堕ちる者、変わる者

 ネギ襲撃失敗からしばらく経った後、アシュレイは麻帆良にいた。
 その理由は学園長の近右衛門と会合の為であったが、それも既に終わり今のアシュレイはぶらぶらと麻帆良を散歩しているわけである。
 そんな最中であった。

 アシュレイは女の子の泣き声をその地獄耳で聞き、すぐさまその場へと急行する。





 現場は公園であった。
 そこでは1人の橙色髪の女の子を囲って男の子や女の子が口々に悪口を言っていた。
 変人とか頭おかしいとかバカとかそんな内容である。

 いじめには原因がある筈だ、とアシュレイはすかさずその悪口を言っている子供達と言われている女の子の記憶をちょこっと探ってみた。
 すると面白いことがわかり、アシュレイは笑みを浮かべる。

 とりあえずファーストコンタクトは大事なので、彼女はその悪口を言っている子供達の時間を止めた。
 するとたちまちのうちに彼らはぴたりと停止する。
 まるでロボットが動力を止められたかのように。

「……?」

 女の子はその様子に首を傾げる。

「はぁい」

 アシュレイは軽く手を挙げながら、女の子に声をかけた。
 するとその子はアシュレイの方を向いて、ごくりと息を呑んだ。

「ど、どうして……ツノと羽が生えているの……?」

 アシュレイはその言葉にますます笑みを深めた。
 この女の子はアシュレイの隠蔽を見破ったのだ。
 また、それは先程覗いた記憶に直結していることでもあった。

 すなわち、この長谷川千雨という女の子には認識阻害など精神操作系のものが効かないということだ。
 自然的に発生している世界樹の認識阻害結界ならばそういうこともあると片付けることができるが、アシュレイの隠蔽を見破ったとなれば話は別。
 当然ながら、世界樹のものよりもアシュレイの方が強力だ。

「ねぇ、あなたはこんなところにいていいの?」

 問いに女の子――千雨はわずかに首を傾げる。
 質問の意図が彼女には理解できなかった。

 その様子にアシュレイはにこやかな笑みを浮かべ、更に告げる。

「おかしいわよね? 車にはねられそうになっても笑っているとか」

 千雨はその言葉に驚いた。
 彼女がいじめられる大元の原因はそこであった。
 運転手も通行人も皆笑っていたのだ。
 命は大切にしましょう、とそう学校で千雨は習っていた。
 その教えに従って彼女はおかしい、と声を上げたのだが……今では親にも疎まれるようになっていた。

「私は見ての通り悪魔」

 そう言うアシュレイに千雨は人外のものという認識はあったのか然程驚いた様子はない。

「嫌じゃない? こんな場所」

 問いに千雨は数秒の間をおいて頷いた。
 そんな彼女にアシュレイは大袈裟に両手を広げてみせる。

「あなたは至って正しい。周りが異常なだけあって、あなたは正常だ。ただ、あなたの周りはあなたを異常だと思っている。狂っている人間、おかしな人間は自分のことを健常者だと思い込んでいる。ならば……」

 アシュレイはゆっくりと千雨の顔へ手をやり、その頬を優しく撫でる。

「彼らのところにいるのは危険。私のところへ来なさい」

 誘いに千雨は逡巡した。

 幾ら何でもさすがにそれは……

 だが、アシュレイは当然の如くその思考を予期していた。

「このいじめっ子達が憎くないの? あなたを信じない父母は?」

 その言葉は千雨の心に浸透していく。
 まだ小学生に過ぎない彼女は純粋だった。
 真っ白な布に墨を垂らすかの如く、その心はあっという闇に染まる。

「嫌だ……」

 小さく呟いた。
 千雨の言葉にアシュレイは更に告げる。

「もっとハッキリ言うと?」
「こんなところ……嫌だよ……」

 その言葉に満足気にアシュレイは頷きつつ、更に問いかける。

「私のところに来るかしら?」

 千雨は数秒の間をおいた後、僅かに頷いた。
 アシュレイは満面の笑みを浮かべ、彼女の手を掴んだ。

「ようこそ、悪魔の世界へ。我々地獄政府はあなたを歓迎するわ」
「え? え?」

 まさかの言葉である。
 地獄に政府……そんなものがあるとは普通は思わない。

「さて、さっさと行きましょうか。あ、安心して。あなたの家とかその他諸々に関してはこっちでやっておくから」

 ウィンクするアシュレイに千雨は生返事しか返せなかった。

「じゃ、早速……」

 そう言い、アシュレイは転移。
 1秒後にはもうそこはアシュレイの城にある彼女の自室だった。







「え? ええ?」

 驚く千雨にアシュレイは微笑ましい視線を向ける。
 こういう反応は中々に新鮮だ。 

「とりあえずこれを飲んで」

 駆けつけ一杯とばかりにアシュレイはコップを千雨に差し出した。
 そのコップに並々と注がれたオレンジ色の液体。
 香りから千雨はオレンジジュースと推測し、一気に呷った。

「さて、これであなたは不老不死になったわけだけども」
「……嘘?」
「本当よ。悪魔は嘘つかない……と言ってもわからないでしょうから、そこらへんからみっちりと勉強しましょうか」

 にっこりと笑うアシュレイに千雨は冷や汗が出る。
 彼女は今更ながらにとんでもない輩についてきてしまったことに気がついた。

「あの……あなたは一体誰なんですか?」

 千雨は恐る恐る問いかけた。
 彼女の問いにアシュレイはにっこりと笑いつつ、日本で知られている名前を告げる。

「私は明日菜とか赤朱令とここでは呼ばれているわ」

 千雨は目を見開いた。 
 歴史の授業で徳川家康の先祖が天女のような美しさをもった少女から知恵を授けられた、と聞いたことがあったからだ。

「でもね、西洋ではこう呼ばれているわ。アシュタロスとね」

 瞬間、千雨を悪寒が襲った。
 彼女はうずくまり、冷や汗を流しながら自らの体を抱く。
 当然の反応にアシュレイは手馴れた様子でその恐怖を取り除いてやる。

「言霊よ」

 涙目でアシュレイの方を向いた千雨に告げた。

「言霊……?」
「力ある者が告げる言葉には今みたいに、力を持つ」

 なるほど、と頷く千雨にアシュレイは更に告げる。

「で、真面目に現実空間で勉強なんてしてられないので、加速空間に入るわ。1時間が1年になる優れもの」

 千雨はスケールが大きすぎて何が何だか分からず、生返事しか返すことができなかった。

「ああ、そういえば私が暇潰しに書いた魔導書はどこいってるのかしらね……」

 その言葉に千雨は何だか嫌な予感がした。
 そんな彼女を見透かしたのか、アシュレイが笑みを浮かべる。

「その魔導書、読むと人間なら魔法使いとして超一流になれる代わりに女ならどんどん淫らになっていくの。男は特に何もペナルティないけども。で、読み終えた後はその読んだ男女問わずここに自動的に転移するようになっていてね……」

 アシュレイがその人間に何をしているのかは言うまでもないだろう。
 それが男なら適当に洗脳して兵隊に、それが女なら……

「えっと、アシュ……様?」
「何?」
「あの、私ってどうなるんですか?」

 幼いながらもここまでのことから不安にならざるを得ない。

「別に何も。だって、私が迎え入れたんですもの。あなたの意思次第」

 そう言うアシュレイに千雨は嘘ではない、という妙な確信を抱き、とりあえず命の保障はありそうだ、と安心するのであった。








 同じ頃、日本の某所――

 紺色の髪の小さな女の子が一生懸命、杖を振っている。
 その様子を見守るのは彼女の祖父だ。

 彼は表の顔として哲学者、裏では数百年続く『魔術師』の家系の当主。
 西洋系ではあるが、その扱う言語はラテン語ではない。
 ラテン語は確かに最も基礎となる言語ではあるが、より簡略化され、一文字で数十から数百種類の意味を持つエノク文字を基礎としたものを扱う。
 そして、その威力や効果はラテン語魔法の比ではない。
 敢えて魔術と称したのは先祖が『本物の魔法』を目の当たりにしたことがあり、自分達では到底それを成し得ない、と考えたが故だ。

「おじい様、終わりました!」

 肩で息をしながらも元気の良い孫娘に祖父は頬をほころばせる。
 おいでおいで、と手招きすれば彼女はとてとてとやってきた。

「いい子じゃのう」

 祖父は優しくその子の頭を撫でる。
 えへへ、と彼女ははにかむ。

「おじい様、赤朱様の書を見たい!」

 そう言う彼女に祖父は笑いつつ、懐からノートと万年筆を取り出した。
 それを彼女は嬉しそうに受け取り、頬ずりする。

「夕映は赤朱様のものが好きじゃなぁ」
「うん。だって、赤朱様の書はいろんなことを教えてくれるんだもん!」

 その返事に祖父はほっほっほ、と笑う。

「赤朱様の書をその歳で扱える夕映は本当に凄いのぅ」

 その言葉に彼女――綾瀬夕映は満面の笑みで頷いたのだった。







 ところ変わってアメリカの某所では1人の少女が悩んでいた。
 彼女は魔法学校に通う魔法使いの卵なのであるが、どうにも最近成績が伸び悩んでいた。
 魔法使いとして将来を嘱望されているだけにその重圧は大きく、成績を少しでも上げようと勉学に、実技にと励んでいるのだが、焦りからか実を結ばない。

 そんな最中、彼女が魔法使い専門の古本屋で見つけた一冊の魔導書。
 真っ黒な表紙で題名は一切書かれていない。
 店主によればそれを手に入れ、読んだものは強大な力を身につけることができるらしいと言っていたが、店主自身も眉唾な伝説だと思っているようで、破格の安さで売ってもらえた。

「……読んで減るものじゃあるまいし……」

 少女はそう呟くと魔導書に手をかざし、己の魔力を流し込んだ。
 すると真っ黒な表紙にラテン文字が浮かび上がってくる。

「西方に書かれし大いなる書……?」

 何とも妙ちくりんな題名であったが、とりあえず少女は中を読もうと表紙を捲った。
 次の瞬間、少女の脳に直接魔法に関する知識が送り込まれてきた。

「あ、ああ……」

 彼女は喘ぎ声を上げつつ、ゆっくりとした速度で入ってくる知識に体を震わせる。
 魔法学校で習うことがまるで遊びにしか思えない高度な魔導理論や精霊制御法。
 そういったものを彼女は今、刷り込まれていた。


 やがて知識の刷り込みは終わり、書物は勝手にページを閉じた。
 少女はもっと知識を得ようと書物を開こうとしたが、全く開かない。
 すると彼女の頭にあることが浮かんできた。

 それはこの本の制限だ。

「1日1回ね……まあ、十分だわ」

 そう言い、少女は本を勉強机の上に置いた。

「高音、ご飯よー」

 そんな母の声が聞こえた。
 少女――高音・D・グッドマンは返事をしつつ、自室を後にした。



 そして、その夜。
 高音は今までに感じたことのない体の火照りに戸惑いつつも、導かれるように生まれて初めて自らを慰めた。
 この日を境に彼女の成績は上昇し始め、また更に貪欲に西方に書かれし大いなる書を読んだ。
 そして、夜には自慰に溺れた。
 日を経るごとに夜の行いの回数は増えていき、狂ったように夜は乱れに乱れた。



 西方に書かれし大いなる書――その著者は書いていないが、明白なヒントが、というか誰が書いたか一目瞭然のものが題名にあった。
 だが、残念ながら魔法学校では精霊に関しては詳しく教えているが、悪魔召喚やらそれに関連することは宗教との兼ね合いから教えていない。

 ともあれ、強大な悪魔は方角を司っている。
 ルシフェルは東、ベルゼブブは南といったように。
 そして……西を司っているのはアスタロト、すなわちアシュタロスであった。
 

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