彼女の立ち位置

 

 高順が董君雅の下へきて早3ヶ月。
 いきなりやれ、と言われて書類仕事をできる程に高順は超人ではない。
 彼女はまず書類の書き方や見方を習い、ついで失敗しても問題のないような重要度の低いものをコツコツとやり始めた。
 そして、今ではすっかり慣れ、重要な仕事を任されるようになっていた。
 彼女は計算の速さを買われ、歳入・歳出に関わる業務全般に関わっていたのだ。
 これに対しては助かったと思う文官と新参でかつ子供の癖に、と思う文官とに反応が分かれた。
 後者に関しては当然の反応だろう。
 どこの馬の骨とも知らぬ異民族の小娘がしゃしゃり出ているのだから。

 ともあれ、高順はその傍ら、調練で董君雅の兵に混じり汗を流したり、武官達と模擬戦を行ったり。
 こちらは書類仕事程に難関ではなく、彼女は楽しむことができた。
 また、あるときには警邏として街を巡り、不埒者を引っ捕える。
 
 そして息抜きとして彼女はあることを行っていた。








 窓から差し込む穏やかな日差し。
 その日差しを受けつつ、高順はゆっくりと盃を取った。
 彼女はまず色を楽しみ、ついで香りを楽しみ、最後に味を楽しむべく口をつけ、ゆっくりと飲み干す。
 その目を閉じ、しっかりと余韻を味わう。


「美味しい」

 暫しの間をおき、高順は告げた。

「よかった」

 董卓は安堵したかのように笑みを見せた。
 彼女が自ら淹れたお茶を高順は飲んでいた。

 暇さえあれば彼女は董卓の世話と称して、お茶会に勤しんでいた。

「今日は1里を馬で誰が1番速く走れるかっていう訓練をしたの。勿論、私が1番だったわ」
「彩ちゃんはお馬さんと仲がいいもんね。けど、凄いな。大人の人を負かしちゃうなんて」
「馬は私達にとって相棒だって母さんから聞いたけど……本当にその通りだわ。でもでも、乗り心地があまりにも酷かったから、鞍とか鐙とかそういったものを作ったの。鞍があれば股が痛くならないし、鐙があれば馬上から弓を撃つこともそれなりに簡単にできるわ。あと地味に重要な点として馬の蹄が痛むのを防ぐ為に蹄鉄を作ったりとか……」

 うんうん、と董卓は頷く。
 彼女からすれば高順の話は何もかもが新鮮であった。

「蹄鉄なんかはどっかの街の鍛冶屋に依頼して作ってもらったの。母さんに頼んで。馬具は私達にとってとても重要だから、これに関しては皆真剣に聞いてくれたわ」
「そうなんだ。彩ちゃんは本当に凄いなぁ……私なんて勉強で精一杯」

 肩を竦めてみせる董卓に高順は優しく告げる。

「あなたならできるから、大丈夫」
「うん……ありがとう、彩ちゃん」
「でもね、私としてはあなたも少し体を動かした方がいいと思うの」
「そうかな? でも、母様が……」
「運動不足だと頭が鈍る。いい気分転換になるわ」
「それじゃ……行っちゃおうか?」
「行こう行こう」






 そして、2人は城の外に行くことになった。
 当然、門番に見られては面倒臭いことになる。
 故に馬で強引に突破することに。

 やり方は簡単で高順の後ろに董卓を乗せ、彼女に大きな布を被せる。
 そして、最初から馬を速く走らせれば門番の前を通るのは一瞬。
 街の外へ行くなんて危ない真似はせずに街中をてくてくと練り歩くだけなので、危険度は極めて少ない。
 そして、董君雅からは外へ行くことに関しては特に何も注意を受けていないので知らなかったで通すことができる。
 子供が大事なのは分かるが、あまりにも過保護なのはかえってよろしくない、ということを高順は知っていた。







「行くよ?」
「はい」

 門番からは見えないよう角に隠れ、董卓に確認の意を込めて問いかけた。
 彼女はドキドキしているのか、少し興奮気味だ。

「布、被って」

 高順の指示に手早く布を頭からすっぽり被る董卓。
 これで高順の後ろにあるものは何がなんだか分からなくなった。
 足が見えているのはご愛嬌。
 高順にしっかりと抱きつき、董卓はそのときを待つ。

「行くぞ」

 董卓の返事を待たず、高順は手綱を叩く。
 すぐさま彼女の愛馬は反応し、走りだす。
 彼女はさらに数回手綱を叩き、最高速へと。。
 今、城門に門番以外の人影はない。

「お勤めご苦労!」

 そう言いつつ、高順は門を突破。
 門番は目を白黒させ、彼女を見送ることしかできない。
 それから徐々に馬の速さを落とし、十分に城から離れたところで董卓に布をとるよう指示した。

「今もまだ胸がドキドキしてます」

 そう言う董卓に高順はにかっと笑う。

「イケナイ子になっちゃったね。でも、そういう月もいいと思うの」
「えへへ……」

 やや上目遣いではにかむ董卓。
 可愛い、と抱きしめる高順。
 柔らかでほんのり暖かくていい匂い。
 そんな董卓に高順はもう頬が緩みっぱなしだった。



 それから2人は馬を適当なところに預け、通りを歩くことにした。
 董卓は見るもの何もかもが新鮮なようであちこちを見回し、おのぼりさんといった風であった。

 お昼ご飯はお茶会前に食べたばかりなので特にお腹は空いていない。
 その為、屋台などは見学するだけであった。
 また露天商達が簡素な店を構えており、ガラクタから何やらよくわからないものまで様々なものが売られていた。

 董卓と高順はそれらの店をじっくりと見物していく。
 その中で小奇麗な石を売っている店があった。
 高順はともかく、董卓はちょっと背伸びしたいお年頃。

 並べられた色とりどりの石を見て、感嘆の息を漏らしている。
 それを見た高順はすかさず財布の中身を確認。
 財布とはいっても、この時代に紙幣はなく通貨のみなので結構に嵩張る。
 故に彼女は1000銭ずつ袋に入れて持ち歩いていた。
 彼女の給料は驚くなかれ。
 月に3000銭貰っている。
 これは単純な給料であり、太学などの費用とは別だ。
 特に使うこともないので然程減っていないその給料を、彼女は一応デートということで、まるまる持ってきていた。

 8000あれば足りるかな、と思いつつ董卓の様子を窺う高順。
 彼女はある商品を見つめて動かない。

 それは小さな紅玉だ。
 小指の先程の大きさであるが、その赤は実に鮮やか。
 値札には8000と書いてある。

「即金で買った」

 どん、と袋を8つ店主の前に置く高順。
 ハッとして彼女を見つめる董卓。
 そんな彼女ににかっと笑ってみせる。

「まいど。おまけにこれもつけておこう」

 そう言って店主はその紅玉をちょうどいい台座にはめ、台座に紐を通す。

「首に掛けるよりは頭につけた方がいいぞ」

 そう言いつつ、紅玉を高順に手渡した。
 礼を言い、受け取った彼女はそれを董卓の帽子とベールを取り、彼女の頭に掛けた。

 董卓は口を数度開くが言葉にならず、顔を赤くして俯いてしまう。
 そんな彼女とは裏腹に高順は満足そうに笑みを浮かべる。

「あなたの髪と白い肌によく似合ってるわ」
「へぅ……」

 りんごよりも真っ赤に染まった彼女。
 うんうん、と満足気に頷く高順。

「さ、行きましょうか」
 


 高順に手を引かれ、董卓は歩き出す。
 握られたその手を彼女はぎゅっと握り返した。











 一方その頃、城のとある一室に集まっている者達がいた。
 彼らは高順により仕事を奪われた元財務関連の文官達。
 汚職などは当然しておらず、ただ真面目に努力し、日々務めを果たしてきた。
 しかし、高順が現れて1ヶ月ほどしたとき彼らの仕事は無くなってしまった。
 高順が彼らよりも優れていたから、というだけで。
 今、彼らは雑務の処理をしているが、給料は下がるし、やりがいはないし、と散々であった。
 誰しも自分のやることには誇りを持つ。
 彼らからすれば自分が誇りを持ってやってきた仕事を横から奪われた形だ。
 しかも、相手は太学出のエリートなどではなく、異民族出身の、自分達の子供と同い年くらいの娘。
 彼らは決して無能ではない。
 財務とはあらゆる組織の心臓であり、それを担うことは無能ではできない。
 今、領地の財務を牛耳っているのは高順であり、彼らがやっていたときよりも正確かつ迅速に処理されている。
 財務とは主に金の流れの管理だ。
 収入と支出が釣り合うように管理せねばならない。
 電卓などは当然なく、人力での計算がどうしても必要となってくる。
 

 効率が上がっていいことではあるのだが、感情的に納得ができない彼ら。
 能力主義となったときの弊害だ。
 人間は機械ではない。

 かといって彼らは高順を暗殺してしまおうとは考えてはいない。
 そして、業務の足を引っ張ろうとも思ってはいない。

 どうにかして返り咲いてやろう、と彼らは額を寄せ合って計算問題を解いていた。

 過去に処理されてもはや用済みとなっている書類を写し、それを題材にして実際の仕事と同じようにやる。
 答えは分かっているから、あとは速さと正確さ。
 その為には反復練習が必要となる。
 幸いにも題材は数多くある。
 故に暇を見つけてはこうして集まって、または集まれないときは個人で計算練習を行っていた。
 


 やられて腐るような連中ばかりではない。





 そして、そんな文官達の動きは当然、主である董君雅も知っていた。
 というよりも、そうなるよう焚きつけたのが彼女である。


「いい傾向だわ」

 董君雅はポツリと呟いた。
 財務を全て高順の下に纏めるという英断なのか、それとも無謀な判断なのか、どちらともいえない決断をした彼女。
 確かに高順は経験不足ながらも、それを補って余りある計算能力と教養がある。
 色々勉強していた、という高廉の言葉は贔屓などではなかった。

「月との関係も良好だし……ああ、安心だわ」

 数刻前、高順が誰かを馬に乗せて城から街へと出ていったことが報告されている。
 誰だかは確認されていないが、状況的に董卓しかありえない。
 城内どこを探してもいないのだから。

 母親としては不安半分、安心半分であった。

「そろそろ1人で仕事させてみようかしら」

 高順が働き出してまだ3ヶ月とみるか、もう3ヶ月とみるか。
 董君雅は後者とした。
 故に彼女は再び決断する。

「賊退治の陳情が届いていたから、その先遣隊として行ってもらいましょう」

 対異民族への最前線と言ってもいい董君雅の領地だが、その内実は寒い限り。
 文官はともかくとして武官の数が極めて少ない。
 基本的に武官・文官は自前で用意しなければならない。
 文官は文字の読み書きとそれなりの教養があれば誰でもそれなりにはできるが、武官はそうはいかない。
 それなりの将軍となるには多大な努力と経験、もしくは才能のどちらかが、最低でも必要だ。
 しかし、大規模な戦がなく、せいぜいが山賊などの討伐でそんな輩が出てくるわけがない。
 ましてや、賊の討伐程度であれば楽にできるので調練や座学に身が入るわけもなかった。




 さて、そんなところに降って湧いた高順。
 文武両道を地で行っている彼女は単純な腕っ節の強さは勿論、用兵も董君雅軍で一番であった。
 これもまた董君雅の賭けであるが、過去に一度、自らの武官と彼女に騎兵のみを同数持たせて戦わせてみた。
 腕前を披露してもらおう、とそう思った次第。
 結果として武官側が彼女の用兵についていけずに崩壊し、董君雅は自分の部下の不甲斐なさに悲しさ半分、友人の娘の凄さに嬉しさ半分であった。

 もっとも、高順のやり方はこの時代としては極めて異質であり、董君雅から見てもそれはよくわかった。
 やり方としては簡単で、自身は実際の戦闘には出ず、全体を見渡せるところに行き、伝令を多く用意し、四半刻よりももっと短い時間、現代的単位に換算するならば数分単位で状況に応じた指示を矢継ぎ早に出したのだ。
 それも複雑な指示ではなく、極めて簡単な指示。
 前へ、後へ、右へ、左へ。
 出した指示はそれだけである。

 このやり方は1000年以上先、ドイツ軍によって実践されることになる電撃戦の初歩の初歩であった。
 機動戦という程のものではなく運動戦に分類されるやり方であるが、それでも彼女は真新しい兵器や武器を作ることなく、伝達手段の充実とその速度の優越、そして意思決定速度の優越によって本職を圧倒したのだ。

 確かに彼女は未来の知識、それも戦術・戦略的なものを持っているとはいえ、それらは孫子から派生したものだ。
 例えヨーロッパなどの遠い異国の戦術・戦略であろうと、それらを調べてみれば孫子に通じるものが多くある。
 何にでも応用できる孫子が優れている証拠だ。
 彼女ならずとも、孫子を学べばできないことはない。
 要は柔軟な発想ができるか否かである。
 
 
 さて、この結果、元々いた数少ない武官は揃いも揃って自信を喪失してしまった。
 彼らにとって高順は異次元の存在であった。

 董君雅の軍は総数こそ少ないが、騎兵の割合が多く、実に4割にも達する。
 異民族と仲良くすることで良馬を比較的安く手に入れられること、また仮想敵がその異民族であり、彼らを捕捉する為に速さが必要であった。
 その分、費用も掛かるが、そこも異民族との交易で補っているのだから、まさにダブルスタンダード。
 まあ、そのおかげで董君雅の領地内では異民族はどこの部族も略奪を働いてはいない。
 代わりに余所の領地で略奪を働いているのだが、そこらは董君雅は知らない振りをしている。
 自分の領地に被害が出なければそれでいい、と彼女は割り切っていた。

 ともあれ、そんな騎兵が主力の軍に、生まれたときから馬と共にいると言っても過言ではない異民族の高順。
 水を得た魚とはこのことだ。

 将来的には太学へ行ってしまい、その後は自分で勢力を興すか、どこかの有力諸侯に仕えるであろう彼女を使わない手はない。
 今、高順の主は董君雅なのであるから。


「とはいえ、戻ってきたら小言を言っておきましょうか。一応、危険はあるわけだし」

 例え街中といえど、何が起こるかわからない世の中である。
 故に董君雅の心配ももっともであった。
 

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