彼女こそ袁家の頭領

 高順が私兵を得てから2ヶ月程経ったある日の夜。
 高順は曹操の政務が落ち着いた頃合いを見計らい、報酬である1対1で話す権利を要求し、それを曹操は受け入れた。
 勿論、いきなり閨でイチャイチャするというのではなく、字面通りのことも行うことを曹操も高順も望んだ。




「民衆は女と同じよ」

 曹操が自ら造った酒を飲みつつ、高順は言った。
 その言葉に曹操はすぐさま答える。

「つまり、力で屈服されるのを好むのかしらね」
「合っているけども、足りないわ。善政を敷いていた太守を追い出したとなれば、たとえあなたや私がどれほど評判が良くても、受け入れられない」

 ふむ、と曹操は顎に手をあてる。
 そんな彼女に高順は言葉を紡ぐ。

「その場合、私やあなたも前任者を戦争によらない方法で取り込むしかない……まあ、それは置いておいて。要はお偉いさんの令嬢と同じよ」
「傲慢で自己中心的、そして欲しいものを際限なく要求する……ああ、確かにそうね」

 納得いったのか、数度頷く曹操。
 彼女の頬は酒のせいかやや赤い。
 対する高順の方もまた同じだ。

「今はまだ民衆は知識がないからこそ、単純で純粋。だけども、富国強兵の為にはどうしても民衆にも学問を広めねばならない」
「知識を身に付けた民衆は狭い範囲の知識のみでしたり顔で政に文句を言い始める、か……ああ、簡単に予想ができる未来だわ」

 高順の言葉を途中から続けた曹操は溜息を吐く。
 
「私は董君雅殿のところで財務を取り仕切っていたけど、自分の仕事の範囲だけでも学んだこととは違うことが多々あったわ。太守ともなれば尚更。それだけ必要とされる知識は多く、そして実際にやってみなければ分からないことも多い」
「解決策は私塾などの書生を一定期間、実際に現場で働かせてみるくらいしかないわね」

 参考になるわ、と言い、曹操は問いかける。

「ところであなた、今、財務を取り仕切っていたと言ったけど?」
「ええ。文官としてもできるわよ」
「……どうしてそれをもっと早く言わなかったのよ。宝の持ち腐れじゃないの」

 盛大に溜息を吐く曹操。
 既に政務の忙しさは落ち着き、こうして高順と夜に語らう暇さえある。

「いや、機密に関わる部分も多いだろうと思ったのよ。それにあなたのやり方や発想を盗んで自分の為に使ってしまうわ」

 その言葉に曹操は口元に笑みを浮かべる。
 
「あなたのそういうところ、私は好きよ」

 その言葉に高順は妖艶に微笑み、酒を呷る。
 濃厚な味にほふぅ、と息を吐き出す。

「大陸を統一した後、内政に努めるのは当然として、外はどうする?」
「敵対的連中に対しては積極的に戦を仕掛け、友好的な連中にはその友好の維持に務める……今のところはそれね」
「あなたにしては随分と大人しいわね。世界を征服してやるぜヒャッハーというノリで外征を繰り返すかと思ったのに」
「私は戦闘狂じゃないわよ」

 どういう風に思っているの、と言いたげな曹操の視線に高順は笑いながら謝る。

「そんなあなたはどうなのよ?」

 問いかけられ、高順は不敵に笑う。

「私も大筋ではあなたと同じ。でも、細部は違う。私は労働力確保と現地の発展の為に移民を送り込む。そして、混血を進め、最終的に漢人と同化させる。これならば現地住民に感謝されながら、穏便に征服ができるわ」

 曹操は感嘆の声を上げる。
 そんなやり方、思いもしなかったことだ。
 故に、彼女は言った。

「あなたこそ我が子房に相応しい」

 荀文若へ掛けられた言葉が今、高順へと言われた。
 絶賛される彼女であるが、何とも微妙な気持ちだ。
 何しろ、その移民政策は今より千数百年以上先の中華人民共和国が日本をはじめとした周辺諸国を合法的に乗っ取る為に行おうとしていたものだからだ。
 そういった意味では高順は全てを捨て、日本から逃げ出してきたことになる。
 そんな自分を誤魔化す為に、そしてもし万が一の際の保険の為に高順は提案した。

「華琳、賭けをしましょう」
「賭け?」

 問う彼女に高順は頷き、言葉を紡ぐ。

「私があなたを倒したなら、私はあなたの全てをもらう。私が負けたなら、私はあなたに全てを渡す。無論、私の命も」

 曹操は不敵な笑みを浮かべた。

「いいわよ。その賭け、のったわ」

 でも、と彼女は続ける。

「まずは賭け金としてあなたを味わいたいのだけど?」

 高順は微かに頷き、小さな声で告げる。

「私を無茶苦茶にして……」

 その言葉に曹操は高順を押し倒したのだった。
 











 高順と曹操の逢引から数日後、南皮では驚くべき事態が起きていた。

「……ねぇ、霞」

 賈詡はゆっくりと傍にいる張遼に問いかけた。
 声を掛けられた方は賈詡の言わんとすることが分かるのか、何も言わんで欲しい、と手を突き出した。

 今、2人の目の前には董卓がいる。
 彼女は2週間程前、袁家お抱えの商人が連れてきた燃えるように赤い毛並みの馬を愛馬としていた。
 本来は袁紹への献上品であったが、袁紹は勿論、他の並み居る武官、張遼すらも馬を乗りこなすことができなかったが、董卓に懐いたので彼女が貰い受けた。
 彼女はその馬を赤兎と名づけている。
 それはまだいい。
 だが、問題はそこからだった。

 今まで馬を使った訓練は張遼は最低限のものしかしておらず、もっぱら基礎を鍛えていた。
 本格的な騎馬の訓練は2週間前から。
 ちょうど赤兎がやってきたときから張遼は董卓に対し、訓練を行った。
 
 そして、目の前のとんでもない光景だ。


 疾走する赤兎の上から大きな弓を軽々と持ち、その弦を引き絞り、矢を次々と射ていく。
 矢は的として用意された人形に狙い過たず当たり、その顔面をぶち抜かれたり、胸を抉ったりと散々なことになっている。
 鐙があることから騎射は容易になっているとはいえ……それでも恐るべき上達ぶりであった。

 これでいて地上では槍でも剣でも戟でも何でもござれの武芸百般を地でいっている。
 技術はまだまだ荒削りだが、その怪力は張遼がマトモに受けたら手が痺れてしまう程だ。

「月って、強かったんだなぁ……」

 しみじみと賈詡は呟いてしまう。
 今の董卓には賈詡が初めて会ったときの儚さは無く、凛々しさや逞しさがあった。

「しかも……何か背が高くなってるし……」

 賈詡と同じか賈詡よりも低かった董卓だが、今は頭一つ分、賈詡よりも背は高く、その胸もぺったんこではなくなっている。
 ボクも運動しようかな、と自分の胸を揉みながら思ってしまう賈詡。


 やがて董卓は赤兎と共に賈詡と張遼の前へとやってきた。

「詠ちゃん、霞さん。どうでしたか?」

 問いかける董卓はさわやかな笑みを浮かべている。
 彼女は汗一つかいていないようで、まだまだ余裕がある。

「いや……何て言っていいかわかんないけど……」

 むぅ、と難しい顔の賈詡。
 対する張遼はいつもの気楽な調子。

「ちぃーっとばかし呆れたけど、ええと思うで? やけど、まさかここまで才能あるとは思わんかった」
「えへへ」

 はにかむ董卓。
 そんな彼女は実に可憐だ。

「まあ、戦力が増えるのはいいことよ」

 賈詡としてもそう言うしかない。
 董卓は昼間は張遼との鍛錬、夜は賈詡による勉強と中々濃密な日々を送っている。
 元々やっていた勉強の方も着実な成果を上げており、賈詡は文句の言いようがなかった。
 ただ、気がかりも一つある。
 これで董卓が高順を独占しようと自分を排除するのが容易になってしまったことだ。
 もはや、賈詡では毒でも使わなければ逆立ちしても董卓には勝てない。
 
 今のうちに話しあっておくべきか、と賈詡は思い、口を開く。

「月、今日の夜、高順のことについて話したいことがあるわ」
「うん、いいよ」

 あっさりと董卓は承諾。
 その顔は嬉しそうだ。
 好きな人の話題について語ることができる……彼女はそう考えていた。

「文和さーん」

 唐突にそんな声が聞こえ、3人が声の方へと顔を向ける。
 すると張勲がこちらへ走ってきていた。
 彼女の顔は焦りに満ちていた。

 只ならぬ事態が発生したことを瞬時に察知した賈詡達は僅かに身構える。
 張勲は3人の傍に駆け寄るや否や息つく間もなく言う。

「本初殿が造った馬車や災害用備蓄物資を全部持っていっちゃいました! 賊が出たとか何とかで」

 張勲の言葉を賈詡は当初、理解できなかった。
 たっぷり1分程の時間を掛け、彼女はその言葉を脳へと浸透させ……すぐに歩き出した。
 飢饉、洪水、火事、賊その他諸々。
 そういった災害や人災が起こったなどとは全く聞いていない。
 今朝の朝議でも話題にすら上っていなかった。

 袁紹……否、田豊あたりが仕掛けた策。
 そう考えるのが妥当であった。
 
 どうやら安々と力をつけさせてはくれないみたいね、と賈詡は苦い表情。
 今回のことを許してしまえば、これから先、賈詡が物資を集めてもこのように奪われる形となる。
 是が非にも取り戻さねばならなかった。








「今頃、あの娘は顔を真っ赤にしてこちらにやってきている頃合いでしょう」

 袁紹の私室にて、部屋の主である袁紹と田豊は向かい合っていた。

 幼い頃からの教育係として袁紹と田豊は長い付き合いになる。
 田豊は袁紹を決して甘やかしたりはせず、袁家の当主としての心構えをはじめとした帝王学を叩き込んでいた。
 それが史実や演義との差異。
 これにより袁紹は本来あった筈の性格的欠点が矯正されてしまい、挙句には馬鹿の振りをして相手を油断させるという術まで身に付けてしまった。
 そして、袁紹の本性を知る者は袁家の側近や賈詡達を除けば曹操くらいなものだ。

 故に曹操は袁紹を友にして最大の強敵と見ていた。
 残念ながら、曹操の中では高順も袁紹には及ばない。
 高順は有能であっても、それを支える基盤がない。
 だが、袁紹は名実共に漢王朝の中で最大勢力を誇っている。
 家柄的には曹操の方が上だが、知名度では袁家の方が上だ。


「しかし……あんな単純なことでよく彼女は引っかかってくれましたね」

 袁紹の言う単純なこととは泣き真似のことだ。
 権力闘争においては演技力も重要なものとなってくる。
 これも田豊に仕込まれたことだが……才能があったらしく、袁紹は実にそういうものが上手かった。
 世が世なら女優としても通用してしまう程度に。

 田豊はその言葉に当然とばかりに頷く。
 その際、彼女の長い青髪が揺れる。

「文和殿は確かに稀代の逸材です。あの者を見つけ、配下とした高順殿の眼は確かでしょう。しかし、経験が足りません。真っ向からの対決ならば私も沮授殿も負けますが、こういった不意打ちではまだ彼女は及びません」
「頼みにしていますわ、牡丹さん」

 可憐な笑みを浮かべ、真名で呼んだ袁紹に田豊――牡丹は笑みを浮かべ頷いた。

 そして、賈詡がやってきたのはまさにその時であった。
 彼女は怒り心頭……といった表情ではなく、いつもの不機嫌そうな表情であり、事情を知らぬ袁家の者から見ればいつも通りの彼女だとわかるだろう。

 しかし、袁紹も田豊もいつも通りではないことを知っている。
 袁紹は賈詡を座らせ、用件を問いただした。
 問われ、彼女は告げる。

「災害やそれに類するものが起こったのですか? 備蓄物資や馬車を持っていかれたみたいですが」

 賈詡は物資を使われたことを何でもないといった口調で問いかけた。
 その感情制御に袁紹も田豊もさすが、と内心感心するが、おくびにも出さない。
 建前上は賈詡の集めた物資はあくまで袁家の災害対策用のものであり、使われたことに対して文句を言うのはお門違いだからだ。

「ええ、実はつい先ほど、とある街が賊に襲われたと早馬がやってきまして」
「討伐軍の編成は?」
「既に顔良さんと文醜さん、そして沮授さんを動ける兵を連れて向かわせましたの。その際、街の復興用として持っていきましたわ」

 言外に賈詡ら客将が出る幕はない、そして、本当に襲われた街があったのか、ということを確認する術も封じる言葉でもある。

「わかりました。しかし、災害対策関連は私の領分ですので、次からは持っていく前に私に一声おかけ下さい。どれを補充して良いのか、わからなくなってしまいますので」

 賈詡は引き下がらざるを得なかった。
 沮授もまたこの策に一枚噛んでいると見て間違いない。
 討伐軍の後を追い、自分の許諾なく勝手に持っていったことに文句を言っても、はぐらかされるだけであった。

 では、と賈詡は部屋を辞そうとするとき、袁紹は彼女の背中にトドメともいえる言葉を掛けた。

「早馬の皆さんが多額の賄賂を受け取っていたみたいですが……ご存知でして?」

 その問いに賈詡はほんの僅かに体を震わせたが、やがて腹の底から搾り出したような声で否定し、そそくさと部屋を出た。
 彼女が部屋を出た後、田豊はわざとらしい声を上げる。

「私の出番はありませんでしたか……いや、本初様もご立派になられて……」

 うう、と田豊は泣き真似をする。
 その際、彼女の豊満な胸が腕によって押され、ぐにっと形を変える。

「あなたのおかげですわ。しかし、用意したものが無駄になってしまいましたね」

 そう言い、袁紹はやれやれと溜息を吐く。

 やるからには徹底的に、と彼女は賈詡が襲われた街の復興を手伝うなどの名目で現地視察を行うだろう、と予測し、実際に襲われた街を作り上げてしまった。
 その手間は膨大であり、一度街そのものを作って壊し、さらにはそこの住民は勿論、出入りしていた商人や旅人まで用意するという手の入れよう。
 こういった手腕は曹操を上回るものであった。

「まあ、新しく街を作るよりは少ない労力で街を作れるでしょう。希望者を送り込めば良いかと」
「屯田ですね?」
「そうです。文和殿が提案し、細かいところも全部やってくれました。彼女の働きは大きなものがありますので、褒賞として何か渡しておいた方が良いかと」
「5000銭程、渡しておきましょうか。宦官を倒すまでは彼女らが敵に回ってしまっては困りますわ」

 袁紹は高順達を対等な関係とは見ていない。
 どこの馬の骨とも知らぬ優秀な異民族の輩であり、使い捨てできる駒であった。
 確かにあの詩は心に響いた。だが、それだけだ。
 失敗したら全ての責任を高順らに押し付ければ良く、成功すればその手柄のほとんどを自分のものにすれば良い……

 そう袁紹は考えていた。
 こんなことを第三者が知れば、下種な奴だ、と彼女を悪く思う輩もいるかもしれないが、この程度は汚いうちにも入らない。
 目的の為に手段を選ぶな――袁紹は漢王朝の為に、袁家の為に、そして自らの民の為に手段を選ぶ余裕なんぞ無かった。
 彼女は名家だから、他の勢力よりも大きいから、と慢心するような輩では、もはやなかったのだ。
 そして、政治家とは笑顔で相手と握手しながら、国益の為にその相手を短剣で刺すくらいはやれなければ到底務まらなかった。







 賈詡はこれ以上ない程に苛立つと同時に自分の不甲斐なさに怒っていた。
 彼女は誰にも会わずに自室に戻り、張遼が偶には息抜きや、と差し入れしてくれた極上の酒を戸棚から取り出す。
 盃にも注がず、それをそのまま一気飲みし、空になった瓶をどん、と執務机に置いた。

「くそっ」

 その罵りは袁紹達へのものか、それとも自分へのものか。
 順風満帆にいっていた……否、いっていると思わされていたところに今回の一撃。
 賈詡は確かに災害対策用としていたが、いざ災害が起きれば様々な手を駆使して、出す物資の量を最小限に留める予定であった。
 被害報告書の改竄や伝令への賄賂を渡し、正確な被害が届かぬようにする。
 そういったことをやるべく、南皮にいる袁家の多くの早馬の乗り手達に多額の賄賂を握らせていた。
 そして、それすらも見破られていた。
 高順から預かった資金は賄賂などの裏工作にほとんど使ってしまい、全く何もできない状態となってしまった。
 袁紹達はこれから賈詡が物資を集めても、また同じように接収するだろうことは想像が容易い。
 くたびれ儲けの骨折り損となるだろう。

「ボクのせいだ……」

 賈詡はふらふらと椅子に座る。
 その瞳からは悔恨の涙が溢れ出してくる。

 自分を信じ、全てを託してくれた高順。
 その期待に添えなかったことが賈詡にとって何よりも辛かった。

「彩……ごめん……」

 賈詡は机に突っ伏し、小さく嗚咽を上げて泣き始めた。




 そして、その部屋の扉の外では董卓が、張遼が、そして張勲がいた。
 彼女達3人は中から聞こえた賈詡の声とその後に小さく聞こえる泣き声にどうして良いかわからなかった。
 やがて3人はその場を離れた。







「どうしたもんかな……」

 張遼の言葉だったが、張勲があっけらかんとした口調で言った。

「拘る必要はないと思いますよ?」

 これには張遼も董卓も呆気に取られた。
 張勲はそんな2人にこほん、と咳払いして話始める。

「元々物資は袁家のものです。ならせいぜい袁家の覚えを良くしておいて、恩を売り、取れるところから取ればいいんですよ」
「つまり?」

 董卓の問いに張勲はにっこりと笑う。

「赤兎馬の飼葉、武器の修理費、衣服の補修費、馬車の生産に携わる職人達の給金や馬車の製作費用……文和さんは大魚を得ようとして失敗しましたが……塵も積もれば山となるんですよ?」

 にこにこと笑顔の張勲。
 どうやら彼女、こんなこともあろうかとそういった細かいところで水増し請求していたらしい。
 言わんとすることが分かった張遼と董卓は苦笑い。

「あと賈詡さんの慰めですけど、今頃、美羽様が行っていると思うんで大丈夫ですよ? 美羽様って可愛いですよねー」

 そういえば、と董卓と張遼は思い出す。
 そろそろお勉強の時間であった。
 そして、張勲は美羽――袁術を猫可愛いがりしていた。







「詠、入るのじゃ……って! どうしたのかや!?」

 賈詡の部屋に入るなり袁術は机に突っ伏している賈詡に驚き、慌てて駆け寄る。

「うぅ……」

 唸り声を上げている賈詡に袁術はますます焦る。

「ぽんぽん痛いのかや!? すぐに医者を呼ぶのじゃ!」

 慌てて出ていこうとする袁術の手をぎゅっと握り、賈詡は押しとどめる。
 酒を飲んだとはいえ、あの程度で酔ったりはしない。

「……美羽殿」
「ど、どうしたのかや……? 目が真っ赤じゃ……」

 賈詡の表情にやや気圧される袁術。
 泣いていた為に目が真っ赤でそれでいつもの不機嫌そうな顔なのでかなり怖い。

「実は……本初殿にいじめられました」
「何じゃと!? おのれ麗羽め……」

 いきり立つ袁術に賈詡は更に告げる。

「お金を全部騙し取られたので、美羽殿がどうにか工面してくれると……」
「そ、そうなのかや……? わかった。妾に任せてたも! お小遣いを持ってくるのじゃ!」

 力強く頷く袁術に賈詡は何だか心配になってしまった。
 幾ら幼いとはいえ……ここまで純粋だと彼女としても罪悪感が込み上げてくる。

「えっと、やっぱり大丈夫です。ただ、本初殿に一言言ってくだされば……」
「わかったのじゃ。妾がきつく麗羽に言っておく!」

 失礼するのじゃ、と袁術は言って部屋を出ていった。
 わりとご立腹らしく、その足取りはずんずんという音が聞こえそうだった。

「……張勲が可愛がっていたけど、確かに可愛いわね……」

 賈詡はそう呟き、目元をごしごしと擦る。
 既に彼女の頭脳は先の失敗を挽回する為に高速で回転し続けている。
 二度とこのような失態を繰り返さない為に、そしてこの失態を上回る戦果を上げる為に。


「失礼しまーす」

 独特の口調と共に張勲を先頭に張遼、董卓が入ってきたのはそんなときだった。
 彼女らは一抱えもある壺を持っている。

「何よ、雁首揃えて。ボクの泣き顔を見に来たっていうなら、あいにくもう閉店よ」

 いつもの調子の賈詡に張勲らは苦笑する。

「文和さん、これを……」

 張勲が自分が持っている壺の一つを床に置き、その蓋を開ける。
 そこにあったのは大量の銭。
 賈詡は目を見開き、ジト目で張勲を見る。

「……どこからかっぱらってきたの?」
「酷いですよぅ……正式な手順を踏んでいるので大丈夫です」
「正式な手順?」

 張勲の言葉にオウム返しに尋ねる賈詡。
 張勲は頷き、懐から1枚の明細書を取り出し、賈詡に手渡す。
 さっと目を通した賈詡はそこにある数字にすぐに気がつき……

「あんた最高!」

 叫んで張勲に抱きついた。
 抱きつかれるとは思っていなかった張勲は僅かによろけるが、しっかりと賈詡を抱きとめる。

「詠ちゃんが派手に動いてくれたおかげで、袁家の人達は皆詠ちゃんにしか注意してなかったみたい」
「せやけど、相場の5倍とかいう馬鹿げた給金や費用に気付かん方も問題あると思うんやけどなぁ」
「本当は頑張っている自分への特別給金にしたかったんですけどね」

 まあ、このさいですし、と張勲は言葉を締めた。

 当初、賈詡が董卓や張遼の武器の補修費や食費などの費用については取り仕切っていたが、張勲がきてからはその辺は全て彼女に任せ、賈詡は袁家から物資をかき集めることに専念することとなった。

 張勲はその立場を利用しつつ、また自らの仕事である馬車の製作費用と職人の給金を大幅に水増し請求した。
 彼女のズルいところは顔良ではなく、文醜に酒と引き換えにお願いしたところだ。
 基本、文醜は全く書類仕事はしない。
 勿論、それは権限を持っていない、というわけではなく、文醜がただ単に嫌がっているだけだ。
 顔良と同じ程度の権限を持っているが、彼女はその仕事全てを顔良に押し付けている。
 文醜は少しくらいならまあいいや、と軽い気持ちで中身を見ずにハンコを押してしまったのだ。

 そんなわけで貯めに貯めた銭は賈詡が高順より託された数よりも遥かに多かった。

「試合に負けて勝負に勝った……何か複雑だわ」

 そう言いつつも、賈詡はこの銭をどう活用しようかとその頭脳を巡らせ……すぐに思いついた。

「これ、宝石と交換しましょう。そうすれば嵩張らないし」

 そう告げつつ、賈詡は決意する。
 今回の失敗はちょうどいい授業料であり、もはや二度と醜態は晒さない、と。


 未だ蕾であった賈文和はこの一件により、その蕾を開かせつつあったのだった。

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