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急変する事態


 季節は巡り、高順が尊皇討奸の目標を掲げて早3ヶ月が経過した。
 彼女はこの間、ただひたすらに仕事を真面目にこなしつつ、賈詡と策を練り、張遼と武を競いあった。
 また何進への文は太学へ行くときに出せばちょうどいい、と高順は判断し、まだ書いていなかった。
 そして、董卓とも喧嘩をすることなく良好な関係を維持していた。
 無論、告白とかそういう事態にはなっていないが、彼女の高順への態度などを見れば誰でも分かるような具合であった。
 高順としても好かれて悪い気はしないが、董君雅としては気が気ではない。
 こうなったのは偏に董君雅の教育方針にある。
 董卓にとって高順は初めての友達であり、その友情が高順に色々されているうちに愛情へと転じるのはある意味当然だ。
 董卓にとって高順はつまるところ初めての対等な存在であった。
 もし董君雅がもっと董卓を外に出し、友達を作らせていたならば、彼女は友情を友情として捉え、それが愛情へ転化するなどということはなかっただろう。
 早い話が免疫がないところに一気に突っ込んだ為に過剰反応を起こしたのだ。

 ともあれ、そうなってしまっては致し方なく、董君雅としても下手に娘に嫌われるよりは、と黙認せざるを得なかった。
 しかし、事態は急変することとなる。









「……拙いわ」

 董君雅は1人、呟いた。
 つい先日、そしてつい先程、相次いでやってきた使者が彼女を悩ませる原因だ。

 それらは朝廷からの使者と懇意にしている羌族からの使者だ。
 前者は簡単で今回、反乱を起こしている羌族を鎮圧すべく、馬騰を中心とした討伐軍を結成するが故に参加せよ、とそういうもの。
 対する後者は羌族の為に戦うもしくは中立を維持して欲しい、というもの。

 相反する命令と要請に董君雅はほとほと困り果てていた。
 残念ながら彼女には軍師というべきものはおらず、ほとんど1人で決めてきた。
 これまでも、そしておそらくはこれからも。

「何よりも……」

 董君雅はそこまで言い、溜息を吐く。

 高順の存在だ。
 聞けばやってきた使者は高順とは旧友だと言っていた。
 自分への要請だけが目的ではなく、高順を引き戻す為の任も受けていることは容易く想像がつく。
 その使者である彼女に聞けば部族の長達が満場一致で高順が必要である、と判断したらしい。
 彼女は腫れ物扱いされていたが、彼女がしていたこともまた部族で知れ渡っていた。
 彼女の出身部族の者が変わり者がいる、と広めていたのだ。
 誰も読まぬ、否、読めない兵法書を読みあさり、部族の戦術に対して口を出そうとしたり……
 そのことがようやくになって評価されたことは当の本人にとっていいことなのか、悪いことなのか。

 
 確かに、不安の種である高順を手元から遠くへやれるのならばそれはそれで董君雅にとっては良い。
 だが、董卓もくっついてく可能性は極めて高い。
 それはさすがに許容できない。
 かといって、董卓を無理に高順と引き離そうとすればその思いはますます募るばかり……
 打つ手無しであった。

「涼州各地の諸侯は参加するようね……その総兵力は10万を超える。対して、羌族は頑張っても2万そこそこ……」

 今回の大将である馬騰は羌族との混血だ。
 しかし若い頃、彼女は官軍に志願して入り、そこで功績を上げ、今の地位に就いている。
 故に立場を弁え、羌族とは付かず離れずという関係であった。
 公然の秘密として異民族と仲良くしているのは涼州では今のところ董君雅くらいであった。

「中立維持……いや、ここは参加した方が得策か……?」

 董君雅は異民族に対して友好的である。
 だが、彼女も、そして異民族側も場合によっては敵対するということを承知していた。
 呵責はあるものの、それも無視できる程度のものだ。

「月はどうしましょうか……」

 参加すれば娘とは絶望的な関係になるだろう。
 参加しなければ将来的に朝廷に滅ぼされるだろう。
 衰えたりとはいえ、まだ諸侯を動員するだけの権威が朝廷にはある。

「苦渋の選択だわ……どちらも苦すぎる……」

 苦虫を噛み潰したかのような表情で彼女は呟いた。
 しかし、彼女に迷っている時間はない。
 既に馬騰らは動員を開始している。 
 対する羌族もまた各地の部族を集結させている。
 
 対決は避けられない。

「……高順を部下にしていた、と分かればどちらにせよ難癖をつけられる。だが、民はついてこない」

 董君雅は息を大きく吸い、そして吐いた。

「民の意志、私の命、そして月の命……優先すべきは……」

 彼女は決断を下した。
 すぐさま適当な者を数人呼び、朝廷へ、そして馬騰への文を書き、それを彼らに渡した。

 そして、董君雅は羌族からの使者を呼び、伝えた。

 朝廷側に立って参戦する。だから、高順と、そして娘を連れて行って欲しい、と。

 どちらにせよ難癖つけて殺されるなら、娘は生き残る可能性が僅かなりともある野へ放つべきだ、と。
 そして、高順ならばきっと娘を安全圏へ避難させた上で戦に望むだろう、と。





 ここで少々時間は遡り、董君雅がまだ悩んでいた頃。
 羌族からの使者は久しぶりの旧友に会うべく、その部屋を訪ねていた。
 彼女は入ってその部屋にいる予想外の第三者に驚くが、それも一瞬のこと。

「……見ない間に女を連れ込んだか」

 笑みを浮かべつつ、そう言う彼女に誰よりも早く高順は反応した。

「嵐!」

 高順は名を呼び、嵐――華雄に抱きついた。
 そして、ぎゅっと抱きしめつつ、その感触や匂いを堪能する。

「久しぶりだな、彩」

 対する華雄もまた高順の背に片手を回し、その頭を撫でる。
 急な展開に部屋にいた賈詡は唖然となった。

「って、誰なの! そいつ!」

 我に返った賈詡が叫んだ。
 そんな彼女に華雄は高順の頭を撫でながら答える。

「私は華雄。彩とは古い友人でな。今回、少々厄介事が起きたので彩を連れ戻しにきた」

 高順はそれだけで事態を悟り、確認の意を込めて問いかける。

「官軍とやるのね?」
「ああ。既に各地から同胞が続々と集結している。だが、敵は馬騰を筆頭とした官軍10万。どうにかする為にお前の力が欲しい、と部族の長達がな……」

 高順は押し黙った。
 彼女には自分の部族と官軍が戦うという予想はできていたが、ここまで早いとは思いもよらなかった。

「駄目よ」

 黙った高順の代わりに賈詡が口を開いた。

「何故、お前が答える?」

 華雄の最もな指摘に賈詡は胸を張って答える。

「彩の軍師よ。ともあれ、今、そっちに行くと色々な予定が狂うわ。董君雅殿がどういう判断を下すかにもよるけど、どちらにせよ私達はここから出ていかなければならない」

 だけど、と賈詡は続ける。

「ただこの地を離れた、というのと官軍と戦う為に離れた、というのでは意味合いが全く違ってくるわ。前者ならまだどうにかなるけど、後者なら極めて拙い」
「だが、彩は我々の同胞だ。そして、彼女の母親もまたそうだ。お前は彩に母を見捨てろ、と言うのか?」

 賈詡は押し黙る。
 利害では確かに彼女の言うことは最もであるが、人間はそれだけで動くものではない。

「彩、お前の力が必要だ。こちらの兵力は2万しかない。官軍を打ち破らねば羌に未来はない」

 そう言う華雄であったが、高順はすぐには答えず、抱きついていた彼女から離れる。
 そして、水差しから湯呑みに水を注ぎ、ゆっくりと飲み干す。

「……詠」

 高順は最も信頼する軍師の名を呼ぶ。

「官軍と戦い、その武勇あるいは智謀が認められ、敵であるが讃えられる……そういうことはあり得るかしら?」
「あるわ。だけど、そんなにうまくいかないからそう讃えられるのよ?」
「うまくいくように何とかするのが人間よ。詠、あなたは226計画の前倒しを。文遠と共に各地を流浪し、人材確保に努めなさい」
「……あなたが死んだら、全てが終わることを肝に命じて」

 その言葉は棘々しくも賈詡なりの高順を気遣っての言葉。
 意図を読み取り、高順は優しく微笑み、告げる。

「大丈夫、問題ないわ。詠も気をつけて」

 そして優しく賈詡を抱きしめた。
 まさかの行動に彼女は目を白黒させ、何も言うことができずにいるうちに高順は離れる。

「嵐、何人かに挨拶をしたいから、暫し時間はあるかしら?」
「問題ない。私も董君雅殿の返事待ちだ……しかし、私個人としてはお前との関係を強化したいのだが?」

 そう言い、華雄は高順を抱き寄せる。
 その際、賈詡に不敵な笑みを見せるのも忘れない。

「2年以上、会わなかっただろう? 積もる話も多々ある……何より、もはや私はあの頃の私ではないぞ? 読み書き計算何でもござれだ」
「猪じゃないなんて……頑張ったじゃないの」
「そうだとも。もうお前に負ける要素は何一つないぞ」

 そう言い、華雄は高順の顎を僅かに上げる。
 柔らかそうな彼女の唇、僅かに潤んだその瞳に華雄は胸の高鳴りを感じた。

「やめなよ。好き合ってもいないのにそういうこと……」

 賈詡は2人から視線を逸らしながら言った。

「私は彩のことが好きだぞ? 好敵手として、友として、何より女として」
「……私とあなたが一緒にいたのって2週間くらいじゃなかったっけ……」

 それでそこまで言っちゃうなんて、とさすがの高順もどん引きであった。

「いや、私ももう13。性の発散の為に部族で色んな女を抱いたのだが、どうも駄目だ。何か足らん、と思って色々考え、彩の顔が浮かんできた。ほら、問題ないだろう?」
「いいからとっとと行きなさい! どっちもやることがあるでしょ!」

 賈詡はそうまくし立て、2人を引き剥がすと高順の手を引いて、部屋から出て行ってしまった。
 残された華雄は顎に手を当てて考え込む。

「やはり彩の女であったか……」

 やれやれ、と溜息一つ吐く華雄であった。
 そして、彼女はどこか適当なところで時間を潰すか、と部屋を後にする。
 これから1刻後、城内をぶらついていた彼女の下に董君雅から使いがやってきたのだった。







 董君雅は華雄に伝えた後、董卓を呼んだ。


「母様……」

 董卓は董君雅から事のあらましを聞き、困惑した顔であった。
 急に呼び出され、やってきてみれば自分のあずかり知らぬところで何やら大変な事態になっているが故にそれも致し方ない。

「月、高順に私は大変なことをしでかしたわ。私の力が及ばないばかりに……」

 そう言う母に董卓は首を横に振る。
 そんな彼女の頭に董君雅は優しく手を置き、ゆっくりと撫でる。

「母様も一緒に……」
「駄目よ。私にはやらねばならない責務がある。それに逃げ出したところで私に対して朝廷からの追手が掛かるわ」
「でも……でも……」

 董卓の瞳に涙が溜まっていく。
 今生の別れではないか、とそういう予感が彼女にはあった。

「月、高順のことが好きなんでしょ?」

 唐突な問い。
 その言葉を理解するのに数秒の時間を董卓は要した。
 そして、理解した瞬間に顔が真っ赤に染まった。

 そんな娘に董君雅はくすくすと笑う。

「高順は何だかんだで優しい子だと思うわ。でなければ短期間で2人も集まったりしないもの」
「うん……でも、寂しいよ……」

 しょんぼりと顔を俯かせる董卓を董君雅は抱きしめる。

「大丈夫、大丈夫だからね……月のこと、ずっと私は見守っている。泣いてもいいわ。ただ、泣きながらでも前に進みなさい」

 董卓は嗚咽を洩らし始めた。
 董君雅は娘を優しく抱きしめ続け、泣き止むまで待った。







 半刻程経ったところで董卓は泣き止み、母親をしっかりと抱きしめる。
 母のぬくもりを忘れぬように、強く。

「あなたには勉強ばかりさせてきたけど、これからは自分の身は自分で護らないといけない。誰かを殺さねばならないときもある。もしものときは高順を頼りなさい。怖かったら泣きついていい。乗り越えるためには泣くのも必要よ」

 董卓は僅かに頷く。
 董君雅は強く彼女を抱きしめ、その名を呼ぶ。
 対する董卓もまた呼び、そして無言で抱きしめ合う。




 これが母娘にとって永遠の別れとなるのであった。

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