高順達が駐屯することとなった旧交易地――匈奴との交易が破棄された為――は南皮より北へ100里程のところにある。
すぐに高順は袁紹に挨拶しようと賈詡に使者を頼んだが、今は多忙なので暫く待って欲しいとのこと。
袁紹は烏丸討伐と黒山賊討伐の為にあちこちへ飛び回り、それどころではなかった。
高順の手を借りようという案が出たものの、裏切られてはたまらないのですぐに破棄された。
そんなわけで何にもやることが無くなった高順だったが、賈詡に会って欲しい人物がいる、と言われた為に会うこととなった。
「姓は関、名は羽、字は雲長と申します」
美しい黒髪の少女は高順に平伏し、そう告げた。
「……賈詡」
じーっと高順は傍に控える賈詡を見つめる。
「ボクじゃ判断がつかなかったの。例の紙には彼女の名前と出身地は書いてあったけど……」
「彼女は何を?」
「塩の密売をして、役人に追われてきたみたいよ」
塩の密売、というところで関羽と名乗った少女は体を震わせる。
悪いことをしていた、という自覚はあったらしい。
しかし、異民族の高順の前に出ても、少女が怖がりもしないことから、賈詡はその辺も含めて集めた連中には説明してあるようだ。
噂には尾ひれ背びれがつきものであり、高順や華雄のことは凄いことになっていただろう。
そして、それらの誤解を解くというのは面倒かつ難しかったのは想像に難くない。
高順は賈詡の働きにどう報いようか、と考えつつ、目の前の少女へ視線を送る。
彼女はその少女の一挙一動を見逃すまい、と凝視しつつ声を掛けた。
「雲長とやら。聞けば役人に追われてここまでやってきたとか……悪いという自覚があったならば……なぜ?」
問いかけに少女はしばし沈黙していたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「……私は幼い頃に家族を亡くし、1人で生きてきました。日雇いの仕事を行ったりしていましたが、日々食うにも困る始末。そのようなとき、ある塩商人が役人と組んで塩の値段を不当に吊り上げ、民を苦しめていると聞き……自分が生きる為、そして民の為にやりました」
法は犯したが、間違ったことはしていない、というある種の開き直った表情を少女は浮かべていた。
そんな彼女に高順はふっと笑う。
「あなたは好ましい人物ね。民の為にやりました、だけなら私はあなたを斬っていたことでしょう」
それに、と高順は続ける。
「今の世の中、真面目に働いていては虐げられるだけよ。このままでは未来は暗いものとなるわ」
彼女はそう言い、少女の目をまっすぐに見据える。
「関雲長殿。私は宦官を倒し、そしてこの大陸を豊かにすべく、世直しをする。時には汚いこともやるだろうが……どうか、私に力を貸して欲しい」
高順は深々と頭を下げた。
これに驚いたのは少女の方だ。
賈詡から事前に説明されているとはいえ、相手はあの高順。
どんな悪鬼羅刹かと身構えていた分、完全な不意打ちであった。
「あ、頭をお上げください! 私のような者に……」
慌てて少女は高順に頭を上げるよう言うが、高順は頭を上げず、更に告げる。
「私は異民族であり、あなたは漢族。私の下につくことは葛藤があるだろうが、どうか……」
少女は高順がどのような言葉を期待しているか悟る。
自分がその言葉を言わない限り、高順は自分に頭を下げたままだろうことは容易く想像できた。
そして、彼女は自分をそれほどまでに高く評価しているらしい高順に嬉しさがこみ上げてきた。
「我が真名は愛紗。これからよろしくお願い致します」
関羽はそう言い、深々と頭を下げた。
「私の真名は彩。こちらこそよろしく頼む」
高順はその名乗ったものの、やはり頭を上げない。
「……馬鹿じゃないの」
お互いに頭を下げあっている2人に賈詡は小さく呟いたのだった。
それから高順は関羽をただの兵士でも、部隊長などでもなく、いきなり将として抜擢。
予想外の高待遇に関羽は驚いたものの、すぐにあれこれ考える余裕は無くなった。
賈詡による地獄の勉強が始まったからだ。
とはいえ、向上心が高い関羽は砂が水を吸い込むかのように知識を吸収していく。
その一方で馬騰は関羽の空いた時間に、さらに張遼や董卓、ついでに張勲といった南皮組を陳留組と共に徹底的に鍛えた。
馬騰から見れば全員まだまだヒヨっ子。
確かに彼女は呂布や娘の馬超には才能面では及ばないが、その分、経験がある。
それらを伝えること……それが自分の役割であると彼女は思っていた。
皆が忙しなく動く中、高順は董卓と話し合うべく、夜、会う約束をどうにか彼女に取り付けた。
告げることはただ一つ、母親のことだ。
手紙で既に伝えてあるとはいえ、高順は董卓と1対1で話し合う必要がある、と感じていた。
「こうして話すのは凄く久しぶりだね」
背は高く、また胸も大きくなった董卓ははにかみながらそう言った。
ここは屋敷内にある董卓の私室。
そこで高順は董卓と対面していた。
「ええ……ちょっと見ないうちに美しく、そして凛々しくなったわ。昔のあなたも良かったけど、今のあなたもとても素敵」
すらすらと高順は口説き文句を告げる。
天然ではないところが彼女のいやらしいところだ。
董卓はその言葉に嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「月」
高順が名を呼ぶ。
董卓はスッと背を正し、真剣な表情となる。
彼女もまた高順の話の内容が予期できていたのだ。
「前に手紙で伝えたけど、改めて……あなたの母である董君雅殿について……」
「お願いします」
董卓の言葉を受け、高順はゆっくりと語り始めた。
当時の自分の状況や官軍の動き、そして華雄の夜襲。
全て鮮明に覚えている高順にとって、それはつい昨日のことのように思い出せた。
全て語り終えた高順は口を閉じ、董卓をまっすぐに見据える。
対する董卓もまた高順の瞳をまっすぐに見る。
「私を恨んでくれて構わない。でも、私は謝らない」
その言葉に董卓はゆっくりと口を開く。
「私は恨まないよ。だから……彩ちゃんは責任をとってくれるよね?」
既に董卓の中で恨まないということとその問いかけは既定事項であった。
「私は華雄と契っているし、彼女以外にもそうしている輩がいる。それでも?」
「独占するより共有した方がいいって詠ちゃんと話し合って決めたの」
賈文和恐るべし――高順は素直にそう思った。
まさかこんなところまで手を回しているとは彼女としても夢にも思わなかった。
主君を知恵で助けるのが軍師とはいえ……何かもう凄いなぁ……
高順はしみじみとそんなことを思った。
彼女の感想はあくまで彼女が軍師としてしか賈詡を見ていないことがよく分かる。
ともあれ、賈詡としては君主となる高順は世継ぎの為に正室とたくさんの側室を持ってもらう必要があった。
勿論、賈詡があわよくば正室になろう、と狙っているのは言うまでもない。
そして、そのことは董卓にも容易に予想がついていた。
「でもね、彩ちゃん。正妻は1人だよね? だから……」
董卓は言葉を切り、高順を見つめる。
対する高順は手をゆっくりと伸ばし、董卓の頬に優しく触れる。
「私は……彩ちゃんのことがずっと好きでした。勿論、今も、これからも好きです」
董卓は穏やかな笑みを浮かべ、そう言った。
淡い月の光が窓から差し込み、少し強い夜風が吹き、蝋燭の灯りを消した。
幻想的な月の光が董卓を照らし、彼女の髪色や今の雰囲気と相まってさながら女神のように高順には見えた。
「私はあやふやよ」
高順はそう切り出した。
「華雄達と契ったのも、ただ気持ち良くなりたいからで、妻とかそういったことは考えてない……」
そこまで言い、彼女ははて、と首を傾げた。
どこか違和感があったからだ。
その違和感の正体を彼女が見つけるよりも早く、董卓が告げた。
「彩ちゃんが両性具有者っていうことは詠ちゃんから聞いてるよ」
ああ、それだ、と高順は思わず手を打った。
痒いところまで手を届かせる賈詡がさすがであった。
董卓は更に告げる。
「返事はいつでもいいよ? まだ地盤があやふやでいつ崩れてもおかしくはないし、もっと言えば、彩ちゃんの夢が叶った後でもいい……でも、私の気持ちは知っていてもらいたくて」
そう言い、微笑む董卓。
高順は思わず彼女を抱きしめてしまう。
鼻孔をくすぐる董卓の甘い匂い。
彼女の柔らかな感触。
それらは高順にとってとても心地良かった。
そして、董卓は高順の行動に驚いたりもせず、ただゆっくりとその背中へと手を回す。
「彩ちゃんはずるいよ。こんなことしてくるんだもん……」
そう耳元で囁き、董卓は少しだけ力を込めて高順を抱きしめた。
しばらくお互いに抱き合っていた2人だったが、やがて高順が口を開く。
「……ところで月。私の夢って誰から聞いたの?」
「詠ちゃんだよ。霞さんも七乃さんも知ってる」
こういう根回しは嬉しいのだが、何だか恥ずかしい高順であった。
そのとき、扉が叩かれる。
董卓と高順はゆっくりと離れてから、董卓がやってきた人物を招き入れた。
「やっぱりここにいたのね」
入ってきたのは賈詡。
彼女はいつもの不機嫌な表情……ではなかった。
眉間に寄っていた皺は高順がやってきてからは取り払われている。
予断は許さないものの、一息つける状況だと彼女は判断していたからだ。
もっとも、あの不機嫌な表情は相手を威圧する為の演技でもあるのだが。
「で、月。正妻になったの?」
賈詡の問いに高順は面食らうが、董卓は苦笑する。
その反応で賈詡にとっては十分過ぎる答えとなった。
「月が正妻にして欲しいって言うのくらい、簡単に予想がつくわよ。好色な彩があやふやにすることもね」
高順は笑って誤魔化す。
何か言ったところで賈詡には敵わないことは分かりきっていた。
「ま、好色に関しては今更どうこう言わないわ。月との話が終わったなら、今度はボクの話を聞いて欲しいわけ」
ついてきなさい、と賈詡に引っ張られ、高順は賈詡の部屋へと連行されていった。
それを見送った董卓はポツリと呟く。
「うーん……やっぱり詠ちゃんには敵わないかなぁ……」
董卓には高順と賈詡がどちらが欠けても成り立たない、2人で1つの存在に見えて仕方がなかった。
そして、賈詡ならば仕方がない――董卓はそう思った。
「今、漢が烏丸討伐に動いていることは知っているわね?」
賈詡は自室に高順を入れるなり、そう問いかけた。
問いに高順は頷き、口を開く。
「私達が勢力を得て、漢にとって邪魔になったら今回の兵力がそのまま私達に向けられると思う」
「そこまで分かっているなら話は早いわ。彩が未来知識に基づいて富を築けば必ずそれを袁紹辺りが収奪しようとやってくる」
賈詡の言葉に高順は再び頷き、口を開く。
「私の予想だと最低100万、最大200万で総大将が袁紹、補佐として孫堅、曹操だと思うんだけども」
「ボクも概ね同じよ。何進が出てくるかもしれないけど、所詮は利害調整役に過ぎないでしょうね。おまけにあんたは悪い意味で漢族に有名だから、悪虐非道な高順を倒そうと士気も高い上に足並みを揃えてくるでしょうね」
「オールスターチームね。見るのはいいけど、相手にはしたくないわ」
その言葉に首を傾げる賈詡に高順は分かりやすく言い換える。
「劉邦と項羽が仲良く同盟組んで敵に回ることよ」
「ああ、そういうこと……まあ、そうなるでしょうね。で、目録にあった人材だけど、司馬家はあんたが直接行かないと会ってくれそうにないし、行ったとしてもあんたが異民族だから門前払いでしょうね。他にも荀家とか、そういった名士や名家連中は同じように全滅だと思うわ」
もっともだ、と高順は頷く。
異民族であるというのはそれだけで極めて不利。
まず名家や名士と呼ばれる者達は袁紹のような利害の一致を除けば寄り付かないだろう。
それを如実に示すように、高順の臣下達の中でそれなりに由緒正しい家柄なのは前漢の臣聶壹の末裔である張遼や辺境とはいえ母親が太守であった董卓くらいなものだが、その彼女達とてご先祖様や母親がそうであったというだけで、彼女達自身が有名かと言われるとそうではない。
そういった家柄とは違った意味で有名なのが馬騰であり、馬超であるが、馬騰は高順に負けたことからケチがつき、馬超の勇名は残念ながら涼州限定だ。
とはいえ、文武官は粒揃いであることは間違いない。
だが、それでも最低で100万の強敵を相手に回すには数が少なすぎる。
関羽という強力な者が味方についたとはいえ、やはり少ないに違いはない。
「……詠。名家であっても、私に味方してくれそうで、かつ、極めて有能な人物がいるのだけど」
「誰? 目録に書いてあった奴?」
賈詡の問いに高順は頷き、答える。
「諸葛孔明、龐士元。今、司馬徽の私塾にいるかどうかは分からないけど、行ってみて損はないと思う」
「まあ、あんたがそう言うならそうなんでしょうけど……そんなにうまくいくの?」
「私とあなたならうまくいかせることができると確信しているわ」
そう言われた賈詡は恥ずかしそうに目を逸らす。
その頬はやや赤い。
その様子にもしや、と思い高順はわざとらしく……しかし、本心を賈詡に告げることにした。
「私にとってのあなたは鳥にとっての翼」
弾かれたように賈詡は顔を高順へと向けた。
そんな彼女に微笑みかけながら、高順は更に言葉を続ける。
「あなたにとって私は?」
賈詡は顔をますます赤くしながら、俯いてしまう。
その際、眼鏡がズレるが直す余裕は彼女になかった。
やがて賈詡は小さく呟いた。
「鳥にとっての空」
鳥は翼があっても飛べるとは限らない。
籠の中に鳥がいては自由に飛び回ることができないからだ。
賈詡は自らを鳥と例え、思う存分に活躍する場……すなわち、思うがままに飛びまわれる空がなければ意味がない。
高順は賈詡に全てを任せ、自由にやらせた。
それは鳥が自由に空を飛び回ることに等しい。
そして、賈詡は意を決して高順に抱きついた。
頭一つ分大きい高順は急に抱きついてきた賈詡に少し驚くが、優しく受け止め、その背に手を回す。
賈詡は自分の顔がこれ以上ない程に紅くなっているだろうことを感じつつ、ぎゅっと高順の服を握り、しがみつく。
自らの鼓動が早鐘を打ち、高順に知られないかどうか不安になってしまう。
「詠……」
名を呼ぶ声。
賈詡の明晰なる頭脳はこの極度の緊張の最中においても些かの衰えも見せず、最適解を導き出す。
その最適解は――
柔らかい感触。
より強く感じる彼女の匂い。
高順は驚きのあまり目を見開いていた。
彼女の目の前には目を閉じた賈詡の顔がある。
間近で見る彼女の顔は高順が今までに見た誰よりも綺麗に思えた。
やがて賈詡は高順から唇を離し、彼女の耳元に顔を寄せ囁いた。
「ボクは君が好き。君は……ボクが好き?」
高順は董卓のことやその他諸々のことが頭を過ぎる。
そして、最後に浮かんだのは賈詡のこと。
軍師としてしか今まで彼女を見ていなかったが……その本人にこんなことを言われ、高順は今までに感じたことがない程に胸が高鳴った。
高順は何人もの女を抱いてきたが、このようなことを彼女は経験したことがない。
そして、それはつい先程の董卓の告白を受けたときであってもなかったこと。
高順はゆっくりと答えを返す。
「……私は詠のことが好きだと思う。誰よりも、あなたに傍にいて欲しい」
その言葉に賈詡は嬉しさがこみ上げてくるが、まだ足りない、とばかりに彼女は告げた。
「彩……ボクを君のものにして欲しい。ボクは君のものになりたい」
潤んだ琥珀色の瞳で見つめる賈詡に高順は抵抗する術を持たなかった。
そして数刻後、高順は賈詡と共に寝台に横になっていた。
両者共に全裸であり、賈詡は高順の大きな胸に頭を乗せている。
「彩」
「ん……?」
「ボクは正妻になるつもりはないから」
「え?」
唐突な言葉に高順は呆気に取られる。
流れ的にそうなるのが自然だろう、という意味の込もった視線を彼女は賈詡に向ける。
その問いに答えるかのように賈詡は流れるように言う。
「漢族を安心させる為に正妻は漢人で、かつ、それなりに家柄が良い輩がいいわ。そうした方が反発が少なく、統治がし易い。だから月も駄目なのよ。豪族とはいえ、辺境だし、知名度低いし……それと月に関してはあんたがしっかりと断りなさい。まあ、手を出すと思うし、月もそれを望んでると思うけど」
賈詡の言葉に高順は手を出すだろうなぁ、と思いつつも了承する。
そんな高順にさらに賈詡は続ける。
「それに正妻なんて表向き仲良しっていうだけでいいわ。夫婦の生活なんて冷え込んでて構わない。そうなったら実質的な正妻はボクがするから」
そう言い、賈詡は高順の頬に口付ける。
影で操りますみたいな宣言をした賈詡であったが、高順は彼女に引くどころかむしろますます愛しくなってしまう。
幸せな気分に満たされながら、高順は問いかける。
「その正妻にあてはまる輩、詠のことだからもうめぼしはつけてあるんでしょう?」
「夫婦揃って国を盛り立てたいなら曹孟徳、知名度だけの人気取りなら袁紹、袁術」
「そんなうまくいくの?」
「曹孟徳はしっかり負けを認めさせれば協力すると思う。袁紹や袁術は袁家から財力も権力も取り上げて、張子の虎とすればそうせざるを得ないわ。ただ、袁術に関してはうまくすればこちらに取り込める可能性もある」
そんなことは無理だ、と言いたくなるが、何分言っているのは賈詡である。
頼もしいことこの上ない。
「まあ、100万を超える反高順連合を破ってしまえばあとは刈り取り放題よ。対連合用のなんでしょ? あの旅順要塞は」
問いに高順は頷きつつ、賈詡の頬へ手をやり、優しく撫でつつ答える。
「旅順要塞は1000年先まで通じる永久堡塁となるでしょう」
「……まあ、そこの太守にならないことにはどうにもならないんだけどね」
今の段階では絵に描いた餅でしかなかった。
そんな厳しい現実から逃れようと、高順は賈詡の背に手を回し、もう一方の手で彼女の顔を自分の方へと向ける。
賈詡もまた高順が何を望んでいるのか分かったのか、そのまま高順の唇へと己のものを重ね合わせる。
そして、2人は再び情事へと突入していった。