戦雲

 出発する際、高順は賈詡にいくつもの書状と自らが持つ全ての書物及び金銭を渡していた。
 書状についてだが、これは賈詡の観察眼を疑うわけではないものの、それでも念の為に、とこの言葉……というよりも詩に共感できる人物を確保せよ、と。
 更には未来知識という反則により、最優先で確保すべき人物をリストに纏めていた。
 大まかな出身地と名前のみであるが、あるとないとでは全く違う。
 高順は磨けば光る原石を知っていて無視する程に馬鹿でも愚かでもない。
 また彼女は張遼に次に会ったとき、真名を預けると伝えた。
 董卓に関してはまさか戦場に連れて行くわけにもいかないので、賈詡に預けることとなる。
 董君雅の予想がずばり的中した形である。 
 また賈詡も高順に拙い状況に陥ったら読むように、と書状を1通、渡していた。

 そして、やることをやり終えた彼女達は別れた。










 董君雅の下から数日掛けて、高順は華雄と共に部族が集結しているという平原にやってきていた。
 そこに来てみれば無数の天幕が視界一杯に立ち並び、中々に壮観であった。
 ところどころで馬達のいななきが聞こえたり、調練でもしているのか、掛け声が聞こえる。

 それらを見て高順はふむ、と考えこむ。

「……駄目ね」
「は?」

 急な駄目出しに華雄は思わず問い返す。

「こんなだだっ広い平原じゃ持ちこたえることは到底できない。馬を扱えない歩兵部隊を丘陵などに配置し、騎兵はただちにもっと下がるべき。敵が侵攻し、歩兵部隊が敵先頭を足止めしている間に騎馬でもって敵の両側面を突くと同時に歩兵部隊も敵突出面に対して総攻撃開始」

 高順は5倍の敵を打ち破るには機動防御しかないと考えていた。
 彼女が望むのは華々しい騎兵突撃による玉砕覚悟の決戦などではなく、後手からの致命的な一撃。
 彼女は芸術的な機動防御を行ったマンシュタインにならねばならかった。

 また、高順は敵の士気は極めて高いこと、そして下手をすれば10万を超えることも予想している。
 それも当然だ。
 異民族は漢族にとって蛇蝎に等しい。
 その異民族を駆逐する為に戦うとなれば敵の兵力が10倍以上に膨れ上がっても、何らおかしいことではない。
 無論、兵站上の理由からそこまでの大軍とはならないが、それでも当初の10万よりも多くなりこそすれ、減ることはあり得ない。

 対する華雄は高順の言葉に頷いていた。
 一昔前の彼女ならば己の武勇でもって蹴散らすとか何とか言っていただろうが、読み書き計算だけではなく、彼女も頑張って孫子を読んだ結果、如何に個人が優れていようと大軍には勝てない、と結論づけていた。
 尽きることのない体力、欠けることなき得物、僅かな傷もつけられない俊敏さ。
 それらがあれば話は別だが、到底人間には無理であった。

「部族の長達はこっちだ。全てお前に委ねると言っているから大したことにはならないだろう」
「そうでなければ私は母とあなたとあなたの母を連れて逃げるところだわ」

 高順の言葉に華雄は笑った。
 そして、2人は一際大きな天幕へと向かったのだった。








 天幕に入って早々、まとめ役である老婆が口を開いた。
 
「高順、主のことについてはよう聞いとる。此度の戦、どうにかしてくれないか?」

 単刀直入である。
 だが、高順としてはそちらの方がむしろ好ましかった。
 アレコレ言われるよりも遥かに。

「確認ですが……全て私がやってよい、と?」
「構わん。上から下まで全て意志は統一してある」
「何をもって勝利としますか? 敵を全て殺せ、というのはさすがに無理なので勘弁願いたい」

 高順の問いに老婆は暫しの間をおき、答える。

「敵が退けばそれでよし」
「了解しました。戦える者しかここにおりませんね? 敵は今どこに?」

 問いに老婆は頷き、そして答える。

「時間の猶予はまだ若干だがある。敵はまだ兵を集めている真っ最中であり、各地を出立するのは2週間、集結し、ここに来るまでさらに2週間といったところだ」

 ならば、と高順はただちに告げる。

「ここを放棄し、ただちに丘陵のあるところに移動しましょう。一刻も早く」
「ここで戦っては駄目なのか?」

 問われた高順はすかさず答える。

「全滅し、余勢を駆る敵軍に一族全てを根絶やしにされたいのであればここで戦います」
「……すぐにここを払おう」

 高順に全て任せると言った以上、愚問であったな、と思いつつ老婆はそう指示を出したのであった。










 それから羌族は高順の指示通り3日程南へと行き、丘陵の多いところにたどり着いた。
 そして丘陵の上に小規模な砦を幾つか構築する。
 2万人余りが総出で近くの森から木を切り出し、それを高順の指示通りに柵や城壁、櫓を組み立てていく。
 弓の射程はだいたい300m程度。
 高順は砦の相互距離をおよそ3町程、メートル法に直せば327m程度に設定し、砦と砦による連携が期待できるようした。
 また柵は多ければ多いほどいい、と高順は考え、丘陵の麓からできる限り多く設けることとした。

 柵による足止めをしている中、矢を射掛ければ大打撃が期待できる。
 また、その場合は上から撃ち下ろす形になるので通常よりも射程距離が伸びる。
 そして、十重二十重の柵は騎兵による突撃を阻止する。
 こちらも騎兵は得意だが、相手もまた得意。
 しかし、こちらは砦に篭るのは歩兵のみ。
 ならばこそ、相手の得意を封じるのは良策であった。

 はっきりと高順はその脳裏に作戦を組み上げていた。
 華雄に語った作戦をより大胆に、そして精密に……

 砦を落とそうと躍起になっている敵軍の側面を突けば一瞬で事が終わるだろう、と。
 無論、こちらも無傷で済むとは思っていないが、それでも敵には膨大な出血を強いることができる。
 そうなれば敵とて諦めざるを得ない。





「……夜襲を考えてみるか」

 指示を出す傍ら、指揮所とした天幕にて高順はふと思いついた。
 敵が集結し終わった後に攻撃を開始しなくてはならない、という決まりがあるわけでもない。
 律儀に待つ義理はなく、騎馬民族の利点……その機動性を最大限に活かすべきである。

 高順はただちに華雄を呼び、自身の考えを話した。






「面白そうだな」

 華雄はただそう返す。
 そんな彼女に高順は更に言葉を続ける。

「ただ問題は敵が怒ってもっと兵隊を動員してきたことだけど……まあ、10万が100万になっても変わりはないわね」
「そうなった場合、戦力比は1:50か。面白い戦になりそうだな」

 むしろそうなれ、と言いたげな獰猛な笑みを華雄は浮かべる。
 猪ではなくなったとはいえ、勇猛であることは間違いない。
 そして、彼女が率いる部隊は部族の中でも一、二を争う程の腕前だと高順は聞いていた。

「やれるかしら?」

 問いに猛将は不敵な笑みを浮かべる。

「お前がやれ、というならやってみせよう……それに連中はもう勝ったつもりでいるだろう?」
「ならば、教育してあげましょうか」



 ここに夜襲が決まる。
 数刻後、華雄は手勢を率いて出陣していった。
 その総数僅か600弱。

 だが、彼女らは狩られるのを待つ獲物にあらず。
 狩人をも食い殺す獰猛な虎であった。












 高順が準備を進める中、彼女と別れた賈詡達は気が気ではなかったが、それでもどうにか落ち着いていた。
 とりあえず一行は東へと歩みを進め、涼州を出、隣の雍州へとやってきていた。
 手近な街で宿を取り、今後、どう進もうかと彼女達……というよりか、賈詡は1人、考えていた。
 しかしながら、その彼女は苛立っていた。
 張遼、董卓とも路銀の節約の為に同室である。
 そこは全く問題ないが、董卓の態度に問題があった。

 賈詡は気づかれぬよう董卓に視線を向ける。
 彼女は寝台の上で溜息を吐いたり、時折高順の真名を呼んだりしていた。
 賈詡のことは全く眼中にないようだ。

 はっきり言って鬱陶しい。
 張遼がいれば彼女に押し付けるところだが、彼女は買い出しに行っている。


 賈詡は溜息一つ、再び高順からもらった書状を読み返す。
 書状は登用すべき人材などを纏めたものと彼女が覚えていた現在の漢の状況にぴったりな詩などの他、賈詡個人へ宛てたものもあった。

 それには信頼の証を詩とした小っ恥ずかしいものが書かれていた。
 読んでいて賈詡の性格では赤面してしまうようなものだ。

 とはいえ……ここまでされては賈詡のやる気は十分どころか天を突く勢い。
 数十名にも及ぶリストの人物。
 その全ては無理だとしても確実に1人ずつ、確保しなければならない、と気持ちを新たにする。
 
「しかし……あの詩、本当にぴったりだわ……今を憂う者なら心揺さぶられる事間違いない」

 賈詡は自分宛のものではなく、今の漢の状況を示した詩を思い出す。
 あれは間違いなく生真面目な輩に受ける、と確信する。

「汨羅の淵に波騒ぎ、か……」

 賈詡が窓から外を見ればそこには綺麗な夕日があった。
 瞬間、賈詡は想像する。
 没する日は漢、その周囲にある赤い光は血。
 没した後に来たる夜は戦乱。

「……どんな時代が来ようと、ボクは彩に全てを捧げる。ボクをここまで信頼してくれる彼女を見捨てるわけにはいかない」

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