「どうしてこういうことをするんですか!」
董卓は珍しく怒っていた。
今、彼女は高順、賈詡をお共に董君雅の膝元から離れた街にやってきていた。
その街に入ろうとするや否や、高順が門番に取り囲まれ、連行されてしまったのだ。
抵抗して面倒事になるのを嫌った高順は当然抵抗なんぞしていない。
そもそも董君雅の兵士を引き連れているときはそれなりの地位にある、と見られるが、そうでないときはお膝元の街でない限り、こういう扱いであるのは至極当然。
「だが、アレは異民族の者だろう?」
食って掛かる董卓に困惑する門番。
彼からすればそれは当然の認識であった。
「何もやってないのに……相手のことを知りもせずに!」
「知りもせずにって……異民族の略奪に遭って逃げてきた者も多いんだが……」
「でも!」
なおも食い下がる董卓に賈詡は彼女の肩に手を置く。
「董仲穎、これが現実だよ。ともかく、行こう。ここでこうしていても意味が無い」
董卓は悔しげに顔を俯かせる。
そんな彼女の手を引いて、賈詡は街へと入っていった。
賈詡はとりあえず董卓を落ち着かせるべく、酒家に入った。
そこでお団子とお茶を食し、一息つく。
危機に陥ったときこそ冷静さを保つ為にこういうのは必要である、と彼女は知っていた。
ともあれ、彼女にとっての課題は目の前で思いっきり落ち込んでいる董卓をどうにかすることであった。
「私のせいで……私が外に行きたいなんて言ったから……」
どんよりとした空気を纏う董卓に賈詡は溜息一つ。
「落ち込むよりも彩を助けだすことを考えないと」
「それなら、私が董仲穎だと明かせば……」
「証明できるもの、あるの?」
賈詡の言葉に董卓はハッとし、力なく首を左右に振る。
「うーん……」
賈詡は腕を組み、虚空を睨みつつ思考を巡らせる。
力ずくでやる、というのは論外。
何とかして穏便に、役人も民衆も納得できる形で事を収めねばならない。
また、おちおちしていると今日中に斬首とか縛り首という可能性が高い。
そうなってしまってはせっかく見つけた主をすぐに失うという阿呆らしい事態になる。
そもそも、高順が何もしなかったのは自分が何とかしてくれる、と確信していたからだろう。
その期待に応えねばなるまい。
「……仲穎、君、泣くのは得意?」
賈詡はそう董卓に問いかけた。
彼女は不思議な顔をしつつも頷く。
「で、でも泣いても状況は変わらないよ? 泣いて変わるなら幾らでも泣くけど……」
そう言う董卓に賈詡は不敵な笑みを浮かべる。
「埒が明かないなら思うように埒を明ければいい。押して駄目なら引いてみるんだ」
そう言い、賈詡は1つの策を董卓に話したのであった。
「……意外と待遇は悪くないわね」
牢の中で高順は呟いた。
それこそ厩舎にでも縛られて転がされるのかと思いきや、一応は人間として扱ってもらえていた。
ただし、担当の役人が異民族に酷い目に遭わされたらしく、高順は全裸に剥かれ、壁に手枷足枷で磔にされてしまった。
そこで彼女の股間にある本来ならばない筈のものに仰天し、その役人はどこかへと走り去っていってしまった。
「いい加減、風邪を引くから服を着せて欲しいものだけど……」
そんな彼女の呟きに答える者がいた。
「中々肝が座っとるようやのぅ」
そんな言葉と共に現れたのは紫髪を一纏めにし、袴にサラシ姿という何とも日本風な出で立ちの少女。
歳は14、5あたりだろうか。
「悪いけど、私は何も悪いことしてないの。まだ何も」
「まだっちゅーことは将来的にはするんかいな?」
「未来は誰にも分からない。須臾の先ですらもね」
「それもそうや」
そう言いつつ、少女は牢の中へと入り、高順の股間をマジマジと見つめる。
「両性具有っちゅーやつか。お伽話やと思うとったが……」
「というか、あなた誰よ」
その言葉に少女は視線を高順の顔へと向ける。
「ウチは姓は張、名は遼、字は文遠や」
「私は姓は高、名は順よ。字はないから高順と呼んで頂戴」
高順はあの張遼とこんな形で会うことに運命を感じずにはいられない。
とはいえ、手足を封じられてはどうにもできない。
「そかそか……で、高順。悪いけどあんさんの処刑、決まったわ」
「……何もなしに捕らえていきなりそれはさすがに引くわ……」
「いや、担当しとった役人が両性具有のこと知らんみたいでな。あれは妖魔の類に違いないとか何とかっちゅーて、強引に押し切ったんや」
「あなたが反対すればいいじゃない」
「いやー、ウチは入ったばっかの下っ端やからな。異民族に襲撃を受けたことがないっちゅーことで、最近こっちに来たばかりで……どんな統治しとるか気になったんや」
やけども、と張遼は続ける。
「来てみれば何や、普通やな。民草の間には異民族への怨嗟の声しかあらへん。これじゃ、上が仲良うしとっても意味あらへん」
うんうんと頷く張遼。
「あなたは私が異民族っていうことに何か思うところはないの?」
「いや、別に思わへんよ。異民族は確かに色々やっとるけどな、それは漢人も同じやろ。ウチはここに来るまでそれなりに旅をしとったけど、酷いもんやで? 賊が蔓延っても官軍は何もできへん」
「じゃ、私を逃してくれないかしら?」
「悪いけど、それはできへん。ウチが首斬られてまうし、それにまだ給料もらってへん」
その言葉に肩を落とす高順であったが、張遼は一計を案じた。
「やけど、あんさん見たとこ腕がそれなりに立つようやし、妖魔の類なら人間が止められへんくても仕方がないやろ?」
そう言いにかっと笑う張遼に高順は感謝し、頭を下げる。
「ありがとう、張文遠」
「えーって。ウチも今回のはさすがにアレやと思うし」
手をひらひら振る張遼。
彼女は高順の枷を外していく。
これで一件落着かと思いきや、慌ただしく伝令が走ってきた。
見られたらマズい、と張遼は高順を牢の隅に追いやり、毛布を被せる。
そして彼女は何事も無かったかのように牢から出て応対する。
「どうしたんや?」
「住民達が高順を解放しろ、とこちらに押し寄せています。先頭に高順に助けられたという少女が……」
「はぁ……?」
張遼が首を傾げるが、高順は誰だか見当がついていた。
董卓と賈詡であることは間違いなかった。
時間は少々遡る。
董卓は賈詡と共に酒家を出て、大通りの道端に佇んでいた。
賈詡が目配せすれば董卓は僅かに頷き、そして彼女は思い出す。
高順が連れていかれたときの情景を。
するとみるみるうちにその目に涙が溜まっていき、やがて溢れ出す。
大声を上げて泣き始めた董卓に何だ何だと人が集まってくる。
すかさず賈詡が大げさな口調で告げる。
「この子は先ほど、街の外で暴漢に襲われ、そこに颯爽と登場した高順なる者!」
その声に誘われてか、どんどん人が集まってくる。
賈詡は狙い通りに言っていることに気を良くしつつ、話を続ける。
「バッタバッタと暴漢を薙ぎ倒し、街まで送ろうと言った剛の者、高順! だが、彼女は異民族であるからという理由で門番に捕らえられ、連行されてしまった!」
集まった人々はほう、と感心したような顔や門番の行いに眉を顰める者。
中にはそのときの光景を目撃していた者もいるようで、傍にいる見物人にしたり顔で話している。
「このような行い、許して良いのか! 確かに彼女は異民族。だが、彼女が行ったことは悪であったのか!」
口々に否定の声が上がる。
「しかし、如何に悪ではない、とわかっていたとしても、今、彼女は牢にいる! 私とこの子だけではどうにもできない! 皆さんの力をお借りしたい!」
そう言い、賈詡は頭を下げた。
董卓もまた泣きながら頭を下げた。
ざわめきが民衆に広がり、やがてそれは一つの波となった。
すなわち、高順を解放せよ、と。
「皆さんで役所に押しかけましょう! そうすればきっと道は開かれます!」
頃合いよし、とみた賈詡の一言に民衆は動いた。
「……あんさん慕われとるなぁ」
呆れ顔の張遼。
その横にいる高順もまた呆れていた。
とりあえず民衆を宥める為に、と高順を連れてくるよう言われた張遼は手枷だけはめ直して、高順を民衆達の前へと連れてきていた。
役所は壁に囲まれており、唯一の出入口は門。
そこの外である民衆の前へ。
そこには高順と張遼しかいない。
本来なら指示を出すべき上司は張遼に一任する、と言ってきた。
張遼が斬れば民衆になぶり殺しにされる上、彼女の上司は部下の暴走で処理し、かといって解放すれば上司から文句を言われ、よろしくないことになるのは間違いない。
八方塞がりの張遼はもはや笑うしかなかった。
そしてその指示は全て本人ではなく伝令が伝えてきたものだ。
伝令に怒ったところで意味はない。
そういうわけで張遼は覚悟を決め、自らの荷物を纏めて持ってきていた。
当然、高順の荷物もまた彼女に返されている。
「妙なところで権力者は知恵が回るのよね」
「ほんまその通りや」
うんうんと頷く張遼。
そんな彼女には民衆から罵詈雑言が飛んできている。
しかし、それらは意に介さない。
董卓と賈詡は最前列で不安げな表情で高順と張遼を見ている。
「もう辞めや」
そう言い、彼女は高順の手枷を外し、そして役所の門に飾られてあった役所名が書かれた看板を己の偃月刀でもって斜めに斬った。
その行動にどよめきが民衆の間に広がる。
ここだ、と見た高順は一歩前に出て凛とした声で告げる。
「この張文遠は此度の一件に納得がいかず、独断で私を助けようと牢から出そうとしてくれた! この人を傷つけてはならない!」
その言葉に張遼は高順を見つめ、目を数度瞬かせる。
「さっきのお礼よ。あなたがこんなとこで民衆に殺されるのも、役人の捨て駒にされるのも、どっちもつまらないでしょ」
そう言い、笑ってみせる高順。
「中々面白いやっちゃな。恩に着るで。またなー」
彼女は荷物を持ってそそくさと走り去っていった。
それを見、董卓が高順に駆け寄り、抱きついた。
「彩ちゃんごめんね……ごめんね……」
再び泣き始める董卓によしよし、とその頭を撫でる高順。
民衆達は喝采を叫んだ。
賈詡もまた胸を撫で下ろし、安堵の息を吐いたのだった。
それから半刻後、高順、董卓、賈詡の3人は酒家にいた。
入ってすぐ高順は賈詡と董卓に感謝したが、董卓がまた自分のせいだ、と泣きそうになるのを宥めることとなる。
董卓が落ち着いた後、このあとどうしようか、という話になったそのときであった。
「お、ここにおったんか。探したで」
そう言いながら、席に座るのは張遼。
「……いや、ここで登場する? 普通」
「いやー、ウチも路銀が無くてなぁ……これも何かの縁と……」
ちらっと高順の顔を見る。
彼女は張遼の言いたいことがわかってしまったので溜息を盛大に吐く。
「雇って欲しいの?」
「話が早い。ウチはそれなりにやり手やで?」
「いや、それはそうだけど、貸し借りはもうさっきので無しよ?」
「分かってるって。衣食住保障してくれればそれでええよ。給金は月に1000でどや?」
張遼という人物の凄さを知っている高順としては破格の安さに思える。
故に彼女は即決した。
「それでいいわ。ああ、ところで私、今、董君雅様のところでお世話になっているの。ちなみにそこの武官兼文官で財務を主にやっているわ」
「……は? いやいや、董君雅っちゅーたらこの辺の太守やないか!? なんでそんなとこに仕えて、それで捕まってるん!?」
張遼もまさかそんな大物だとは思いもしなかった次第。
「いや、私、異民族だから偏見も強くて……」
高順の言葉を継ぐように賈詡が口を開く。
「このことを董君雅殿に伝えればあそこの役所にいる役人は全員、消えると思うけど……」
「私、絶対お母様に伝えます」
ぎゅっと握り拳を作って言う董卓に張遼はまさか、と思いつつ問いかける。
「えっと……そっちの子、もしかして……」
「あ、申し遅れました。私、姓は董、名は卓、字は仲穎と申します」
「そ、そか……ウチ、抜けて正解やったな……」
あのまま役所に留まっていたら牢にぶち込まれるのは自分だった、と寒気がしてきた張遼。
そんな彼女にクスクスと笑いつつ、高順と賈詡は告げる。
「改めて名乗るけども、私は姓は高、名は順。高順と呼んで頂戴」
「ボクは姓は賈、名は詡、字は文和だよ」
名乗られ、張遼もまた名乗り返す。
「ウチは姓は張、名は遼、字は文遠や。よろしゅうな」
こうして張遼が高順の配下となったのであった。