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終わりの始まり

「予定通り、か」

 万事順調とばかりに高順は呟いた。
 砦に篭るではなく、かといって騎馬隊と共にというわけでもない。
 彼女は少数の護衛とそして大量の伝令と共に戦場全体が見渡せる丘陵の一角に陣取っていた。
 無論、いつでも逃げ出せるよう高順も護衛も伝令も全員が馬に乗っている。
 母、高廉の説得によりそれが実現していた。
 あれから数日が経過しているが、あれ以降、母と肌を重ねたことはない。
 たぶん、終わったらたっぷり搾り取られるんだろうなぁ、とそんな思いが高順にはあるが、それよりも目の前の戦である。



 遊牧民族は視力がとても良い。
 これは漁師などにも言えることであるが、利点であった。
 故に戦場の細部……とまではいかないが、それでも必要な情報を目視で得ることが十分に可能だ。

「敵さんは定石通りね」

 高順の視界には敵は歩兵を全面に押し出し、その後方に弓兵を配置。
 援護射撃の下、柵を突破し、砦に張り付く……そういう教科書通りのやり方だろう。
 馬騰は野戦の経験こそ豊富なものの、攻城戦の経験は少ない、と聞く。
 異民族討伐や賊退治くらいしか今のところ諸侯の軍事的仕事は存在しないので、それも致し方ない。
 手堅くいくのは間違いではないが、この場合は間違いだ。
 砦に全兵力が篭っているとは限らない。

 高順は無言で護衛の1人を見る。
 すると彼女は頷き、1つの旗を振る。
 青色の旗だ。
 砦の櫓からは高順達の様子がよく見える。
 櫓にいる者達もまた視力は良い。
 
 すぐさま彼らも同じように青色の旗を振り始めた。
 予定通りに行動すべし……そういう合図であった。
 砦群は全て柵で囲まれ、抜け道はない。
 故に全て旗でもって命を下すのだ。

「敵騎兵は後方で待機中……ふむ」

 さすがに騎兵も一緒に突っ込ませるような馬鹿な真似はしてくれないらしい。
 そうこうしているうちに聞こえてくる波のような幾つもの声。
 恐怖を吹き飛ばす為に叫びながら突撃してくる敵兵のものであり、万は余裕で超えている。


 一番最初の柵に取り付くまではただの徒競走。
 だが、取り付いた直後からが地獄の幕開け。
 鉄条網こそないが、それでも華雄が稼いだ時間で作られたそれなりに頑丈な柵は簡単には乗り越えられない。

 敵兵の先頭集団が柵に辿り着いた。
 瞬間、砦群から放たれる無数の矢。
 敵弓兵の援護射撃は残念ながら砦に届かず、途中で失速して丘陵の真ん中辺りに落ちてしまう。



 高順はそれを見てほくそ笑む。
 経験的に矢を高いところから低いところへ射てば遠くへ飛び、威力もまた上がることが分かるだろう。
 そして、柵を突破する為には引っこ抜くか、無理矢理押し倒す、そしてこの時代にあるならば爆弾なりで吹き飛ばす、あるいは燃やす。
 これらのどれかをしないとならないということもまたわかるだろう。
 弓と柵、その2つが重なるとこうなる、という見本であった。
 


 この手の陣地は日露戦争でロシア側が使い、その有効性が立証され、戦車が登場するまで甚大な損害を攻撃側にもたらしたやり方だ。
 機関銃こそないが、それは弓で何とか補える。




 バタバタと倒れていく敵兵達。
 それを高順は笑みを浮かべ、眺めている。
 敵とはいえ人が死んでいる、ということを彼女は忘れているようだ。
 まるでゲームのようにしか思えない。
 とはいえ、そう思うことで精神の安定を保っているのかもしれない。

 そして、それを見た護衛や伝令達は体を震わせた。
 勇猛である、ということは彼女達にとって最も良いとされることだ。
 対して目の前の少女はこの惨劇を作り出し、なお笑っている。
 彼女達は高順を臆病者ではないか、と高廉の説得で感じながらも従った。
 だが、全く違った。
 臆病者どころなどではない。
 彼女達が感じたのは畏怖。
 自分達を手足の如く動かし、最も楽に多くの敵を殺していく。
 そんなことをする存在を彼女達は知らなかった。

 
 そうこうしているうちに第一線の柵を乗り越えた兵達が出始める。
 戦友の屍を盾にして。
 だが、絶望はそこからだ
 1つ突破した後も無数ともいえる柵。
 それらを全て突破せねば砦群に辿り着けない。
 弓兵の援護は役に立たず、かといって柵を燃やそうとすれば初期ならともかく、味方兵がひしめいていることから危なくて使えない。
 馬騰の攻城戦に対する経験不足が如実に現れていた。

「高順殿、一つお聞きしてもよろしいですか?」

 唐突に護衛の兵の1人が問いかけた。
 高順と同じくらいの背丈だが、歳は2つは違うだろう。

「何か?」
「アレは敵が使った場合、どうやって突破すれば?」

 純粋な疑問なのだろう。
 高順はその答えに微笑み、答える。

「油を小さな壺に入れて持っていき、柵に掛けて燃やせばいい。もちろん、夜間にね」

 いとも簡単な突破法に聞いた方は思わず唖然。
 回りの兵達もそんな簡単なのか、と拍子抜けしたようだ。

「あら、馬騰もこのままじゃ拙いと思ったみたいね」

 高順の視界には予備隊としてとっておいただろう、歩兵隊が弓兵隊と共に前進するのが見えた。
 屍山血河を築いている柵を突破するには大兵力の投入しかない、と馬騰は判断したらしい。
 彼女の気持ちはきっと焦りや不安、そして怒りに満ちていることが高順には容易に分かった。
 遊牧民族の癖にこんなときだけ騎兵を使わないとは何事か……そんな怒鳴り声が聞こえてきそうだ。

「少しは考えたみたいね」

 予備隊のうち、少なくない数の歩兵達が前面を迂回し、両側面へと移動しているのが見えた。
 飛んでくる矢を分散させよう、という魂胆だろう。
 とても正しい攻め方だ。
 だが、もう遅い。
 予備隊の士気は先鋒隊の死に様を見、最低辺にまで落ちていることだろう。
 そんな連中が突破できる筈もない。

「……底抜けの馬鹿か、余程の大物か……」

 高順は予備隊から視線を戻し、馬騰の本陣へと視線を戻したときに思わず呟いた。
 騎兵が集結し始めていた。
 鋒矢の陣を幾つもこしらえている。
 おそらくその先頭に馬一族がいるのだろう。
 
「ただちに後方の騎馬隊へ連絡。予定通りに両側面を突け」

 そう言いつつ、高順は思う。
 伝令はもっと減らしてもよかったかしら、と。










 その頃、馬騰は……笑っていた。
 騎兵の群の先頭で。

「機嫌が良いようで何より」

 そう言うのは葉雄。
 彼女率いる500余りの騎兵は馬騰の本隊と共に突撃することとなったのだ。
 砦目掛けて。

「ああ、そうさ。ここまで無様を晒したのは人生で初めてだ。笑うしかない」
「しかし、柵目掛けて突撃とは……」

 口には出さず、その目で無謀だ、と馬騰に告げた。
 
「我ら涼州騎兵は柵なんぞ飛び越えてみせる。先に展開した兵は死体でないなら横に退くだろう」

 そう言い、もっとも、と馬騰は続ける。

「あそこの地獄で生き残っている兵がいるならな」

 彼女が指さしたのは砦群正面。
 予備隊を両側面に回したことで多少は降り注ぐ矢の数が減ったものの、それでも多くが降り注ぎ、今この瞬間にも死体を作り出している。
 このままやっていても、いずれ突破できるだろう。
 だが、その代価は数万にも及ぶ兵の命。
 

 葉雄はそれに答えず、馬騰は死にたがっていると直感した。
 経験不足だから、というのは戦場では通用しない。
 上の命令を信じ、真っ先に死ぬのは下っ端だ。
 それを彼女が分からない筈がない。
 故に定石通りに攻めた結果がこれだ。
 彼女は自分の無能さに打ちひしがれている。

 葉雄は同情を抱いた。
 馬騰は決して無能などではない。
 その武は高みにあり、またその指揮能力は天下逸品。
 だが、らしくない。
 幾ら負け戦になろうとも、馬騰は決してこんな無謀なことはしないだろう。

 少しやりすぎたかな、と葉雄は思わずにいられない。
 彼女達が徹底的に後方を叩いた結果が馬騰への精神的重しとなったのは言うまでもない。
 全て普通の会戦でケリをつけてきた馬騰にとって、後方部隊だけを叩かれるというのは初めての体験なのだろう。
 それが正常な思考を奪い去り、今の様となっている。




「母様……」

 そんな母親に何か言いたげな馬超。
 だが、言葉は出ない。

 葉雄は今ここで殺してやるべきか、と逡巡する。
 少なくともそうすれば被害は両軍共に最小限に食い止められるだろう。

 勝って当たり前と思われていた20万という兵を動員した異民族相手の戦。
 不安要素はあったものの、輜重隊や伝令を徹底的に叩かれ、兵力が激減するまでは馬騰以下全ての諸侯が勝利を疑わなかっただろう。
 それが今、敗北となって終わろうとしている。
 責任やら何やら、朝廷から色々問われることになるだろうが、馬騰はそんなことよりも、いたずらに兵を失ったこと、その一点に押し潰されようとしている。
 
 葉雄は先ほどの殺すか否かという考えを撤回し、思った。
 こんなところで失うには余りにも惜しい、と。

「馬寿成殿、1つ約束して頂きたい」

 葉雄の言葉に馬騰は首を僅かに傾げる。

「この戦が終わったら、ある人物に会って頂きたい。その為にあなたは死ぬべきではない」

 その言葉に馬騰は力無く笑みを浮かべる。

「ああ……私が生きていたら会ってやろう」

 ならば安心です、と返しつつ葉雄はすかさず馬騰の鳩尾に拳を叩き込んだ。
 普段の馬騰ならいざ知らず、彼女は弱り切った状態であったのでそれをまともに受け、昏倒してしまった。

 まさかの凶行に馬超は何も反応できない。
 そこへ葉雄は畳み掛ける。

「孟起、寿成殿は疲労により倒れてしまった。今、この瞬間に全軍の指揮権はお前に移った。さぁ、どうする?」

 その言葉にハッとし、半ば反射的に馬超は叫んだ。

「攻撃中止! 攻撃中止! 白旗を持たせた使者を送る! 今回の戦、我々の負けだ!」

 兵達も諸侯達も敗北を感じ取っていたのだろう。
 抗議の声はどこからも上がらない。
 馬超の叫びを聞いた伝令達は大慌てで、柵を突破しようとしている歩兵隊や弓兵隊へ走っていく。
 あの地獄から一刻も早く救い出してやらねばならない。
 そういう使命感を彼らは帯びていた。




「降伏宣言、確かに受け取った」

 そして、葉雄はそう言った。
 馬超は思わず間の抜けた声を出す。

 そんな彼女に葉雄は不敵に微笑み、竹の水筒を取り出し、その栓を抜いて頭に掛けた。
 みるみる落ちていく黒色。
 代わりに現れたのは銀色。

「え、えええ!?」

 幽霊でも見たかのように叫んだ馬超。
 それは彼女だけに留まらず、周囲にいた兵達も同じこと。

「我が名は華雄。そちらの使者と共に私が行こう。血気盛んな連中が多いからな」

 そう言い、ウィンクしてみせる華雄であった。









 官軍と羌族との戦いは幕を閉じた。
 10倍以上の数を誇った官軍の、まさかの敗北によって。
 馬騰は馬超と共に羌族との和平会議に臨み、そこで高順と出会うことになる。
 2人は高順が後方に騎兵を温存し、両側面を突くよう指示していたことを知った時、顔を青くした。
 あのまま突撃していたら、全滅は免れなかった、と。
 

 そして、2人の名がそれぞれの功績と共に大陸全土に轟くこととなった。
 1人は華雄。
 僅かな手勢と共に官軍を撃破する直接的要因となった知勇兼備の将。
 もう1人は高順。
 羌族の指揮を取り、膨大な損害を官軍に強いた防御戦の名手。

 また、この戦により力関係の変化が幾つもあった。
 それは異民族を撃退できなかったことによる、漢王朝の権威の大幅な低下。
 和平でもって羌族は漢に手出ししない、と約束したものの、それは敗者がそう言ったのか、勝者がそう言ったのかで全く意味が違ってくる。
 今回の場合、いつでも叩き潰せるが、敢えて手出しをしない、とそういう意味であった。
 
 対して、羌族勝利の報を知り、烏丸や鮮卑、匈奴といった他の異民族が活気づいた。
 ますます彼らによる侵略は激しさを増していく。
 異民族達はお互いに険悪な関係にあるが、それでも今回の勝利は喜ばしいものであった。
 ちなみに、彼らですらも華雄と高順は好意的に受け止められ、戦勝祝いに、と馬などが羌族に贈られた。

 そして、漢王朝の権威低下はその配下である諸侯にも影響が及び、力ある諸侯達は来るべき戦乱に備え、人材確保や経済基盤の安定に奔走し始めたのだった。

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