暗躍

「未だに信じられへんけど……勝ってもうたな」
「みたいね」

 呆れた張遼に対し、だから何、と言いたげな賈詡。
 実に対照的な2人である。

「勝ちに行く顔ちゅうたけど、いや、まさか……」
「それ、前も言ってたわね」
「仕方ないやろ。にしても、もう2週間も経ってるっちゅうのに街はお通夜やな」
「そりゃそうでしょうね。勝ったのは官軍でなく、異民族だし」

 そう言う2人の視界に広がるのは暗い顔で歩く人々。
 時々、ひそひそと会話している者達もいるが、その内容は聞くだけで溜息を吐きたくなるものばかり。
 異民族に滅ぼされるとか華雄や高順が殺しに来る、とか。
 被害妄想甚だしい。

 ここは冀州、袁紹の膝元の街。
 張遼、賈詡、そして董卓の3人は袁家に客将として仕えていた。
 客将で、しかも必要なことをやったらさっさと抜けることにしているので、本気で業務に励むわけにもいかない。
 もっとも余りにも酷すぎたので賈詡は並程度に戻してやろうとそれなりに頑張っていたりする。
 勿論、それは自分にとってちょうどいい経験となる為、というのもある。

 さて、賈詡にとっては袁紹を手玉に取るのは朝飯前のこと。
 田豊や沮授といった元々袁家に仕え、それなりに使える連中が冷遇され、また郭図などの腰巾着連中が耳障りの良いことしか言わないのに対し、賈詡はズバズバと自分の意見を言い、それを袁紹に受け入れさせていた。

 そこがただの軍師と賈詡の差である。
 本物はどんな上司であろうと、自分の進言を受け入れさせる。
 勿論、信頼され、信用されるのが最上であることは言うまでもない。


「詠さん、こんなところにいらしたんですの!」

 特徴的な高笑いと共に聞こえてきたそんな声。
 万年花畑、と陰口を叩く輩も多いが、それでもどこか憎めない。
 それが袁本初であった。
 そして、賈詡が見た人間の中でその憎めなさとどんなときでも笑ってみせる馬鹿っぽさにより中々に好ましい部類に入る。
 それも真名を呼び合う程に。

「麗羽殿、そのこんなところに2馬鹿もつけずに何か?」

 2馬鹿と言っているが、それは貶しているような声色ではなく、親しみを込めたものである。
 2馬鹿とは言うまでもなく顔良と文醜。
 賈詡にとって愛すべき袁家の2馬鹿なのであった。
 色々な意味で肝がでかい賈詡にさしもの張遼も肩を竦めるばかり。

「斗詩さんと猪々子さんはあなたのお使いであっちこっち行っているんじゃありませんこと?」
「ああ、そういえばそうでした」

 烏丸への使者として送り出したんだっけ、と賈詡は思い出した。
 何分、袁家が衰退しようが繁栄しようがどっちでもいいので結構にいい加減である。

 しかし、賈詡は袁紹の次の言葉でその目を鋭くすることとなる。

「私としては詠さんにそろそろお目当ての事柄をお話していただきたいと思いまして」
「……麗羽殿、ここではアレですから……」
「ええ、よろしくてよ。張遼さんもご一緒にどうぞ。あなた達は私に仕えているんじゃないんでしょう」

 張遼もその言葉にこりゃ役者やなぁ、と思わずにいられなかった。









 袁紹の城は極めて大きく、そして荘厳だ。
 元々家柄に相応しく派手であったのが、袁紹の趣味により更に大変な状態になっている。
 賈詡曰く、観光名所にして料金取った方が儲かるんじゃない、と言うくらいに。
 その事を聞いた袁紹が庶人に私の家を見せてあげるのですわ、と入場料を取り、一般開放したのは言うまでもない。

 ともあれ、そんな派手な城にある謁見の間……ではなく、普通の応接間で彼女達は向き合っていた。
 無論、賈詡と張遼だけでなく、そこには董卓の姿も。

 そして、人払いが済むなり、袁紹はゆっくりと口を開く。


「さて、私のことを皆さん馬鹿だ馬鹿だと思っていらっしゃるようですが……本当にそうなのか、と疑いもしないなんてお馬鹿ですこと」

 そう言い、高笑い。
 発言自体はもっともなのだが、その高笑いで台無しである。

「詠さん。あなたのおかげで袁家に巣食うお馬鹿さん達を皆、始末できましたわ。この袁本初、全くあなたの腕に感服せざるを得ません」

 そう言い、袁紹は深々と頭を下げた。
 張遼も董卓も信じられない、といった顔で彼女を見つめている中、唯一人、賈詡だけは平然としていた。

「私はただあなたから名家に相応しくない行いをしている輩を見つけ出せ、と言われたに過ぎません」
「ええ、ええ、どうにも田豊さんや沮授さん、郭図さんなどでは少々力不足で……」

 賈詡は内心溜息を吐いた。
 つまり、全ては袁紹達の演技だったのだ。
 使える田豊や沮授を冷遇し、耳障りの良いことを言わせている郭図を筆頭に厚遇する。
 そして、賄賂などをしている連中をあぶり出す……

 長く続く名家であればあるほど、その甘い汁は多く、それに集る輩も多い。
 それら全てをあぶり出す為には一時的な泥を被っても、馬鹿を演じなければならない。

 賈詡としても致し方ない部分はある。
 客将となる前に袁紹について情報収集を街で行ったのだが、誰も彼も馬鹿だ馬鹿だ、と言い。
 そして賈詡も実際に会って馬鹿だ、と判断してしまった。
 しかし、それは賈詡の誇りが許さない。
 今回は命に関わるようなものではなかったが、それでも高順の期待を裏切ったかのようで悔しかった。


「さて、詠さん。何を目当てにしていらして? ゴミ掃除をお手伝いしていただいたので、その御礼にしっかりと秘密も守りますわ」

 賈詡は深呼吸一つし、ゆっくりと告げる。

「我が主は高順。我らの望みは宦官の排除」

 その一言で袁紹の目がすっと細くなった。

「それは中々に面白いことですわね……異民族の方が宦官を倒したがるとは……」
「尊皇討奸、奸賊討つべし……とのことです」
「奸賊は漢族でなくて?」

 袁紹の軽い反撃に賈詡は笑みを浮かべる。

「私の主は漢族より嫌われています。漢族をそうすることもできるでしょう」

 ですが、と賈詡は続ける。

「この賈文和がそうはさせません。彼女の夢に庶人の幸福をねじ込んでみせましょう」

 これ以上ない程の説得力であった。
 袁紹は深く、深く溜息を吐く。

「あなたのような方を配下にしているなんて……とても羨ましい」

 袁紹と賈詡が会話している最中、張遼と董卓はウチらいる意味あるんかな、意味ないですよね、とそんなことをひそひそと話していた。
 袁紹と賈詡だけの世界であって、それ以外はただの風景と化していることは間違いない。


「お望みは?」
「我が主は太学へ行きたがっています。何進将軍への取り次ぎと後ろ盾を」
「あら、随分と変わってらっしゃる方なのね」

 袁紹の声にはただの戦馬鹿ではないのか、とそういう意図が隠れていた。
 それを正確に読み取った賈詡は不敵な笑みを浮かべ、返す。

「主は武官が政治に口を出すべからず、とそう言っております」
「道理ですわ。馬鹿に限って色々なところに口を出したがるのは困りものです」
「無論、今回の一件は政治に関わることですし、その後も抜けることはできないでしょう」
「では、その言葉と矛盾するのではなくて?」
「ええ、矛盾しております。故に宦官排除は一種の売り込みなのです。負け犬根性は私が許しませんが、最終的にどこかの諸侯に取り込まれてしまうことがあるかもしれない。その際の方針と思ってくだされば……」

 なるほど、と袁紹は頷きつつ、ついである単語について問いかける。

「売り込みとは?」
「我が主、高順はどれだけの諸侯が自分にどれだけの高値をつけるか……それを確認したい、と」

 袁紹は目を瞬かせる。
 それだけの為に宦官打倒なんぞ……考えが極端すぎる。
 だが、それは彼女と通じるものがある。

「……高順殿は派手好きなのですね」
「派手か地味かで言えば派手になります」
「仲良くなれそうですわ」

 その言葉に賈詡は高順と袁紹を横に並べてみた。
 そして、違和感がまるでないことに気がついた。

「ともあれ、あなた方は袁家がその身分を保障致しましょう。高順殿の件についても了解致しましたわ」

 袁紹の言葉に賈詡はただ頭を下げる。
 それにつられ、張遼と董卓も慌てて頭を下げた。

 その様子に笑ってしまう袁紹。

「ああ、それと……宦官を倒した後は私の好き勝手にしてよろしくて?」

 さり気なく宮中での権力を得ようとねじ込んできた袁紹。
 しかし、その程度では賈詡は揺るがない。

「并州をくだされば後は如何ようにも」

 さらり、と賈詡は返した。
 并州といえば冀州の西に位置し、北方異民族の侵入に悩まされている地域だ。
 冀州の北は幽州であり、海に近い側から順に青州、兗州、司州となる。

 さすがの袁紹も苦笑する。
 并州騎兵の勇猛さは涼州騎兵に勝るとも劣らない。

「幽州では駄目ですか?」

 その問いに賈詡は笑みで答える。
 幽州は袁紹のいる冀州を北から襲える位置にあり、そういった意味では極めて重要だ。
 だが、遼西郡以西はともかく、遼東郡以東は未開の地であり、生産力などは極めて低い。
 おまけに幽州は北方異民族にやはり侵入を受けている。

「ですが、并州はさすがに無理ですわ。我が袁家に対し、蓋をしたいのですの?」
「いいえ、そうではありません。ですが、宦官を実際に斬るのは我が主なのです。少数でもって都の中枢を襲われる……これがどれほどの衝撃か、あなたはお分かりですか?」

 そう言われてしまえば袁紹は黙らざるを得ない。
 その様子に賈詡は内心ほくそ笑みつつ、告げる。

「ですが、我々は袁家と敵対したくはありません。故にここは一つ、折れることに致しましょう」
「では……?」
「幽州をくだされば。ただし、必要な金銭や物資を無償で提供していただきたい。またいきなり刺史は反乱を頻発するので、最初はどこか適当なところの太守に……」
「それくらいでしたら幾らでも」

 そう言い、袁紹は高笑い。
 袁家の財政はそれ程までにとんでもなかった。

 一見すれば貧乏籤を敢えて引いたように見えるが、未来の知識というものが備わっていればまさにやりたい放題できる土地なのである。
 既得権益が少ないことから抵抗する輩は少ない。
 州財政は万年赤字だろうが、そこは袁家からの援助で補う。
 北方異民族に関しては高順の名が彼らにも広まっているので抑止力として期待できる。
 元々の人口が少なくとも、そこは発展すればどうにでもできる。

「では文書に……」
「わかりましたわ。ですが、報酬は成功した後に……」
「心得ています」


 こうして高順の知らぬところでとんとん拍子に宦官打倒がなれば幽州の太守、そしてその後は刺史となることが決定してしまった。













 戦場に散らかった死体処理などが終わり、馬騰を始めとした連合軍が引き上げを開始したのはつい昨日のこと。
 戦が終わってもう2週間である。
 なお、馬騰は高順に落ち着いたら自分のところに来るように、と約束させられていた。
 それは別に彼女としては一向に構わない。
 和平会議の後の宴会で馬騰は勝ち負けは別として異常な緊張から解放され、どうにかマトモな精神状態となっていたからだ。
 まさか自分の領地で袋叩きにする筈もない。

 そして、砦撤去の指揮を取る高順に華雄は声を掛けた。
 高順としても華雄に言わねばならないことがあったのでそれはちょうどよかった。


 適当な天幕に入り、2人きりになると華雄は真っ直ぐに高順の瞳を見つめる。

「私はまず最初に夜襲で董君雅を討った」

 それを高順が予期していなかった、といえば嘘になる。
 顔がバレてしまえば本隊に潜り込めない。
 ならば、顔を知っている者を先に始末するのは実に理にかなっている。

 不思議と高順に悲しみはなかった。
 ただ、何ともいえない寂寥感が彼女を襲い、耐えられずに華雄に抱きついた。
 それを彼女は優しく受け止め、彼女の背中に手を回す。

 そして、更に追い打ちを掛けるよう、華雄は告げる。
 それは高順の母から頼まれたことだ。
 それは娘に死を教えて欲しい、ということ。

「お前の指揮は実に見事だ。万全準備を整え、お前は見ているだけで終わった。これ以上無い程の戦上手だろう。お前は1万の敵兵をお前の指揮で殺し、あの地獄を作り上げたのだ」

 攻め寄せた敵兵のうち、死者は1万余り、負傷者は倍の数に達する。
 華雄の言葉は高順の心にあった僅かな傷に刃を突き立て、さらにそこに塩を摺り込む行為だ。
 だが、彼女は容赦しない。
 命が軽い時代だからこそ、命の重みを知らなくてはならないのだ。
 勿論、奪った命を背負えとかそういったご高説を垂れるような華雄ではない。


 しかし、高順は涙を流さず、ただ華雄を強く抱きしめた。




 それから半刻程の時が経過し、高順は呟くように言った。

「嵐、2年くらい前、知らないからとあなたを馬鹿にして侮辱した。ごめんなさい」
「……? 何かあったか?」

 返ってきた答えに高順は溜息を吐きたくなった。
 その彼女の態度に華雄は記憶を漁り、ああ、と声を上げた。

「そういえばそんなこともあったな。あれのおかげで私は頑張れたものだから、気にするな」

 ぽんぽん、と高順の背中を叩く。

「で、お前はどうするんだ? 人の死に対して」
「……どうしようもできない。敵は殺す、としか言えない」

 その言葉にもしや、と華雄は問いかける。

「お前、もしかして自分の手で殺したことがないのか?」
「過去に賊を火計でやったくらい」
「ああ、だから実感が沸かないのか……」

 納得したような華雄に高順は僅かに頷く。
 やがて華雄はよし、と声を上げると高順を僅かに離し、その両肩を持ち、まっすぐにその瞳を見据えた。

「私はお前の剣となろう。敵を直接殺すのは私、お前は全体を指揮し、私を使え。もし、お前が罪の意識に苛まれでもしたら私が傍にいよう」

 凛とした表情の華雄。
 それはまさしく誓いと言っていい。
 母以外で唯一、真名を許した華雄にとって高順はそれだけに特別であり、そうするに値する者であった。

 対する高順は言葉は不要と華雄の視線を真っ向から受け、ゆっくりと頷く。

「この後、お前はどうするんだ?」
「馬寿成殿のところに寄った後、旅に出る」
「決まりだ。私も当然ついていくぞ」

 うんうん、と頷く華雄。
 そんな彼女に高順は意を決して告げる。

「嵐、私は宦官を討つ」

 暫しの間。
 華雄は目をパチクリとさせる。

「……宦官?」
「尊皇討奸、奸賊討つべし」
「いや……何で?」

 困惑顔の華雄に高順はただ告げる。

「少なくとも平和の為じゃないことは確かね」

 単なる宮中の権力闘争へ割って入るだけであり、その結果として得られるご褒美目当てである。
 勿論、高順にとっては自分は漢族を毛嫌いしているわけではない、とそういうアピールでもある。
 そうすることで漢族にとってのイメージを良くし、その後の戦乱の時代に有利に働くようする。
 例え敗れたとしても英雄達から賞賛され、歓呼の声で迎えられる……そういう夢が彼女にはあった。

「自分の為か。いいぞ。そういう目的の方が余程信用できる。正義だ平和だ民の為だどうのこうのは曖昧過ぎてよく分からん」

 そう言い、華雄は利き手を差し出した。
 高順はその手を両手で握る。

「私はお前のことをよく考える。友として、好敵手として、女として。共にいた期間は短いのに」
「嫌かしら?」
「いや、むしろ大歓迎さ」

 
 お互いに何も言わずに目を閉じ、ゆっくりと唇を重ね合わせた。
 触れる感触は柔らかく、ほのかに香るお互いの匂い。
 どちらからともなく、口を開きその舌を絡め合わせ始める。

 華雄は一度、口を話し、高順の耳元で普段の彼女なら到底出さないであろう甘い声で囁く。

「私は馬に乗るのは大得意だが……男に乗るのは初めてなんだ。下手でも許して欲しい」
「私が両性具有って知ってたの?」
「ああ、お前の母に聞いている」

 そして、華雄は再び自分の唇を高順に重ねた。
 再び開始される舌の絡め合い。




 やがて、天幕に響く水音はやがて嬌声へと変わっていった。

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