大器晩成

「……居心地悪いなぁ」

 高順は思わず呟いた。
 彼女は今、董君雅の膝元を離れ、1週間ほど行軍したところにある街にやってきていた。
 さすがに膝元と比べれば小規模ではある上に到着した時間が既に夕暮れ時だが、それでも中々に活気がある。
 だが、彼女に向けられる視線は良いものではない。
 恐怖、怯え、不安……そういったものばかりであった。
 

 董君雅が異民族に対して友好的とはいえ、その領民までもが全員友好的とは限らない。
 余所から異民族の略奪に遭って、這々の体で異民族に襲われていない董君雅の領地にやってきた者も多い。
 差別というのはどんなに法で規制し、倫理や道徳を説いても根強いものであり、10年、20年といった短い期間で払拭されるものではない。
 董君雅もそのことは知っている筈なのだが……知っていてなお、どのような現実であるかを知らしめる為にこういうようなことをしたのかもしれない。

 高順や華雄の出身部族……いわゆる羌族はこの一帯では蛇蝎に等しい。
 また彼女達の部族は他の異民族――匈奴や鮮卑などとは歴史的に見て極めて仲が悪かったりする。

 ともあれ、一見しただけでは区別がつかないが、多くのものは銀色、あるいは灰色髪をし、色白だ。
 董卓もまたそのような容姿であるが、髪色はともかく、肌色に関してはただ単に外に出なかった為に色白となっただけだ。
 例外とすれば高順の母はどこぞの父方の血のおかげで色白であるが黒髪であり、怪訝な顔をされるものの、よろしくない視線を向けられることは少ない。
 髪の色と肌の色が異民族のものに合致しなければ差別的視線に晒されることはないとはいえ、高順本人としてはこの容姿がかえって気に入っていた。
 
「これはもう駄目かもわからんね」

 高順はちらり、と後ろをついてくる兵達に視線をやってはそう口に出してしまう。
 賊退治に、と董君雅に与えられたのは騎兵およそ100。
 董君雅の膝元では真面目に従っていた彼らであり、また高順の有能さも間近で見ていたのだが……それでも心に根付いたものは簡単には取り除けない。

 好意的視線を向けろ、とは言わないが、恐怖とか不安とかそういった視線を向けるのは勘弁して欲しい高順である。
 ずっとついて回る問題なんだろうなぁ、とより暗澹たる気持ちと彼女はなった。





 そうこうしているうちに一行は役所にたどり着いた。
 兵を待たせ、高順は1人、役所へと入り……やはりよろしくない視線で迎えられた。
 ともあれ、そこらはさすがに役人。
 上の命令には従うらしく、高順をこの街の顔役のいる執務室へと案内した。


「誰かと思えばどこの蛮族か」

 部屋に入るなりいきなりの売り言葉であった。
 目の前にいるのは壮年の男性であったが、彼の顔は憤怒に染まっている。
 それもそうだろう。
 敵対者の筈の異民族が兵を率いて、上司の下からやってきたのだから。
 これで怒るなという方が逆にどうかしている。

 そこらへんは高順も予想していたので彼女はただ事務的に済ますべく、口を開く。

「董君雅様より派遣された者です。私を余所へやりたいのであれば賊についての情報をお教えください」

 皮肉とも、相手の精神を気遣った発言ともとれる。

「一つ言っておくが、わしの姪っ子は嫁ぎ先でお前らに殺された。お前らなんぞ消えてなくなればいい」

 息を荒らげつつそう言う彼だが、高順は動じない。
 彼女は同族とはいえ、顔も知らぬ他人が、同じく他人を殺したところで別段何とも思わない。
 自分の周りで起こった、もしくは自分でやったこと以外は遠い出来事なのである。

 何も言わない高順に彼は体を震わせるが、それでも仕事は仕事。

「ここ最近、周辺の村が襲われている。最近襲われたのはここより北西へ2日程行った村。まだ襲われていない村はその村より北へ半日程いった場所にある。賊の数は100以上」

 聞きたい情報を聞けたので高順は形ばかりの礼を言い、さっさと退室した。
 その方がお互いの精神の為に良いのは言うまでもなかった。






 高順は1日この街で休息を取り、明朝出発することを兵達に伝えるとそそくさと彼らから離れた。
 街中で向けられる視線はやはり変わらず。

 この分だと宿も取れないだろう、と彼女は溜息一つ。
 アメリカにおける黒人差別さながらであった。
 否、むしろ公民権運動が起きそうにない分、余計に性質が悪い。




 どちらが先にやったかはわからないが、お互いがお互いを憎み合っていると言っても過言ではないこの状況は八方塞がりだ。
 とはいえ、高順はそんな差別を無くそうとは思わない。
 確かに不便ではあるが、それも一時のこと。
 太学を出、そしてそのまま出世街道を進めば誰も自分に文句は言えない。
 勿論、中々うまくはいかないだろうが、それも無視できぬ程に実績を積めばよいのだ。
 それに何よりも、高順にとっては力無き人を救おうとかそういう正義感に満ち溢れてはいない。
 そもそも、そんな正義感に溢れていたならば当の昔に部族を飛び出し、略奪をする彼らと戦っている。
 勿論、道端で困っている人を助けない程に彼女は薄情ではないが、わざわざ困っている人を探しに行くなどということはしない。

 彼女にとって何よりも欲するのは自分の力を使える場所、もしくは自分の力を欲し、扱ってくれる者。
 その為にこの時代に転生して以来、彼女は努力をしている。
 だが、それは転生などなくとも、この時代に生まれ、志を持った者なら誰もがやっていることだ。

 彼女の最大の武器は未来における知識であることは言うまでもない。
 しかし、重要なところは例え未来の知識があっても扱うのは高順本人であるということ。
 知識が必要に応じて勝手に出てくるわけではない。

 持っている情報や知識をどのような局面で、どのように扱い、最良の結果を出せるか。
 それを為すのは十分に才能といえるのではないだろうか。
 そして、それを為す者を軍師というのではないだろうか。




 思い描く夢は壮大であり、その為の道は遙か遠くまで続いている。
 高順に転生した彼女ではあるが、呂布の下につこうという気はない。
 董卓を見る限りでは知識にある呂布とは正反対の可能性もあるが、警戒するに越したことはないだろう。
 この世界が史実とも、三国志演義とも大幅に違う世界である以上、何が起きても不思議ではなく、そして高順が何をしても問題はない。


 色々と考えれていればもはや彼女は自らに向けられるよろしくない視線は全く気にならなくなっていた。





 そうこうしているうちに街の中心部から離れてしまった。
 治安が悪そう……というわけでもないが、それでも中心と比べれば薄暗く、閑散としている。
 人通りはほとんどない。

「ここらでいいかな」

 適当な空き地に入り腰を下ろす。
 飯は何にしようと思いつつ、売ってくれないだろう、とすぐに思い直す。
 仕方がないので携帯口糧の出番である。
 とはいえ、この時代、食料は個人単位で持ち運ぶというよりも、本来は輜重隊が食事に関しては全て賄うのだが、戦といえば携帯口糧という妙な固定観念で高順はお手製の背嚢に簡単な応急器具や携帯口糧を詰め込んできていた。
 勿論、時間を潰す為に、と本も持ち込んである。

 ともあれ、個人で持ち運ばせないのは簡単な理由で食料を渡したらそのままいつの間にかいなくなっていると、そういうことがあり得るからだ。
 国に仕える職業軍人などではなく、兵士は農民や傭兵に過ぎない。
 忠誠という概念が無い以上、彼らに食料を渡すことはただの施しに等しい。


「背嚢は便利ね。この時代にないなんて……意外」

 背嚢、すなわちリュックサックはもう少し時代が下ってから、ヨーロッパで作られるものだ。
 この時代にないのも仕方がない。


 高順は背嚢よりまず数枚の紙を取り出し、それを適当に折り、皿のような形とする。
 そして、その上に干し肉を数枚載せる。
 竹で作った水筒を取り出し、さらにもう一つ、同じものを取り出す。
 2つ目の方は水の代わりに白菜や人参などの野菜を塩漬けにしたものを入れてある。
 これで本日の晩御飯は完成。
 質素ではあるが、中々に美味しそうだ。

 箸を取り出し、まずは塩漬けから食べようとした、そのときであった。
 通りを2人組が歩いて行く。
 片方は中年の男、もう片方は緑髪とメガネが特徴的な少女。
 男の方は鼻を伸ばしてだらしなく、少女の方は諦めの境地といった表情だ。
 どちらも役人なのか、整った身なりをしている。

 そして、男の方が何やら小声で少女に言っている。
 耳を済ませ、高順は溜息を吐きたくなった。

「お前のような者を置いてやっているのだから……分かっているな?」

 少女は無言で僅かに頷く。
 微かに体を震わせながら。

「ようやく仕事も一段落……誰かのおかげでこんなにも時間が掛かるとは……」

 嫌味ったらしい表情でそう言う男。

「今までは口だけであったが、これからは体にもたっぷりと教えてやらんとな」

 高順は深く溜息を吐いた。
 自分は呪われてでもいるんじゃなかろうか、と。
 こんな分かりやすい悪役と悲劇的な少女。
 大方、助けた後に何かあるんだろう、と。

 ともあれ、助けないという選択肢もないのである。
 そこまで彼女は薄情ではない。


 しかし、力で解決するというのもまた問題だ。
 後先考えずにやればとても楽ではあるが、後々極めて面倒くさい事態が起こりうる。
 得てしてこういう輩は権力を盾に色々とねちっこくやってくるのだ。

 そういうわけで高順は一計を案じることとした。
 彼女はそのまま立ち上がり、2人組へと近づいていく。
 そしておもむろに男に後ろから抱きついた。

 驚き振り返る彼に高順はにっこりと微笑む。

「ねぇ、役人さん。そんな小娘よりも、私と良い事しない? タダでいいから……」

 高順は今、12歳である。
 だが、母親譲りの長身からとてもそうには見えない。
 また発育も良く、胸も大人顔負けだ。

「お、おお……」

 鼻の下をこれ以上ないくらいに伸ばしつつ、男は高順の顔をじっくりと見、あることに気がついた。
 
「お、お前……異民族か……」

 そう言いつつもやっぱり鼻の下を伸ばしている男。
 正直なものである。
 そういうわけで高順はトドメを刺すことにした。

「駄目? どんなに激しくてもいいから……」

 そう耳元で囁き、彼の耳を甘噛み。
 ぞくぞくっときた彼はもはや陥落した。

「文和、少々用事ができた。今日はさっさと帰れ」

 そう言われた少女は高順に軽く頭を下げるとそそくさと去っていった。

「さて……どのような体か、楽しむとしよう」

 好色な笑みを浮かべ、そんなことを呟く彼に高順は楽しそうに告げる。

「普通の女とは違うのは確かよ。ええ、普通とはね」







 
 そして2人は適当な宿へと入っていった。
 それから30分後、その宿から絶叫が響き渡り、男が素っ裸で通りを疾走するという珍事があった。 
 これにより彼は現代でいう、猥褻物陳列罪によりすぐに捕らえられ、牢屋にぶち込まれることとなった。
 彼は女が実は男だった、と主張したが、取り調べをした役人は何をバカなことを、と全く取り合わなかったのは言うまでもない。


 合法的で、そして絶対に反撃を受けないやり方であった。









 明けて翌日早朝。
 高順は出発すべく、兵達の様子を見ていた。
 誰も彼も疲労の色はない。
 そして、彼女がやってきたのはそんなときであった。

「き、昨日はありがとう」

 高順と会うなり、緑髪の少女はそう告げた。
 気恥ずかしいのか、その視線はあっちこっちを彷徨っている。

「別にいいけど……それだけ?」
「ボクがお目付け役としてついていくことになった」

 なるほど、と高順は頷く。
 昨日、男が飛び出す前に彼女は色々と男から少女について聞き出していた。
 それによれば無能だとか何とか。
 話が本当ならば体の良い厄介払いなのだろう。

 とはいえ、さすがに本人に向かって無能なのかどうか聞くわけにもいかない。

「一応、自己紹介しておきましょうか。私は姓は高、名は順。字はないから、高順と呼んで頂戴」
「ボクは姓は賈、名は詡、字は文和」

 思わず高順は固まった。
 その様子に少女――賈詡は首を傾げる。

 高順は深呼吸一つ、マジマジと賈詡を見つめる。

「……えっと、失礼だけど、その名は本名?」
「そうだけど?」

 何でそんなことを、という表情の賈詡。
 対する高順はそういえば、と思い出していた。

 若い頃、賈詡は中々周囲から認められず、最終的に役人をやめて郷里に帰ってしまうのだ、と。
 そんなことを考えていたが故に高順の口から言葉が洩れ出る。
 半ば無意識的な、素直な気持ちが。

「あなたの周りにいる連中は皆、目玉の代わりにガラス玉が詰まっているのね」

 賈詡は数秒掛けてその言葉の意図を理解する。
 遠回しに褒められたことに彼女の頬は徐々に赤くなっていく。

「あ、あんた何なのよ! 急にそんなこと言って!」

 怒っているような口調であるが、その顔から恥ずかしさを隠そうとしているのが見え見えである。
 対する高順は涼しい顔で告げる。
 もしボロを出してしまったとき、誤魔化す為のそれっぽい言い訳を。

「夢で見たのよ」
「夢?」

 オウム返しの問い掛けに高順は頷き、賈詡の両肩に手を置き、じっとその瞳を見据える。

「賈詡っていう人が軍師として大陸中に名を轟かす夢をね」
「ボクが……軍師……?」
「そう。それも稀代の名軍師として」
「で、でも所詮は夢でしょ!」

 そう告げる賈詡に高順は静かに、だが力強く告げる。

「大丈夫、あなたならできる」

 高順の瞳を賈詡はじっと見つめる。
 目は口ほどに物を言う。
 賈詡は高順の言葉が嘘偽りのないことを悟った。

「……この仕事が終わったら、実家に帰ろうかって思ってたけど」

 そこで一旦言葉を切り、数秒の間をおいて彼女は告げる。

「ボク、あなたについてく。その言葉が本当ならボクにとっては良し、もし嘘ならあなたの首を取る」
「その前に私があなたの首を取ることは?」
「その結果がいつ出るのか、あなたには分かるの? ボクには分からない。是非、教えてほしい」

 賈詡の切り返しに高順は一瞬、呆け、ついでクスクスと笑う。
 神ならぬ身、いつどこで嘘か真か判断できるか誰にも分からない。
 つまるところ、賈詡にとっては嘘であっても真であっても害はないのだ。

 高順は気を取り直し、告げた。

「さて、出発しよう」







 こうして一行は村を目指し、出発したのであった。

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