり、通常は別居している。
 勿論、ある程度の生活は保障されているが、おおよそ華やかな生活とは程遠い。

 そして、そんな女尊男卑社会の極みともいえる宮殿での雑務を取り仕切るのが宦官だ。
 賈詡が言ったように、帝が孕むことが重要であるので、宦官に選ばれる者はこの世界では去勢された男ではない。
 わざわざ男を去勢して仕えさせるより、女を使った方が遥かに帝らにとって精神的に良い。
 そんなわけで宦官も女であった。
 宦官の元々の意味は神に仕える奴隷であり、去勢された男という意味ではない。
 それが転じて帝に仕える奴隷となったので、別段おかしいわけでもない。

「話は変わるけど……司馬徽はまだ首を縦に振らないの?」
「何度か使者を出してるけど、まだ未熟の一点張りよ。あと4、5年は時間が欲しいと」
「臥龍鳳雛は何としても手に入れねばならないわ。あなたの負担を軽減する為にも」
「ボクは大丈夫。陳宮が予想以上に使えて助かってるわ」

 高順は頷きつつ、ちょうど遠くから響いてきた高い音に耳を傾ける。
 リズム良く響いてくるその音は銅鑼の音ではない。

「出てくる敵兵皆々殺せ♪ 出てくる敵兵皆々殺せ♪」

 高順がその音に合わせて口ずさむ。
 賈詡はそのあんまりといえばあんまりな内容に肩を竦めつつ、口を開く。

「銅鑼と違って持ち運びが楽でいいわ。あの喇叭は」
「本来は真鍮で作るんだけど、まだ真鍮自体が造れないので銅で作ってもらいました」

 えへん、と胸を張る高順。
 喇叭……いわゆるビューグルはバルブなどがなく、とても単純な構造だ。
 銅鑼に変わる持ち運びがし易い連絡手段というのは何よりも有難い存在。
 ただ、銅鑼は何回叩くか決めておくだけでいいのに対し、喇叭は奏者にそれなりの練度が必要とされるのが難点といえば難点だ。

「あんたの私費で作らせてその有用性を武官連中に見せつける……そういうやり方をするよりも、ボクに言ってくれれば予算は出すのに」
「失敗したら私の笑い話にすればいい。失敗したことも考えないと」
「望遠鏡も?」

 賈詡はジト目で見つめる。
 そんな彼女に高順は苦笑い。

「だって、眼鏡があるのに無いとは思わなかったんだもの」
「コレ、意外と高いのよ? そんな眼鏡の硝子を複数使うなんて……」

 そう言い、賈詡は自分の眼鏡を取ってみせる。

「まあ、そのおかげで手旗信号と組み合わせて従来では考えられない速さで連絡が取れるようになったでしょう」
「そうだけど……単価が4000銭はさすがに高すぎるわ」

 高順の言葉に答えつつ、賈詡は自分の眼鏡を高順に掛けてみる。
 中々に様になっていた。
 武官というよりはキッチリ仕事をこなす生真面目な文官に見える。

「視界がぼやける……」

 高順は目を瞬かせ、さっさと眼鏡を外し、賈詡に返してしまう。
 受け取った彼女は眼鏡を掛けつつ、告げる。

「今回の討伐で戦功を上げて、遼東郡と一緒に金ももらうか、参加者の彼女をあなたに虜にしてもらって金を出させる……そのどちらかしかないわね」

 やれやれ、と溜息を吐く賈詡であった。

「もう太学に行くことは諦めざるを得ないわね……」

 高順もそう呟き、やれやれと溜息を吐いたのであった。

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