好敵手?

「ふぅ」

 彼女は一息つき、筆を休める。
 簡素な机の上にある無数の紙の束。
 現代と比べれば質は悪いが、意外にもこの時代では既に紙が広く普及している。
 それもその筈で紙は数十年以上前に蔡倫によって改良がなされていたからだ。


 そこにびっしりと書かれているのは調練のやり方。
 記憶にある歩兵操典などをはじめとした各種野戦教本を頭の中で照らし合わせ、この時代に合わせたアレンジを行っていた。
 この時代ではできないことはバッサリと切り捨て、陣形や移動方法、基礎的な体力作りといったところが中心だ。
 また難解であったり抽象的な表現は全て排除し、図を交えるなどできるだけ誰にでもわかりやすくしていた。
 

 さて、彼女の部族はいわゆる騎馬民族だ。
 しかし、その戦闘方法は策などを用いず力任せに突撃するのみ。
 個々の武は高いのだが、連携という概念があまりないのだ。
 彼女としては母親を通じ、部族の長や大人達に色々と言っているのだが、そんなことしなくても勝てるからいいだろう、というある意味で当然な答えが返ってきて以来、もはや諦めていた。
 

 彼女は今年で10歳にも関わらず、類まれなる才能、生来の特殊体質、そして何よりも口うるさいことにより彼女は部族内で腫れ物扱いていた。
 確かに彼女の母親をはじめ、部族の大人達は彼女が極めて優秀であり、かつその体質から漢王朝はじめ、多くの諸侯に対して有効な手札となりうることは分かっている。

 この世界において皇帝や英雄などの力ある者は全て女性である。
 そして、彼女達は男よりも同性を好む。
 だが、女性同士で子をなすことは不可能。
 唯一つの例外――両性具有者を除いて。
 数万人に1人いるかいないかと噂される両性具有者は有力者にとって、女同士で子をなす為に喉から手が出る程に欲しい存在であった。

 故にもし彼女を皇帝にでも売り払えば膨大な金が手に入ること間違いない。
 だが、そうはしなかった。
 強い者が部族の長となるべき、とそういう概念があり、彼女はまさに次代の部族の長に相応しい――かといって口を開かせればあれをしろこれをしろあれはやるな、と口うるさいのだが。
 ともあれ、勉強に関しては彼女は独学で――もっとも、彼女が望めば母親が動き、どこからか望むものを手に入れてきてくれた――学んでいたが、武術・馬術はみっちりと母親に、あるいは他の巧い大人に仕込まれていた。







 外から喧騒が聞こえる。

「そういえば今日は他部族が来るって聞いたかな」

 背筋を伸ばしつつ、思わず呟く。
 長い銀髪が揺れ、白いうなじが露になる。

 彼女は机の上を片付けて、立ち上がり天幕を出た。





 天幕を出、喧騒のする方へと歩いていけばそこには見慣れぬ集団がいた。
 彼らはゴザを地面に敷き、その上に色んなものを並べている。
 
 彼女はどうやら彼らが他部族らしい、とあたりをつける。
 どこの部族か、と興味津々な彼女が近づこうとすると後ろから声が聞こえた。

「彩、きたの?」

 後ろを振り返ればそこには黒髪で長身の女性が立っていた。
 胸は大きく、天を向いている。
 彼女は母親であった。

「あんたが鍛錬以外で天幕から出るなんて珍しい」

 しげしげと娘の顔を見つめる彼女。
 彼女の言うとおり、鍛錬以外は天幕で紙に何やら書いていることが多く、そのことは部族内で広く知られていた。
 故に、彼女に友達はいなかった。
 大人達の態度を見、子供達はおかしなヤツ、と彼女を認定し、彼女の邪魔をすべく、いたずらを仕掛けた……のだが、既に大人に混じって体を鍛えている彼女にとって、そんなものは赤子の手をひねるよりもたやすく粉砕してしまった。
 痛い目に遭った子供達からは恐れられ、以後彼らは彼女に近寄ることがなくなった。


「いいじゃない。で、何か?」
「ああ、暇なら力比べに出てみたらどうだ?」

 その言葉に彼女は一も二もなく頷いた。
 こちらに転生して以来、彼女は体を動かすことが大好きでたまらない。
 前世では到底できないようなことが軽々とできてしまうからだ。
 
 また、貂蝉が何かやったのかどうか知らないが、鍛錬すればやった分だけ彼女は力を得ることができた。
 着実に力量が上がれば当然、楽しくもなるわけで。

「今日来た部族にあんたと同い年くらいの子がいてね。その子が結構強かったから、遊んでこい。場所は長の天幕前」
「はーい」

 彼女は小走りで向かった。










「へぇ……」

 彼女は対象をじっくりと観察する。
 その人物は彼女と同じく銀髪であるが、こちらは短く切りそろえてある。
 だが、その得物は彼女の身の丈の2倍はあろうかという大戦斧。
 そんなものを軽々と振るい、対峙する大人の武器を弾き飛ばす。
 殺傷しては駄目なので武器を弾くか、相手に参ったと言わせなければならない。


 ふと少女の視線が彼女とかち合った。
 彼女は戦斧を向ける。

「我が名は華雄! そこの者、私と勝負しろ!」

 響く声。
 観客達はざわめく。
 名乗られた彼女は内心驚きつつも言葉を紡ぐ。

「我が名は高順。かかってこい。相手になってやる」

 彼女――高順はそう言いつつ、手近な者から槍を受け取る。
 彼女の得意な得物は槍であるが、槍だけしか使えないのではない。

「その意気やよし」

 華雄はそう答えつつ戦斧を構え、眼光鋭く高順を睨みつける。
 対する高順もまた油断できる相手ではない、と知識から知っていた。


 観客達は大人から子供までまるで本物の一騎打ちであるかのような雰囲気に呑まれ、声を出せない。

 弓につがえられた矢の如く、極限まで緊張が高まっていく。
 いつ爆ぜてもおかしくはない。
 瞬間、一陣の風が2人の間を駆け抜けた。

 両者動いた。
 先手を取ったのは華雄。
 戦斧を振り回し、力任せに槍をへし折ろうと上段から叩きつける。
 高順はそんな手は食わぬとばかりに半歩だけ横に体をずらし、その場でくるりと回転。
 槍の柄が華雄に迫るが敵もさるもの。
 彼女はひょいっとその場で僅かに飛び上がり、柄をかわすや否や、戦斧を上に振り上げ、その柄でもって高順を強襲する。
 すかさず高順は後方へ跳躍。
 着地するや否や、槍を構え前へ。

 華雄は面白いとばかりに笑みを浮かべ、真正面から高順を迎え撃つべく戦斧を構える。
 そして始まる刃の応酬。
 お互いに防御は考えずにただひたすらに攻め続ける。






 幾何の時が経過したか。
 お互いに譲らず、攻撃につぐ攻撃。
 両者共、額から汗が吹き出し、息荒く。
 観客達の存在も、力比べということも当に忘れ、もはや本物の一騎打ち。

 天高く響く刃を交える音。
 それは一種の音楽ともいえよう。


 知らず知らずに華雄は声を出し、笑っていた。
 その顔には満面の笑み。
 彼女は楽しかった。
 大人をも負かす彼女にとって同世代で自分と張り合う高順。
 楽しくないわけがなかった。


 対する高順もまた同じ。
 一撃毎に振るう速度が速くなり、そして華雄もまた速くなっている。
 打ち合う音、そして感触は心地良く、疲れなど湧いてもこない。



「我が真名は嵐!」

 唐突に華雄が名乗った。
 高順は驚きもせずに返す。

「我が真名は彩!」

 華雄は告げる。

「彩、どこまでも踊り続けようではないか!」
「ついてこれる?」
「お前がついてこい!」




 もはや2人だけの世界。
 何人たりとも彼女達の世界を崩せない、と思われたが……

「いい加減にしろ!」

 重なって聞こえた怒鳴り声。
 どちらも聞き覚えのある声故に2人の踊りは終わりを迎える。

「母上……」
「母さん……」

 両者の母親怒り心頭。
 般若も逃げ出すその形相にさしもの高順、華雄といえど後退り。

「1刻も戦い続けて……やりすぎだ!」
「長同士の話し合いがお前達がうるさいおかげでできないじゃないか!」

 2人の戦っていた場所は長の天幕前。
 当然ながら、そこには両部族の長がおり……そして、華雄と高順は打ち合う音だけでなく笑ったりしていた為に。

 高順はちらりと華雄に目配せ。
 心得た、と頷く華雄。

「三十六計逃げるに如かず!」

 高順叫び、2人は脱兎の如く駆け出した。











「ああ、楽しかった」

 鬼から逃げ、手近な岩陰に隠れた2人。
 華雄は息を整えつつそう言った。

「私もよ」

 高順もまた同じく息を整えつつ。

「彩か……綺麗だな」

 華雄は高順を見つめつつ、そう言う。
 対する高順も同じように華雄の顔を見つめつつ。

「嵐ってあなたによく似合っている名前ね。嵐みたいに激しい」
「ふふ、そうだろう? でも、母上以外に許したのはお前が初めてだ」
「私も似たようなものよ。私、部族でもちょっと浮いてるから」

 そう言う高順に不思議そうな顔の華雄。

「お前なら実力で黙らせられるだろう? 私もそうした」
「私って色々口出しするからうるさいんですって」
「そうなのか? 例えばどんな?」
「戦に限れば少数の味方で大軍を打ち破る方法とか、鮮やかに敵を打ち倒す方法とか」
「何でそれが駄目なんだ?」
「突撃してるだけで勝ててるから問題ないんですって。突っ込むことしかできないなんて猪みたいね」

 華雄は高順の言葉に黙して語らず。
 彼女自身と彼女の部族にも思い当たる節があったからだ。
 高順はそんな華雄の様子を横目で見つつ、告げる。

「敵の虚をこちらの実で突く。孫子よ」

 華雄は思わず感嘆の声を上げる。

「他にも?」
「兵法書を読むのは武を扱う者の嗜みよ。兵法書も読まない武人なんて……」

 クスクスと笑ってしまう高順に華雄は冷や汗をかく。
 文字の読み書きも危うい彼女は本など読める筈がない。
 今まで華雄がやったことは武術と馬術のみだ。

「どうせならうちに来る? 色々あるけど」
「……行こう。あと、できれば私に文字と……孫子を教えて欲しい」

 敗北感を存分に味わった華雄であった。







 母親達が周囲にいないことを確認しつつ、高順と華雄は天幕へと入る。
 そして、机の横にある棚にこれでもかと詰め込まれた書籍に華雄は呆気に取られてしまう。

「はい、孫子。とりあえず第一巻。文字が読めなくてもどんな風に書かれているかは見ておいたほうがいいと思うの。本の形式に慣れるっていうか……」

 本棚から1つ取り出し、高順はそう言いつつ華雄に手渡した。
 彼女は受け取り、最初のページを開き、そしてすぐに閉じた。

「……私にはどうやら無理なようだ。文字はこんなにも難解で……」
「勉学も戦い。体を動かすか、頭を動かすか……」
「私は体を動かすだけでいい。だからお前は頭も動かせ」
「押し付けるなんてひどいひどい」

 むーっと頬を膨らませる高順に華雄は笑う。
 そして、彼女は笑いを静め、高順をまっすぐに見据える。

「彩、これからよろしくな」

 差し出す手はまだ小さい。
 高順はその手をぎゅっと握る。

「嵐、よろしく……でも、勉強はしなさい」
「……それはちょっと」
「文字も読めない書けない、本も読めない武人はただの猪って昔の偉い人が言ってた」
「そ、そうなのか……猪はさすがに嫌だな……」
「猪のままなら、私に勝てなくなるかも」

 ちらっと横目で見つつそう言う高順。
 むむむ、と唸る華雄。
 あと一押し、と高順はトドメの一言。

「私だけが頭も力も強くなるなんて……嵐は可哀想。力だけしか取り柄がないなんて……」
「わかった。やる。やってやる。彩には負けたくない」

 かかった、と高順は内心ほくそ笑む。

「で、どうすればいいんだ?」
「とりあえず文字の読み書きと簡単な本からね。劉邦と項羽の戦いとかそういうのなら興味ある?」
「そういうのなら……たぶん大丈夫だと思う」
「ならそれからね。平行してやっていきましょう。どんどん読んでいけば読書が苦痛でなくなるの。そこまでいけばもう大丈夫」

 重々しく頷く華雄ににっこり笑う高順。

「その後は計算ね。計算もできると周りから知勇兼備って言われると思うの」
「け、計算……」

 思いっきり顔を引き攣らせる華雄だが、高順は容赦しない。

「計算ができれば戦で有利。距離を割り出すには速さに時間を乗算したもの……」
「じょ、じょうざん……」

 あうあうあう、と先ほど勇猛果敢であったとは思えない程に元気を無くし、俯いてしまう華雄。
 まだ乗算の概念がないからそれも無理はないが……この様子からだと足し算引き算も危なそうであった。

「あ、どうせなら超オーバー知識として、三角関数でも教えてみようかしら? 虚数平方根、二次関数に方程式、数列に行列。三平方の定理は外せない。あとはマニアックなところでフェルマーの最終定理とか円周率の求め方とか」
「や、やめろ……何かわからないけどすごく危険だからやめてくれ……」

 頭を抱えて座り込む華雄に高順はニヤニヤと笑いながら、さらに言葉責めを敢行する。

「e=mc^2で相対性理論。電子の質量は-1.6×10^-19、原子爆弾を作るにはウラン238からウラン235を取り出し、濃縮する」

 1700年以上、時代を先取りした知識のオンパレードだ。
 華雄は訳のわからない単語に恐怖を感じ、ただ怯えることしかできない。

「嵐は可愛いなぁ……微分積分、確率計算」

 ニヤニヤと笑う高順により、それから半刻程言葉責めが続いた。
 ちなみにだが、彼女は確かに知ってはいるが、どうしてそうなるか証明はできない。
 だが、知っているのと知らないのでは雲泥の差があるのは確かだ。




「うぅ……酷い目に遭った」

 涙目になっている華雄に高順は思わず唾を飲み込む。
 可愛いのである。
 故に彼女は実行した。
 華雄をぎゅっと抱きしめるということを。

「さ、彩っ!?」
「嵐可愛い」
「か、可愛いって……」

 しどろもどろになる華雄はなされるがままだ。
 どうやら彼女は受けに回ると弱いらしい。
 抱きついている高順は思いっきり息を吸い込み、華雄の匂いを堪能する。

 
 このままでは何だかまずい、と思った華雄は高順を引き離し、手近なところに座らせる。
 そして、彼女自身も対面に座った。

「で」
「うん」
「何で急に?」
「可愛いと思った。悪気はなかった」
「可愛い、か。私としてはカッコイイと言われたいのだが」
「じゃあ今度はカッコイイで」
「もうやらなくていい」

 華雄の言葉にむーっと頬を膨らませる高順。
 対して素知らぬ顔をする華雄。
 沈黙が訪れるが、すぐに高順は頬を膨らませるのをやめ、問いかけた。

「ところであなたのところも父親はいないの?」
「ああ。お前も?」
「ええ。何でも略奪したとき、手近な男を強姦してできた子が私なんですって」
「私と似ているな」
「で、母さんがイクとき、男殺しちゃって父親いないんですって」
「……私と全く同じだな」
「まあ、それが様式というか形式みたいね」

 勿論、部族には男もいるが、何分、女の力が強いので立場は弱い。
 部族内で結婚というものはなく、やりたくなったら男を漁るとそういう感じであった。

 再び訪れる沈黙。
 それを破ったのは華雄であった。

「お前はもう初陣を済ませたのか?」
「まだ」

 答えた高順に華雄は腕を組み、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「私はもう済ませたぞ。部族を討伐しにきた官軍相手にな。あのときの私は凄かった。3人殺した」
「それは凄い」

 子供の身でそれだけやれるというのはさすがであった。

「嵐」
「ん?」
「将来、私、部族から出るかも」
「むしろ、そうしない方が不自然に感じてしまうんだが」
「まあ、そこは置いておいて……私と来ない?」

 問いかけに驚いたように目を丸くする華雄。

「いいのか?」
「旅は道連れっていう言葉があるもの。ここで会ったのも何かの縁。あなたも部族の長とかで終わるような、ちっぽけな器じゃないと思うの」

 じーっと高順は華雄の瞳を見つめる。

「私もちょっと考えていたことだ。もっと強いヤツと戦ってみたい。強くなりたい」
「決まりね」

 にっこりと高順は微笑んだ。
 華雄もつられて微笑んだ。

「で、その為には勉強ね」

 華雄の表情が曇り空となったのは言うまでもなかった。


 華雄と高順はこの日以後行動を共にし、時には鍛錬、時には勉学と実に有意義な時間を過ごしたのであった
 高順は2週間後の別れのときに華雄に色々な文字の読み書きや計算問題や本などを渡したのであった。

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