賈文和の本気

 高順が赤子問題を解決してしばらくしたある日のこと。

「華琳様、よろしいのですか?」

 夏侯淵は執務室にて主である曹操に問いかけた。
 部屋には2人しかいないが故に彼女は真名で呼んでいる。

 質問の意図を察した曹操は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「高順達はいずれ倒すべき敵となる。ならば、早めに手を打たなくてよいのか……そういうことかしら?」

 曹操の言葉に夏侯淵は頷く。

「高順の明確な弱点として勢力基盤がないこと、そして異民族であるから兵隊の補充ができないこと」

 わかっているならばなぜ、と夏侯淵は主の言葉に問いかけたくなるが、そうはせずに続きを待つ。
 そんな彼女に曹操は不敵な笑みを浮かべ、告げる。

「出産まであと僅かとなったときに陳留から追い出せばいい……麗羽が会いたがっているとか色々理由はつけることもできる。旅の途中で出産なんて難事をしたら、確実に母子は死ぬでしょうね」

 なるほど、と夏侯淵は頷きつつ、言葉を紡ぐ。

「ですが、よろしいのですか? そういったことをして」
「私は友人だから、得難い強敵だから、とそういった理由で戦力を減らせるときに減らさない、ということはしないわよ。それで負けたら史上最大の馬鹿じゃないの」

 私は馬鹿になるつもりはない、と言い、曹操は締めた。






 それと同じ頃、高順は賈詡からの手紙に衝撃を受けていた。
 その手紙は赤子問題に関する結果を報告した賈詡からの返事。
 それによればただちに陳留を出、南皮へ来るべし、と書いてあり、その理由もまたつらつらと書いてあった。

 賈詡はその理由に曹操が出産間近となったとき、あれこれ理由をつけて陳留から追い出すだろう、としていた。
 また、高順が感情的に否定することも考えたのか、賈詡は曹操とは公私の分別がつかない愚物なのか、と問いかけていた。

 高順はすぐさま華雄らを集め、3日後に南皮へ出立することを伝え、準備を急ぐよう命じた。
 その際、無駄な手間は省く為に高順は賈詡からの手紙を華雄ら主要な面々に見せた。
 それにより反論なく、華雄らは準備に取り掛かった。
 そして、その足で高順は曹操の執務室を訪れたのだった。





「3日後に出発? 急ね」

 出産間近で追い出すというのを見抜かれたかのような、そんな絶妙なタイミングでやってきた高順に曹操は冷や汗をかいた。
 だが、そんなことはおくびにも出さない。

「ええ。早く来いってウチの軍師が怒ってて」
「……まあ、長居しているといえばしているわね」

 曹操はその軍師が見抜いたのかどうか考えるが、答えは出ない。
 高順も賈詡について極めて限定的な情報しか出していない。
 それもその筈で、高順にとって賈詡は頼れる軍師であると同時に切り札なのだ。

「私としてはもっといてくれてもいいのよ?」
「いえ、やめとくわ。ウチの軍師、怒ると怖いし」
「なら明後日、送別会でも開きましょう」
「悪いわね」
「私達の息抜きも兼ねてるからいいわ」
 

 そう言い、手をひらひらさせる曹操であった。

 それから2日後、宴が開かれ、その翌日、予定通りに陳留を一行は後にした。







 主要な政務から遠ざけられたとはいえ、賈詡は忙しい。
 特に水軍に関しては最後までしっかりやれ、と全権限を渡されたので恐ろしいくらいに仕事がある。
 勿論、馬鹿正直に仕事してやるつもりは彼女にはさらさらない。
 あれこれ理由をつけ、多額の金をせしめていた。
 勿論、袁紹らに提出した書類にあった1000万銭とかいう金とはまた別に。

 田豊は言った。
 真っ向勝負では自分達は勝てない、と。

 今の賈詡は勝負の方向性をこういった横領の為に書類改竄へと動いた。
 つまり、彼女はそういった方向で勝負をするようになった。
 そうであるが故に、賈詡以外では誰も彼女の巧妙でありながら大胆な横領を見抜けなかった。

 それでいて結果はしっかりと出しているのだから誰も文句は言えない。
 多額の金がかかるが、一定の成果を上げれば上が優秀であればあるほどにその計画の継続を認める――袁紹らの優秀さを逆手にとった賈詡のやり方であった。
 


 そのような最中、賈詡の下に高順から紹介されたという異民族がやってきた。
 賈詡は彼女を自らの執務室へ通し、部屋の前に張遼を、部屋の中には董卓を配置した完璧な布陣で出迎えた。


「で、あんたはどこの?」

 賈詡はいつも通りの不機嫌そうな表情で相手に問いかける。
 色白な肌をした女性は僅かに頷き、口を開く。

「私は匈奴です。かつて并州で高順殿にお会いし、困ったときは南皮の賈文和を頼れ、と……」

 賈詡にとってはそれだけで十分過ぎた。
 彼女は不機嫌な顔で頷き、言葉を紡ぐ。

「何が必要なの?」
「我々は食糧と塩に困っております」
「対価としてそちらの馬や毛皮などそういったものを出してくれる?」

 問いに女性は頷いた。

「馬は出荷制限なんかはある?」
「今のところは特にございません」
「ならいいわ。袁紹にはボクから話を通しておく。あんたは馬をとりあえず100頭、持って来なさい」
「それですと……1000万程掛かりますが……?」
「ああ、問題ないわ。袁家は良馬を欲しがっている。烏丸の連中はこっちに出荷制限しているみたいで、年に数十頭しか渡さないのよ」

 友好関係だが、烏丸は袁家が強大になることを良しとしていない。
 いつ戦うことになるか分かったものではないからだ。

「お隣りの并州は并州で官軍やら地元豪族達が州外への出荷を拒んでいるし、幽州も似たようなもの……持ってくれば持ってきた分だけ売れるわよ?」

 賈詡の言葉は女性にとって魅力的であった。
 しかし、彼女としては仲介してくれた高順へのお礼もしたいところだ。

「高順殿にも僅かばかりのお礼をしたいのですが?」

 賈詡はその言葉に心の中で喝采を叫んだ。
 何をやったか分からないが、彼女が考えていた策の成功を左右するのが高順に対する匈奴の感情。
 どうやら感情は悪いものではないようだ。

「そうね……あなた達に何かあって、どうしようもなくなって逃げることがあったら、高順に恭順しなさい」
「それはお礼なのですか?」

 女性からすれば面倒事を抱え込むばかりで高順にとってはむしろ悪いことではないか、と思える。
 そんな彼女の心を見透かしたように賈詡は告げる。

「高順の名を知らぬ者はいないわ。どんな連中もそうそうに手は出せなくなる。あなた達はそうなった後、馬車馬の如く働いて高順の役に立ちなさい」

 賈詡の提案は匈奴の利が少ないように見えるが、逆に考えれば高順が健在である数十年は匈奴の安全が保障される。
 働くだけで烏丸などの多民族の攻撃を防げるなら安いもの……女性はそう考え、頷いた。

「わかりました。では、交易の方を一つよろしく頼みます」
「ええ、分かってるわ」

 片や敬語、片や口語。
 どちらの立場が上なのか、よく分かる図であった。



 女性を張遼に送らせた後、賈詡は部屋の中で喝采を叫んだ。
 その様子に董卓は目を丸くする。

「詠ちゃん、どうしたの?」
「ふっふっふ……月、ついにボクらに運が回ってきたわ。こうしちゃいられない。袁紹に会ってくる」

 そう言い、賈詡は部屋を出ていった。
 取り残された董卓は首を傾げながら、自らの鍛錬をすべく、部屋を後にしたのだった。






「匈奴との交易……ですの?」

 やってきた賈詡の提案に袁紹は僅かに眉を顰めた。
 その様子にすぐさま賈詡は告げる。

「烏丸と袁家が友好関係にあるのは存じております。ですが、烏丸は今は戦わない、とそういう意味での友好関係です。その証拠に彼らは馬をこちらに出したがりません」

 確かに、と袁紹は頷く。

「しかし、匈奴はそうではありません。彼らは真に交易を望んでおります。私に接触してきた匈奴の者は馬100頭を出せる、と」

 100頭という数に袁紹は感嘆の息を漏らした。
 年に数十頭しか持ってこない烏丸と比べれば匈奴の本気具合がよく分かる。

「ただ、烏丸と比べてやはり距離的に遠いことなどから少々値が張ってしまいます。ですが、纏まった数を手に入れるならば匈奴の方が良いでしょうし、袁家の悲願である精強な騎馬隊の編成には良馬が多数必要です」
「おいくらですの?」
「1頭あたり200万です」

 涼しい顔で賈詡は言った。
 本来の値の20倍も吊り上げているのだが、知らぬ袁紹には分からない。
 だが、烏丸の馬の値段とは余りにも違いすぎるが故に彼女は尋ねる。

「烏丸の馬は1頭あたり20万から30万程……数は少なくとも、安い方が良いのでは?」
「ええ、私もそう思いまして、交渉しました。そうしたら相手は渋々100万にまけてくれました」
「半分もまけてくれたんですの……」

 そう言い、袁紹は唸る。
 畳み掛けるように賈詡が告げる。 

「私は麗羽殿をやってきた匈奴の者に紹介しようと思いましたが、高順が紹介したのが私だから、と拒否しました」

 ふむ、と袁紹は顎に手を当てる。

「高順の名は彼らにも知れ渡っております。ですので、彼女の軍師である私に任せてくだされば……」

 匈奴交易の権限をむしりとるべく、そこまで言い、賈詡は袁紹を見つめる。

「匈奴は何をお望みでして?」
「食糧と塩、馬車、薪などです」
「災害対策用に集めたあの物資を使えばちょうどいいですわ。いいでしょう。詠さん、あなたに一任します」

 賈詡は内心で嘲笑いつつ、御意と答えたのだった。





 それからの賈詡の動きは早かった。
 彼女は合法的に集めた物資を取り返す機会だ、と精力的に動き回った。
 さらには「交易とはいえ、南皮に匈奴を入れるのはさすがに……」という文官や武官らから意見が出ることを予め予想していた為に、賈詡は袁紹に、専門の交易地を作るべき、と進言した。
 勿論、それだけでなく、必要な資材や資金を要請し、更にそこの防衛部隊として高順らを配置すべし、とも告げた。


 袁紹は田豊らと相談の上でこれを承諾。
 高順がいれば匈奴は勿論、烏丸が文句を言ってくることもないだろう、とそういう予測であった。
 また、袁家が仮とはいえ、高順を配下とすることでその権勢を大いに強める意味合いもあった。
 馬騰を打ち破った蛮族の高順をも、配下とした袁家の強大さを喧伝できるのだ。
 利用しない手はない。
 ただ、宦官を打ち破るという最終目標の為にはその喧伝も民に大きく触れ回るというようなものではない為に庶民には知れ渡らないだろう。


 勿論、賈詡としても当初の予定である募兵の為に高順といえど、寡兵では戦えないことを声高に主張し、袁家領内の農民や町人などを募兵しないことを条件に袁紹に最大で5000名の兵士の所有を認めさせた。
 多いように見えるが、袁家が本気を出せば10万の兵を集めることができる上に、高順が漢族ではないことから、危機感を煽り、周辺の諸侯を総動員することもできる。

 何よりも袁紹は馬騰に軍師と呼べる存在がいなかったことを掴んでおり、田豊らがいれば高順が反乱を起こしたとしても、兵力差で問題なく処理できると考えた。
 袁紹も田豊も沮授も高順が勝ったのはただのまぐれに過ぎず、正攻法であたれば勝てると踏んでいた。


 その一方で賈詡は密かに烏丸へ張勲と董卓を使者として派遣し、彼らを煽りに煽った。
 袁家が匈奴と結んで馬を多く出さない烏丸を潰しにかかっている、と。
 特に張勲は異様な讒言の才能を発揮し、烏丸を煽った。
 結果として、烏丸は袁家と匈奴への感情を大いに悪くさせた。

 対する匈奴には賈詡が自ら、護衛の張遼と共に出向き、高順への恭順の利点を説く一方で烏丸が動いていることを警告した。
 

 袁家と烏丸を喰い合わせ、さらに獲物となった匈奴を高順の味方とする。
 これは二虎競食の計の発展形であり、実に見事と言わざるを得ない。

 そして、賈詡が取った手はこれだけではない。
 袁家領内といえど、賊は少数だが出る。
 彼女はそんな彼らに物資を横流ししつつ、賊徒らに連合を組むよう策を授け、さらに冀州領内だけでなく、周辺諸州から賊を呼び寄せた。
 その賊徒らの中で張燕という女性がリーダー役を買って出て、彼女の類稀な統率力により、賊徒連合が瞬く間に築かれた。
 そして彼女は連合を黒山賊と称し、冀州……ではなく、より南の豫州汝南郡へ赴き、そこを荒らし始めた。
 袁家は冀州出身かと思いきや、その実、汝南であることはわりと知られていることだ。
 汝南を叩くことは袁家の大元を叩くことを意味する。
 即効性はないが、じわじわと効いてくる攻撃だ。

 史実・演義共に稀代の謀略家として名高い賈文和の本領発揮であった。




 屋台骨を揺らされ、さらに一歩間違えれば烏丸から攻撃されそうな袁家であったが、さすがに頑強であった。
 袁紹は自分の力だけで解決は不可能と見るや否や、親類縁者に救援を求めた。

 洛陽で朝廷の政務にあたっていた親戚連中は要請を受け、事態の鎮圧に動いた。
 彼女らはその権力と中央での人脈を存分に使い、皇帝を動かし、大将軍何進を動かし、さらに諸侯に動員を求める一方、烏丸に恫喝めいた交渉を行った。
 中央にいた者からすれば烏丸などの蛮族が高順と結びついて、一致団結して漢へ攻め寄せることを恐れたが故に、破綻を前提にした交渉であった。

 烏丸は当然ながら徹底抗戦の構えを見せ、袁家との関係……というよりか、漢との関係を全て破棄。
 これに対し、漢の危機と称し、先の羌族との一戦における失態を取り戻すべく、宦官までもが一時的に敵対者である袁家や何進と休戦した。
 宦官は確かに狡賢いが、それ故に自己保身には極めて優れており、漢が無くなったら元も子もない、ということを誰よりも理解していた。

 宦官と大将軍が組むという夢の共演により、漢全土の全ての諸侯に勅命として動員が下され、烏丸討伐へと動き出す。
 討伐軍の総大将には何進、その補佐として孫堅が就いた。
 勿論、何進の役割は実戦指揮ではなく、各諸侯の利害調整役であり、実質的な総大将は孫堅であった。
 



 漢が烏丸討伐に本気を出す頃、賈詡は黒山賊に要請し、一時的に略奪などをやめさせ、懇意にしている複数の商人を通じ、袁家の災害対策用物資と馬車を多く仕入れ値よりも遥かに高い値で売り払いつつ、高順のものとすべく横へと流した。

 無論、帳簿上、物資などは匈奴へ売却したとなっているので何も問題はない。
 烏丸との関係が悪化してなお、匈奴は袁家と交易を続けていた。
 彼らは馬や毛皮などを提供し、袁家から代金と共に食糧などを買い取る。
 備蓄用物資は早々に無くなったので、賈詡は高騰している市場の食糧などを買い、それを匈奴へと渡した。
 袁家にとっては完全な赤字であるが、所詮は他人の金。
 賈詡に入る金が無くなるだけであって何ら問題はない。
 しかも、彼女は袁紹が戦時を理由に匈奴との交易をやめるよう進言した。
 袁紹はこれ幸いとその進言を受け、交易の破棄を決定。
 これにより、その破棄を伝える役目は当然賈詡が行い、彼女は匈奴の部族の長達の前で袁家の悪虐非道さを声高に主張すると同時に高順へつくよう説得した。 

 

 賈詡は匈奴が高順へつくことを約束させると、これまでに蓄えた資金が宝石などを含め、1億銭を突破していることに満足しつつ、今度は高順の兵を増やす為に動いた。
 袁家領内の者を連れてきては駄目なので、戦場となりそうな幽州などにわざわざ赴き、そこにいる食糧高騰で食うに困った農民とその家族や商品が手に入らずに自殺間近の中小規模の商人とその家族、果ては塩の密売をしていたが、役人に追われて逃げてきていたという得体のしれない輩や賊崩れまでも高待遇で迎えた。
 とりあえず頭数を揃えてそこから選抜していけばいい……賈詡はそういう考えであった。
 



 高順が私兵200余名を引き連れ、妊婦もいることから行軍速度は遅れ、通常2ヶ月のところをおよそ3ヶ月余りの時を掛けて冀州へとやってきたのはそんなときであった。
 とはいえ、たった3ヶ月で劇的に変化した状況に高順らは戸惑いを隠せなかった。





「あー、うん……何と言っていいのかわからないけど……」

 高順はお茶を濁しつつ、賈詡を見つめる。
 見つめられた彼女はこれでもか、と胸を張り、褒めて褒めてと言いたげに高順へと視線を送っている。

 高順は事の次第を全て賈詡から聞かされた結果が、先程の言葉であった。
 兵力もとりあえずは揃え、将こそいないが、それを補える程に資金と物資がある。

 しかも袁家は……というか、漢は烏丸討伐へ注力しており、高順の存在は忘れ去られたかのようになっていた。
 これほど動きやすい状況を僅かな時間で作り上げた賈詡はまさに稀代の軍師だろう。
 勿論、彼女が全て裏で糸を引いたことは間近にいた袁紹らも気づいていない。

 高順はとりあえず賈詡の頭に手をおいて撫でてみた。
 いざそうされるとやっぱり恥ずかしいのか、賈詡は頬を真っ赤にしてそっぽを向く。

 その様子を高順含めて一同、笑ってしまう。

「新顔の奴もいるから、とりあえずは自己紹介したらどうだ?」

 ニヤニヤと笑っている華雄の提案に賈詡はすぐさま食いついた。
 それにより、各々が簡単な自己紹介を済ませた後、交易地の中心である屋敷へと案内されたのだった。

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