張譲と手を組み、対烏丸連合に参加することになった高順一派であったが、予め準備してあったが故に迅速に彼女らは駐屯地となっている旧交易地を後にした。
その数5200余名であり、戦闘員である2200余名以外の文官達も全て引き連れてきていた。
それもその筈で烏丸征伐が終わった後はそのまま遼東郡に行ってしまおうという賈詡の進言による。
無論、これは袁紹との手切れを意味するものではなく、またそう取られないよう、予防策として袁術に賈詡はしっかりと説明してあった。
とはいえ、袁紹はかなり前から烏丸討伐の為に数万の兵を率いて幽州方面に赴いている。
故に袁術が南皮では一応最高権力者となる。
しかし、田豊や沮授は勿論、顔良や文醜といった主要な面々が全員、袁紹にくっついていってしまった。
烏丸はそれほどに強敵であり、致し方ない。
勿論、南皮に残っていた文官達も有能ではあるのだが、さすがに賈詡と比べるのは可哀想だ。
何よりも、当の袁術が未だ幼く、袁紹がどうにか追い出した賈詡を再び迎え入れ、重用してしまった。
袁術からしてみれば教師と生徒という関係であることからも一番気が許せて、頭も良いのが賈詡しか思いつかなかった。
賈詡は袁術の期待に答えつつ、横領も行い、見事に表と裏を使い分けていた。
かつて、張遼に賈詡が言った7000万の軍事費を補う収入はここからきているのは言うまでもない。
とはいえ、それだけ横領してもまだまだ膨大な財が残っている袁家はさすがであった。
そして行軍すること1ヶ月半。
この行軍の際、北平に至るまでの地図の作成も同時に行なっていたが故に中々時間が掛かっていた。
そんなこんなでようやく連合軍の補給基地となっている北平に到着した。
ここから孫堅のいる本陣までは数十里の距離だ。
北平の街には住民は少なく、その荒廃ぶりは目に余る程だ。
烏丸戦が終結した後、ここを任される太守の苦労ぶりが目に浮かぶ。
そんなことを思いながら、高順は賈詡と護衛として呂布を連れ、本城へと向かったのだが……
「ですよねー」
あはは、と笑いながら現状に対してそう表現する高順。
「何呑気なこと言ってんのよ!」
そんな彼女に賈詡は怒鳴る。
現在、彼女達は見事に牢に入れられていた。
ピリピリとしている兵士達に賈詡が書状を見せたものの、高順という存在の前には余りにも霞んでしまい、たちまちの内に大勢の兵に取り囲まれてお縄についたのである。
「突破する?」
呂布は小首を傾げて問いかけてくる。
彼女はもはや最終兵器とかそういう呼び名に相応しいとんでもない力を持っている。
3人を閉じ込めている哀れな鉄格子は呂布が力を軽く込めただけでひしゃげて潰れてしまうだろう。
「まあ、待って。この状況は良い機会。賈詡、搾り取れるだけ搾りとりなさい」
「勿論そのつもりよ。何進と張譲からの直々の要請に答えたのにこれじゃあ、出した本人達もさすがに怒るでしょう」
連合軍は烏丸に対して圧倒的兵力でもって優勢に戦を進めているが、華々しい決戦で雌雄を決するというようなものではなく、局地戦による勝利の積み重ねという実に地味なものであった。
戦費は嵩み、諸侯の領地では民が物価の高騰と重税に喘いでいる。
そんな中、何進と張譲が高順達に期待したのはその突破力だ。
さすがに彼女らのような者になれば、高順の配下にいる者が誰だか知っている。
早い話が高順達の投入により、一気に戦争を終わらせてしまいたい……そういう期待を彼女らは抱いていた。
そんな矢先に目論見を完全にぶち壊すようなことを末端がやらかしてくれた。
これに怒らず何に怒るというのだろうか。
「で、賈詡。ここを任されているのは劉璋よね?」
「ええ、そうよ。上が暗愚なら下も馬鹿みたいね。馬鹿の展覧会なんて見たくもない」
看守にわざわざ聞こえるようにそう告げる。
もっと怒ってヘマをしてくれればそれだけ謝罪の品を何進と張譲から搾り取れるのである。
賈詡も高順もさすがであった。
無論、命の危険があるようになったら呂布の出番だ。
劉璋の配下には彼女とマトモに打ち合えるような豪傑はいない。
麦を刈るかのように簡単に抜け出せるだろう。
「お前ら……黙って聞いていれば……」
顔を真っ赤にした看守の男達がこちらへとやってきた。
そんな彼らを見、高順は賈詡と呂布に小さく「一撃目はもらう」と告げた。
相手を挑発しまくって相手から先に手を出せ、被害者という立場の下に圧倒的力でもって叩き伏せるのだ。
牢が開けられる。
「この蛮人が!」
先頭の体格のいい男が高順の顔目掛け、拳を振るう。
鈍い音が辺りに響く。
「……賈詡、見たわね?」
殴られた姿勢のまま、高順は問いかけた。
「見たわ」
賈詡は答え、高順はにっこりと笑う。
その隣では呂布がポキポキと指を鳴らしている。
彼女らに焦りも恐怖もない。
「やっちゃえ、恋」
高順はにこやかな顔で告げ、数瞬の後、男達の悲鳴が響き渡った。
「も、申し訳ございません」
これでもかと平身低頭しているのは黄漢升と名乗った女性。
事の次第を聞き、慌てて牢にやってきたところでボコボコにされている看守達と仁王立ちしている高順らに出会い、こうなった。
「まず、劉太守が謝るべきじゃないかしら? 劉太守よりももっと上の、大将軍何進様と宦官筆頭の張譲様から直々に要請を受けた我々に対してこの仕打ち。ご両名ともさぞお怒りになるでしょうね」
こうなったら賈詡の独壇場だ。
彼女は圧倒的な弁舌でもって女性――黄忠を精神的に追い詰めていく。
「その、劉璋様はただいま不在でして……」
黄忠の言葉に賈詡は内心、喝采を叫んだ。
ここまでされては張譲も何進ももはや言い逃れできない。
面子を叩き潰された彼女らはこちらに対し、それなりの謝礼をしてくることだろう。
「事前に我々が来ることは伝えておいた筈なのに……それが責任ある立場の者のすることか!」
賈詡の一喝に黄忠は身を縮こませる。
そのときであった。
「その辺にしてはくれないか」
そう言いつつ、やってきた女性。
「あなたは?」
賈詡の問いに女性は告げる。
「厳顔と申す。劉璋のクソ娘なら何でもあの高順が来ると聞いて、いい年にも関わらず布団に丸まってガタガタ震えておるのだ。今もな」
賈詡は何だか居たたまれない気持ちになった。
じーっと彼女は今まで攻めに攻めていた黄忠を見、そして口を開く。
「その……悪かったわ。あんたも苦労してるのね」
「いえ……」
哀愁漂う黄忠に賈詡は心の中で涙を流しつつ、高順が主でよかったと心の底から思った。
「ともあれ、こちらが大変な失礼をしたのもまた事実。謝礼として好きなだけ持っていってくだされ……ああ、クソ娘なら金も物資も出すからさっさと帰れと言っておったから、問題ないぞ」
厳顔の言葉に高順と賈詡は顔を見合わせる。
随分とまぁ駄目な太守らしい……ふと、そこで賈詡と高順はあることを思いついた。
「お二方、我々は今回の一件を何進様と張譲様に報告させていただきます。あなた方はどうされますか?」
事情が分かった賈詡は敢えて丁寧な口調で問いかける。
その問いに黄忠も厳顔もすぐにその意味を悟った。
さすがの劉璋といえど、このような愚行をしでかしてはタダでは済まない。
そして、劉璋の統治はお世辞にも良いとは言えない。
「私としては是非ともあなた方を配下としたい……」
そう言い、黄忠と厳顔に交互に視線をやる高順。
「なぜ、私達を?」
黄忠の問いに高順は待ってました、と言わんばかりに告げる。
「私は勘が良いので、あなた方が優れた武人であるとすぐに判りました」
「ほほぅ、勘か。随分とまあ、あやふやなものだな」
厳顔の挑発的な物言いに高順は笑みを浮かべる。
「私はこの横にいる呂奉先を勘でピンときたが故に登用致しました」
厳顔も黄忠も何とも言えない顔となる。
戦闘態勢に入っていない呂布はただのぼーっとしている少女にしか見えない。
「恋、寸止めで」
高順が言った瞬間、厳顔の眉間に方天画戟が突きつけられていた。
刃と眉間の距離はほとんどない。
厳顔も黄忠も全く見えなかった。
呂布の動きが。
「もういいわよ」
高順の言葉に呂布は得物をゆっくりと下ろす。
厳顔は得物を下げられたとき、冷や汗が一気に吹き出してきた。
それを手拭いを取り出し、拭きつつ告げる。
「信じるしかないな……」
厳顔の言葉に高順はゆっくりと頭を下げる。
「無礼を働き申し訳ございません。ですが、手っ取り早く分かってもらうにはこれが一番と考えた次第」
「あ、ああ、いい。構わんよ」
「え、ええ……」
さすがに脅かしすぎだ、と思いつつ賈詡は告げる。
「ウチには将が少ないので、あなた方の働き場所は今以上にあるかと……まあ、それはさておき、とりあえずは謝礼を……」
そうして賈詡はたんまりと資金と物資を謝礼として頂くことに成功した。
厳顔と黄忠もまさかそこまで、と思う程にとんでもない量を持っていくとは思いもしなかったが、劉璋に伺いを立てることもできず……そもそも、2人共幾ら義理高いとはいえ、さすがに今回のことには呆れるしかなかった。
何で自分達は劉璋に従っているんだろう、と根本的なところに疑問を抱かざるをえない。
そして、数刻後――
「どうしたもんかな、紫苑」
盃を傾けつつ、厳顔はそう問いかけた。
高順らは既に北平にはおらず、物資や資金を謝礼として受け取るなり、即座に孫堅のいる前線へと向かってしまった。
厳顔と黄忠は彼女らを見送ったが、2人共高順の兵を羨ましく思ってしまった。
物資を積み込む高順の兵達は皆、顔つき精悍であり、下級指揮官と思われる者の指示によく従い、働き蜂の如く動いていた。
練度の高さがよく分かる。
またその配下の将の錚々たる顔ぶれ。
華雄に馬騰ら馬一族。
無名なれど名を大きく上げるだけの力を持つ関羽、呂布、董卓、張遼。
容赦無く、徹底的にこちらからむしり取っていった賈詡、そしてその部下の陳宮。
愛想のいい顔をしているが、そうであるが故に油断できない張勲。
「……劉璋様とは比べるのが間違いなことは確かよ」
黄忠はそう答えた。
劉璋は高順らがいなくなったら途端に強気になり、高順何するものぞ、とそんなことをのたまっていた。
そして、彼女は黄忠や厳顔にいつも通りに色目を使い始め、それからどうにか逃れて、今に至る。
黄忠や厳顔としても、別に同性が嫌いというわけではない。
だが、さすがにそういう風に露骨なのは嫌であった。
「少なくとも、高順の配下で高順に不満を持っている者は兵達にもおらなんだな。羌族であるにも関わらず、だ」
「ええ……それだけ良い人物なのでしょう」
「噂の何とも当てにならんことよ」
そう言い、厳顔は再び酒を呷る。
彼女らのいる益州では高順と華雄は下半身が馬で上半身が蠍の化物となっている。
いくら何でもそれはないだろう、と厳顔や黄忠ならずとも疑っていた。
「あの呂奉先という者をしっかりと従えている。これもまた並の者ではできん」
厳顔はあのときのやり取りを思い出し、身を震わせる。
戦場であったならあの一瞬で頭から叩き斬られていたことだろう。
「それでいて本人は配下に権限を与え、好きにやらせているみたいね」
「うむ……なんというか、生き生きとしておったな。高順は自分が手柄を上げないと気が済まないという性質ではないようだ」
「ねぇ……桔梗。荊州から流れてきた私は勿論、あなたもただそこに自分の腕を生かせる仕事があったから……そういう理由で劉璋様に仕えてきたわ。もう5年以上」
黄忠はそう言いつつ、盃を傾ける。
彼女は荊州南陽出身であったが、当時、とある豪族の長男に見初められて、大恋愛を行なっていた。
しかし、子供ができたとわかるや否や、相手はあっさりと彼女を子供ごと捨てていた。
その後、流れ流れて益州で定職を得ることができた。
黄忠と同時期に仕官したのが厳顔であり、同期ということもあって2人の仲は良好であった。
「もはや義理は果たした。愛想も尽きた。まだまだわしもお主も23。若い若い。まだまだ人生これからよ」
呵呵と笑う厳顔に黄忠もまた笑う。
「思い立ったが吉日。あのクソ娘が璃々を人質に取ったりなんだりの、余計なことをせんうちにさっさと荷物纏めて行こうではないか……」
「ええ、そうね。彼女達の兵力が少ないから援軍として赴けばいいわ……璃々には迷惑を掛けるわね」
「何、璃々はまだ5歳という幼き身なれど、クソ娘よりは余程しっかりしておるわい」
厳顔の言葉に黄忠は頷きつつ、口を開く。
「それに……高順殿は可愛らしかったわ」
「……確かに中々の器量だったな」
「悪戯してみたくなっちゃうわね」
「うむ……」
微妙に違う方向へズレている2人であった。
ともあれ、2人は荷物を纏めて少数の、自分達の子飼いである兵を連れ、援軍として高順らの後を追った。
勿論、2人は劉璋を説得していた。
彼女に対しては援軍を送っておかないと後が怖い、とそういう風に脅かしたのだが、臆病な劉璋はすぐに許可を出している。
これに黄忠も厳顔も完全に呆れ、未練無く劉璋陣営を後にしたのだった。
「……頭痛い」
高順は頭を抱えた。
追いついてきた黄忠と厳顔、そしてその配下の兵200名。
予想外の速さでの合流であったが、特に混乱は無かった。
合流し、孫堅の下へ向かう道すがら、黄忠がその弓の腕前を見せ、一同を唸らせた矢先に厳顔が対抗するように自分の得物を取り出し、発射したのはつい先ほどのこと。
そして、高順が頭を痛める原因は厳顔の得物であった。
「どうなってんのこの世界……」
そんなことを言い、るーるるるーと黄昏始めた高順に賈詡はどう声を掛けていいか困惑してしまう。
高順以外で未来知識を知っている賈詡であったが、それを差し引いても、厳顔の得物は特殊であるとわかった。
そんな2人を除いて純粋に目を輝かせているのは張遼や華雄、陳宮であり、残る者は不思議な武器だ、とただ感心しているのみだ。
「どうかしたのか?」
当の本人が呑気に声を掛けてきた。
肩には彼女の得物――豪天砲なる黒光りする回転式パイルバンカーを担いでいる。
どこをどうしたらそうなった、と言いたくなるような得物である。
「……それ、どっから手に入れたの」
一応まだ2人は劉璋配下の援軍という立ち位置であるが、もはや高順は敬語を話している余裕がなかった。
それもそうだろう。
「武器屋で売っててな。手に馴染んだからつい」
ハハハ、と笑う厳顔に高順はずーん、と落ち込む。
「えっと、どうして落ち込んでるのかしら……?」
黄忠は首を傾げながら賈詡に問いかける。
対する彼女は肩を竦めつつ、高順の耳元で囁く。
「高順、逆に考えるのよ。杭打ち機があれば掘削が楽にできると……」
その言葉に勇気づけられ、高順は理不尽な世界に立ち向かう決意を新たに……というほど大それたものでもないが、とりあえず現実を受け入れることにした。
あるものはあるのである。
「厳顔、あなたにはたくさん働いてもらうから、そこんとこよろしく」
「うむ、存分に使ってくだされ」
そのようなやり取りが行われる中、孫堅のいる本陣まではあと数日の距離であった。