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覆水盆に返らず



「高順、此度の討伐、ご苦労様」

 董君雅の前に高順、そして賈詡はいた。
 臣下の礼を取る2人に顔を上げるよう董君雅は言い、ついで尋ねる。

「どうだった?」

 その問いに賈詡が抗議すべく口を開こうとしたが、それを高順は手で制す。
 信じられないといった表情で彼女は高順を見るが、そんな賈詡に悪戯を思いついた子供のような笑みを披露する。

「はい、誠に兵も住民も役人も誰もが皆、協力的で私の苦労は最小でありました」

 賈詡は思わず吹き出しそうになった。
 事実を知る者からすればこれほどに痛烈な皮肉は堪えるのも一苦労であった。

「……そう、それはよかったわ」

 董君雅は暫しの間をおいて、そう告げた。
 その表情は若干不思議そうである。

「ええ、特に襲われている村の住民達は大歓声と共に私を迎えてくれて、とても手厚くもてなしてくれました」

 ちなみにだが大歓声ではなく、大罵声である。
 賈詡は笑いを堪えるのに苦しそうに顔を伏せている。

「董君雅様の統治の手腕が良く見れましたし、あなたは臣下の扱いがとてもお上手だと思います」
「え、ええ、それはどうもありがとう」
「自分としても見聞を広め、見えなかったものを見ることができましたので、此度の一件はよく勉強になりました」

 そこまで言って高順は言葉を切った。
 自分から言うことはもはや何もない、と。

「そ、それで……そちらの賈文和という者は……?」

 何かがおかしいと感じつつも、董君雅は賈詡へと話を振った。
 賈詡は咳払い一つして調子を整えると口を開く。

「私はお目付け役として派遣された者です。今回の件で私としても高順殿と同じく、広く世の中を知ることができました」
「そ、そう……それはよかったわ」
「はい。ですが私としてはもっと見聞を広めたい、と思った次第。故にこれを……」

 賈詡は懐から封筒を取り出し、それを董君雅へと手渡した。
 そこに書かれていた文字に彼女は仰天した。

「じ、辞表……?」
「知識として知っていることと実際に体験してみるのでは違います。その為に私はもっと勉強したい、見聞を広めたい、とそう思う次第でございます」
「そ、そう……で、でも辞めることはないんじゃないかしら?」

 慢性的な人材不足の董君雅としては地方の一官吏といえども手放したくはない。
 とはいえ、賈詡としても色々な意味でもうコリゴリであった。

「はい、自分もそう思います……ですので、私は高順殿の配下として使って頂きたく」

 その言葉に今度は高順が驚く番であった。
 彼女は賈詡をマジマジと見つめる。
 そんな彼女に賈詡は不敵に笑ってみせる。
 董君雅は問いかける。
 
「それだと実態は変わらないんじゃないかしら?」
「いえ、全く違います。聞けば高順殿は羌族。儒教に囚われぬ発想や行動など学ぶべきところは多々あります」

 理路整然とそう答える賈詡にむむむ、と董君雅は言葉に詰まる。
 こんな有為な人材を手放すことが彼女は惜しくなる。
 実態は変わらないとはいえ、高順が出ていくときに彼女もついていくだろう。
 そして、そのままおそらくは帰ってこない。

 だが、董君雅は賈詡を引き止める言葉を持たない。
 同時に彼女はよろしくないことがあった、と確信する。
 そろそろ1人で仕事をさせてみよう、と思い高順を派遣したのだが、そこには世間からどう思われているか、ということを知ってほしいという気持ちもまたあった。
 例え不快な思いをしても、知ることは大事だ、と。

 その結果が有能な人材を2人も失う結果となって返ってきた。
 そう、2人だ。
 賈詡は勿論、高順ももはや自分を信用も信頼もしないだろう、と董君雅には感じた。
 出発前に一言言っておけばまた違った結果となっただろうが、時間は戻らない。

 故に董君雅は最後のお願いをすることとした。


「月は……董卓とはこれからも仲良くして欲しい」

 そう言い、頭を下げる董君雅に高順は了承したのであった。








 謁見の間から出た後、高順は賈詡を自室に誘った。




「色々言いたいけど……あなた、一人称を私にできるのね」
「ボクだって場を弁えてそれくらいするよ。ていうか、一番に聞くことがそれ?」
「わりと重要なことよ。で、私の配下になるって言ってたけど?」

 そう問いかける高順に賈詡は頷き、口を開く。

「董君雅様には初めてあったけど、良くも悪くも平凡だと思った」

 この時代で異民族と仲良くするというのは中々できないことだが、それも比べる相手が賈詡となれば大抵の輩が平凡となってしまうだろう。
 その点を指摘すべく、高順は告げる。

「あなたがもし私の夢の通りになるなら、大抵の人物は平凡な輩となってしまうのだけど?」
「そう? でも、ボクなら領民や配下の者にも異民族についてもっと理解を深めるようにする。宴会を開いて大騒ぎすれば仲良くなれると思う。そして、徐々に異民族を街に溶けこませる」

 高順は身を乗り出す。
 ただ理解を深めさせるだけなら宴会や話し合いで事足りる。
 だが、それからがあった。

「溶けこませ、より日常生活に密着させて異民族がいても違和感がないようにする。勿論、年単位で時間が掛かるし、法律の整備とか調整とかも色々しなきゃいけないから大変だけど、やってできないことはないと思う」
「異民族の略奪については? 金策にちょうどいいのだけど」
「それなら兵士となってもらえばいい。それが嫌なら傭兵として働いてもらえばいい」

 傭兵や兵士が略奪を行う、というのはこの時代において当たり前のこと。
 なるほど、これなら漢民族でもやっていることであり違和感が全くない。

 高順は感激の余りに身を震わせる。
 紛れもなく目の前にいるのは稀代の軍師である、と。
 そして、そんな人物が自分の配下となってくれる。
 これほどまでに嬉しいことはあるだろうか、いや、ない。

 高順は賈詡の手を自分の両手で握る。
 突然のことに彼女は目を白黒させるが、そんなことはお構いなしに高順は告げる。

「ありがとう。これからよろしく」

 そう言い、高順は深々と頭を下げる。
 その本心からの態度を見、賈詡は思う。
 ああ、彼女こそが自分の仕えるべき主だ、と。
 故に賈詡は告げる。

「詠って呼んで。ボクの真名」

 ハッとして高順は顔を上げる。
 彼女の視界に入ってきた賈詡の顔は羞恥の為か赤い。

「私は彩。詠、よろしくね」
「……うん、よろしく」

 こうして高順は賈詡を得た……のだが、まだ終わりではなかった。
 そう、肝心のあの人が高順の帰還を聞いて黙っている筈がない。



 叩かれる扉。
 高順が許可を出せば入ってきた少女。

「彩ちゃん!」

 その少女は高順に飛びついた。
 賈詡は巻き添えを食らわぬよう素早く高順から離れていたので難を逃れる。
 おっとと、とよろめくものの少女を受け止めた高順。

「月、久しぶりね」
「うん、久しぶり! お帰り彩ちゃん!」

 ぐりぐりと高順の胸に顔を埋める董卓。
 そんな董卓を見て、賈詡が最初に思ったことは唯一つ。

 広いオデコだなぁ……であった。
 中々に失礼であるが、そこらは賈詡だから仕方がない。
 彼女の度胸も半端ではないのだ。

 ともあれ、董卓は賈詡に気づき、自分のやったことに恥ずかしそうに顔を赤くし、高順から離れた。

「えっと、私は姓は董、名は卓、字は仲穎です」
「ボクは姓は賈、名は詡、字は文和。彩、この子、董君雅殿の娘さん?」

 もはや様付けではなく殿と呼ぶ賈詡。
 彼女は切り替えも速いらしい。

「そうよ。月、こっちの子は今日から私の部下となった子なの。よろしくね」
「あ、えっと、よろしくお願いします! 真名は月です!」

 賈詡は目が点になった。
 高順は予想できていたのか、またか、とそういう顔であった。
 そして董卓は反応がない賈詡の様子を恐る恐る窺う。

「……ねぇ、彩。こう言っては失礼なんだけど……」

 そう前置きし、賈詡はコメカミに手を当てて、尋ねる。

「この子、馬鹿なの?」
「へぅ……」

 しょんぼりとする董卓をよしよし、と頭を撫でる高順。

「この子はちょーっと優しすぎるというか、純粋というか、そういうこと。大方、私の部下の人なら真名を教えてもいいって判断したんでしょう」
「ああ、何となく分かったわ……つまり、政には向いていないのね」
「わ、私だって勉強頑張ってます!」

 そう主張する董卓だが、賈詡はバッサリと切り捨てる。

「知識と実体験は別物よ。それに、その性格だと切り捨てないと全てが台無しになる場面で決断できないでしょう?」
「へぅ……」

 俯いてしまう董卓。
 彼女としても知識としては知っているし、予想もできていた。
 政治とはそういう場面の連続であり、やらねばならないと思いながらも、きっと自分は決断できないだろう、と。

「それにあなたが董君雅殿の領地を継ぐというなら、異民族との折衝とか異民族と領民の軋轢とか面倒くさいものが多大にある」
「い、異民族の人はいい人ばかりです! 彩ちゃんだって! それに街の人も!」

 顔を上げ、そう言う董卓に賈詡は容赦なく告げる。

「それはあなたが知っている範囲だけでしょう? 世界の全部を知れとは言わないけど、余りにもそれは狭すぎるわ」

 董卓は再び顔を俯かせてしまう。
 賈詡の言っていることはこれ以上ない程に正論であった。
 反論する術を彼女は持たない。

「……凄い今更なんだけども、何でこんな話になってるの? 普通に自己紹介して仲良くしましょうねでいいじゃないの……」

 溜息を吐きたい高順であった。
 彼女としても賈詡が遠回しに董卓の成長を促すというか、彼女の為を思っての助言であることは理解できる。
 だが、いきなりこれはさすがにないだろう、と。

「それもそうね。ごめんなさい、言い過ぎたわ」

 賈詡は素直に頭を下げる。
 対する董卓は何事か考えているのか、俯いたままだ。

 何か、高順は嫌な予感がした。
 そして、そういう予感は必ず当たると相場が決まっていることも彼女は実体験として知っていた。

 董卓が顔を上げた。
 彼女は情けない顔などではなく、毅然とした表情だ。

「いえ、賈文和さんの仰ることも最もです。そこで彩ちゃん」
「あ、凄く嫌な予感。凄く聞きたくない」

 そう言う高順だったが、董卓はにっこりと笑う。

「私を外に連れて行って。もっと外を知りたい」
「……それは命令?」

 最後の抵抗に、と高順は尋ねる。
 だが、董卓は首を横に振り、胸元でぎゅっと両手を握る。
 そして彼女は上目遣いで高順を見つめつつ、告げる。

「お願い……」

 高順は董卓の大攻勢に賈詡に助言を求める。
 しかし、賈詡は首を左右に振り、そして降参とばかりに両手を上げる。

 名軍師をも匙を投げるとは……董卓、恐ろしや。


 そんなことを思いつつも高順は盛大に溜息を吐く。

「わかったわよ……ただし、どんな嫌なことがあっても知らないからね」
「覚悟はできてます」

 そう言う董卓であったが、彼女が現実に耐え切れるかどうか、高順は不安であった。

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