「静かなところだ」
ヘルマンは眼下に見える村を見下ろしながら、そう呟いた。
つい数日前に下ったアシュレイからの勅命。
それはウェールズにいるナギの息子を抹殺せよ、というものだ。
本来ならヘルマンら3人が出るまでもない簡単な仕事。
それこそ、数人の中級魔族でも派遣すれば事足りる。
村にいる戦力は魔法使いのみ。
住民は200人程おり、そのほとんどが魔法使いだが、最高でも中の上程度の力しか持っていない。
正直なところ、ヘルマンが上空100m程から魔力砲でもぶっ放せばそれで終わる。
「私としてはこういうところに家でも建てて静かに紅茶を飲みたいものだ」
コンロンの言葉にダイ・アモンが同意とばかりに頷く。
基本3人は紳士である。
故にこういう悪魔らしくない望みも彼らからすれば当然のものであった。
「ときに侯爵。作戦はどうするのだ? 我ら3人が全員出るまでもないだろう?」
ダイ・アモンの問いかけにヘルマンは顎に手を当てる。
「標的だけ殺ろう。我々は紳士だ。スマートに任務を遂行せねばなるまい。2人は標的を私の下へ連れてきてくれたまえ」
ヘルマンの言葉に2人は頷き、早速標的――ネギ・スプリングフィールドの拉致にかかった。
それから10分後、ネギは眠らされてヘルマンの前に連れてこられていた。
あまりにもあっさりであったが、コンロンとダイ・アモンの2人ならば当然。
「さて、君に恨みは無いが、これも任務。死んでくれたまえ」
そう言い、ヘルマンがネギに手を向けた瞬間。
轟、という音と共に彼ら3人を巨大な圧力が襲った。
さながら見えない壁に押されたかの如く、ネギの周囲から弾き飛ばされる。
最上級魔族――上位悪魔神族と称される者ならばいざ知らず、上級魔族では人間形態のときに物理法則は無視できなかった。
「やれやれ……胸騒ぎがして来てみたらこれか」
咥えタバコにスーツを着た中年の男性が彼らから数十m程離れたところに立っていた。
彼はゆっくりとヘルマンらに近づき、彼我の距離が10m程になったところで止まった。
「で、君等はエクスキューショナーの残党か、それとも元老院の雇われか、どっちだ?」
その問いにヘルマンはすぐには答えず、ただちにアシュレイに報告する。
偶然と呼ぶにはあまりにもおかし過ぎた。
何故ならばこの日は紅き翼の面々が全員イギリス国外にいることを確認してから行われた襲撃。
そうであるにも関わらず、目の前には紅き翼の1人がいた。
「……君は今日、日本の麻帆良学園にいるのではなかったのかな? ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ」
その言葉に彼――ガトウは微かに笑みを浮かべる。
「何、麻帆良にいるお姫様の為にイギリスのハロッズでくまのぬいぐるみでも買ってやろう、と思って1日遅らせたのさ。ついでだからネギ君に会っていこう、と思って来た矢先にこの災難だ」
「なるほど……だが、我々と君では戦力に差がありすぎるのではないかね? んんー?」
コンロンは腕を組みながら問いかけた。
事実である。
上級魔族の彼ら3人を相手にガトウだけでは荷が重すぎる。
そう、彼だけならば――
事態は動いた。
ネギの真横に急にメガネを掛けた男が現れ、彼はすぐさまネギを抱きかかえると再び消えた。
ヘルマンらは第三者の介入を全く予期していなかった。
彼らからすれば人間などミジンコに等しい――すなわち、警戒するまでもないが故に結界を張っていなかった。
そもそも事前情報では転移魔法が使える者が村にいるとは聞いてはいない。
「先ほどの彼は確か、タカミチ君だったか。彼は魔法が使えなかった筈では?」
ダイ・アモンの問いにガトウはタバコを足元に捨て、その火を靴で揉み消す。
その後、彼はゆっくりと口を開く。
「転移魔法符だ。あまり人類を舐めるな、化物共」
瞬間、ヘルマンらはそこを飛び退いた。
彼らのいた地面は何か巨大なものがぶつかったかのように穴が空く。
ガトウは逃さぬ、とそれをヘルマンらに目掛けて連射する。
当たってもチクリとした程度の痛みしか感じないが、それでもわざわざ食らう必要もない。
ガトウは自らの必殺技である豪殺居合い拳を軽々と回避する様に自信を無くしそうになるが、話に聞いていたエクスキューショナーの連中ならばこれくらいは当然だろう、と納得してもいた。
「調子に乗るのもいい加減にしたまえ」
コンロンは一瞬でガトウの背後に回りこむとその拳を彼の背に叩きこもうとする。
豪速で迫るその拳。しかし、ガトウに届くことはなかった。
彼は長年の勘で危険を察知し、すぐさま持っていた転移魔法符を起動させる。
コンロンの拳がガトウの背中にめり込む寸前、彼は掻き消えた。
「イレギュラーな事態だ。油断していたとはいえ、このような結果になるとは……」
「アシュ様にどう弁明しようか……」
ヘルマンの言葉に対し、ダイ・アモンは恐怖に体を微かに震わせながら呟いた。
彼も一応は吸血鬼の真祖であり、上級魔族クラスの実力を持っているのだが、それでもアシュレイは怖かった。
女であれば性的なおしおきで済むが、男であったならアシュレイは容赦しそうにない。
永久原子をその場で砕かれて、死ぬということも十分あり得る。
しかも、彼ら3人は揃いも揃って探索魔法が……というよりか、いわゆる補助に分類される魔法は得意ではない。
基本、詠唱も呪文名も必要なく、念じれば即結果になる悪魔の、本当の意味での魔法が魔族の魔法であり、神族の神霊術だ。
だが、それでもやはり個人差はある。
彼らは数十km程度ならどうにかなるが、痕跡から簡単に辿ってみればどうやらかなり遠くまで転移したらしい。
アシュレイなどの魔王やら魔神か、あるいは探索専門の魔族などは人間形態であっても数千km単位で簡単に追尾できるというのだから、彼らの駄目っぷりがよく分かる。
「屈辱だ。我らはこれまで多くの任務をスマートにこなしてきた。それをたかが人間が、我らに歯向かうとは……なんたる、なんたる……!」
コンロンは顔を俯かせ、怒りに拳を震わせる。
誇り高い彼としてはアシュレイによる罰よりも、そちらの方が我慢ならなかった。
「……戻ってアシュ様の指示を仰ごう。ここにいても仕方がない」
ヘルマンの言葉に彼らは頷き、地獄へ帰還したのだった。
「……あれ?」
ネギが目覚めると、そこは村の見慣れた自分の部屋ではなかった。
彼はベッドから起き上がり、きょろきょろと辺りを見回す。
広い部屋だった。
見るからにふかふかしていそうな革張りのソファに見慣れない絵画。
何やら高そうな壺まで置いてある。
「あ、気がついたかい?」
その言葉にネギが視線を向けると、ドアを開けて高畑と見慣れぬスーツの男性が入ってきた。
「タカミチ、ここはどこ?」
「ここはロンドンのホテルだよ」
「ロンドン?」
ネギの言葉に高畑は頷きつつ、彼はもう1人の男を紹介する。
「ネギ君、こちらは僕の師匠だ」
「初めまして、ネギ君。ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグだ」
「あ、はじめまして……」
差し出されたガトウの手をネギは握る。
そんな彼にガトウは優しく微笑み、頭を撫でる。
「私は紅き翼の一員で君のお父さんやお母さんのこともよく知っている……だが、君にまだ教えるわけにはいかない」
「どうしてですか!?」
ネギは身を乗り出した。
自分の両親の行方が気になるのは誰でも同じだろう。
彼の反応もガトウらの予想の内であった。
「君のお父さんがヒーローだということは知っているね?」
ガトウの問いにネギ君は頷く。
「残念だけど、世の中は絵本みたいに悪者をやっつけておしまい、というわけにはいかないんだ。色々と事情があって君の両親のことは君が一人前になるまで話さない、と決めてあるんだ」
「どういう、ことですか……?」
「正直に言おう。君はついさっき、襲われた。かなり強い連中に。何故だか分かるかな?」
ガトウの問いにネギは首を傾げ、悩む。
彼は幼いながらも、聡い。
故にその答えにあっという間に辿り着いた。
「僕が父さんの子供だからですか……?」
「その通りだ。英雄の息子というのは正直言って、君にとってはかなりの重荷になると思う。ナギは悪いヤツをやっつけてはいたが、同時に悪くはないヤツもやっつけてしまった。だから、恨まれている」
「そんな……」
ネギはこの世に絶望したかのような表情となる。
それも当然だろう。
まだ彼は数えで3歳でしかない。
聡いが、物事の善悪も分からない年齢だ。
「だが、大丈夫だ。私やタカミチ、その他大勢の者が君の味方だ」
そう言い、ガトウはネギを抱きしめた。
彼はゆっくりと抱きしめながら言葉を紡ぐ。
「君が何もしなくても、周囲が君を放っておかない。さっきのように君を襲う者や君を悪いことに利用しようとする者……私達はそういった者をできる限り排除するが、それでも絶対安全とは言い切れない」
だから、とガトウは告げる。
とても残酷な言葉を。
「君には嫌でも強くなってもらう。私は勿論、魔法に関してはアルビレオという世界で一、二を争うヤツが面倒をみる」
ガトウはそこで言葉を切り、ネギの目をまっすぐに見据えた。
彼の目には様々な感情が浮かんでいる。
怯え、恐怖、困惑――
ガトウはここまで言っておきながら、申し訳ない気持ちで一杯になってしまう。
本来ならこのような子供に自分達の尻拭いを押し付けてはならないのに。
英雄の息子ということで振りかかる面倒事、それらのほとんどは紅き翼が、ナギが始末できなかったものだ。
故に、ガトウは目を伏せてしまう。
しかし、ガトウはネギを侮っていた。
彼は確かにまだ子供であったが、あのナギの息子であったのだ。
「大丈夫です、ガトウさん」
ネギは僅かに震える声で言った。
ガトウはその声に目を上げた。
先程までの怯えなどは既に無く、そこには不安そうでありながらも力の篭った瞳。
あのナギを彷彿とさせるような、そんな瞳がそこにあった。
「僕は、父さんの、そしてまだ知らない母さんの息子です。そんな僕が弱虫だと、2人に怒られそうです」
強がりなのだろう。
彼の体は微かに震えている。
ガトウはその姿に目を伏せた。
ハッタリを張る見苦しさを感じたなどということでは当然ない。
むしろ、逆であった。
あまりにも幼いのに、自身を奮い立たせるようなその様はガトウの涙腺を緩めるのに十分だった。
友人の息子だから、という贔屓は勿論ある。
魔法界や地球でもネギと同い年でありながら悲惨な境遇にある子供が多いことも承知している。
だが、それでも身内を優先するのは何ら恥ずべきことではなかった。
むしろ、見知らぬ赤の他人も身内も等しく同じに扱う、もしくは扱うことを強要する――そんなことができるのはそれこそキーやんをはじめとした聖人か、余程の冷酷な薄情者のどちらかである。
聖人でもなければ冷酷な薄情者でもないガトウの気持ちは当然なのだ。
「……ネギ君、私の持つ技、その全てを君に伝えよう……タカミチ、ネギ君に抜かれないように頑張るんだな」
ガトウの言葉に高畑は力強く頷いた。
彼とてまだまだガトウには及ばないことは重々承知であった。
高畑とてエクスキューショナーの存在は知っている。
ガトウと対峙していたあの魔族は彼の知る魔族とはあまりにも力が違いすぎた。
ただそこにいるだけで体が竦んでしまう、そんな次元にある連中がネギの、自分達の敵なのだ。
今のレベルでは太刀打ちするどころか、瞬殺されておしまいだった。
「ネギ君、僕もまだまだ修行中だ。僕も頑張るから、君も頑張って欲しい」
そう言い、高畑は頭を下げた。
「た、タカミチ! 頭を上げてよ! 僕なんてタカミチの足元にも及ばないし!」
さすがにこれにはネギが慌てた。
年上から頭を下げられる程、彼は自分が何もしていないことは理解している。
「いや、君は強いよ。君はもしかしたらナギさんを超えるかもしれないね」
高畑の言葉にガトウは僅かに頷きつつ、口を開く。
「少なくとも、性格ではネギ君が勝っているな。こんないい子があのナギの息子だなんて……信じられん」
「……父さん、どんな人だったんですか……」
ネギは紅き翼の仲間達に多大な迷惑を掛けたらしい父親に若干幻滅してしまうのであった。
襲撃失敗から数日後、アシュレイはヘルマンらから詳しい報告を受け、遂に来たか、と覚悟を決めていた。
彼女はアメリカのフィラデルフィアで行われる、第2次レインボー・プロジェクト――通称第2次フィラデルフィア実験の為に米海軍の技術者達に色々と教えていた矢先であった。
彼女はしくじったことに恐れおののくヘルマンらにただご苦労、とだけ告げ、すぐさま特別チームへ調査を命じていた。
ユークロトスらが所属するあのチームだ。
総勢500名にものぼる彼女らはすぐにネギ・スプリングフィールドのデータを集め、予想を出してきた。
その結果は黒。
『偶然』ガトウと高畑がプレゼントを買う為にイギリスに1日余分に滞在し、『偶然』彼らがネギの様子を見に行く。
そして、上級魔族と会敵するも『幸運』にも逃げ果せた。
偶然とか幸運とか随分といっぱいついている。
これはあの大戦時の紅き翼に酷似していた。
さて、そのアシュレイはガトウや高畑がアスナと共に日本の麻帆良へ向かうのを知りながら放置した。
むしろ、彼らに掛かる追手を積極的に排除した。
何故ならばアスナはアシュレイにとって『極めて重要な存在』であり、万が一にも死んではならなかったからだ。
ともあれ、アシュレイはただちにサッちゃんとキーやんにネギが資格ある者であることを報告し、その動きを慎重に見守るのであった。