「詠さん、今日は良い天気ですね」
にこにこと笑みを浮かべている袁紹。
そんな彼女に対して、賈詡は告げる。
「単刀直入に言ってもらえませんか?」
「あら、心の準備はよろしいんですの?」
せっかく時間をあげたのに、と言いたげな袁紹。
とはいえ、賈詡にとっても此度の呼び出しは予想がついていることだ。
「災害用の食糧等の備蓄は目を瞑りましょう」
ですが、と彼女は続ける。
「馬車は少々いただけませんわ。聞けば1000台にも及ぶ馬車を作っているそうではありませんか?」
「災害対策用です。迅速に被災地に運ぶ為にはそれくらい必要かと」
「ええ、ええ、それはわかりますわ。ですが、それだけじゃないでしょう?」
袁紹の問いに賈詡は涼しい顔で答える。
「知りません」
きっぱりと言い切る彼女に袁紹はいつもの高笑いではなく、鈴のようにころころと笑いながら告げる。
「我が袁家は高順殿への支援を惜しみません。そちらから請求されればそれに答えねばなりません」
賈詡の瞳をまっすぐに見据え、袁紹は告げる。
「あなたが動いて掻き集めている膨大な災害対策用の物資……それを援助物資として請求されれば我々はそれを提供しないといけませんね」
袁紹としてはお手並み拝見とばかりにわくわくとした心境であった。
この詰みの一手からどういう切り返しをしてくるか……
この程度返せない賈文和でないことを彼女はよく知っていた。
「確かにそういうこともあるかもしれません。ですが、我々はそれを請求しないかもしれません。であればこそ、災害対策用として集めている物資は無駄にはなりません」
袁紹は巧い切り返しに思わず感心してしまう。
そう、彼女は請求するものと決めつけていたが、高順側にとっては請求しない、という選択肢もあるのだ。
ならばこそ、災害対策用として備蓄している物資はそのままの用途に使える。
状況的にも感情的にも請求されるだろうことは袁紹にも分かる。
だが、それをただ口に出すだけでは賈詡にあっという間に論破されて終わってしまう。
あくまで冷静に、そして論理的に。
それができねば到底当主や軍師などはできない。
「確かに請求しない、という選択肢もそちら側にありますわ。それがされず、いざ災害が生じたときに物資を放出すれば袁家の評判はますます上がりますね」
うんうん、と袁紹は頷く。
賈詡は次に出てくる要求を予想し、考えられるどんな要求が出てきても対応できることに内心ほくそ笑む。
「ですが、袁家の財力は膨大といえど、そもそもの流通している食糧が減って飢餓を引き起こしては意味がありません」
「農政について口出ししても良い、と?」
「ええ、構いません。ただし、1人では大変でしょうから、顔良さんを助手につけます」
明確な監視役だが、賈詡は全く狼狽えない。
顔良程度なら口でいくらでも言いくるめられるからだ。
「経過報告などは田豊さんにしてくださいね」
予想通りの展開に賈詡は僅かに笑みを浮かべる。
実質的な監視役は田豊、顔良はただの囮であることが明白であった。
「ああ、それと」
袁紹は更に言葉を続ける。
「私の実妹と言っても過言ではない、袁術さんの教育を頼めますか? あなたに」
「……はい?」
さしもの賈詡も予想外の展開に目を丸くしてしまった。
有能とはいえ、彼女の身分は客将に過ぎない。
袁術をだまくらかして袁家を食い物にしよう、とそういうことがありうるかもしれないのだ。
もっとも、既に袁紹をだまくらかして食い物にしているような気がするが。
「ああ、ようやく一本とれましたわ」
そう言い、勝利の高笑いをする袁紹であった。
高順一行は洛陽に到着し、お馴染みの外套被って城門を突破しようかと思ったものの、門番に咎められ外套を脱がないと入れさせない、と言われた。
さすがに帝の膝下となれば警備も厳しいようだ。
高順と華雄は外で待つ、と言ったが、それに関しては呂布と馬岱、陳宮が反対した。
2人からすればちょうど良く色々発散できる機会で一石二鳥であったのだが、彼女らの好意をむげにできない。
そんなこんなで一行は洛陽を素通りし、陳留にやってきていた。
そして、陳留へと入ろうとする際、高順は外套を脱ぐ。
門番達は酷く驚き、何人かが連絡の為に街中へと走っていった。
まさかの行動に馬騰が問いかける。
「いいのか?」
「私の予想が確かなら、曹孟徳は治安の為にという理由をつけて表向きは拘束してくる」
表向きは、というところを強調した高順に馬超はどうしてだ、と尋ねた。
「彼女は有能な人材を集めるのが好きなの。有能であれば異民族だろうが何だろうが関係ないっていう人の筈」
そうなのか、と呂布を除いて頷く一同。
そのとき、慌ただしくこちらにやってくる一団を彼女らは発見した。
先頭にいるのは青髪の女性。
彼女は高順達の近くまでやってくると声を掛けた。
「あなた方は高順殿、華雄殿で相違ありませんか?」
いかにも、と頷く2人。
「私は姓は夏侯、名は淵、字は妙才と申します。我が主、曹孟徳様がお会いしたいとのこと。民を不安にさせぬの為にも同行願いたい」
そう言う彼女に言ったとおりになったでしょ、と華雄達にウィンクしてみせる高順だった。
高順達は陳留の城へと案内され、そこの謁見の間に通された。
そこで夏侯淵は曹操を呼んでくる、と奥に引っ込んだ。
「呼びつけておいて待たせるのかよ」
ぶー垂れる馬超に馬騰が言う。
「こういうのは様式美っていうのがあってだな……客が余程の大物でもない限り、少しだけ待たせてから登場した方が相手に舐められないんだ」
「そういうもんなのか」
「そういうもんだ」
いまいち納得できていない馬超だが、それきり口を閉じた。
そのやり取りから数分後、長い黒髪の女性が金髪の少女を従えて入ってきた。
一応身分としては下であるので高順達は礼を尽くす。
その黒髪の女性は高い位置にある玉座に座り、少女がその横に控える。
「私が曹孟徳だ」
黒髪の女性がそう言い、更に言葉を続ける。
「高順殿、此度はよく陳留に立ち寄ってくれた」
その物言いに誰もが皆、彼女を曹操だと思っているのだろう。
馬騰は確かに漢においてそれなりに重要な地位にあったが、そもそもまだ一太守に過ぎない曹操を知っているわけもない。
故に彼女もまた目の前の女性を曹操だと信じた。
だが、高順だけは妙に引っかかった。
彼女の知識に加え、これまで培った経験が警鐘を鳴らした。
曹操は背が小さかった筈なのだ。
確かに彼女の知る三国志とは似ても似つかぬとはいえ、ある程度の判断基準としては通用する。
ならば、と高順は提案した。
「曹孟徳殿は才気溢れる方と存じます。ならばこそ、是非ともその腕前を披露していただきたく」
そう言いつつ、高順はまっすぐに女性の目を見据えた。
彼女はその視線を真っ向から受け、頷く。
そして、高順は女性が何か言う前に素早く告げる。
「私は詩について大変興味がございます。ですので、是非とも曹孟徳殿の詩を一つ、この場で披露していただきたい」
にわかに女性の表情がこわばった。
視線はあちこちを彷徨った挙句、最終的に控える少女に向け、助けを求めているようだ。
「何をお困りか。あなたが真に曹孟徳殿であるならばその程度は極めて簡単なことの筈ですが……それとも、まさかあなたは偽物か? ならば、賊として処理しましょうぞ」
高順はそう言いつつ、視線を金髪の少女へと向ける。
そして、声には出さずに口を動かし、少女へと伝える。
あなたが曹孟徳だ、と。
少女は不敵な笑みを浮かべ、口を開いた。
「私が曹孟徳よ。試すような真似をして悪かったわね」
威圧感とでもいうべきものが、高順達に襲いかかる。
歴戦武人である馬騰や呂布すらも僅かに身じろぐ程度。
華雄や馬超、馬岱は冷や汗が滴り落ち、陳宮は体を震わせていた。
そんな中、唯一高順は曹孟徳についての予備知識があったが故にそれを平然と受け流した。
全く動じていない高順に曹操は面白い、とばかりに口元を吊り上げる。
「孟徳殿、子供を怯えさせて……それでもあなたは上に立つ者ですか?」
故に高順の言葉は不意打ちとなった。
そういう方向からの攻撃は曹操としても予想外であり、一気に毒気を抜かれてしまった。
「いえ、こちらとしても本意ではなかったわ」
そう言い、曹操はこほん、と咳払い一つ。
「改めて、私は姓は曹、名は操、字は孟徳。高順殿、華雄殿、あなた方には是非とも会ってみたいと思っていたの」
そう言い、彼女は玉座に座る。
ある意味、これ以上無いほどにお似合いの場所であった。
「私個人としても、あなたには是非ともお会いしたい、と思っておりました」
「ええ……で、一つ疑問があるのだけども……何で馬一族があなたと一緒にいるのかしら?」
さすがの曹操も、どうしてそうなったのか、さっぱりわからなかった。
「簡単に言えば、彼女達を私が登用しました」
「よく納得したわね」
「口も達者ですので」
詳しい経緯を馬鹿正直に説明するのは馬騰を傷つけることになるが故の返答。
曹操もそこらは重々承知な為に高順の言葉に更なる追求はしない。
「ところで、私はそこの夏侯惇や夏侯淵にあなた方に使者を出すよう命じたのだけども……」
そう言いつつ、横にいる黒髪の女性へ視線を向ける曹操。
「使者の方には会っていませんが……我々は洛陽に行き、そこから黄河を下ってきたので」
この時代、目当ての相手と連絡を取るのも一苦労である。
「孟徳様、私や秋蘭……失礼、夏侯淵は并州へと使いを出したので、おそらく入れ違いになってしまったかと」
「なるほどね。ま、どちらにせよあなた方がこうして私の目の前にいるのだから、問題ないわ」
そこで言葉を切り、曹操はじっくりと一同を見回す。
値踏みするかのような視線だが、今まで嫌悪にさらされていた一行からすればこの程度どうということはない。
「ところで……恥ずかしいことに私のところは人手不足なのよ。じわじわと賊も増えつつあるし」
「力を貸して欲しい、と?」
「話が早いわ。で、どうかしら? 報酬も十分に出すわ」
「承りました」
高順の即答に曹操はやや驚く。
「他の者と相談しなくても?」
「私は一応、彼女らの主なので」
華雄はともかく、馬一族や他の2人はどう見ても漢族である。
そんな彼女らは高順の物言いに表情を変えていない。
どころか、褐色肌の赤髪少女なんぞは今にも眠りそうな程にうとうとしているのを曹操は発見した。
個性的な家臣を統率するのも主君の仕事といえばそれまでだが、それでも彼女は高順に少しだけ同情した。
「……ともかく、ゆっくりと休んで頂戴。夏侯惇、彼女らを客室に案内なさい」
曹操はそう命じると謁見の間から出ていった。
主が出ていったことを確認すると、夏侯惇は相好を崩した。
「いや、済まなかったな。孟徳様はどうにも一捻りいれないと気が済まない方で」
そう言いつつ、彼女は名乗る。
それに高順達もそれぞれが名乗り返す。
自己紹介が済んだところで夏侯惇の案内で部屋へと向かう。
道中、彼女は色々な話をし、高順達を楽しませた。
気さくな夏侯惇に陳宮や馬岱はすっかり懐いてしまい、懐かれた方も満更ではないようだ。
対して少々不満なのが高順と華雄。
それぞれの妹分を取られてしまい、ふくれっ面の2人に馬騰と馬超が大爆笑。
終始、和やかな雰囲気であった。
そんなこんなで彼女達は曹操の客将となった。
勿論、高順は冀州にいる董卓達について忘れておらず、抜かりなく手紙を書いた。
董卓、賈詡、張遼へそれぞれ手紙を書き、更に賈詡には要望書もついでに添えて。
また、お世話になっている袁紹にも礼状を書いておく。
返事が楽しみだ、と呑気に思う高順は董卓と賈詡がどれほど再会を待ち望んでいるのか、知るべくもなかった。