きな臭い動き


 アシュレイは帝国ホテルでの会食の後、そのまま千鶴とあやかの2人をスイートルームに誘って美味しく頂く……ということはしなかった。
 彼女くらいになると心のゆとりがそこらの輩とは違う。
 故に会場にいた大勢の者達はさすが明日菜様、器が大きいと勝手に勘違いしてしまった。
 アシュレイはその勘違いに気づいていたが、自分の株が上がることをわざわざ訂正する必要もない。


 しかしながら、アシュレイを間近で見、世間話程度の会話をした2人……特に千鶴はアシュレイのあることをおぼろげながら感じ取った。
 彼女が家業を行うのは今回限りと父親と約束しており、彼女の本来の望みは保母になることだ。
 だが、どんな相手にも自分の意見を告げる千鶴といえど、さすがに今回ばかりは相手と場所が悪すぎた。
 公の場でそれを言うには危険過ぎ、かといって私的な場を設けられる程に親しい間柄でもない。
 放っておけば良い、と思いそうなものだが、それも彼女の性格的に難しい。
 たとえそれが良いことも悪いこともする神様であっても。

 故に千鶴は別れ際にアシュレイに自らのメールアドレスと番号を教えていた。
 あやかとしても対抗上、教えないわけにはいかなくなってしまったが、そこらへんは問題なかった。



 さて、アシュレイはメールアドレスや番号をもらったとはいえ、そこまで暇かというと実はそうではない。
 加速空間を駆使しているとはいえ、彼女が決裁しなければならない書類はそれなりにあり、また会合やら何やらで世界中を飛び回らねばならない。
 基本は念話で会議も行なっているが、やはり顔を見せておかないと引き締め効果が薄れてしまう地域もある。
 また彼女は地獄政府にも役職を複数持っており、人間達にも知れ渡っている大主計の他に魔法科学技術省長官、内務省長官などに加え、ベルゼブブが作った名士の会である蝿騎士団にも所属している。
 蝿騎士団はともかくとして、それ以外の役職を多数兼務しているのは単純にアシュレイが優秀過ぎる為であり、彼女本人としてもカネ集めと利権作りをしたいので2つ返事で引き受けたのである。

 ともあれ、そんなアシュレイは会食からちょうど1ヶ月程過ぎた頃、千鶴に適当に世間話のメールを送りつつ、ネギの様子を久しぶりに覗いてみた。

 ネギは凄いことになっていた。
 甘いマスクでその冷徹な思考を覆い隠し、誰からも好かれる男子中学生を演じていたのだ。

 中々にアシュレイ好みの人間になりつつある彼に感心しつつ、彼の周辺を千雨に命じて調査させてみた。
 すると出てくる出てくる彼が何を参考にして、そうなったのか。

 彼の生まれた場所はイギリス、ウェールズ。
 これだけ聞くと別に不思議なところはない。
 だが、こう言い換えると別のものが見えてくる。

 ワルシャワ条約機構盟主・大英帝国のウェールズ出身。

 この世界のイギリスはソ連やドイツ帝国などに国力が抜かれた後もヨーロッパの盟主として政治的に君臨し続けている国だ。
 ネギが参考にしたのは大英帝国の外交に関して扱った様々な書籍であり、また彼が愛読しているのはMI6が出てくるスパイ小説。

 イギリス外交の基本はとても簡単だ。
 二枚舌、三枚舌どころか二十枚舌くらいは平然とやってのけ、後で問題が発生したら適当な理由をつけてそれはもう解決された、と主張する。
 とても褒められたものではないが、ネギとしてはアシュタロスという強大な相手ともしかしたら戦うかもしれない、そういう危機感が常々あった。

 確かに、かつて彼が語ったことが本当であったなら、何が何でも倒さなくてはならないということはない。
 だが、自分の命を狙われ、それで危機感を持たない輩はただのバカか自殺志願者のどちらかである。
 対策はしておくに越したことはない。
 そう、ネギはいざというときは世界全ての国を巻き込むつもりであった。

 彼は過去、アシュタロスが行ったとされる事件などを話半分にみてもなお、人類の総力を結集しても倒せるかどうか怪しいと考えていた。






「うーん……中々面白い」

 アシュレイは笑みを浮かべていた。
 彼女の視線は画面の中で男子中等部の同級生や上級生達と交流を深めるネギに固定されている。
 彼の狙いを当然の如く、アシュレイは見抜いていた。

 両者の事情を知っている第三者からすればネギのやっていることはただ壮大な自殺に人類を巻き込むようにしか見えないかもしれない。
 だが、アシュレイは彼の判断を誰も非難する余地がない、と考えた。
 エヴァンジェリンやフェイトからアシュレイとの間にはどれほどにネギが鍛えたところで埋まりはしない圧倒的な差があることは彼は当然承知しているだろう。

 ネギとて進んで悲劇の主人公になりたいわけではない。
 勝てる確率が限りなくゼロに近い、絶望的な戦いに身を投じなければならないならば、少しでも勝率を上げ、自らが生き残る努力をする権利が彼にはある。
 悲劇の主人公となった者が永遠に悲劇の主人公で在り続けなければならない、悲劇の主人公は幸せになってはならない、という妙なルールは存在しないのだ。
 もし、そんなものが存在するならばそれは第三者の勝手な押し付けに過ぎない。


 画面の中では人垣に割って入り、ネギを連れ出すアスナの姿が映った。
 彼女は適当な角を曲がってすぐにネギに対して幾ら何でもやり過ぎだ、と説教をしている。
 さすがの彼も親戚の彼女には頭が上がらないのか、素直に言うことを聞いている。

 アシュレイはそんなアスナを見て笑みを浮かべる。
 その笑みは嘲りでも好色なものでもない。

「アスナ、楽しめるうちに楽しんでおきなさい。あなたはもしかしたら……」

 アシュレイの言葉は最後まで紡がれず、メールの着信音で消えた。
 相手は那波千鶴。
 アシュレイはメールの内容を読みつつ、呟く。

「彼女は見たところ、欲に塗れているわけではなく、何かしらの野心があるわけでもない……不思議な子ね」

 単純に熱心な信者であるならば、自分とメールするというのは不敬であると考えてしまうだろう……
 ではなぜ、とアシュレイは首を傾げる。
 千鶴は背丈や雰囲気、言動などは大人であるが、逆に言えばそれだけなのである。
 アシュレイが好むような、狂った感じは全くしない、極普通の人間なのだ。
 那波重工の取締役代理ということであったが、会食後に彼女の父親がやってきて代理の任を解く旨をアシュレイに伝えている。
 これはあやかも同じであったが、そこは今は重要ではない。

 那波千鶴は社会的地位の無い、ただの中学生なのである。

 そんな人間が何故、自分と連絡を取るのか?
 アシュレイにはさっぱり分からなかった。

「まあ、いいか。私でも分からないことがあると分かったことは僥倖ね」

 そう言い、メールの返事を打つアシュレイ。
 彼女はそういえば、と顔を上げて千雨の様子を窺うべく、画面を切り替える。
 
「……あらお盛んね」

 千雨が地上の日本・東京勤務となったライカにベッドに押し倒されていたが、こんなことはもはや日常風景であるのでアシュレイは若いっていいわねぇーと笑うのだった。










 一方その千雨はというと、アシュレイのように笑っていられる状況ではなかった。
 スペック的には千雨の方が上であるが、下手に力を解放すれば部屋が吹っ飛ぶ。

「ちさめー、私さー溜まってんだよーだから、可愛いあんたを抱きたいんだよー」
「ええいうるさい! このクソアマ!」

 押し倒されながらも足で蹴り上げる千雨。
 だが、吸血鬼なライカは力を使わねばビクともしない。

「ああ、ちさめーちさめー良い匂いだー」

 首筋に鼻を近づけ、犬のようにひくつかせるライカ。
 未だそういったことに免疫がない――見たことは何度もあるが、自分が体験したことは無い――千雨はわりと本気でライカの股間を魔力で強化した足で蹴り上げた。
 女性であっても、股間は急所である。
 勿論、吸血鬼であっても。

 声にならない叫び声を上げて――幸いにもライカが事前に結界を張ったのでバレることはなかった――股間を押さえてピョンピョン飛び跳ねるライカ。
 彼女も10代後半程度の褐色肌の巨乳少女なのであるが、どうにも台無しである。

「お前、アシュ様に抱かれまくってるんじゃねーのか!? まさかお前のアレはアシュ様専用だとでも言いたいのか!?」

 ライカが恨めしげに睨みながら、千雨に叫んだ。
 言われた側は一瞬で顔を真っ赤に。

「私はアシュ様に抱かれたことは一度もない!」

 天使が通り過ぎたかのような沈黙。
 ライカはあー、その、と頭をかきながら声を出した。

「どんまい?」
「うるせー! っていうか、お前らの倫理観が異常なんだ!」
「いや、悪魔とか吸血鬼に人間の倫理観を持ちだされても……ていうか、お前も悪魔だろうに」
「私はいいんだ。というか、私はアシュ様からの試験中なんだ。さっさと帰れ。姉の胸でもしゃぶってろ」
「姉さんは地獄だろー? お前みたいにこっちは個人で転移できねーの。しゃぶりたくてもしゃぶれねー」
「じゃあ適当な娼婦でもつかまえとけ。二度と来るな」

 つれねーなー、とライカはぶー垂れるが、急に真面目な顔となった。

「お前んとこのクラスに日本陸軍の特戦が紛れ込んでるのは知ってるな?」
「ああ、アレで分からん方がどうかしてる」
「じゃあもう一つ。京都でアシュ様が襲われたって事件は?」
「知らんが、アシュ様のことだ。すぐに潰して終わりだろう」
「ところがどっこい、我らが王は日本政府の要請を受けてまずは話し合いをするつもりらしい」

 へぇ、と千雨は素直に驚いた。
 彼女が知るアシュレイはそれはもう酷いもので悪魔の鑑であり、話し合いの相手を問答無用と笑って殺すくらいはやってしまうイメージしかない。
 千雨はだいたい読めてきたので問いかけた。

「ドンパチか?」
「最終的にドンパチだ。連中は特に組織名を名乗っていないから便宜上妖怪連合と名付けている。で、その連合の構成員はこれまでアシュ様が日本に居座ってきたせいでうまい汁が吸えなかった妖怪連中だ」
「めんどくせー、余所でやれ」

 千雨、心の底からの言葉であった。
 彼女の試験内容は一言で言ってしまえばネギの観察だ。
 ドンパチ――戦闘行動は含まれていない。

「悪いがもう戦争は始まっている。お前んとこに特戦が分かりやすく入り込んでいるのがその証拠だ。嘘か本当か、龍宮真名は連合に雇われたヒットマンだとさ。麻帆良に来ている理由は分からん。表向きは留学生ということになっているがな」
「知らん間に学び舎を代理戦争の場にするんじゃねぇ……」
「まぁいいじゃねぇか。少女の血と臓物で染まる学び舎というのも」
「悪いが、私は常識人だ。そういう嗜好はない」
「自称もしくは似非とつけておけ……で、もう一つ」

 まだあんのかよ、と千雨はうんざりした。

「まあ、そんな顔するな。これは情報というか、私がお前んとこのクラスメイトを観察してみた感想なんだが……」
「なんだ? いい子がいたから紹介しろとでも言うのか?」

 そうだったらよかったんだがな、とライカは苦笑いし、続ける。

「超鈴音。アレはヤバイ。アシュ様並にヤバイかもしれん」
「意味が分からねぇよ。確かに奴は似非中国人で何だかすんげぇ頭がいいが、それだけだろ? 魔力も無いし」
「私も何て言っていいか分からねぇんだが、魂から感じた。ヤバイって。初めてアシュ様を見たときと同じ感じだった」

 んなバカな、と千雨は呟く。
 幾ら何でもアシュレイ並に怖いということはありえない。
 それこそ、アシュレイ本人が化けていない限りは。

「ま、そんなわけだ。1人遊びが寂しくなったらいつでも呼んでくれ」

 そう言い、ライカは来たときと同じように窓から出ていった。

「やれやれだ」

 千雨はめちゃくちゃになったベッドを整えつつ、深く溜息を吐いたのだった。

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