「犯人は彼女だ」
ウリエルは険しい表情でそう告げた。
その言葉にラファエルは僅かに眉をひそめる。
信仰とは神族にとって力である。
だが、最近になって神族でいつもの力が発揮できない者が出てきたのだ。
当初は少数であったが、今では最高指導者であるキーやんも何だかおかしいと気づく程に。
そこでウリエルが調査に乗り出したのだが、面白くもない事実が判明してしまった。
人間界に隠密に降り立ち、幾つかの大きな教会を調査し、発見した。
そこで祀られていた像はどっかで見た悪魔であった。
それも神界において恐怖の象徴ともいうべき存在。
どうしたものか、と困った彼が相談した相手が長い付き合いであるラファエルというわけだ。
さすがに相手が地獄の七大魔王の1人となれば熾天使程度ではどうにもならない。
これがただの魔族の悪戯ならウリエルが即殲滅して終わりなのだが……
「最高指導者様とヤーウェ様にお伝えしなくてはなりません」
ラファエルの言葉に異論はない、と頷くウリエル。
だが、と彼は口を開く。
「薄々勘づいている連中もいる」
「帝釈天一派ですか?」
ラファエルの問いにウリエルは首を横に振り、告げる。
「もっと小さいグループだ。帝釈天も気づいてはいるだろうが、今のところは静観といった様子。でなければ第二次ハルマゲドンをもう起こしている筈だ」
確かに、とラファエルは頷く。
好戦的な帝釈天は有名だ。
今でも彼はアシュタロスと戦いたい、と公言して憚らない。
そして、彼に連なる阿修羅やら毘沙門天やらも次こそは、とリベンジに燃えている。
まあ、そういった連中の集まりであるからそれはそれで仕方がないともいえる。
「問題はその小さな過激派がどう動くか……ですか? フレイヤ様とアシュタロスの婚礼……そこで騒ぎを起こす、と?」
ラファエルの問いにウリエルは頷きつつも付け加える。
「そもそもフレイヤ様を今この瞬間に拉致して洗脳なり何なりするかもしれない」
「いや、それはさすがにないでしょう。彼女は戦となれば我々よりも強いですし」
「……そういえば戦の神でもあったな」
色欲の神ではなかったかな、とウリエルが思ってしまう程にフレイヤが戦う姿は想像ができなかった。
「嘘か本当かは知りませんが、フレイ様によればかつて万の悪魔をたった1人で滅ぼしたとか何とか」
「何年前の話か……」
「何でも数万年以上前の話とのことです。アシュタロスもまだ出てきてない頃ですよ」
「……こういうのは不謹慎だが、アシュタロスとフレイヤ様の歳の差は万単位でありそうだな。フレイヤ様が勿論年上で」
「寿命がありませんから、我々にとって年齢は意味のないものです」
微妙な空気が漂い始める。
元々は深刻な話をしていたのだが、何かもう大丈夫そうな気分にウリエルは襲われる。
「あのアシュタロスに手を出すような輩は血気盛んな若者くらいですし、あっさり返り討ちでおしまいですね」
「事後処理と事前予防、どちらが楽かな?」
「面倒くささ的には事後処理の方が上ですね」
「なら、事前予防をしておこう」
ウリエルは踵を返す。
そんな彼にラファエルは問う。
「あなたが警告を?」
「そうだ。何かおかしいか?」
そう問い返すウリエルにラファエルはくすりと笑い、告げる。
「あなたはかつてあれほど悪魔を嫌悪していたのに、そうするとは以外です」
「色々な意味でアシュタロスにはミカエル……フェネクスが世話になっているからな。少なくとも、神界で天使をやるよりは生き生きとしていた」
「彼女の一件は……こう言っては何ですが、神界の膿を出すことができました。今いる過激な連中も彼らからすれば可愛いものです」
「神とて驕り高ぶればそれは神聖な悪魔に等しい。自分の立場を自覚して誰よりも悪魔であろうとするアシュタロスの方がまだマシだ」
ほう、と思わずラファエルは声を零す。
ウリエルがそこまでアシュタロスのことを評価しているとは思わなかったからだ。
そんなラファエルに気づいたのか、ウリエルは肩を竦めてみせる。
「神としての側面を持っていた多くの悪魔が、神性を失い、完全に悪魔となったのは我々の過失だ。その1番の被害者であるアシュタロスが関わっていたソドムとゴモラはメタトロン様も平和であったと仰られていた」
まあ、とウリエルは付け加える。
「性格に問題はあるが、それでもあそこまで分かりやすい悪もあまりいない」
「確かに彼女はルシフェル様よりもよっぽど悪役っぽいですし」
暫しの沈黙。
今回の一件を含め、アシュタロスの逸話には事欠かない。
神界ではアシュタロスについて纏めた本などが幾つも出ている程に色々な意味で大人気であった。
やがてウリエルが口を開く。
「ともあれ、私が伝えておこう」
「わかりました。私はあちこちに根回しをしてきます」
そして数日後。
地獄ではアシュレイがサッちゃんから呼び出しを受けた。
彼女は面倒くさかったが茶番に付き合うことにした。
万魔殿に設けられた議場にアシュレイが入ったときには既に彼女とサッちゃん以外の全ての魔王が揃っていた。
アシュレイが入ってくるや否や、巨体のバアルが口を開いた。
「君は何をやっているかぁ!」
彼に続くようにベリアルが口を開く。
「アシュタロス、てめぇ何抜け駆けしてやがんだ?」
睨みつけてくるベリアルにアシュレイは何も答えない。
「あんまり調子乗ると痛い目みるんとちゃう?」
そう言うのはビレトだ。
「そーそー! 説明をよーするモン」
彼女に続くようにペイモンがのほほんとした口調で告げた。
アスモデウスは黙して語らず、ただアシュレイを見つめる。
そして、ベルゼブブはただ微笑を浮かべているだけだ。
彼にはとても簡単に予想がついた。
アシュレイが悪魔として極めて正しい行動をすることが。
「私より弱い癖に何調子に乗ってるの? ちょっと死んでみる?」
膨大な殺気と魔力が叩きつけられる。
部屋はビリビリと震え、今にも崩壊しそうだ。
魔王クラスの魔力と殺気、そのどちらかを人間が食らえば一瞬で塩の柱と化してしまう。
それをするのがアシュタロスともなれば同格の魔王ですらも恐怖に苛まれる。
多くの魔王が口を開くことすらままならない中、ベルゼブブが静かに告げる。
「アシュタロス、少し抑えてくれないかな。食後にコレはキツいんだ」
これがベルゼブブの凄いところだ。
アシュレイがヒートアップしないよう、一言付け加えるところ。
ある意味、意表を突く彼の言い方はアシュレイを冷ますにはちょうどいいものだ。
「ああ、揃っとるな」
そして、タイミングを見計らっていたかのように登場するサッちゃん。
不満をぶつけていたベリアル達はもはや何も言わない。
何故ならば、彼らは一種のポーズとしてそうしたに過ぎない。
つまり、アシュレイの行動が不満である、と言った事実が重要であって、本気で追求する気は全くない。
そもそも、緩やかに穏やかに敵対し続けなければならない神魔族にとって、今回のアシュレイの行動は大金星である。
正面戦争することなく、神族にダメージを与えたという点で。
アシュレイとしてもそこら辺は当然理解しており、殺気と魔力は出したものの、本気で殺す気は全くない。
そもそも彼女が本気で殺しに掛かったら喋らずさっさと殺すか、それとも捕まえて拷問してじわじわ殺すかのどちらかだ。
前口上は余程遊んでいるときにしかしない。
ともあれ、そういった不満が出た、という口実をアシュレイに与えることで彼女は信仰の横取りをやめやすくなった。
これでアシュレイは部下にもそういう不満が出たからやめた、と自分の株を落とすことなく計画の取りやめをすることができる。
「まあ、用件は言うまでもないんやけど、ウリエルから警告が届いてな。何でも過激な連中が何かしでかすかもしれへんから注意しろやて。あとアシュタロスは信仰の横取りやめたげてな」
一番重要な用件の信仰横取りについてはもうサッちゃんも投げやりであった。
先ほどの茶番でもう事は終わっている。
「過激なのって帝釈天?」
アシュレイはそう言いつつ、ビレトに近寄ってその膝に座る。
座られたビレトも慣れたものでアシュレイの頭を撫で始める。
するとペイモンが近寄ってきて、アシュレイのほっぺたを触り始める。
ベリアルはベリアルでやれやれ、と腕を回しつつ、どこからともなくワインボトルとグラスを取り出して、飲み始める。
アスモデウスはどこからともなく本を取り出して読み始め、バアルはお腹を鳴らす。
実にフリーダムな魔王達である。
「帝釈天やない。何でももっと小さなグループらしいで」
「ふーん。ところでビレト、今晩どう?」
「ええよー」
「ペイモンもー」
関係ない話に発展し始める3人。
そのときベルゼブブが口を開く。
「ところでサタン様。エヴァンジェリンの地上侵攻について神界は何か言ってきましたか?」
「いや、特に何も。まあ、もう少ししたら天使でも降臨して追っ払うとかそんなんとちゃうか?」
結構な恐怖を振りまいているエヴァンジェリン率いる吸血鬼軍団。
エヴァンジェリンが重要であって、他は大して思い入れもないのでアシュレイは存分に神族の餌食となってもらいたいとすら思っている。
「ま、そっちはアシュタロスが適当にやっておくやろ」
そう言うサッちゃんに唐突にアシュレイが顔を向けた。
「スルトが持ってるレーヴァテインが欲しいから一筆書いて頂戴。説得する為の書状とかそういうの」
「……必要あるんか?」
「小道具は必要だと思うの」
サッちゃんは溜息を吐きつつ了承した。
さて、この集まりの後、アシュレイは念話でエヴァンジェリン及び地上にいる全ての淫魔に信仰奪取計画及び教会堕落計画は終了したこと、神族が降臨し、浄化を行うかもしれないことを伝えた。
またアシュレイはジャンヌ・ダルクを配下に加えたいと望んでいる。
彼女が生まれるまでまだ20年以上の時間があるが、20年などあっという間の時間だ。
アシュレイはまだ見ぬジャンヌ・ダルクに思いを巡らせつつ、種族としての吸血鬼作成に着手した。
彼女は地上から連れてきた少女達で支配するのに最適な才能をもった子を闇の福音計画に取り込みつつ、吸血鬼も作ることにしたのだ。
暇なので両方やっても問題は全くなかった。