7月も終わりに迫ったある日、天ヶ崎家に1人の少年がやってきた。
彼の気配を感じ取ったアシュレイが応対に出、彼を客室に通す。
その際、須臾と千奈には絶対に覗くな、と言い聞かせた上で、客室全体に結界を張る。
そしてアシュレイは問いかける。
「異界で何か問題が?」
彼女の前には少年が正座して座っている。
彼は白髪を短く切っており、また、学生服というこの時代では存在しないものを身に纏っていた。
「ウェスペルタティアの政治家連中が鬼神兵の劣化コピーを他国に輸出してしまい……」
「アマテルは何をしているのかしら? 彼女に与えた国であった筈よ」
「彼女はその権力を維持することができず、隠居させられてしまいました」
思わずアシュレイは無言になった。
「アシュ様、此度の一件、僕達の不始末です」
そう言い、少年は頭を下げた。
「フェイト」
アシュレイが彼の名を呼んだ。
情が移った6番目と同じように、彼女は3番目にも情が移っていたが故につけた名前だ。
「後始末、あなたならどうする?」
試すように彼女は問いかける。
その問いにフェイトは頭を下げたまま答える。
「アシュ様の目的に沿うよう、戦争を始めさせます」
「いい答えだわ。で?」
「ウェスペルタティアが滅びぬよう裏で動きます」
アシュレイはその答えに満足気に頷いた。
「私はあなたを実働班のリーダーとして、誰よりも信頼し、信用しているの。頑張って頂戴ね」
「ご期待に答えます」
そう言い、彼は頭をあげた。
それを見たアシュレイはゆっくりと立ち上がり、襖を勢い良くあけた。
そこには結界をどうにか解除しようと頑張る千奈と応援する須臾の姿があった。
結界は透明なタイプなのでお互いに丸見えなのだ。
アシュレイと目が合う2人。
「あ、あははは……明日菜の夫やと思うて……」
頭をかきながらそう言う千奈。
「お、お嬢様、これはその、出来心で……」
冷や汗を流しながらそう言う須臾。
にっこりとアシュレイは笑った。
「弁明は聞かないわ」
「聞いてぇな!」
「やだ」
にこやかなに拒否して、アシュレイは更に告げる。
「ちょっと修行しようか。あなた達2人と私1人。ほら、余裕でしょう?」
須臾と千奈はぶんぶんと首を横に振る。
手練の神鳴流剣士の真・雷光剣が効かない相手に、どう戦えというのだろうか。
「あ、そういえば須臾。あなた、神鳴流を習えばいいんじゃないかしら? 私って剣術とか基本的なことしか知らないし。それに、あの雷光剣とかあなたに似合うと思うの」
「こ、光栄です……そ、その、それは今すぐでしょうか?」
「私と模擬戦をして真の絶望を味わってからの方が、きっと怖いものが無くなると思うの」
須臾はがっくりと項垂れた。
アシュレイが戦っている姿を見たことがないが、それでも須臾には本能で理解できた。
絶対に勝てない、と。
「よ、よーし! やったる! あんさんと戦えばもうどんな妖怪を相手にしても笑って戦えそうや!」
千奈はそう自らを叱咤し、折れそうになる心をどうにか堪える。
「ま、私と戦えば地上の妖怪程度じゃ、何とも思わなくなるわ。仏陀とか帝釈天とかその辺クラスでようやく怖くなる程度」
千奈と須臾は耳を疑った。
異教の悪魔であるアシュレイから有り得ない単語が出てきたからだ。
「何でそこで仏さんや帝釈天が出てくるんや?」
「数千年前、彼らと戦ったからよ。あれ、出てない? 仏教の歴史書とか神話とかそういうのに。三つ首七尾の竜とかって感じで出てるって帝釈天から聞いたんだけども」
千奈と須臾は思わず固まった。
千奈は勿論のこと、須臾すらも知っている。
彼女は暇つぶしに、と幾つもの書物を与えられていたからだ。
その中にはアシュレイの言う、仏教関連の神話や逸話があった。
「えっと、毘沙門天を倒し、阿修羅と帝釈天を食い殺した大きな竜……ですか?」
「そうよ」
須臾の問いかけにあっさりと肯定したアシュレイに2人は驚愕の余り叫んでしまう。
その声は家の外に響く程。
「勝てるか! ボケ!」
思わず逆上する千奈。
「お嬢様、さすがです……!」
対する須臾は何故か目を輝かせてしまう。
彼女にとってはアシュレイが救世主であることは間違いない。
そして、そんな救世主が邪悪な存在であろうが彼女には関係はなかった。
なぜなら、須臾もまた忌み子とされていたから。
「ともあれ、さっさとやるわよ」
アシュレイはそう告げ、2人を鍛練場である裏庭へと強制転移させる。
「……あなたは少し、丸くなられました」
後ろからそんな声が聞こえた。
アシュレイが振り返ればそこにはほんの僅かに笑みを浮かべたフェイトの姿。
「そういうあなたも、少し変わったんじゃないかしら? 作った当時なら、そんなことは言わなかった」
「……そうかもしれません」
くすくすとアシュレイは笑う。
「でも、いい変化じゃないかしら? 無口で無表情な前のあなたより、私は好きよ」
邪気のない笑みを彼女はフェイトに向ける。
思わず彼はその白い頬を僅かに朱に染めてしまう。
「ま、フェイト。よろしく頼むわ」
「お任せください」
その声に含まれる僅かな動揺を悟ったアシュレイは再び笑うのだった。
「ふ、ふふふ……!」
妙神山修行場にて、エヴァンジェリンは笑っていた。
苦節数年、斉天大聖に何度も叩きのめされながら彼女は自分に適した技を身につけたのだ。
「まあ、及第点じゃろう」
キセルを吸いながら、そう言う斉天大聖。
彼の及第点は神族にも通用し得るレベルに達したという意味。
それを人間界に限定すればエヴァンジェリンは最高の使い手であった。
「しかし……操糸術なんぞ、酷くマイナーなものを選んだのぅ」
「一度にたくさんの敵を殺すにはちょうどいい。チマチマ斬ったり突いたりするのは性に合わん。それにコレが出せないときでも合気術やらその他諸々の武術をお前に学ばされたしな」
そう言いつつ、エヴァンジェリンは指を僅かに動かす。
斉天大聖は飛んできた極細の魔力糸をキセルで叩き落した。
「何じゃ、まだ戦い足りんのか」
「何、ちょっとした悪戯だ。問題はないだろう?」
「お主のそういうところがアシュタロスと似てきておるのぅ。アヤツの場合は防げない攻撃を仕掛けてきたから性質が悪い……」
「ほう、詳しく教えてくれ」
昔話をねだるエヴァンジェリンに斉天大聖はしょうがないのぅ、と前置きし、話し始める。
そして、そんな2人から少し離れたところにレイチェルがいた。
彼女は坐禅を組み、ただ静かに精神を統一していた。
彼女の前には小竜姫がおり、その様子を見守る。
レイチェルもまた自分に適したものを身につけていた。
坐禅をしているレイチェルの背後から、ゆっくりと陣風が忍び寄る。
彼女は自らの間合いにレイチェルを捉えるなり、抜刀した。
神速でもって抜き放たれた白刃は猛速で座る彼女に迫り……
鈍い金属音が響き渡る。
「やりますね」
陣風は素直に称賛した。
彼女の刃はナイフ1本で受け止められており、更に彼女の喉元にはナイフが突きつけられている。
そして、それだけに留まらない。
陣風を取り囲むよう、無数のナイフが浮かんでいる。
魔法であった。
彼女が使った魔法は物体を喚び出し、好きな場所に設置する一種の召喚魔法。
この魔法もまた、アシュレイがエナベラに教えたものであった。
「もう問題ない実力です。あとは自己鍛錬に励んでください。そうすればもっと強くなることができるでしょう」
小竜姫の言葉にレイチェルは笑みを浮かべ、全てのナイフを消す。
「コレに加えてあの魔法を組み合わせた体術……恐ろしいです」
陣風は納刀しつつ、そう告げた。
「これでようやくアシュ様のお役に立てる……もはや私は非力ではないのです」
レイチェルは呟いた。
彼女は胸元で手を握る。
今まで、庇護されるだけであったレイチェルは遂に牙を持ったのだ。
もはや彼女に人間は手を出せないだろう。
「あなた方はここを去られますが、またいつでも来てくださいね……勿論、そのときは事前に言ってくださいね……」
小竜姫はそう言いながら、つい最近のあの一件を思い出し、コメカミを押さえる。
アシュレイの側近連中やフレイヤが押しかけて上へ下への大騒ぎ。
結局、朝まで続く大宴会となって、しまいにはキーやんやサッちゃんまでやってくる始末であった。
「今夜はささやかな送別会でも開くとしよう。妙神山最後の夜じゃ。ゆっくりと過ごすがいい」
斉天大聖はそう言い、キセルを吹かしたのであった。