アシュレイは不満であった。
何が不満かというと、闇の福音計画が一向に進まないことに。
仕方がないのでテコ入れの為に彼女は紅葉の護衛を暇をしていたベアトリクスとシルヴィアに押し付け、地獄に戻っていた。
そして人間牧場を視察していた。
加速空間に造られたそこは元々は小さな街であったのだが、人口が増え続けた為に、もはや一つの国と化していた。
さすがに火星異界程の大きさはないが、それでも結構に大きい。
「……うーん」
アシュレイはそんな声を上げつつ、考える。
闇の福音計画の候補者選びは監視役の淫魔達に任せられていた。
彼女達が送ってきた最新の報告書によれば狂信的な者は多くいるが、豊かな才能ある者は皆無というもの。
どうしたものか、と考えつつ、視線を下に向ければ綺麗な金髪がある。
与えられる感触にアシュレイは僅かに声を漏らしつつ、その頭の上に手を置き、優しく撫でてやる。
アシュレイは加速空間内に入り、道を歩いて数分で金髪娘にナンパされたので、路地裏で致している最中であった。
アシュレイが視線を横に向ければ他にも多くの者達が致している最中であった。
その中には淫魔の姿もある。
淫魔達は監視ついでに牧場内の人間を美味しく頂いている。
アシュレイとしてはそこら辺は問題なかった。
男と女がやるのが彼女的には許せないのであって、女同士ならば大歓迎なのである。
ともあれ、金髪娘を堪能することにした彼女であった。
そして2時間後。
金髪娘と存分に楽しんだアシュレイはふと気になって聞いてみた。
「私が誰だか分かる?」
その問いに首を傾げる彼女。
これはもしや、と思いつつ念話でもって監視の淫魔に問いかける。
牧場内で自分の顔を知っている者はいるのか、と。
するといない、と返ってきた。
アシュレイは閃いた。
知られれば敬われ勝手に寄ってくる……だが、知られていなければ好きなように楽しめる、と。
要するにアシュレイはナンパしてきゃっきゃしたいのである。
長い人生……というか、永遠の中で、いつもいつも相手から尽くされていると偶には自分からやってみたくなるもの。
「もう自分で造った方が早いかもわからんね」
種族として吸血鬼を造った方が確実で強い、そういう風にアシュレイは思えてきた。
そういえば、と彼女は思い出す。
地上の孤児院から才能ある者達を地獄に連れてきていたことに。
彼女達を候補者にしようかしら……そう考えつつ、アシュレイが金髪娘から離れようとしたところで手を握られる。
潤んだ瞳に見つめられたアシュレイはほいほいと再び彼女を抱くことにしたのであった。
その少女に起こったことはよくあることであった。
彼女が生まれて早々に他界した父親、残った母親はいわゆる教育ママであり、自分の意に沿わないことをすると少女に苛烈な罰を与えた。
彼女に味方はおらず、毎日毎日礼儀作法や教養、そして魔法の勉強であった。
そんな生活を送っていればたとえ成人であっても壊れる。
幼い彼女が壊れるのは当然のこと。
母親からの仕打ちにより、巻き起こる怒りや悲しみはやがて憎悪へと変化する。
心の中でどす黒く溜まるヘドロのようなその感情を少女は肯定するものの、どうすればいいかは分からなかった。
しかし、転機が訪れる。
下男が花壇で草刈りをしていたのを少女は目撃した。
彼女が下男に話を聞いてみれば花に栄養がいく為に雑草を刈っている、と。
そこで少女は閃いた。
自分という花を咲かせる為に雑草を刈ろう、と。
思い立ったが吉日。
彼女はその日、実行した。
「……ふふ」
金髪の少女、メリーは鎌を手に持ち微笑む。
今でもはっきりと彼女は草刈りをしたときのことを覚えている。
母親の体に何度も鎌を突き刺し、腹を開いて自分が生まれた場所を握りつぶしたときは感動してしまった。
メリーは視線を棚にやればそこには古びた草刈鎌。
あのときの鎌だ。
今、彼女が手にしている鎌は彼女と同じかそれよりも大きい、まさに死神の鎌だ。
「メリーメリー! いるのー!」
そんな声が扉の向こうから聞こえてくる。
「いるけど、何か用?」
そう問いかければ扉の向こうから言葉が投げかけられる。
「今から出かけるけど、行くー?」
「行くから少し待って」
メリーはそう言って、姿見の前に立ち、髪を整え衣服が乱れていないかをチェックする。
彼女は淫魔に連れられて地獄へとやってきた。
そして、ここで多くの友人を得た。
アシュレイは不遇な子供を集めている。
それは主に地上での孤児院だが、その中から才能ある者は地獄へ連れ帰ってきている。
メリーと似たような境遇の少女達も多くおり、彼女達と打ち解けることができたのだ。
もうその少女達を闇の福音計画の候補者にすればいいんじゃないか、と誰もが思うところだが、アシュレイの奇妙な拘りによって未だにそれは実施されていなかった。
ただ、このまま進まなかったら候補者となる可能性は大いにある。
彼女達はアシュレイを崇拝しており、それぞれが特殊な能力を持っている。
地上支配の為にはうってつけであった。
ともあれ、アシュレイのやっていることはある意味、人を救っているといえる。
現代なら各種行政サービスやNGO、NPO団体によりこういった不幸な少女達の多くは救われる。
だが、14世紀後半にそんなものは存在しない。
彼女達の行き着く先は多くが路地裏の娼婦だろう。
そんな悲惨な彼女達はアシュタロスという絶対的な恐怖の庇護を受け、いかなる暴力からも護られ、教育を受け、三食美味しいものを食べ、自室で暖かいベッドで眠れ、更に月のお小遣いまでもらっている。
この時代に教育を受けることができるのは金持ちや貴族、王族といった上流階級のみ。
それを考えれば破格の待遇だ。
まあ、アシュレイの動機を考えればかなりアレではあるが、自分の意思でアシュレイと寝るのと、生きる為に誰とも知らない男と寝るのではその気持ちに差があるのは明白だ。
そういうわけでメリーは日々が楽しかった。
勉学に励み、こうして友達と遊びに行く。
母親を殺して本当によかった、と彼女は常々思う。
「お待たせー」
やがて身支度を終えたメリーは扉を開き、自室を後にしようとした瞬間であった。
ボトッと何かが彼女の目の前に落ちてきた。
半ば反射的にメリーは大鎌を振るい、その物体を真っ二つにする。
噴き出る鮮血。
汚れる衣服。
そのことにむっとしながらも、その物体を確認する。
東洋風の顔立ちの男であった。
上半身と下半身が泣き別れしているが、そこはどうでもいい。
そんな彼を見て彼女はピンときた。
「そういえばアシュ様が罠を仕掛けたとか……」
ともあれ、彼女は友達との約束を優先すべく、魔法で痕跡を全て消去して部屋を出たのだった。
アシュレイが地獄に帰っている間、京都では動きがあった。
分家の過激な連中、その中のリーダーともいうべきとある人物が甲賀に依頼したのだ。
明日菜のいない今ならば処理するのに最適、と。
紅葉の周囲にはベアトリクスとシルヴィアが張り付いているのだが、明日菜よりは手練ではないだろう、と判断されていた。
それは確かに正しいが、残念ながら、どの程度の差があるのかを感知できるような人間は存在しない。
手練は自分の実力を隠すというのはよくあることだ。
それによってどのくらい強いのかを読めなくする。
そうしている輩が人間であればまだどのくらいかを推測することはできる。
だが、そうしているのが魔神ともなればもはやそれすら難しい。
ともあれ、この2人とて雑魚を斬るのは面倒くさいだけであるのでなるべく動きたくはない。
そういうわけでアシュレイの許可を取った上で、とある罠を仕掛けることにした。
「あー、また引っかかったわー」
紅葉の呑気な声。
彼女の視線の先には現れた魔法陣と共に強制転移させられる一見普通の下男。
彼は化けた忍者であったようだ。
「やけど、ほんまにこんなんでええのん?」
問いかける先に饅頭を食べ、お茶を啜っているベアトリクスとシルヴィアの姿が。
「それでいいのです。我々としても雑魚を斬ったところでつまらないだけですし」
もぐもぐ
「ちょうどいい旅行だな」
もぐもぐ
明日菜――アシュレイの代わりにやってきた2人はぐうたらしっぱなしであった。
紅葉はアシュレイから色んな本を借りてそれを読んでいる。
蓄えた知識の中にあったものを使い、彼女は今の2人にぴったりな渾名をプレゼントする。
「ニート剣士やね」
ベアトリクスとシルヴィアの動きが止まった。
「ににににニートとは失礼な! 無礼者! 我こそは41の軍団の総司令官! ベアトリクス!」
「我こそは100万の天使を斬り捨てたシルヴィア!」
「やけど、今は……」
ジト目で見つめる紅葉にベアトリクスとシルヴィアは視線を交わす。
魔神がたった1人の少女に追いつめられるというまさかの事態。
わりと人間臭いというか、妙に親しみやすい2人であるが、そこはそれ、アシュレイの友人ともなれば妙な扱いはできない。
「と、ともかく、来るべき時……が来るかわかりませんが、雑魚相手に我々が出る必要はありません。強制転移陣も機能していますので、好きに過ごしてください」
紅葉の周辺に張り巡らされた強制転移陣。
彼女に悪意を持った人間が近づいた瞬間に発動し、強制的にアシュレイの城へと転移させられる。
あとは勝手に見つけた輩がおもしろ半分に殺したり拷問したりするので、転移させられた暗殺者は二度と地上には帰ってこれない。
「こんな楽でええん?」
「手を抜いてもいいところは手を抜くのが円滑に仕事を進めるコツです。まあ、私もシルヴィアも先の戦争以来、やることがなくて暇なのですが」
「やっぱりニート剣士や」
にっこり笑顔でそう言われたベアトリクスとシルヴィアは眉毛をハの字にし、しょんぼりしてしまうのであった。