とある特殊部隊隊員

 亜子の治療を行ったアシュレイはその夜、祇園の某料亭に赴いていた。
 見事な日本庭園に面した特別室。
 アシュレイは月光に照らされ、幽玄の美しさを醸しだす庭園に感心しながら、料理に舌づつみを打っていた。



「食べないの?」

 アシュレイが指さす程良く湯だったチューブラー・ベル。
 幾ら詠春といえど、進んでゲテモノ食いはしたくはないので彼女の提案を丁重にお断りする。
 アシュレイの機嫌を損ねでもしたら、世界各国から刺客がわんさかと送られてくるので中々にスリリングである。
 そう、世界各国からだ。

 詠春は目の前で上機嫌で大杯に並々と上等な酒を注ぎ、豪快に飲んでいるアシュレイを見やる。
 普段は作法が完璧のアシュレイだが、それも状況によりけりで宴会の席では結構そういうのを無視している。

 ともあれ、雰囲気を抜きにすればその姿はどこからどう見てもそこらにいる中学生か高校生にしか見えない。
 人は見た目で判断はつかない、というがそういうのがもっとも顕著に表れるのが妖魔の類なんだろうなぁ、と詠春は思いつつまた別のことを考える。
 それはかつて大戦の時、自分達を狙ってきたエクスキューショナーの親玉が目の前のアシュレイであること。


 日本人に馴染み深いアシュレイ――明日菜。
 その彼女がまさか自分達に刺客を送り込んでくるなど、信じられなかった。
 義父の近右衛門に言われて、また当のアシュレイ本人に言われても。

「何ジロジロ見ているのよ?」

 そう言ってきたアシュレイに詠春はすかさず返す。

「いつ見てもお美しいな、と」

 その言葉でアシュレイは笑みを浮かべ、また酒を飲み始めた。
 無論、詠春とて彼女がこの程度のお世辞など聞き飽きる程に言われていることは承知している。
 また、自分の考えていることも見抜かれているだろうことも。

 いわゆる一種の社交辞令であり、こう返すことでアシュレイの追求を無くすのだ。
 無論、彼女とて追求しようと思えば幾らでも追求することができる。
 何よりも、彼女はアシュタロス。
 ギリシア語に直せばディアボロスであり、それは中傷者を意味する。

 重箱の隅をつつくようなことを槍玉にあげて声高に誹謗中傷することは大得意なのだ。


 詠春としてはアシュレイが自分達に手を出したことは信じられなかったが、怒りはなかった。
 コレは日本人特有の感覚であり、良いこともするが、悪いこともする神様……そうアシュレイが認識されている為だ。
 他国の民衆の間では一方的に悪魔とされており、人間に対して彼女がする良いことは悪魔の取引という形で認識されている。

 正直なところ、人知を超えた存在の明日菜が何をやってもそれは仕方がないね、というのが日本人の共通見解だ。
 故に陰陽寮の一角にある明日菜大社をはじめとして日本全国各地に明日菜関連の神社が古くから建てられ、悪さをしないようにと日々、アシュレイに祈祷したり何だりしている。

 一般には実在しないのではないか、と言われているが、それにしては妙なことが多いというのは日本人ならば誰もが知っていること。
 故に実在しようがしまいが、明日菜として祀られているのである。

「うん、やっぱりチューブラー・ベルはいいわ。見事なロールキャベツ味」

 アシュレイの言葉になるほど、と詠春は頷いた。
 チューブラー・ベルの料理方法は簡単である。
 鍋に水を入れ、そこにチューブラー・ベルを生きたままぶちこみ、そのまま30分煮こむだけだ。

 美味しそうにチューブラー・ベルをつまんでいる彼女。
 その姿からは彼女がアシュタロスであり、世界経済を牛耳り、各国首脳が接待する程にお偉いさんだとは到底思えない。

「ああ、それと」

 つまみつつ、アシュレイは口を開いた。

「今度の合同慰霊祭の日程は?」
「来月……10月の初旬、醍醐寺にて開催を予定しております」

 季節ごとに行われる合同慰霊祭。
 その季節に様々な原因で亡くなった人々を供養する為に日本全国からありとあらゆる宗派の僧侶が集まり、彼らのお経の下、アシュレイがその亡くなった人々の魂をその場に集め、やってくる閻魔の使い――いわゆる死神に渡す。
 その死神が地獄の入り口手前にある冥界に魂を運び、そこで地獄か天国かの選別が行われるシステムとなっている。
 テレビ中継もされるが、基本的に一般人は立ち入り禁止であり、また普通のカメラにはアシュレイなどは映らない。
 だが、テレビの前からでも何かがいることは感じ取ることができる。
 そして、多くの人間は明日菜様がいらっしゃる、と勝手に思い込んでありがたや、と手を合わせるのだ。
 もういい加減に姿を人前に見せても良いのだが、アシュレイはまだ時期尚早としていた。

 さて、人間の魂をコスモプロセッサの燃料にしよう、とか言っていたあのアシュレイがこんなことをしているのはひとえにこうした方が信仰が集まるからだ。
 現代において、RPGのラスボスのように分かりやすく悪として、恐怖公として表舞台に立つよりはこうやって地道に大衆の好感度を上げた方が何事もうまくいくのである。
 
 また、コスモプロセッサは既に完成しており、いつでもアシュレイが好きなときに改変できる。
 無理な改変を行おうとしなければ世界からペナルティが起こることもない。
 とはいえ、彼女は改変しようとは思わず、いわゆる人間から見た核兵器と同じであり、所持していることに意味がある代物であった。

「そう、それならいいわ。詳しいことは書面で送って頂戴」

 再び、アシュレイはごくごくと飲み始めた。

「……ところで一つ聞いても?」

 詠春は遠慮がちに問いかけた。
 その言葉にアシュレイは手を止める。

「表の、塀の外にいる連中は明日菜様の?」
「女1人に男11人、1個分隊程度ね。で、あなたは私が男を呼ぶと思うのかしら?」
「ですよね」

 そう言い、詠春の目がすっと細まる。
 大戦時はアシュレイの手のひらで踊らされたとはいえ、人類限定で考えたならばその実力は上から数えた方が早い。
 サムライマスターの異名は伊達ではなかった。
 
 するとそのとき、部屋の照明が消えた。
 暗闇に包まれても、取り乱すような2人ではない。

 詠春は常に携帯していた自らの愛刀、夕凪をすっと抜いた。
 対するアシュレイは酒を飲み、料理をつまんでいる。
 自分の頭上に水爆が降ってきてもダメージを受けない彼女は大抵のことでは戦闘態勢を取らない。

「このやり口は素人じゃないわね。どっかの特殊部隊でも来たのかしら」

 のほほんと分析するアシュレイ。
 彼女は念話でワシントンのホワイトハウスの主や霞が関の主をはじめ、モスクワのクレムリンの主、ベルリン宮殿の主、ダウディング街10番地にある屋敷の家主など複数の人物に語りかける。

 言うまでもなく、その相手はアメリカ合衆国大統領、日本国首相、ソ連邦書記長、ドイツ帝国皇帝、大英帝国首相などなど……錚々たる顔ぶれだ。
 どんな些細なことでもやられたら数兆倍にしてやり返すのがアシュレイの主義である。

「殺しても?」
「蘇らせるから好きにして頂戴」

 アシュレイの言葉に問いかけた詠春は僅かに頷く。


 そして、そのときがきた。

 瞬時に移動する敵の気配。
 彼らは塀の上に飛び乗り、躊躇なくアシュレイと詠春目掛けてクナイを投擲。
 空気を切り裂き飛来するクナイの群れ。
 それらを遮るものはなく、狙い過たずに詠春とアシュレイに向かう。


 しかし、アシュレイは無論、詠春にしてもその動きはハエが止まる程に遅い。
 詠春は動いた。

 クナイを弾かず、そのまま前へ。
 庭に躍り出、夕凪を大きく振るう。
 神速に達したその刃は真空波を巻き起こし、一瞬で石でできた塀を横薙ぎに切り裂いた。
 徐々に後ろへと傾く塀。
 足場が潰されるや否や、すかさず彼らは庭へと降り立った。
 頭にはヘルメット、口元に布があり、その顔は窺えない。
 彼らはすかさず散開し、詠春を取り囲む。

 だが、そこは既に死地。
 

 近衛詠春の間合いであった。
 
「神鳴流――百烈桜華斬」

 言うが早いか、振るうが早いか。
 大きく弧を描くように振るわれた神速の刃。
 その刃に纏わせた気が周囲に放出され、矢のように敵に襲いかかった。

 攻防一体の全方位攻撃。
 避けることも叶わなかった者は一瞬で絶命し、夜空の月は吹き上げた血に染まる。

「何者か、とは問いません」

 詠春は静かに彼らに声を掛けた。

「私が言うことは唯一つ……ここで死ね」

 瞬間、詠春が動いた。
 縮地の域に達した瞬動を繰り返し、次々に敵を屠っていく。
 取り回しが難しい太刀であるにもかかわらず、一撃で屠る様は彼の技量の凄まじさを表している。

「ま、待ってくだされ!」

 若い女の声であった。
 彼女はヘルメットと口元の布を取り、懐から手のひらサイズの手帳を取り出した。

「拙者、日本陸軍特殊作戦軍第7群所属第3分遣隊の長瀬楓大尉でございまする!」

 手帳を開いて見せ、そこにあった身分証明証のある項目に詠春は眉を顰める。
 無論、バカ正直に特殊部隊所属など身分証明証に書くわけにもいかないのでただ軍属ということになっている。
 だが、彼が気になったのはそこではなかった。

「……まだ12歳ですか? その背丈で?」

 そんな詠春に楓はよく言われるでござる、と素が出てしまう。
 170cmを優に超えていそうな12歳、それが長瀬楓であった。

 本来なら小学生で義務教育を受けている年齢であるが、アシュレイが色々やったおかげで能力等があれば小学生が起業することもできちゃうのがこの世界の日本であったりする。
 一応中学校まで義務教育であるが、特別な事由があれば免除もしくは卒業認定がもらえるのである。

「と、ともあれ拙者らは上から明日菜様の名を騙り、日の本を転覆させようという不届き者がいると聞いたのでござりますが……」
「……はぁ、そうなんですか」

 詠春はやれやれ、と夕凪を収めた。
 もはや争いの気配ではない。
 あとはアシュレイに任せよう……そういう魂胆である。

「まあ、あれね。どっかのバカが幻術なり何なりで姿を変えた偽物に騙されたのね」

 そう言いながらアシュレイは庭へと出てきた。
 その手には箸と皿。
 皿の上には豆腐が載っている。

「ところで、長瀬って甲賀の長瀬かしら? 長瀬桔梗という子にちょっと前に勉強とか教えたんだけど」

 アシュレイの言葉に楓はおお、と手を叩いた。

「すると伝説は真でしたか! 如何にも、拙者のご先祖様は桔梗様でございまする」
「特殊作戦軍には甲賀伊賀をはじめとした忍びの末裔達が多いと聞くし……まあ、積もる話は蘇らせてからにしましょう」

 そう言いつつ、アシュレイは死んだ者を蘇生し、傷を負った者を瞬く間に治していく。
 それを見、楓は盛大な溜息を吐いた。
 こんなことができることが、アシュレイが本物である何よりの証拠だ。

「どうやら明日菜様の仰る通り、謀られたようでございます……」

 申し訳ない、と彼女は平身低頭。
 そんな彼女にアシュレイはあっけらかんと言い放つ。

「別にどうでもいいわ」

 叱責することもなく、本当にどうでもいいらしい声色の彼女に楓は恐る恐る顔を上げる。

「真にござりますか?」
「本当よ」

 アシュレイのように長いこと生きていれば100万回失敗したところで1回成功すれば問題ないと考えてしまう。
 後がないから失敗すると人は怒るのであって、挑戦するできるチャンスが何百回とあれば10回や20回程度の失敗は笑って許すだろう。
 要は寿命が短いが故にチャンスの数が相対的に少なくなってしまう人間には余裕がないのだ。
 とはいえ、その余裕の無さが今日の人類の発展をもたらしたわけであるので、一概に悪いとも言えない。

「調査は上に頼んでおくからあなた達はもう帰っていいわよ」

 ご苦労さんとばかりに楓の部下達に告げつつ、アシュレイは楓に向け言った。

「積もる話はお布団の上でしましょうか」

 にこにこ笑顔のアシュレイに楓は拒否権が無いことを悟った。
 彼女の聞いた話によれば先祖の桔梗も明日菜と寝たとか。

「私はこの辺で失礼しておきます」

 詠春も空気を感じ取り、そそくさとそう告げ、退散した。
 楓の部下達もあっという間に撤収していき、残ったのは楓とアシュレイのみ。

「じゃ、行きましょうか」
「せ、拙者、初めてで……」
「いいのいいの、気持ちいいから……というか、忍者の癖に拳銃やら何やらを随分と装備しているのね」

 アシュレイは改めて楓の姿に呆れたような感心したような声で告げる。

「忍びといえど、さすがに銃弾には敵わないのでございます」

 彼女は灰色を基調とした都市型迷彩服を纏い、背中にはアサルトライフルを背負っている。
 クナイはズボンの中程にある専用ポケットに詰め込まれているようだ。
 どこからどう見ても12歳の女の子にも忍びにも見えず、立派な特殊部隊隊員であった。

「私が言うのもなんだけど、よくその歳でなれたわね」
「元々忍びの里の者は生まれたときから相応の訓練を受けるのでござりまして……」
「食事に毒をちょっとずつ混ぜていくとか何とかって桔梗が言ってたわねぇ」
「そうでございまする。それ故、忍びの者は若くして特戦――特殊作戦軍に入る者が多く……拙者は10のときに入隊しました」
「2年で大尉とか凄いわねぇ……」
「実力が全てでござりますから」

 大したことではないようにそう告げる楓にうんうんと満足気にアシュレイは頷く。
 桔梗も子孫がこんなに立派ならば安心できるだろう、と。

 あの勉強がまるで駄目だった桔梗の子孫が特殊部隊の一員なのだ。
 言うまでもなく、特殊部隊というのはその性質上、武器に関する知識だけでなく、語学をはじめとした諸々にして様々な知識が要求される。
 勉強を教えたアシュレイからすれば感慨もひとしおだ。

「では、拙者、用事がある故。これにて失礼つかまつります」

 言うが早いか、楓は一瞬でアシュレイの目の前から消えた。

「うまくはぐらかして逃げるのは桔梗譲りねぇ……」

 折角の夜のお相手が逃げたにも関わらず、アシュレイはご機嫌であった。

 

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