知将華雄

「……これで本当に大丈夫なのか?」

 不安げな表情で1人、呟いたのは茶色髪の少女。
 見た目から推測すれば15、6歳程度にしか見えない彼女はれっきとした子持ちである。
 そして、彼女は軍勢の総大将であった。

「思った以上に兵の数が……参加する諸侯の数が多すぎた結果がこの様か……」

 勝ち馬に乗りたい、という諸侯は致し方ないにしても、ちょっと募兵しただけで予定人数の数十倍の数が集まるとはさすがの彼女も思ってもみなかった。
 それだけに異民族への嫌悪や憎悪が民の間で激しいことに嘆息する。
 そして、予定人数に達したから、と彼らを宥めることも難しかった。
 暴徒の一歩手前となった民衆相手にいらぬ損害は出したくない。
 それ故に希望者は全員連れて行くことになったのだが……兵糧に難が出てきた。
 朝廷からはただ討伐しろ、という命令しか来ていない。
 つまり、必要なものは自分で調達しろとそういうことだ。

 他の諸侯も似たり寄ったりであり、当初の10万から20万程度にまで兵数は増えていた。
 そう、最初は20万であった。
 そんな大量の志願兵を調練するだけでも一苦労だ。
 当初の予定では1ヶ月弱で全て終わると考えられていたが、ある程度の準備を整えて出発するだけで1ヶ月もの時間が掛かっている。
 これにより敵に時間を与えてしまった。
 ただ敵は遊牧民族。
 城塞を築いているわけでもなく、大まかな位置は予想がつくが、実際にその予想位置にいるかはわからない。
 無論斥候は出しているが、それでも中々に時間が掛かった。




 そのとき、彼女の天幕にある人物が入ってきた。
 その少女もまた茶色髪。

「翠、どうだった?」

 問いかけに少女は肩を竦める。

「駄目だ。全然駄目だ。連中はもう使い物にならない」
「……そうか、ご苦労」
「いや、いいって。正直、私もちょっとくらい人が減ってくれた方がいいって思ってたし」

 うんうんと頷く少女。

「馬騰ともあろうものが、こんなにも翻弄されるなど……」

 そう言い、少女――馬騰は天を仰いだ。







 ケチのつき始めは2週間前、兵を纏め、集結地点へ向かうべく移動していたとある諸侯が襲われたこと。
 彼女は夜、野営地で敵の騎兵に襲われ、あっという間に討ち取られてしまい、ついでに所持していた兵糧まで焼き払われてしまった。
 本来ならあり得ぬ騎兵による夜襲にその知らせを聞いた諸侯はどよめいた。
 如何に精強な騎馬隊で知られる涼州の諸侯といえど、そんな真似ができる兵を有している輩はいない。
 訓練すればできるだろうが、それでも膨大な時間が掛かるし、何よりも普通に昼間戦った方が良い。

 その諸侯が襲われただけならいいのだが、その後も敵騎馬隊は忌々しいことに八面六臂の働きを見せ、徹底的にこちらの輜重隊と伝令を狙っていた。
 行軍速度を上げる為に基本、輜重隊は護衛と共に本隊とは切り離す。
 そこを物の見事に突かれたのだ。

 敵は時には官軍の振りをし、時には旅人の振りをし、またあるときには大胆にも馬騰から密命を受けたとして輜重隊の護衛は自分達が引き受けるとまで言ったりしていた。
 そして、焼き払われるならまだしも、自分達の兵糧をそっくり奪われたりしている。


 これは拙いとただちに馬騰は護衛の人数を大幅に増やすと同時に伝令の証として、自分の印を押した証書を持った者以外は敵とせよ、と命を出した。
 そうしたら今度はその伝令を狙われ、証書を奪われてしまい、結局輜重隊が襲われた。
 護衛の人数を増やそうとも、敵の騎兵は怯まず輜重隊に疾風の如く駆け寄り、事を成したら疾風の如く去っていく。
 あまりにも鮮やかな手口に馬騰も感心してしまう程であった。

 おかげで輜重隊の護衛と伝令の護衛にまで兵を取られてしまい、おまけにやはり異民族は怖いと恐慌状態に陥った志願兵達が脱走し始めてしまったり。
 踏んだり蹴ったりであった。


 最近では護衛の人数を当初の3倍に増やしたことで輜重隊は襲われなくなったものの、伝令を徹底的に狙われていた。
 伝令如きに100や200も護衛をつけるわけにもいかないが、命令が行き届かなければどうしようもないのでそれだけの数を護衛としてつけている。
 最近、その敵騎馬隊が出現しなくなったとはいえ、油断はできない。

 そして、集結地点に到達しているのは参戦してきた23名の諸侯のうち、12名しかいない。
 23名のうち1名は既に討ち取られ、残る10名は敵騎兵による撹乱により、混乱状態だ。
 馬騰のところですら兵糧が心許ないのに、参加している諸侯は彼女よりも経済基盤が小さいところがほとんどだ。
 それだけ兵糧の確保には苦労したことだろう。
 そして、その兵糧があっという間に消えて無くなってしまえばもはや士気は最低。
 馬騰は娘の翠――馬超に使者として戦えるか否かを見定めに行かせていたのだ。
 そして、その10名は脱落が確定した。





「失礼する」

 そんな声と共に彼女が入ってきた。
 彼女を見るなり、馬騰の顔が気持ち晴れやかになる。

「おお、葉雄殿」
「寿成殿、何やらお悩みのようで」

 そう言う彼女――葉雄は黒髪を短く切りそろえた色白の肌であった。
 彼女は討ち取られた諸侯に義勇軍として参加していたが、事実上、壊滅してしまい、他の諸侯へ参加しようとしたが兵糧不足を理由に断られ、彷徨った挙句にここにたどり着いたと馬騰は聞いていた。
 そして、彼女は葉雄が率いる騎馬隊の腕を一目で見抜き、心底惚れ込んでしまったのだ。
 
「例の銀隊ですか?」

 葉雄の言う銀隊とは散々に苦しめられた敵の騎馬隊の通称だ。
 その騎馬隊は全員が銀髪だと言うことからきていた。

「いや、それではない。連中はここ最近姿を見せていなくてな。斥候を四方八方に出しているが、見つかっていない。おそらくもうこの近辺にはいないだろう」

 馬騰はそう答え、それに、と続ける。

「人数が少なくなって動きが軽くなったところだ」
「20万が今じゃ8万だぜ? 信じられるか? 葉雄」

 歳が近いということで馬超は気安く話しかける。
 葉雄はそれに嫌悪など示さず、むしろ歓迎した。

「敵は戦をよく分かっているらしい。こちらの兵糧と連絡の寸断に来たことからもそれは明白」

 葉雄の言葉に馬騰と馬超は頷く。

「輜重隊や伝令の護衛と兵の脱走、兵糧不足で士気はよろしくありません。しかし、数の差で敵を覆滅できることでしょう」
「だいだい4倍の兵力差だからな。それに私や母様、お前もいる」

 うんうん、と頷く馬超に葉雄は笑みを浮かべる。
 その笑みは頼もしいという感情から出たものか、それとも嘲りか。

「ならばこそ、長期戦など望まずに一気呵成に片をつけるべきです。たとえ、敵が城塞を築いていたとしても力押しで勝利は確実。名高い馬一族の武を私に見せて頂きたい」

 葉雄の言葉に不敵な笑みを浮かべ、頷く馬騰と馬超であった。














「うーん……予想以上だわ」

 高順は思わず呟いた。
 何が予想以上かというと華雄である。
 彼女はとんでもない知将に化けてしまったようだ。

 華雄隊から伝令としてやってきた者によれば華雄は大軍故の弱点を正確に見抜き、そこを徹底的に叩いた。
 その結果が当初の予想を下回る敵軍8万、しかも士気は低いという最高のものとなって返ってきていた。
 華雄の報告を高順はまだ誰にも話していない。
 決死の覚悟をもってくれた方が戦いを有利に進められると判断したからだ。

 そして、華雄隊の損耗はわずか80名弱であり、全体からみれば極めて低い損害だ。
 彼女はたった600人で12万もの大軍を打ち破ってしまったことになる。
 華雄1人いれば私いらないんじゃないか、と思ってしまう高順であるが、その考えを追いやり、思案する。

 華雄の報告によれば髪を染めて馬騰の本隊に義勇軍として紛れ込むというもの。
 逃げてくる連中がいないことからおそらくそれは成功した、と高順は判断する。
 彼女は笑ってしまう。
 華雄の考えが手に取るように分かってしまった。

 華雄は側面からの攻撃を受け、混乱している最中に馬騰をはじめとした馬一族を討ち取るつもりだ、と。
 単純な武では華雄は馬騰どころか……ひょっとすれば馬超にも劣るだろう。
 だが、混乱している最中であればその前提は覆る。

 そして夜襲はやらなくてもいいのではないか、と高順は考える。
 華雄は夜襲を成功させ、敵将を討ち取ったと聞く。
 ならばこそ、馬騰が対策をしないわけがない。

 そこに如何に精強とはいえ、兵を突っ込ませるのは馬鹿のすることだ、と。
 師団規模の夜間突撃は燃えるものがあるが、個人的な欲で兵を動かしてはならない、と彼女は肝に銘じる。

「焚きつけた手前、説得するのは気が重いけど……いたずらに死なせるよりは遥かにいい」

 そう呟き、高順は指揮所を後にした。





 こうして夜襲により消耗する筈であった虎の子の騎馬隊は1騎も欠けることなく、高順の一時的な不名誉と引換えに温存された。
 手ぐすね引いて待ち受ける屈強な彼らを、今の状態の諸侯が防げるかどうかは極めて怪しかった。

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