彼女達の気持ち

 張遼と高順はお互いに盤面を見つめていた。
 そこにあるのは囲碁ではなく、高順が作成した盤面上での戦争ゲーム。
 いわゆる兵棋演習といわれるものだ。
 諸々の判定に複数のサイコロを使い、戦場の状況、互いの兵力・兵種、兵糧量、勝利条件及び敗北条件を明記し、大きな方眼上の地図の上でお互いに駒を動かすという最低限のものであった。
 この時代で本格的に再現できるわけもないが故に致し方ない。


 なお、審判役は賈詡であるが、彼女もまた興味深げに地図の上を行き来する駒を眺めている。

 今回の戦は互いに1000の騎兵を用いてお互いの総大将がいる本陣を如何にして叩くか、とそういう演習であった。



「かぁ負けた!」

 そう言い天を仰ぐ張遼。
 高順はホッと一息。

 お互いに緩急をつけた波状攻撃や後方・側面からの少数による急襲を加え、かろうじて敵陣を突破した高順の騎兵が張遼の本陣を潰した。

「しっかし、こんなもんよう思いついたなぁ……やってて楽しいわ」

 感心するように張遼に高順が告げる。

「発想の転換よ。これならどんな状況にも対応できるし、暇潰しにもなる。まあ、戦術的なものだけど、ないよりは余程マシ」
「確かにいいけど、実際は想定外のことも起こりうるから、あくまで参考程度に留めておいたほうがいいね。あと、やるときの規則ももっと細分化しないと……」

 賈詡の言に高順も張遼も同意と頷く。
 兵棋演習ばっかりやって実戦で負けました、では喜劇にしかならない。

「で、や。ウチはまあ、高順を主と定めておるんやけど……方針については異論あらへん。戦えればそれで満足やし、給金いいし……」
「何か不満があるっていうの?」

 ジト目で賈詡が問いかける。
 その様子に張遼はそっぽを向き、わざとらしく言う。

「ウチばっかり仲間外れやんかー、真名で呼び合ってー」

 賈詡と高順はお互いに顔を見合わせる。

「いや……言っとくけど、いいの? それで」
「ええやんかー、寂しいやんかー」

 頬を膨らませる張遼。
 どうやら疎外感みたいなものを感じていたらしい。

「どうする?」

 賈詡が高順に問いかける。
 問いかけられた方はうーん、と難しそうな表情だ。

「文遠は戦えて、給金が良ければそれでいいのよね? 内応する可能性が高いじゃないの」

 張遼は高順に言われて初めて気がついた。
 高順のところよりももっと金持ちでもっと戦をやらかすところから言われればホイホイついていく可能性はある。
 とはいえ、そういう引き抜きを張遼は好かない。
 戦場で捕らえられて……というならまだ諦めもつくが、戦わずして敵と通じるなど言語道断。

 しかし、と張遼は考える。
 高順の言うことももっともである、と。
 何より自分自身でそういう風に言ってしまっている。
 そんなことをしない、と証明するには相応の働きが必要である……そう彼女は結論づけた。

「もっともや……んで、そうやないちゅうことを証明する為には言葉よりも行動……せやな?」

 張遼の言葉に2人は頷く。

「何が欲しい? 言うてみ。この張文遠、忠誠の証としてどんなこともするで?」

 賈詡は何も言わず、高順をちらりと見る。
 その視線を受けつつ、彼女は口を開いた。

「今はまだ時期ではない。けども、私が何進の後ろ盾を得た後に異民族である私に従う兵隊が欲しい」
「……自分で言うといて何やけど、難しい注文やな。匈奴、鮮卑、烏丸、氏……そして羌。ここら程ではないけども、南の方でもあんまりええ感情はあらへん。募兵したところで集まってくるのは余程の馬鹿か食い詰め者くらいやろ」
「理想でも掲げてみる?」

 高順が冗談めかして問う。
 すると張遼はそれを鼻で笑う。

「まずは行動やろ。行動の結果、そうするなら人はついてくる。綺麗な言葉を並べるだけじゃ、誰でもできる」
「そうよね……太守は無理でも、県令くらいにはならないと……その為に何進に取り入る必要がある。で、その何進は宦官をよろしく思っていない」

 賈詡がそう言い張遼は呆れた顔となった。

「宦官とやりあうんかいな……そりゃ剛気やな」

 そんな彼女に高順は挑発するかのように問う。

「臆したの?」
「まさか。面白いやないか。それくらい波乱万丈な方がちょうどええ」

 不適な笑みを浮かべ、そう言う張遼に高順は満足そうに頷く。

「彩、前に策はあるって言ってたけど、どんな策なの? マトモな方法じゃ、宦官は排除できないよ」
「まず用意するものは剣術に秀でた兵を2000名。それらを少人数の班に分け、日をずらして洛陽に送り込む。夜更け、合図と共に一斉に主要な場所を襲撃。これで終わる」
「……そんなに簡単にいくの?」

 ジト目で見つめる賈詡に高順は自信満々に頷く。

「連中は外にばかり気を取られて、足元が見えていない。連中が持っているのは所詮、形なき力。本来なら駄目なんだけど、病巣を取る為の荒療治も必要……そうするには司隷校尉になることだけど……さすがにそれは無理ね」
「何進がどれだけ彩を高く買うかによると思う。売官がまかり通っていると聞くし……うまく何進を焚きつけて金を出させるか、霊帝に取り次いでもらい、官職を得るか……」

 賈詡の言葉にともあれ、と高順は言葉を紡ぐ。

「もはや漢は虫の息。ならばこそ、緩慢な、真綿で首を締められるような死よりも素早く泰山府君の下へ送り届けてやるのが人情」
「帝もついでにやるんか?」

 張遼の問いにハッとした表情となる高順。
 彼女は首を左右に振り、咳払い一つ。

「帝の周囲に蔓延る奸賊討つべし」

 彼女はそう言い、おもむろに一筆したためた。
 書いた言葉はとても単純。
 だが、これ以上ない程にぴったりなものであった。
 それは「尊皇討奸」という四文字。
 帝の為にその周囲にいる私利私欲を行う者を討つ、という意味だが、その帝……霊帝もお世辞にも名君とは言い難い。
 というより、誰が見ても暗君であろう。


「とりあえず大義名分はそれでいいわ。それなら民衆もついてくるでしょうし、宦官を嫌っている袁家にも受けがいいし……あとは実行の為に……」

 賈詡は言葉を切り、視線を高順へと向ける。
 その視線を受け、彼女は僅かに頷く。

「何進にはどうやって?」
「董君雅様に私が書く文を届けてもらう。辺境の太守とはいえ、異民族とそれなりにうまくやっているのだから、無視はできない筈」
「それがいいね」

 話し合う2人に張遼は告げる。

「そういうのはそっちがやってくれな。ウチは戦場で戦うの専門や。やけど、きっちり勝利を献上するから心配せんでな」
「……自信満々みたいだけど、やったことあるの?」

 再びジト目で問いかける賈詡に張遼は自信あり気な顔。

「ウチな、ここらに流れてくるまで、賊退治の為に農民率いたりとか色々やってるんや」
「……それなりに使えそうね。穀潰しかと思ってたけど」
「そりゃ酷いなぁ……ま、仮初だとしても平和なんはいいことや」

 そう言い、張遼は椅子から立ち上がった。
 賈詡が問うよりも早く、遊んでくる、と言って彼女は部屋から出ていった。

「随分と自由人ね」
「あれくらい奔放なら返って裏切らない……と思う」

 賈詡の言葉にそう言う高順であった。














 董卓は机に向かって勉学に励んでいた。
 彼女の生活は最近になって一変している。
 それは全て高順によるものだ。
 彼女から一緒に太学に行かないか、と誘われた董卓は一も二もなく賛成し、母親にそう伝えるとこれまで以上に勉強し始めた。
 
「彩ちゃんの為に頑張らないと……」

 そんな言葉が彼女の口からこぼれ出る。
 そして、彼女は自らの頭に掛けてある紅玉に手を触れる。

「えへへ……」

 あのときのことは今でも鮮明に覚えており、思わず笑みが浮かんでくる。
 ついで、色んな場面が彼女の脳裏を過ぎる。
 彩と一緒にお茶を飲んだり、たわいもないことを話したり……




 やがて、その思いが口からこぼれ出る。


「……大好きだよ」

 小さく、呟いた。
 董卓はきゃー、と声を上げて両手で顔を覆い、机に突っ伏す。
 彼女の初めての友達はいつの間にか初恋の人に変わっていた。

 女同士であるということを彼女は気にしない。
 女同士で、というのはこの世界ではおかしなことではない。

 微笑ましいものであるが、彼女の処遇について母親や高順が頭を悩ませたことを彼女本人は知らない。
 彼女は純粋であった。










 その頃、高順は賈詡に幾つかの本を貸し出していた。
 それらは全て高順がこちらにきてから書き、纏めたもの。
 頭にある未来知識をわかりやすく纏めたり、またこの時代と未来を比較して気づいた点などを纏めてある。

 彼女は貂蝉による転生となったとき、一回覚えたものは忘れない、という特典をつけてもらった。
 そして、それが適用されるのはこちらに転生してからだと彼女は思っていた。
 しかし、実際には前世で覚えたことも忘れていない。
 貂蝉が何かしてくれただろうことは容易に予想がついたが、そこは素直に高順は感謝していた。




「……あんた、本当に何者?」

 賈詡は調練手引書を5分の1程を流し読みし、探るような視線を高順に向けつつ問いかけた。
 彼女が読んだものは発想の転換でどうこうなる範囲を逸している。
 膨大な戦訓と経験により裏打ちされた体系的かつ効率的なやり方はとてもではないが、1人でどうこうできるものではない。

「夢で見た。夢で私はここより1000年以上先の住民だった」
「また夢か……俄に信じがたいけど、信じざるを得ないわ。この調練手引書なんて、どの諸侯も喉から手が出る程に欲しがるわ」

 賈詡はそう言い、ガシッと高順の肩を掴む。

「これならいける。あんた、天下とりなさい」
「優秀な将と忠誠を誓う兵、そして異民族である私を偏見の目で見ない民。それらが必要ね」

 遠回しにそれらを用意できるか、と高順は賈詡に告げた。

「この分だとボクはあんたの言う通りになるらしい。でも、ボクは慢心せずにやってみせる」

 胸を叩き、力強く頷いてみせる賈詡。

「私は私的な場では月が、それ以外の場ではあなたがいないと駄目みたいね」
「あんたはボクがいないと駄目なのよ……だから、ずっと一緒にいてあげる」

 賈詡の言葉に高順は目を見開いた。
 そんな彼女に賈詡は当然、と言いたげな表情だ。

「悲劇に遭っているのはあんただけじゃないけど、これまで色々見てきたわ。で、そんなあんたは例え夢の中の未来で知っていたとはいえ、ボクを認め、必要とし、全てをさらけ出してくれた。ボクは個人としても、軍師としてもあんたの期待に応えたい」

 高順はその言葉を理解するのに数秒の時間を要した。
 そして、彼女は結論を出す。

「つまり……愛の告白?」
「……あんたには仲穎がいるでしょ」

 暫しの間をおき、賈詡はそう返す。
 胸の奥に僅かな痛みを感じるが、それを無視して。

「そりゃそうよね。詠と逢引したりしたわけでもないし……」
「……そうね。でも、あんた、上司なんだから部下に食事を奢るくらいはしてもいいんじゃないの? っていうか、あんたから給金もらってないんだけど?」

 衣食住は董君雅持ちであるが、給金は高順持ちである。
 高順は冷や汗が出てくるのを感じた。
 給金未払いで軍師が出ていった、なんてことになったら笑えない。
 そんな彼女にすかさず妥協案を賈詡は出す。

「これから毎日、昼か夜、ボクにご飯を奢って。で、そのときは街の視察もしたいから、外で食べたい。それでいい」
「わかったわ。そうする」

 高順は即答だった。
 全面的に彼女が悪いので彼女の選択肢は従う以外にありえない。

「さて、ボクはこの反則の産物を全部読み込んでくるから」

 賈詡は書物を手に、気持ち嬉しそうに手をひらひらと振り、部屋から出ていった。
 残された高順はいつもとは若干様子が違うように見える賈詡に首を傾げるばかりであった。
 

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