「まさか本当に壊滅させるとは思ってもみなかった」
街へと戻り、高順達は夏侯惇と共に曹操率いる本隊を迎え、事の次第を報告したところ、曹操から出てきたのはそんな言葉であった。
「孟徳様、私は慌てふためいて出てきた賊徒らを討ち取っただけに過ぎません」
夏侯惇の言葉に高順達は思わず彼女を見た。
その視線に気づいた夏侯惇はウィンクをしてみせる。
その意を汲み取って曹操は頷き、告げる。
「二振りの剣に1対1で話す権利……これだけじゃ到底、戦果に吊り合わないわ」
そこで、と彼女は告げる。
「高順、あなたが私兵を持つことを許しましょう。ただし、数は300まで。給金その他はあなたが支払いなさい」
更に曹操は続ける。
「牙門旗をあなた達は持ってないでしょう? それの費用は出してあげるから作りなさい」
元々、馬騰達は持っていたのだが、旅に出る際にさすがに持ち出せなかったのでそのまま置いてきてしまった。
そこらへんも加味しての曹操の報酬である。
「駐屯地は?」
高順の問いに曹操はすぐに答える。
「陳留内にある空き地の使用を一時的に許可するから、そこで。そこの賃貸料は取らないから安心しなさい」
「装備及び兵糧その他の購入経路は?」
「私が贔屓にしている商人を紹介するわ」
「兵が農作業などを手伝ったりすることについては?」
「必要とあらば私が仕事を回す。勿論、そのときの給金は私が支払う」
「賊退治等への出陣については?」
「今回のように先遣隊として親衛隊と共に派遣するわ」
「練兵は?」
「本城内の練兵場の使用を許可するわ」
「兵の税金については?」
「私の領内にいる間は当然払ってもらうわ。あなたが給金から引いて一括して収めてくれればそれでいいから」
一連の問答に満足そうに高順が頷く。
対する曹操もまた満足げな顔だ。
高順は妙な束縛を受けないことに、そして曹操は兵を率いる者にとって第一に確認すべき事項をすぐさま問いかけてきたことに。
これには華雄達もしきりに感心している。
ただ、よく分かっていない者もおり、その筆頭が馬超であった。
「なあ、蒲公英。何の話だ?」
「お姉様は戦場だと強いんだけど、それ以外は全然駄目だよね。事務仕事とか全然だし」
妹分の散々な評価に馬超は沈默する。
馬騰は深く、深く溜息を吐く。
戦場での働きや個人の武勇については驚嘆の域に達しているのだが……それだけしかできない馬超は母である彼女にとって悩みの種であった。
同い年くらいの高順や華雄が文武両道をいっているのだから、娘とてできないことはない筈……と馬騰は信じたかった。
旅の道中や陳留にやってきた後も馬騰が勉強を教えていたのだが、あまり進展せずに終わっている。
唐突に彼女はあることを思いついた。
なぜ今まで思いつかなかったのか、と恥じてしまう程にそれは簡単なことだ。
「高順、今日からうちの娘の勉強を見て欲しい」
「……え?」
「あら、面白そうね」
目をパチクリとさせる高順に興味を示す曹操。
瞬間、馬超は悪寒を感じた。
「わ、私、ちょっと用事があるから……」
そう言い、素早く身を翻して駆け出す彼女。
そうは問屋がおろさない、とばかりに馬騰は小さく告げた。
「奉先」
その言葉で馬超の前に呂布が立ち塞がった。
「そこをどけ!」
「……駄目」
そう言い、呂布は馬超の手を掴んで馬騰の前へと連れて行く。
「孟起……」
にっこりと笑う馬騰。
馬超は冷や汗を流し、愛想笑い。
「勉強しろ」
「……ハイ、お母様」
そう答え、がっくりと項垂れる馬超。
そして馬騰は咳払い一つし、曹操と高順へと深々と頭を下げた。
「ウチの馬鹿娘をどうか、少しでもマトモにしてください」
「あなたに頭を下げられるなんて、何だかむず痒いわ」
「同じく」
曹操の言葉に同調する高順。
そんな彼女に曹操は問いかけた。
「で、あなたはどうするの?」
「受けないわけにはいかない」
なら安心ね、と曹操は答える。
「私はどうしても合間合間にしかできない。確かに面白そうであるけど、陳宮もいることだし」
その陳宮は今、この場におらず街の顔役達の陳情やら何やらの為の協議に夏侯淵と共に出ている。
「さしものあなたも時間はどうしようもない?」
高順の問いに曹操は肩を竦め、肯定する。
「それじゃ、馬超に関しては私が教育するわ」
高順の宣言に馬騰は安堵の息を吐く。
今回の戦は娘の悪癖が出ずに大丈夫であったが、これからはわからない。
高順がやってくれれば突撃一本の今よりマシになるだろう……そういう期待が彼女の心にはあった。
「さて、長居は無用よ。夏侯淵と陳宮が戻ってきたらただちに陳留へと帰還するわ」
曹操が締めて、報告会はお開きとなった。
そして、一行が陳留に帰還したのは1週間後のことだった。
陳留に帰ってきた一行は息つく暇もなく、それぞれの仕事に取り掛かった。
曹操や夏侯姉妹は溜まっている書類の処理を、高順達は今回の戦に関する報告書を。
なお、報酬に関しては急ぐことでもないので、後回しとなった。
報告書というものは書いたことがない華雄や、不得手な馬超や呂布が苦戦する中、他の3人は1刻もかからずに書き上げ、曹操へ提出。
そして、問題なし、と言われ、3人……すなわち、高順、馬騰、馬岱は再び仕事が無くなってしまった。
3人のうち、馬騰と馬岱は残った3人の報告書を見るといい、再び部屋へ戻った。
話し相手もいなくなった高順はどうしようか、と歩きながら考える。
募兵でもしてみようか、と思うが、何分、許可はされたものの、それ以外はほとんど自分でやれ、とそういう曹操からのお達しだ。
聞けば助言くらいはしてくれるだろうが、忙しいので邪魔をすべきではない。
仕方がないので、彼女は城下に行くことにした。
人通りが多いため、有能な人材の1人や2人くらいはいる可能性は大いにあった。
「賑わってるなぁ」
堂々と高順は通りを歩く。
彼女の容姿に通行人は好奇の視線を向けてくるが、もはや慣れたもの。
最初期、高順や華雄が街を歩いたときは大騒ぎになったものだが、2人は機転を利かせてこんなところに異民族がいるか、と逆に問いかけ、住民を納得させていた。
先入観とは怖いものである。
そんな中、高順はある少女を見つけた。
露天商の並べられている腕輪をじーっと見つめていた。
時折、手に持っている巾着袋の中を覗いては溜息を吐いている。
店主は鬱陶しそうな顔だ。
それを見た高順は思った。
たまにはナンパもいいもんだ、と。
華雄は確かにいい女であるが、それでもやっぱりもっと色んな子とお付き合いしたい、というのは正常な反応である。
故に高順は行動した。
彼女はずんずんと近づき、その少女の横に立つ。
そして、少女が見ていた腕輪――小さく切られた緑色のエメラルドのようなものが嵌めこまれている――を掴む。
少女は欲しいものを取られた為か、むっとした顔で高順を見つめる。
「これ、いくら?」
「1200銭だ」
「買った」
高順は代金を支払い、それを少女へと手渡した。
まさかの事態に少女は目をパチクリとさせている。
「あなたに似合うと思ったから」
「え、あの……ありがとう……」
どぎまぎしながら、少女は腕輪をはめた。
そして、軽くポーズを取ってみる。
それを見た高順は笑みを浮かべる。
「あなたの瞳と同じ色ね。2つが合わさってとてもよく似合ってるわ」
その言葉に少女ははにかむ。
「今、暇なんだけど……よかったらお茶でもどう?」
少女はその問いかけに小さく頷いた。
ナンパをする際のコツは誘った男が如何に相手に魅せるか、にある。
ナンパと書けば一見、軽薄なのであるが、実際にやっていることは営業と何ら変わらない。
自分を如何に売り込むか、コミュニケーション能力が試される。
そして、相手を落とすまでの駆け引き、それがまた楽しいものだ。
高順は相手の雰囲気などから最善の茶屋を選択する。
それなりに美味しいものがあり、お値段が手頃かつ、静かで奥まったところにある店を今回は選んだ。
「あ、おいしい……」
ナンパされるのは慣れていないのか、緊張しているのが容易に分かった少女だったが、この店のおすすめである饅頭を食べて思わず頬をほころばせた。
「それはよかった」
対する高順もまた笑顔でそう言い、更に言葉を続ける。
「ところであなたは陳留の人?」
「ううん、私は旅芸人で姉さんや妹と一緒にあちこち回っているの。出身は冀州の鉅鹿」
なるほどなるほど、と高順は頷く。
「私は今、ここの太守のところで客将をしているけど、将来的には南皮に行くのよ。南皮は知ってる?」
「知ってるよ。南皮は凄い栄えてた。この陳留も凄いけどね」
ちょうどいいきっかけを掴んだ高順は重点的にそこを突く。
相手との共通の話題を得る為に相手から情報を引き出す、というのもナンパでは必要な技能である。
自分の知っている事柄が相手も知っているとは限らない。
「袁家の当主ってどんな感じなの?」
「んー……一言で言えば馬鹿だけど、憎めない馬鹿かなぁ」
「憎めない馬鹿?」
「うん。よく城下に来ていておーっほっほっほって高笑いしてるけど、困った人がいたら話を聞いてあげたりとか」
さすがの高順も反応に困った。
彼女の知っている袁紹は三国志序盤では最も天下に近かった存在であり、官渡の戦いや倉亭の戦い以後の曹操すらも袁紹が生きている間は河北へ攻め入ることができなかった。
また、その内政手腕は素晴らしく、魏どころか晋の時代になった後も袁紹の治世を民は懐かしんだという。
そして、戦においては攻城戦や大兵力を用いた総力戦、外交における後方撹乱の手腕は曹操すらも上回る。
ただ性格に難があり、猜疑心が強く、優れた人物の意見を聞くことができず、また決断力がなかった。
もし、そういう性格的な難点がなければ漢王朝の後は――長く続くかどうかは別にして――袁家による王朝が建っていた可能性は高い。
「私達の歌も聞いて、悪いところを直してもらったり、楽器の演奏を教えてもらったりしたんだ」
ナンパ師高順、どう答えていいか分からず沈默する。
「あ、私ね、張宝っていうんだ。でもでも、真名で呼んで! 真名は地和!」
その名に高順はひっくり返りそうになるが、まてまてーい、と自分に言い聞かせた。
幾ら何でも黄巾の乱の首魁の1人が旅芸人であるわけがない、と。
同姓同名だろう、と彼女は判断した。
高順は落ち着く為にお茶を一気飲みし、一息つく。
「私の名前聞いたら倒れると思うけど、聞きたい?」
ずいっと顔を張宝へと近づける高順。
偉い人かも、と思った張宝はうんうんと頷く。
もし偉い人なら是非とも資金提供などをして欲しいところだったりする。
袁紹から直々に路銀をもらった彼女らであったが、すっかり底をついていた。
「私は高順よ。真名は彩」
張宝に聞こえる程度の小さな声で彼女は告げた。
「……高順ってあの高順?」
張宝の問いに高順は頷く。
「あのさ……すごーく素朴な疑問があるんだけど……」
「何?」
「何で色んな意味で有名人なあなたがこんなところにいるの?」
「南皮に行く途中で曹孟徳に会うために寄ったの。で、騒いだりしないの?」
高順の問いに張宝は首を傾げる。
そんな彼女に高順は更に続けた。
「私の首を取ればお偉いさんからたくさんお金が貰えるけど?」
張宝は高順の意図を読み、悪戯を思いついたかのように笑った。
そして、彼女は腕輪を高順へと再び見せる。
「もうこれ貰ったからそんなことしないわよ。というか、異民族の人って初めて見た」
「冀州なら烏丸か匈奴辺りがいると思うけど」
「会ったことないなぁ……」
高順はその様子にとりあえず安心する。
そもそも、彼女がナンパしようなんて思わなければ危ない橋を渡ることもなかったのだが、やってしまったものは仕方がない。
「で、地和。話は変わるけど……あなたの歌とか聞きたいな」
「え、ホント?」
「うん。聞かせて」
「じゃ、私達の宿に行こう! そこに楽器もあるし、お姉ちゃんと人和もいると思うし!」
そういうわけで高順は張宝と共に彼女が泊まっているという宿にお邪魔することとなった。
「普通に上手かった。何で売れないの?」
高順はそう尋ねた。
彼女の前にはそれぞれ楽器を持った3人がいる。
張宝以外にも張角、張梁の2人だ。
簡単な自己紹介の後――その際、張梁が極めて警戒したが、張宝により事なきを得ている――早速歌と演奏を聞いたのだが……別段、悪いところはなく、高順は素直に感想を口にした。
むしろ、それだけできて一番下の張梁で12歳、張宝が13歳、張角が14歳というのだからそこが驚きであった。
「えへへ……褒められちゃったね」
嬉しそうにそう言う張角。
「お姉ちゃんは呑気なんだから……」
溜息を吐く張宝。
「天和姉さん、技量に問題はないっていうのは分かったけど、どうして売れないのか、そこが問題よ」
眼鏡を直しながらそう言う張梁。
彼女が一番のしっかり者らしい。
そんな3人に高順は未だに否定したい気持ちがあったが、もはや認めることにした。
目の前の3人が黄巾の乱を起こすらしい張三姉妹だと。
人気になる為にはどうするか、あーだこーだ言い合っている3人を横目に見つつ、高順は思案する。
こちらに取り込めば少なくとも黄巾の乱は起きない。
今更歴史をねじ曲げない為に云々など言うつもりはさらさらないが、歴史は思わぬところに落とし穴が潜んでいるとよく言われる。
黄巾の乱を起こさないというのは歴史にとって、とてつもない衝撃となることは想像に難くない。
そこまで高順は考えたところで思い直す。
自分がやろうとしていることの方が余程に歴史にとって衝撃があることだ、と。
ならば、そうならないようにやっても良いではないか。
どちらにしろ、黄巾の乱が起こらずとも、現在の状況が続けば農民の反乱は起こる。
黄巾党はきっかけとなったに過ぎない。
故に高順は張三姉妹を取り込むことにした。
勿論、下心もある。
3人共実に可愛らしい。
そもそもの発端がナンパであるからして、高順は当初の目的を優先させても何ら問題はない。
「ねぇ、もし良かったらだけど」
高順の声に3人は議論をやめ、視線を彼女に向ける。
「私が資金出すから、私と一緒に来ない? 何も今すぐに大陸一の歌手にならなくちゃいけないって理由はないでしょ?」
「あなたと行くと命の危険がある」
張梁の指摘はもっともだが、高順には切り札があった。
「残念だけど、私はあなた達が思っているよりももっと強い後ろ盾があるのよ」
そう言い、高順は寝台に腰掛け、足を組む。
その顔には不敵な笑みを浮かべて。
「その後ろ盾は誰?」
「袁本初。今の袁家当主よ。彼女から是非に、と請われてね」
張角、張宝の2人はその意味が分からずに首を傾げたものの、張梁は正確に読み取った。
「天和姉さん、地和姉さん。今すぐにここから離れましょう。大事件に巻き込まれるわ」
張梁の反応は極めて正しい。
一歩間違えれば逆賊認定される、そんな危険な橋を渡ろうとする輩の傍にいようとはマトモな感性ならば思わない。
「大事件って何よ? 高順が反乱でも起こすっていうの?」
「そんなようには思えないけどなぁ」
張宝、張角の呑気な言葉に張梁は声を潜め、告げる。
「何で官軍を倒した高順が、漢の重臣の袁本初に呼ばれるか……考えて」
張梁の言葉に2人はじーっと高順の顔を見つめる。
「仲良くする為?」
「仲直りしましょうってことじゃないの?」
張角、張宝の出した答えに張梁は深く溜息を吐く。
そんな3人に高順は切り出した。
「張梁は自分達に危険が及ぶと思うから警戒している……それで間違い無いわね?」
「そうよ。あなたが何をするのかは聞かないけど、今の段階であなたは私達にとって化物に等しい。私達を殺したりするんじゃないか、そういう不安がある」
袁家の後ろ盾がある、というのはおそらくは真実なのだろう、と張梁は判断した。
でなければわざわざこんなところに高順がいる理由が思いつかない。
そして、そんな重臣の後ろ盾があるのならば、多少のおイタをしても、その事実がもみ消されるだろう、と。
手強い張梁に対し、高順は最終的な切り札を切ることにした。
「私が何かを言っても無駄だと思う。だから第三者に判断してもらいましょう」
「第三者?」
食いついてきた張梁に高順は笑みを浮かべる。
「そうよ。ここ、陳留太守曹孟徳に。彼女の評判くらいは知ってるでしょ?」
張梁は躊躇ったものの、やがて頷いたのだった。
「で、私に会いにきた、と」
ジト目で高順を見つめる曹操。
機嫌はあまりよろしくはない。
謁見の間には曹操と高順の2人しかおらず、張三姉妹は部屋の外で待たせている。
まずはご機嫌を取らなければならない、ということを高順は承知していた。
「華琳、今回の代価として、あなたが私を絶対に手に入れたいと思わせる、私の秘密を話そうと思う」
高順の言葉に曹操は不機嫌ながらも若干の興味を持ったようで、言ってみなさい、と告げた。
「私は両性具有者よ」
短く告げた高順。
対する曹操はしばしその言葉を頭の中で反芻させ……
「なんですって!?」
飛び上がった。
そして彼女は高順に掴みかかり、物凄い剣幕で問いかける。
「本当なの!? それ!」
「本当! 今すぐ見せてもいい!」
そう答えれば曹操は急に静かになった。
高順は動き易いから、という理由でミニスカートをはいており、すぐにでも確認できる。
ごくり、と唾を飲み込んだ曹操はゆっくりと高順のミニスカートの中へと手を入れた。
その手つきはさすがというべきか、玄人のそれである。
下着の上から感触を確かめ、曹操は口を開く。
「……確かに男性器がある。でも、もしかしたらということもあるから……」
ついでとばかりに曹操は下着の中へと手を滑り込ませ、女性器も確認するついでに愛撫しておく。
与えられる感触に高順は体を震わせ、小さく声を洩らす。
そんな様子に曹操は思わず舌なめずり。
とはいえ、約束は守らねばならないことも確か。
彼女は鉄の意志でもって、下着の中から手を引き抜くと、ゆっくりと深呼吸をし、告げる。
「確かに両性具有ということを確認したわ。あなたは私にどれだけのものを払わせようというのかしら……」
張三姉妹への安全性の説明というだけでは到底、足りない。
それこそ、数万銭を支払ってもいいくらいだ。
「華琳、あなたは私が欲しい?」
意地悪く問いかける高順に肩を竦め、曹操は答える。
「何が何でも欲しいわ。私の跡継ぎの為にも。私には従姉妹と妹が多くいるけど、やはり私の国を継ぐのは私の子であって欲しい」
高順は耳を疑った。
従姉妹というのは曹仁、曹純、曹洪であることは分かる。
だが、妹というのは聞いたことがない。
もしや徐州で曹嵩と共に殺害された曹徳らのことだろうか。
「妹なんていたの?」
「いるわ。子脩、子桓、子文、子建、倉舒……」
高順は頭を抱えた。
史実や演義における曹操の息子達だった。
何がどうしてそうなったのか、この世界では妹として既に生まれているらしい。
「他にも元譲、妙才の妹として伯権らがいるわね」
「伯権?」
「ええ、元譲が長女、妙才が次女、伯権が三女ね。まだまだいるわよ……って、どうしたの?」
おそらくは夏侯衡であるだろう、と高順は推測をつけつつ、コメカミを押さえる。
「ちょっと理不尽さというか、色々と……頼れる身内がいっぱいね」
「ええ。その分、喧嘩もあるんだけど、まあ今のところは何とかなってるわ」
随分と曹嵩――おそらくは曹操の父親ではなく母親――はハッスルしているらしかった。
「ただ、まあ……よろしくない輩もいるんだけどね」
曹操の言葉にすぐに誰のことだか高順は予想がついてしまった。
「何で姉と妹達が優秀なのにあの子は駄目駄目なのかしらね。政略軍略どっちも駄目、唯一の取り柄は金儲けなんて……」
曹操が身内の恥を人前で吐露する、というのは滅多にないことだ。
それだけ高順は彼女に信頼されているのが分かる。
そして、彼女は曹操がいう、まるで駄目な妹が誰か、容易に分かってしまった。
とはいえ……頭が痛いのは高順だ。
曹一族、そして夏侯一族は才ある者が多い。
時間を経るごとに曹操は強大化していく。
それも史実よりも極めて早いペースで。
しかし、まだ望みはあった。
病弱で早死する者が曹操の息子には何人かいるのだ。
「華琳、あなたの身内って皆、元気が良さそうね。あなたに似て」
この言葉に曹操がどう答えるか。
それにより、高順は誰が早死するのかを知ることができる。
たとえ曹操が具体的な名前を挙げずとも、いるかいないか、が分かればそれで解決する。
果たして、高順の小さな望みは……
「ええ、元気よ。特に倉舒なんて冬に裸で池に飛び込んで泳ぐくらいなのよ。それでいて病一つ罹らないんだから」
――終わった――
高順はただそう思った。
曹操が自らの跡継ぎにしようとしていた、息子達の中で最も優秀な倉舒……曹沖。
彼は病弱であったが故に早死してしまい、曹操を大いに嘆かせ、曹丕に曹沖が生きていたならば自分は皇帝になれなかった、と言わしめた。
「もし、私が子を産まなかったら倉舒に後を継がせようと思っていたのよ」
そう言う曹操に高順は適当に相槌をうちつつ、張三姉妹の案件が終わったならばただちに賈詡に手紙を書くことを決めた。
困ったときの軍師頼みである。
「さて、あなたの用事を片付けましょう」
高順の心情を知る術がない曹操はすっかり上機嫌でそう言った。
その言葉に高順は頷き、張三姉妹を中へと呼び入れる。
入ってきた彼女達は公式の場で偉い人と会うのは初めてなのか、ガチガチに緊張していることが傍目にもよく分かる。
「私が曹孟徳よ。事の次第については簡単に高順から聞いている」
3人が部屋の中ほどまで進み、平伏したところで曹操は口火を切った。
彼女は3人を睥睨する。
張三姉妹は圧倒的な威圧感にただ平伏することしかできない。
対する高順は慣れたもので、壁際に立ち、呑気に見学している。
「そこにいる高順は無闇矢鱈に漢族を襲わない。それは私が保障するわ」
曹操の言葉には驚く程穴がある。
証明する為の証拠がない。
曹操が高順が恐ろしくてそういう風に言ったという可能性もある。
だが、それは曹操がそこらの連中と同じであったならば、という但し書きがつく。
張梁は黙らざるを得なかった。
曹操の体からにじみ出る王者の気は恐怖から、あるいは元々曹操と高順がグルであるから、という疑いを打ち消すに十分過ぎた。
張梁に残された選択肢は一つしかなかった。
「……わかりました。お手数をお掛けして申し訳ありません」
「構わないわ。それじゃ、私は仕事があるから」
曹操はそう告げ、謁見の間を後にした。
それを見送り、高順は3人の傍へと歩み寄った。
そして、平伏していた3人は体を起こす。
「怖かったよぉ……」
涙目で情けない声を出す張角。
「何であんな怖い人のところで客将やってるのよ……」
同じく涙目の張宝。
そして、張梁は……
「あなたを疑ってごめんなさい」
高順へ頭を下げた。
そんな彼女に高順は軽い口調で返す。
「いいのよ。慣れてるから。で、一緒に来てくれる?」
「一つ、確認したい」
張梁の言葉に高順は問題ない、と頷く。
「あなたが私達に提供するものは?」
「現状では資金。あなた達は多くの人に歌を聞いてもらいたい、と思うかもしれないけど、まずは一つの地方で有名になってからゆっくりと勢力を広げていく、というのが確実だと思う」
張梁は高順の言葉に頷き、2人の姉へと顔を向け告げる。
「天和姉さん、ちぃ姉さん。彼女についていきましょう。少なくとも、今よりは安定した生活で余裕をもって問題点を改善できると思う」
「私もちぃちゃんも初めから賛成だったんだけど……」
「人和は心配性なのよねー」
姉2人からの攻撃に人和は溜息を吐く。
「姉さん達が考えなさすぎなのよ」
「むー……お姉ちゃんだって色々考えているんだよ!」
「私だって考えてるわよ!」
むすっとした顔の2人に張梁は静かに問いかける。
「具体的には何を?」
一斉に沈默する2人の姉。
その様子に張梁は再び溜息を吐く。
苦労人な彼女に同情してしまう高順であった。
街へと戻り、高順達は夏侯惇と共に曹操率いる本隊を迎え、事の次第を報告したところ、曹操から出てきたのはそんな言葉であった。
「孟徳様、私は慌てふためいて出てきた賊徒らを討ち取っただけに過ぎません」
夏侯惇の言葉に高順達は思わず彼女を見た。
その視線に気づいた夏侯惇はウィンクをしてみせる。
その意を汲み取って曹操は頷き、告げる。
「二振りの剣に1対1で話す権利……これだけじゃ到底、戦果に吊り合わないわ」
そこで、と彼女は告げる。
「高順、あなたが私兵を持つことを許しましょう。ただし、数は300まで。給金その他はあなたが支払いなさい」
更に曹操は続ける。
「牙門旗をあなた達は持ってないでしょう? それの費用は出してあげるから作りなさい」
元々、馬騰達は持っていたのだが、旅に出る際にさすがに持ち出せなかったのでそのまま置いてきてしまった。
そこらへんも加味しての曹操の報酬である。
「駐屯地は?」
高順の問いに曹操はすぐに答える。
「陳留内にある空き地の使用を一時的に許可するから、そこで。そこの賃貸料は取らないから安心しなさい」
「装備及び兵糧その他の購入経路は?」
「私が贔屓にしている商人を紹介するわ」
「兵が農作業などを手伝ったりすることについては?」
「必要とあらば私が仕事を回す。勿論、そのときの給金は私が支払う」
「賊退治等への出陣については?」
「今回のように先遣隊として親衛隊と共に派遣するわ」
「練兵は?」
「本城内の練兵場の使用を許可するわ」
「兵の税金については?」
「私の領内にいる間は当然払ってもらうわ。あなたが給金から引いて一括して収めてくれればそれでいいから」
一連の問答に満足そうに高順が頷く。
対する曹操もまた満足げな顔だ。
高順は妙な束縛を受けないことに、そして曹操は兵を率いる者にとって第一に確認すべき事項をすぐさま問いかけてきたことに。
これには華雄達もしきりに感心している。
ただ、よく分かっていない者もおり、その筆頭が馬超であった。
「なあ、蒲公英。何の話だ?」
「お姉様は戦場だと強いんだけど、それ以外は全然駄目だよね。事務仕事とか全然だし」
妹分の散々な評価に馬超は沈默する。
馬騰は深く、深く溜息を吐く。
戦場での働きや個人の武勇については驚嘆の域に達しているのだが……それだけしかできない馬超は母である彼女にとって悩みの種であった。
同い年くらいの高順や華雄が文武両道をいっているのだから、娘とてできないことはない筈……と馬騰は信じたかった。
旅の道中や陳留にやってきた後も馬騰が勉強を教えていたのだが、あまり進展せずに終わっている。
唐突に彼女はあることを思いついた。
なぜ今まで思いつかなかったのか、と恥じてしまう程にそれは簡単なことだ。
「高順、今日からうちの娘の勉強を見て欲しい」
「……え?」
「あら、面白そうね」
目をパチクリとさせる高順に興味を示す曹操。
瞬間、馬超は悪寒を感じた。
「わ、私、ちょっと用事があるから……」
そう言い、素早く身を翻して駆け出す彼女。
そうは問屋がおろさない、とばかりに馬騰は小さく告げた。
「奉先」
その言葉で馬超の前に呂布が立ち塞がった。
「そこをどけ!」
「……駄目」
そう言い、呂布は馬超の手を掴んで馬騰の前へと連れて行く。
「孟起……」
にっこりと笑う馬騰。
馬超は冷や汗を流し、愛想笑い。
「勉強しろ」
「……ハイ、お母様」
そう答え、がっくりと項垂れる馬超。
そして馬騰は咳払い一つし、曹操と高順へと深々と頭を下げた。
「ウチの馬鹿娘をどうか、少しでもマトモにしてください」
「あなたに頭を下げられるなんて、何だかむず痒いわ」
「同じく」
曹操の言葉に同調する高順。
そんな彼女に曹操は問いかけた。
「で、あなたはどうするの?」
「受けないわけにはいかない」
なら安心ね、と曹操は答える。
「私はどうしても合間合間にしかできない。確かに面白そうであるけど、陳宮もいることだし」
その陳宮は今、この場におらず街の顔役達の陳情やら何やらの為の協議に夏侯淵と共に出ている。
「さしものあなたも時間はどうしようもない?」
高順の問いに曹操は肩を竦め、肯定する。
「それじゃ、馬超に関しては私が教育するわ」
高順の宣言に馬騰は安堵の息を吐く。
今回の戦は娘の悪癖が出ずに大丈夫であったが、これからはわからない。
高順がやってくれれば突撃一本の今よりマシになるだろう……そういう期待が彼女の心にはあった。
「さて、長居は無用よ。夏侯淵と陳宮が戻ってきたらただちに陳留へと帰還するわ」
曹操が締めて、報告会はお開きとなった。
そして、一行が陳留に帰還したのは1週間後のことだった。
陳留に帰ってきた一行は息つく暇もなく、それぞれの仕事に取り掛かった。
曹操や夏侯姉妹は溜まっている書類の処理を、高順達は今回の戦に関する報告書を。
なお、報酬に関しては急ぐことでもないので、後回しとなった。
報告書というものは書いたことがない華雄や、不得手な馬超や呂布が苦戦する中、他の3人は1刻もかからずに書き上げ、曹操へ提出。
そして、問題なし、と言われ、3人……すなわち、高順、馬騰、馬岱は再び仕事が無くなってしまった。
3人のうち、馬騰と馬岱は残った3人の報告書を見るといい、再び部屋へ戻った。
話し相手もいなくなった高順はどうしようか、と歩きながら考える。
募兵でもしてみようか、と思うが、何分、許可はされたものの、それ以外はほとんど自分でやれ、とそういう曹操からのお達しだ。
聞けば助言くらいはしてくれるだろうが、忙しいので邪魔をすべきではない。
仕方がないので、彼女は城下に行くことにした。
人通りが多いため、有能な人材の1人や2人くらいはいる可能性は大いにあった。
「賑わってるなぁ」
堂々と高順は通りを歩く。
彼女の容姿に通行人は好奇の視線を向けてくるが、もはや慣れたもの。
最初期、高順や華雄が街を歩いたときは大騒ぎになったものだが、2人は機転を利かせてこんなところに異民族がいるか、と逆に問いかけ、住民を納得させていた。
先入観とは怖いものである。
そんな中、高順はある少女を見つけた。
露天商の並べられている腕輪をじーっと見つめていた。
時折、手に持っている巾着袋の中を覗いては溜息を吐いている。
店主は鬱陶しそうな顔だ。
それを見た高順は思った。
たまにはナンパもいいもんだ、と。
華雄は確かにいい女であるが、それでもやっぱりもっと色んな子とお付き合いしたい、というのは正常な反応である。
故に高順は行動した。
彼女はずんずんと近づき、その少女の横に立つ。
そして、少女が見ていた腕輪――小さく切られた緑色のエメラルドのようなものが嵌めこまれている――を掴む。
少女は欲しいものを取られた為か、むっとした顔で高順を見つめる。
「これ、いくら?」
「1200銭だ」
「買った」
高順は代金を支払い、それを少女へと手渡した。
まさかの事態に少女は目をパチクリとさせている。
「あなたに似合うと思ったから」
「え、あの……ありがとう……」
どぎまぎしながら、少女は腕輪をはめた。
そして、軽くポーズを取ってみる。
それを見た高順は笑みを浮かべる。
「あなたの瞳と同じ色ね。2つが合わさってとてもよく似合ってるわ」
その言葉に少女ははにかむ。
「今、暇なんだけど……よかったらお茶でもどう?」
少女はその問いかけに小さく頷いた。
ナンパをする際のコツは誘った男が如何に相手に魅せるか、にある。
ナンパと書けば一見、軽薄なのであるが、実際にやっていることは営業と何ら変わらない。
自分を如何に売り込むか、コミュニケーション能力が試される。
そして、相手を落とすまでの駆け引き、それがまた楽しいものだ。
高順は相手の雰囲気などから最善の茶屋を選択する。
それなりに美味しいものがあり、お値段が手頃かつ、静かで奥まったところにある店を今回は選んだ。
「あ、おいしい……」
ナンパされるのは慣れていないのか、緊張しているのが容易に分かった少女だったが、この店のおすすめである饅頭を食べて思わず頬をほころばせた。
「それはよかった」
対する高順もまた笑顔でそう言い、更に言葉を続ける。
「ところであなたは陳留の人?」
「ううん、私は旅芸人で姉さんや妹と一緒にあちこち回っているの。出身は冀州の鉅鹿」
なるほどなるほど、と高順は頷く。
「私は今、ここの太守のところで客将をしているけど、将来的には南皮に行くのよ。南皮は知ってる?」
「知ってるよ。南皮は凄い栄えてた。この陳留も凄いけどね」
ちょうどいいきっかけを掴んだ高順は重点的にそこを突く。
相手との共通の話題を得る為に相手から情報を引き出す、というのもナンパでは必要な技能である。
自分の知っている事柄が相手も知っているとは限らない。
「袁家の当主ってどんな感じなの?」
「んー……一言で言えば馬鹿だけど、憎めない馬鹿かなぁ」
「憎めない馬鹿?」
「うん。よく城下に来ていておーっほっほっほって高笑いしてるけど、困った人がいたら話を聞いてあげたりとか」
さすがの高順も反応に困った。
彼女の知っている袁紹は三国志序盤では最も天下に近かった存在であり、官渡の戦いや倉亭の戦い以後の曹操すらも袁紹が生きている間は河北へ攻め入ることができなかった。
また、その内政手腕は素晴らしく、魏どころか晋の時代になった後も袁紹の治世を民は懐かしんだという。
そして、戦においては攻城戦や大兵力を用いた総力戦、外交における後方撹乱の手腕は曹操すらも上回る。
ただ性格に難があり、猜疑心が強く、優れた人物の意見を聞くことができず、また決断力がなかった。
もし、そういう性格的な難点がなければ漢王朝の後は――長く続くかどうかは別にして――袁家による王朝が建っていた可能性は高い。
「私達の歌も聞いて、悪いところを直してもらったり、楽器の演奏を教えてもらったりしたんだ」
ナンパ師高順、どう答えていいか分からず沈默する。
「あ、私ね、張宝っていうんだ。でもでも、真名で呼んで! 真名は地和!」
その名に高順はひっくり返りそうになるが、まてまてーい、と自分に言い聞かせた。
幾ら何でも黄巾の乱の首魁の1人が旅芸人であるわけがない、と。
同姓同名だろう、と彼女は判断した。
高順は落ち着く為にお茶を一気飲みし、一息つく。
「私の名前聞いたら倒れると思うけど、聞きたい?」
ずいっと顔を張宝へと近づける高順。
偉い人かも、と思った張宝はうんうんと頷く。
もし偉い人なら是非とも資金提供などをして欲しいところだったりする。
袁紹から直々に路銀をもらった彼女らであったが、すっかり底をついていた。
「私は高順よ。真名は彩」
張宝に聞こえる程度の小さな声で彼女は告げた。
「……高順ってあの高順?」
張宝の問いに高順は頷く。
「あのさ……すごーく素朴な疑問があるんだけど……」
「何?」
「何で色んな意味で有名人なあなたがこんなところにいるの?」
「南皮に行く途中で曹孟徳に会うために寄ったの。で、騒いだりしないの?」
高順の問いに張宝は首を傾げる。
そんな彼女に高順は更に続けた。
「私の首を取ればお偉いさんからたくさんお金が貰えるけど?」
張宝は高順の意図を読み、悪戯を思いついたかのように笑った。
そして、彼女は腕輪を高順へと再び見せる。
「もうこれ貰ったからそんなことしないわよ。というか、異民族の人って初めて見た」
「冀州なら烏丸か匈奴辺りがいると思うけど」
「会ったことないなぁ……」
高順はその様子にとりあえず安心する。
そもそも、彼女がナンパしようなんて思わなければ危ない橋を渡ることもなかったのだが、やってしまったものは仕方がない。
「で、地和。話は変わるけど……あなたの歌とか聞きたいな」
「え、ホント?」
「うん。聞かせて」
「じゃ、私達の宿に行こう! そこに楽器もあるし、お姉ちゃんと人和もいると思うし!」
そういうわけで高順は張宝と共に彼女が泊まっているという宿にお邪魔することとなった。
「普通に上手かった。何で売れないの?」
高順はそう尋ねた。
彼女の前にはそれぞれ楽器を持った3人がいる。
張宝以外にも張角、張梁の2人だ。
簡単な自己紹介の後――その際、張梁が極めて警戒したが、張宝により事なきを得ている――早速歌と演奏を聞いたのだが……別段、悪いところはなく、高順は素直に感想を口にした。
むしろ、それだけできて一番下の張梁で12歳、張宝が13歳、張角が14歳というのだからそこが驚きであった。
「えへへ……褒められちゃったね」
嬉しそうにそう言う張角。
「お姉ちゃんは呑気なんだから……」
溜息を吐く張宝。
「天和姉さん、技量に問題はないっていうのは分かったけど、どうして売れないのか、そこが問題よ」
眼鏡を直しながらそう言う張梁。
彼女が一番のしっかり者らしい。
そんな3人に高順は未だに否定したい気持ちがあったが、もはや認めることにした。
目の前の3人が黄巾の乱を起こすらしい張三姉妹だと。
人気になる為にはどうするか、あーだこーだ言い合っている3人を横目に見つつ、高順は思案する。
こちらに取り込めば少なくとも黄巾の乱は起きない。
今更歴史をねじ曲げない為に云々など言うつもりはさらさらないが、歴史は思わぬところに落とし穴が潜んでいるとよく言われる。
黄巾の乱を起こさないというのは歴史にとって、とてつもない衝撃となることは想像に難くない。
そこまで高順は考えたところで思い直す。
自分がやろうとしていることの方が余程に歴史にとって衝撃があることだ、と。
ならば、そうならないようにやっても良いではないか。
どちらにしろ、黄巾の乱が起こらずとも、現在の状況が続けば農民の反乱は起こる。
黄巾党はきっかけとなったに過ぎない。
故に高順は張三姉妹を取り込むことにした。
勿論、下心もある。
3人共実に可愛らしい。
そもそもの発端がナンパであるからして、高順は当初の目的を優先させても何ら問題はない。
「ねぇ、もし良かったらだけど」
高順の声に3人は議論をやめ、視線を彼女に向ける。
「私が資金出すから、私と一緒に来ない? 何も今すぐに大陸一の歌手にならなくちゃいけないって理由はないでしょ?」
「あなたと行くと命の危険がある」
張梁の指摘はもっともだが、高順には切り札があった。
「残念だけど、私はあなた達が思っているよりももっと強い後ろ盾があるのよ」
そう言い、高順は寝台に腰掛け、足を組む。
その顔には不敵な笑みを浮かべて。
「その後ろ盾は誰?」
「袁本初。今の袁家当主よ。彼女から是非に、と請われてね」
張角、張宝の2人はその意味が分からずに首を傾げたものの、張梁は正確に読み取った。
「天和姉さん、地和姉さん。今すぐにここから離れましょう。大事件に巻き込まれるわ」
張梁の反応は極めて正しい。
一歩間違えれば逆賊認定される、そんな危険な橋を渡ろうとする輩の傍にいようとはマトモな感性ならば思わない。
「大事件って何よ? 高順が反乱でも起こすっていうの?」
「そんなようには思えないけどなぁ」
張宝、張角の呑気な言葉に張梁は声を潜め、告げる。
「何で官軍を倒した高順が、漢の重臣の袁本初に呼ばれるか……考えて」
張梁の言葉に2人はじーっと高順の顔を見つめる。
「仲良くする為?」
「仲直りしましょうってことじゃないの?」
張角、張宝の出した答えに張梁は深く溜息を吐く。
そんな3人に高順は切り出した。
「張梁は自分達に危険が及ぶと思うから警戒している……それで間違い無いわね?」
「そうよ。あなたが何をするのかは聞かないけど、今の段階であなたは私達にとって化物に等しい。私達を殺したりするんじゃないか、そういう不安がある」
袁家の後ろ盾がある、というのはおそらくは真実なのだろう、と張梁は判断した。
でなければわざわざこんなところに高順がいる理由が思いつかない。
そして、そんな重臣の後ろ盾があるのならば、多少のおイタをしても、その事実がもみ消されるだろう、と。
手強い張梁に対し、高順は最終的な切り札を切ることにした。
「私が何かを言っても無駄だと思う。だから第三者に判断してもらいましょう」
「第三者?」
食いついてきた張梁に高順は笑みを浮かべる。
「そうよ。ここ、陳留太守曹孟徳に。彼女の評判くらいは知ってるでしょ?」
張梁は躊躇ったものの、やがて頷いたのだった。
「で、私に会いにきた、と」
ジト目で高順を見つめる曹操。
機嫌はあまりよろしくはない。
謁見の間には曹操と高順の2人しかおらず、張三姉妹は部屋の外で待たせている。
まずはご機嫌を取らなければならない、ということを高順は承知していた。
「華琳、今回の代価として、あなたが私を絶対に手に入れたいと思わせる、私の秘密を話そうと思う」
高順の言葉に曹操は不機嫌ながらも若干の興味を持ったようで、言ってみなさい、と告げた。
「私は両性具有者よ」
短く告げた高順。
対する曹操はしばしその言葉を頭の中で反芻させ……
「なんですって!?」
飛び上がった。
そして彼女は高順に掴みかかり、物凄い剣幕で問いかける。
「本当なの!? それ!」
「本当! 今すぐ見せてもいい!」
そう答えれば曹操は急に静かになった。
高順は動き易いから、という理由でミニスカートをはいており、すぐにでも確認できる。
ごくり、と唾を飲み込んだ曹操はゆっくりと高順のミニスカートの中へと手を入れた。
その手つきはさすがというべきか、玄人のそれである。
下着の上から感触を確かめ、曹操は口を開く。
「……確かに男性器がある。でも、もしかしたらということもあるから……」
ついでとばかりに曹操は下着の中へと手を滑り込ませ、女性器も確認するついでに愛撫しておく。
与えられる感触に高順は体を震わせ、小さく声を洩らす。
そんな様子に曹操は思わず舌なめずり。
とはいえ、約束は守らねばならないことも確か。
彼女は鉄の意志でもって、下着の中から手を引き抜くと、ゆっくりと深呼吸をし、告げる。
「確かに両性具有ということを確認したわ。あなたは私にどれだけのものを払わせようというのかしら……」
張三姉妹への安全性の説明というだけでは到底、足りない。
それこそ、数万銭を支払ってもいいくらいだ。
「華琳、あなたは私が欲しい?」
意地悪く問いかける高順に肩を竦め、曹操は答える。
「何が何でも欲しいわ。私の跡継ぎの為にも。私には従姉妹と妹が多くいるけど、やはり私の国を継ぐのは私の子であって欲しい」
高順は耳を疑った。
従姉妹というのは曹仁、曹純、曹洪であることは分かる。
だが、妹というのは聞いたことがない。
もしや徐州で曹嵩と共に殺害された曹徳らのことだろうか。
「妹なんていたの?」
「いるわ。子脩、子桓、子文、子建、倉舒……」
高順は頭を抱えた。
史実や演義における曹操の息子達だった。
何がどうしてそうなったのか、この世界では妹として既に生まれているらしい。
「他にも元譲、妙才の妹として伯権らがいるわね」
「伯権?」
「ええ、元譲が長女、妙才が次女、伯権が三女ね。まだまだいるわよ……って、どうしたの?」
おそらくは夏侯衡であるだろう、と高順は推測をつけつつ、コメカミを押さえる。
「ちょっと理不尽さというか、色々と……頼れる身内がいっぱいね」
「ええ。その分、喧嘩もあるんだけど、まあ今のところは何とかなってるわ」
随分と曹嵩――おそらくは曹操の父親ではなく母親――はハッスルしているらしかった。
「ただ、まあ……よろしくない輩もいるんだけどね」
曹操の言葉にすぐに誰のことだか高順は予想がついてしまった。
「何で姉と妹達が優秀なのにあの子は駄目駄目なのかしらね。政略軍略どっちも駄目、唯一の取り柄は金儲けなんて……」
曹操が身内の恥を人前で吐露する、というのは滅多にないことだ。
それだけ高順は彼女に信頼されているのが分かる。
そして、彼女は曹操がいう、まるで駄目な妹が誰か、容易に分かってしまった。
とはいえ……頭が痛いのは高順だ。
曹一族、そして夏侯一族は才ある者が多い。
時間を経るごとに曹操は強大化していく。
それも史実よりも極めて早いペースで。
しかし、まだ望みはあった。
病弱で早死する者が曹操の息子には何人かいるのだ。
「華琳、あなたの身内って皆、元気が良さそうね。あなたに似て」
この言葉に曹操がどう答えるか。
それにより、高順は誰が早死するのかを知ることができる。
たとえ曹操が具体的な名前を挙げずとも、いるかいないか、が分かればそれで解決する。
果たして、高順の小さな望みは……
「ええ、元気よ。特に倉舒なんて冬に裸で池に飛び込んで泳ぐくらいなのよ。それでいて病一つ罹らないんだから」
――終わった――
高順はただそう思った。
曹操が自らの跡継ぎにしようとしていた、息子達の中で最も優秀な倉舒……曹沖。
彼は病弱であったが故に早死してしまい、曹操を大いに嘆かせ、曹丕に曹沖が生きていたならば自分は皇帝になれなかった、と言わしめた。
「もし、私が子を産まなかったら倉舒に後を継がせようと思っていたのよ」
そう言う曹操に高順は適当に相槌をうちつつ、張三姉妹の案件が終わったならばただちに賈詡に手紙を書くことを決めた。
困ったときの軍師頼みである。
「さて、あなたの用事を片付けましょう」
高順の心情を知る術がない曹操はすっかり上機嫌でそう言った。
その言葉に高順は頷き、張三姉妹を中へと呼び入れる。
入ってきた彼女達は公式の場で偉い人と会うのは初めてなのか、ガチガチに緊張していることが傍目にもよく分かる。
「私が曹孟徳よ。事の次第については簡単に高順から聞いている」
3人が部屋の中ほどまで進み、平伏したところで曹操は口火を切った。
彼女は3人を睥睨する。
張三姉妹は圧倒的な威圧感にただ平伏することしかできない。
対する高順は慣れたもので、壁際に立ち、呑気に見学している。
「そこにいる高順は無闇矢鱈に漢族を襲わない。それは私が保障するわ」
曹操の言葉には驚く程穴がある。
証明する為の証拠がない。
曹操が高順が恐ろしくてそういう風に言ったという可能性もある。
だが、それは曹操がそこらの連中と同じであったならば、という但し書きがつく。
張梁は黙らざるを得なかった。
曹操の体からにじみ出る王者の気は恐怖から、あるいは元々曹操と高順がグルであるから、という疑いを打ち消すに十分過ぎた。
張梁に残された選択肢は一つしかなかった。
「……わかりました。お手数をお掛けして申し訳ありません」
「構わないわ。それじゃ、私は仕事があるから」
曹操はそう告げ、謁見の間を後にした。
それを見送り、高順は3人の傍へと歩み寄った。
そして、平伏していた3人は体を起こす。
「怖かったよぉ……」
涙目で情けない声を出す張角。
「何であんな怖い人のところで客将やってるのよ……」
同じく涙目の張宝。
そして、張梁は……
「あなたを疑ってごめんなさい」
高順へ頭を下げた。
そんな彼女に高順は軽い口調で返す。
「いいのよ。慣れてるから。で、一緒に来てくれる?」
「一つ、確認したい」
張梁の言葉に高順は問題ない、と頷く。
「あなたが私達に提供するものは?」
「現状では資金。あなた達は多くの人に歌を聞いてもらいたい、と思うかもしれないけど、まずは一つの地方で有名になってからゆっくりと勢力を広げていく、というのが確実だと思う」
張梁は高順の言葉に頷き、2人の姉へと顔を向け告げる。
「天和姉さん、ちぃ姉さん。彼女についていきましょう。少なくとも、今よりは安定した生活で余裕をもって問題点を改善できると思う」
「私もちぃちゃんも初めから賛成だったんだけど……」
「人和は心配性なのよねー」
姉2人からの攻撃に人和は溜息を吐く。
「姉さん達が考えなさすぎなのよ」
「むー……お姉ちゃんだって色々考えているんだよ!」
「私だって考えてるわよ!」
むすっとした顔の2人に張梁は静かに問いかける。
「具体的には何を?」
一斉に沈默する2人の姉。
その様子に張梁は再び溜息を吐く。
苦労人な彼女に同情してしまう高順であった。