彼はオタクである。
一口にオタクとはいっても、その種類は様々だ。
車オタク、アイドルオタク、鉄道オタク……
オタクとは元々は蔑称ではあるが、今では特定の分野に対し極めて興味を持つ人達を言う単語となっている。
特定の分野に対して興味を持つとは転じて、趣味ともいえる。
マニアともいえよう。
中には変なオタクもおり、空き缶やビールの蓋などを集める、中々に他者から理解されない輩もいる。
そして、彼はその中々理解されないオタクに分類される。
それもそうだろう。
彼は戦争オタクであった。
ここで重要なのは彼は兵器オタクではないことだ。
確かにそれなりには詳しいが本物から見ればにわか程度。
そうではなく、戦争が起きた背景や戦略や戦術といったことに極めて強い関心を持っていた。
彼はインターネットで旧日本軍の歩兵操典をはじめとした各軍の野戦教本を見つけ、それを読み込んだ。
兵を動かすには兵を鍛えねばならぬ、と。
そして、それが高じてどんな武器が最適か、と兵器オタクの道へ入ったところだ。
とはいったものの、彼本人は持久力こそあるものの、筋力などは極々一般的。
また、彼はひきこもりでも何でもなく、普通に友達もいる。
そろそろ大学2年だが、まだ1年の遊ぶ猶予があった。
ある日の深夜。
飲み会の帰りに彼はほろ酔い気分で歩く。
彼は下宿しているアパートまであと少しというところにきていた。
彼のアパート周辺は外灯の数は少なく薄暗い。
そして、そこで彼は自身から数m先で男が何かを探しているかのように地面を見回していることに気がついた。
「……すっげ」
ジロジロとガン見である。
何が凄いかというと、その格好だ。
裸にパンツ一丁というあまりにも男らしすぎる格好。
そして、筋骨隆々である。
若い故に怖さよりも好奇心が先に立つ。
頭のおかしい変質者ならば表情や雰囲気でそれなりに分かるし、何よりも探しものが人ではないことは明白だ。
「どうかしたんですか?」
故に彼は声を掛けた。
その声に気が付き、男は顔を上げた。
「あら、いい男……じゃなくて、私ちょっと探しものしているのよ」
女言葉でソッチ系の人か、と彼は察するが別段それだけしか思わない。
同性愛に対しては個人の自由だというのが彼のスタンスだ。
「手伝いましょうか?」
「あらん、助かるわぁ。それじゃお願いするわ」
そうして手分けして探すこと数分。
彼は側溝に落ちていた古ぼけた鏡を発見し、男に手渡した。
「ありがとう、助かったわ」
「いえ、別にこれくらいは……」
「私の名前は貂蝉よ。縁があったらまた会いましょう」
投げキス一つ、貂蝉がウィンク。
すると彼女はまるで陽炎のように消えてしまった。
「……お化け? てか、貂蝉て……源氏名? オカマバーかどっかの人かな」
怖さよりも不可思議さに思わず彼は首を傾げるが、ここにいるわけにもいかない。
とりあえず帰宅することにする彼であった。
それから数週間は特に何事もなく過ぎ去り、貂蝉についての記憶が風化しかけた、そんなときであった。
「はぁい」
ある日、彼が帰宅するとアパートの前に貂蝉がいた。
彼は目を白黒させたものの、とりあえず中にということで彼を部屋へと招く。
お茶と和菓子を出し、一息ついたところで彼は問いかける。
「何か用ですか?」
「ええ、実はあなたの力を借りたいと思って」
「探しものですか?」
「いえ、ちょっとした海外派遣というか、外史派遣というか……」
「詳しくお願いします。それで決めます」
「わかりやすく言えば平行世界にいって欲しいの」
予想外の言葉にポカンとしてしまう。
「いや、何か人知を超えた存在みたいだからそういうのもあるかもだけど……」
敬語が崩れているが彼は気にしない。
貂蝉もまた気にすることなく話を進める。
「勿論、何も無しに放り出すことはしないわ。私のできる範囲であなたに力を与えましょう」
「はぁ……」
彼には曖昧な返事しかできない。
「私は外史……まあ、全部じゃなくて特定の時代のみなんだけど、その平行世界の管理人。あなたを送りたいっていう理由は……いい男だから」
「……えらくいい加減だな」
「あらん、こういうのは重要よ。いい男は何しても許されちゃうイケナイ子なんだからぁん」
さすがの彼もこの言葉にやや引く。
「あなたと別れた後、私はちょっとあなたのことを観察させてもらったわ。あなたは平和を望みつつも、戦場で指揮をとりたい。そう思っているでしょう?」
「まあ、男だしなぁ……そういうのには憧れるね」
隠すこともなくそう告げる。
「でしょ? 変に倫理や道徳を盾に綺麗事を言うよりは余程好感が持てる。そういうところもやっぱりイイオトコ……」
「……ともかく、大学卒業まで返事は待ってくれ。学費も返したいし、親に恩返しとして温泉旅行も連れてってやりたい」
「いいわよ、そういうところもますます好感もてるわぁ……今まで何人も外史に送り込んだけど、誰もそういったことは言わなかったもの」
前例が何件もあることに彼は苦笑せざるをえない。
「大抵の子はハーレム作ってたわ。色んな能力を私から与えられて」
「ハーレムは漢の永遠の夢」
「否定しないわぁ……ところで、あなたに聞きたいんだけど……今の男の姿で送り込む、そのときには能力を与えることができるわ。アニメとか漫画とかそういうものの能力もいいわよ」
一度言葉を切り、彼の反応を窺いつつ貂蝉は更に続ける。
「転生という形で女の子になればあなたは超人的な身体能力を得ることができる。勿論、私ができる範囲で強化もするわ。こっちはゲームの能力とかは無理よ」
どっちがいい、と彼は問いかける。
「その前に聞きたいが……何で女の子なんだ?」
「その世界は女の方が力が強い世界なのよ」
「なるほど……それじゃ、女に転生という形で」
「あら、あっさり。能力はいらないの?」
「いや……あっても困るし」
「無限の剣製とか王の財宝とかもいいわよ?」
「お断りします」
即答であった。
そして彼は続ける。
「というか、そういうアニメの技とかを現実で使いたいって思う人はかなり……うわぁ、と思う」
うわぁ、で済ませたのは彼の優しさ。
貂蝉はなるほどなるほど、と何度か頷き、やがて口を開く。
「わかったわ。それじゃ……アドレスと番号交換しましょ」
にっこり笑顔で告げる貂蝉に彼は溜息一つ。
どうしてそうなるかがよく分からなかったが、これも何かの縁、と彼は交換に応じたのであった。
それから彼は今まで以上に大学生活を満喫した。
友人達と一緒にバイトし、海外旅行に行ったり、登山にいったり、北海道で美味しいものを食べ歩いたり……彼は友達と遊ぶ時間、そして頻繁に帰省し、家族との時間を大切にした。
また貂蝉の言い分から戦国時代か何かではないか、と見当をつけた彼は長く生きられなくとも、英傑を間近で見たいと思うようになった。
できるならばそのような連中の下で働きたいとも。
現代で歯車のように働いて長く生きるのと太く短く、鮮烈な嵐の如く生きる――その選択において彼は後者を望んだ。
卒業を待たずに彼は貂蝉に行く、と伝えた。
そして、それから間を置かずに自分の要望を彼に送り、できるか否かを判定してもらいつつ、より一層趣味に力を注いだ。
たとえ斬り合いはできずとも軍師として働きたい、と。
そんなこんなであっという間に時間が過ぎ去り……彼は卒業を迎えた。
家族に挨拶を、ということで彼は貂蝉にスーツを着てもらい、実家へと戻ることとなった。
就職に関しては既に両親に伝えてある。
具体的な仕事内容は伝えず、海外へ行って色々やる仕事であり、帰省も連絡も難しい、と。
まさか平行世界へ行くとも言えず、そういう曖昧な言葉でしか表せない。
「うちの息子をよろしく頼みます」
そう言い頭を下げる父母に彼は思わず涙ぐむ。
彼からすれば今生の別れなのだ。
貂蝉もまたその意気を汲み、しっかりと告げる。
いつもの女口調ではない。
「お任せください。彼が幸福な人生を送れるよう、私も努力致します」
力強くそう言う貂蝉に彼の両親は安堵の息を吐く。
貂蝉は彼に目配せする。
それを受け彼は涙を拭い、告げる。
「行ってきます。いつまでも健やかに」
このときばかりは彼も敬語であった。
今まで育ててくれた恩がある。
学費は……彼が稼いだ分では半分も返せないが、そこらは貂蝉が何とかする、と確約してくれたので問題はない。
「体に気をつけて」
「元気でな」
父母からの言葉は短いものであった。
だが、言葉よりもその表情が何よりも彼の心に訴えかけていた。
彼は自らの欲望の為に行く。
だが、彼に罪悪感はない。
きっとそのことを話しても父母は何も言わないだろう。
彼とてもう成人。
ならばこそ、彼が決めた道を進むのを助言こそすれ、止めることはない。
「うん……行ってくる」
そして、貂蝉と共に彼は実家を後にした。
目立たぬ場所ならどこでもいい、と彼は貂蝉から説明を受けている。
ならば実家近くの山で、と彼は望んだ。
「確認だけど……俺の要望通りの体質、それは万全か?」
「問題ないわ」
そう貂蝉は返し、彼が望んだものを挙げていく。
あらゆる病気や毒にかからない
自分と交わった者のあらゆる病気や毒などの治癒
どんなに不健康な生活を送っても体型が変わらない
ニキビができない
視力が落ちない
肌が荒れない
どんなに食べても太らない
便秘にならない
虫歯にならない
あらゆる腹痛や頭痛にならない
髪が傷まない
気持ち悪くならない
酔わない
一度覚えたものは忘れない
一度見たものは忘れない
多くの人間から羨望のまなざしを向けられること間違いない。
またこれらに加えて、彼としての知識、そして元々のオプションとして超人的な身体能力が付与される。
「ただし、俺はそのまま私になるわけではない……だったかな」
「ええ、そうよ。あなたに女としてのあなたを混ぜた感じ。あなたの知識は引き継がれるけど……」
「どちらにしろ俺ではなくなるみたいだな」
「そうしないと心が死んでしまう可能性があるの。ごめんなさい」
頭を下げる貂蝉に構わない、と彼は答える。
「あと私がおまけもつけておくわ。有意義に使って幸せな人生を送って頂戴」
「わかった。ありがとう、貂蝉。あなたのおかげで俺はきっと有意義な人生を送れると思う」
頭を下げる彼に貂蝉は胸がときめいた。
ああ、ホントにいい男だわ、と思いつつ、彼ならきっと大丈夫ね、と確信する。
「あ、あと孕ませよう、孕もうって思わない限りは子供できないからそこだけ注意ね」
この言葉に彼は首を傾げる。
女になるのだから孕もうはともかくとして、孕ませようは無理なんじゃないか、と。
「あと、今から行く時代はあなたの知ってるものとは違うわ。色々とオーパーツ的なものもあるけど、そこらへんは了承して頂戴」
「わかった」
「では外史へ1名様ご案内~」
貂蝉はどこからともなく古ぼけた鏡を取り出した。
その鏡から光が溢れ出し……
彼は意識を手放した。
そして、彼は彼女となって生まれた。
古代中国は涼州、とある異民族の一員として。
一口にオタクとはいっても、その種類は様々だ。
車オタク、アイドルオタク、鉄道オタク……
オタクとは元々は蔑称ではあるが、今では特定の分野に対し極めて興味を持つ人達を言う単語となっている。
特定の分野に対して興味を持つとは転じて、趣味ともいえる。
マニアともいえよう。
中には変なオタクもおり、空き缶やビールの蓋などを集める、中々に他者から理解されない輩もいる。
そして、彼はその中々理解されないオタクに分類される。
それもそうだろう。
彼は戦争オタクであった。
ここで重要なのは彼は兵器オタクではないことだ。
確かにそれなりには詳しいが本物から見ればにわか程度。
そうではなく、戦争が起きた背景や戦略や戦術といったことに極めて強い関心を持っていた。
彼はインターネットで旧日本軍の歩兵操典をはじめとした各軍の野戦教本を見つけ、それを読み込んだ。
兵を動かすには兵を鍛えねばならぬ、と。
そして、それが高じてどんな武器が最適か、と兵器オタクの道へ入ったところだ。
とはいったものの、彼本人は持久力こそあるものの、筋力などは極々一般的。
また、彼はひきこもりでも何でもなく、普通に友達もいる。
そろそろ大学2年だが、まだ1年の遊ぶ猶予があった。
ある日の深夜。
飲み会の帰りに彼はほろ酔い気分で歩く。
彼は下宿しているアパートまであと少しというところにきていた。
彼のアパート周辺は外灯の数は少なく薄暗い。
そして、そこで彼は自身から数m先で男が何かを探しているかのように地面を見回していることに気がついた。
「……すっげ」
ジロジロとガン見である。
何が凄いかというと、その格好だ。
裸にパンツ一丁というあまりにも男らしすぎる格好。
そして、筋骨隆々である。
若い故に怖さよりも好奇心が先に立つ。
頭のおかしい変質者ならば表情や雰囲気でそれなりに分かるし、何よりも探しものが人ではないことは明白だ。
「どうかしたんですか?」
故に彼は声を掛けた。
その声に気が付き、男は顔を上げた。
「あら、いい男……じゃなくて、私ちょっと探しものしているのよ」
女言葉でソッチ系の人か、と彼は察するが別段それだけしか思わない。
同性愛に対しては個人の自由だというのが彼のスタンスだ。
「手伝いましょうか?」
「あらん、助かるわぁ。それじゃお願いするわ」
そうして手分けして探すこと数分。
彼は側溝に落ちていた古ぼけた鏡を発見し、男に手渡した。
「ありがとう、助かったわ」
「いえ、別にこれくらいは……」
「私の名前は貂蝉よ。縁があったらまた会いましょう」
投げキス一つ、貂蝉がウィンク。
すると彼女はまるで陽炎のように消えてしまった。
「……お化け? てか、貂蝉て……源氏名? オカマバーかどっかの人かな」
怖さよりも不可思議さに思わず彼は首を傾げるが、ここにいるわけにもいかない。
とりあえず帰宅することにする彼であった。
それから数週間は特に何事もなく過ぎ去り、貂蝉についての記憶が風化しかけた、そんなときであった。
「はぁい」
ある日、彼が帰宅するとアパートの前に貂蝉がいた。
彼は目を白黒させたものの、とりあえず中にということで彼を部屋へと招く。
お茶と和菓子を出し、一息ついたところで彼は問いかける。
「何か用ですか?」
「ええ、実はあなたの力を借りたいと思って」
「探しものですか?」
「いえ、ちょっとした海外派遣というか、外史派遣というか……」
「詳しくお願いします。それで決めます」
「わかりやすく言えば平行世界にいって欲しいの」
予想外の言葉にポカンとしてしまう。
「いや、何か人知を超えた存在みたいだからそういうのもあるかもだけど……」
敬語が崩れているが彼は気にしない。
貂蝉もまた気にすることなく話を進める。
「勿論、何も無しに放り出すことはしないわ。私のできる範囲であなたに力を与えましょう」
「はぁ……」
彼には曖昧な返事しかできない。
「私は外史……まあ、全部じゃなくて特定の時代のみなんだけど、その平行世界の管理人。あなたを送りたいっていう理由は……いい男だから」
「……えらくいい加減だな」
「あらん、こういうのは重要よ。いい男は何しても許されちゃうイケナイ子なんだからぁん」
さすがの彼もこの言葉にやや引く。
「あなたと別れた後、私はちょっとあなたのことを観察させてもらったわ。あなたは平和を望みつつも、戦場で指揮をとりたい。そう思っているでしょう?」
「まあ、男だしなぁ……そういうのには憧れるね」
隠すこともなくそう告げる。
「でしょ? 変に倫理や道徳を盾に綺麗事を言うよりは余程好感が持てる。そういうところもやっぱりイイオトコ……」
「……ともかく、大学卒業まで返事は待ってくれ。学費も返したいし、親に恩返しとして温泉旅行も連れてってやりたい」
「いいわよ、そういうところもますます好感もてるわぁ……今まで何人も外史に送り込んだけど、誰もそういったことは言わなかったもの」
前例が何件もあることに彼は苦笑せざるをえない。
「大抵の子はハーレム作ってたわ。色んな能力を私から与えられて」
「ハーレムは漢の永遠の夢」
「否定しないわぁ……ところで、あなたに聞きたいんだけど……今の男の姿で送り込む、そのときには能力を与えることができるわ。アニメとか漫画とかそういうものの能力もいいわよ」
一度言葉を切り、彼の反応を窺いつつ貂蝉は更に続ける。
「転生という形で女の子になればあなたは超人的な身体能力を得ることができる。勿論、私ができる範囲で強化もするわ。こっちはゲームの能力とかは無理よ」
どっちがいい、と彼は問いかける。
「その前に聞きたいが……何で女の子なんだ?」
「その世界は女の方が力が強い世界なのよ」
「なるほど……それじゃ、女に転生という形で」
「あら、あっさり。能力はいらないの?」
「いや……あっても困るし」
「無限の剣製とか王の財宝とかもいいわよ?」
「お断りします」
即答であった。
そして彼は続ける。
「というか、そういうアニメの技とかを現実で使いたいって思う人はかなり……うわぁ、と思う」
うわぁ、で済ませたのは彼の優しさ。
貂蝉はなるほどなるほど、と何度か頷き、やがて口を開く。
「わかったわ。それじゃ……アドレスと番号交換しましょ」
にっこり笑顔で告げる貂蝉に彼は溜息一つ。
どうしてそうなるかがよく分からなかったが、これも何かの縁、と彼は交換に応じたのであった。
それから彼は今まで以上に大学生活を満喫した。
友人達と一緒にバイトし、海外旅行に行ったり、登山にいったり、北海道で美味しいものを食べ歩いたり……彼は友達と遊ぶ時間、そして頻繁に帰省し、家族との時間を大切にした。
また貂蝉の言い分から戦国時代か何かではないか、と見当をつけた彼は長く生きられなくとも、英傑を間近で見たいと思うようになった。
できるならばそのような連中の下で働きたいとも。
現代で歯車のように働いて長く生きるのと太く短く、鮮烈な嵐の如く生きる――その選択において彼は後者を望んだ。
卒業を待たずに彼は貂蝉に行く、と伝えた。
そして、それから間を置かずに自分の要望を彼に送り、できるか否かを判定してもらいつつ、より一層趣味に力を注いだ。
たとえ斬り合いはできずとも軍師として働きたい、と。
そんなこんなであっという間に時間が過ぎ去り……彼は卒業を迎えた。
家族に挨拶を、ということで彼は貂蝉にスーツを着てもらい、実家へと戻ることとなった。
就職に関しては既に両親に伝えてある。
具体的な仕事内容は伝えず、海外へ行って色々やる仕事であり、帰省も連絡も難しい、と。
まさか平行世界へ行くとも言えず、そういう曖昧な言葉でしか表せない。
「うちの息子をよろしく頼みます」
そう言い頭を下げる父母に彼は思わず涙ぐむ。
彼からすれば今生の別れなのだ。
貂蝉もまたその意気を汲み、しっかりと告げる。
いつもの女口調ではない。
「お任せください。彼が幸福な人生を送れるよう、私も努力致します」
力強くそう言う貂蝉に彼の両親は安堵の息を吐く。
貂蝉は彼に目配せする。
それを受け彼は涙を拭い、告げる。
「行ってきます。いつまでも健やかに」
このときばかりは彼も敬語であった。
今まで育ててくれた恩がある。
学費は……彼が稼いだ分では半分も返せないが、そこらは貂蝉が何とかする、と確約してくれたので問題はない。
「体に気をつけて」
「元気でな」
父母からの言葉は短いものであった。
だが、言葉よりもその表情が何よりも彼の心に訴えかけていた。
彼は自らの欲望の為に行く。
だが、彼に罪悪感はない。
きっとそのことを話しても父母は何も言わないだろう。
彼とてもう成人。
ならばこそ、彼が決めた道を進むのを助言こそすれ、止めることはない。
「うん……行ってくる」
そして、貂蝉と共に彼は実家を後にした。
目立たぬ場所ならどこでもいい、と彼は貂蝉から説明を受けている。
ならば実家近くの山で、と彼は望んだ。
「確認だけど……俺の要望通りの体質、それは万全か?」
「問題ないわ」
そう貂蝉は返し、彼が望んだものを挙げていく。
あらゆる病気や毒にかからない
自分と交わった者のあらゆる病気や毒などの治癒
どんなに不健康な生活を送っても体型が変わらない
ニキビができない
視力が落ちない
肌が荒れない
どんなに食べても太らない
便秘にならない
虫歯にならない
あらゆる腹痛や頭痛にならない
髪が傷まない
気持ち悪くならない
酔わない
一度覚えたものは忘れない
一度見たものは忘れない
多くの人間から羨望のまなざしを向けられること間違いない。
またこれらに加えて、彼としての知識、そして元々のオプションとして超人的な身体能力が付与される。
「ただし、俺はそのまま私になるわけではない……だったかな」
「ええ、そうよ。あなたに女としてのあなたを混ぜた感じ。あなたの知識は引き継がれるけど……」
「どちらにしろ俺ではなくなるみたいだな」
「そうしないと心が死んでしまう可能性があるの。ごめんなさい」
頭を下げる貂蝉に構わない、と彼は答える。
「あと私がおまけもつけておくわ。有意義に使って幸せな人生を送って頂戴」
「わかった。ありがとう、貂蝉。あなたのおかげで俺はきっと有意義な人生を送れると思う」
頭を下げる彼に貂蝉は胸がときめいた。
ああ、ホントにいい男だわ、と思いつつ、彼ならきっと大丈夫ね、と確信する。
「あ、あと孕ませよう、孕もうって思わない限りは子供できないからそこだけ注意ね」
この言葉に彼は首を傾げる。
女になるのだから孕もうはともかくとして、孕ませようは無理なんじゃないか、と。
「あと、今から行く時代はあなたの知ってるものとは違うわ。色々とオーパーツ的なものもあるけど、そこらへんは了承して頂戴」
「わかった」
「では外史へ1名様ご案内~」
貂蝉はどこからともなく古ぼけた鏡を取り出した。
その鏡から光が溢れ出し……
彼は意識を手放した。
そして、彼は彼女となって生まれた。
古代中国は涼州、とある異民族の一員として。