7月初旬のある日の、太陽が沈みかけた夕暮れ時。
天ヶ崎家の庭に鞠をつく音と共に歌声が響く。
「まるたけえびすにおしおいけ」
「あねさんろっかくたこにしき」
「しあやぶったかまつまんごじょう」
「せきだちゃらちゃらうおのたな」
「ろくじょうさんてつとおりすぎ」
「ひっちょうこえればはちくじょう」
「じゅうじょうとうじでとどめさす」
最後まで歌い終えると同時に千奈は鞠をつくのをやめた。
「どや?」
「これなら覚えられるわ。ありがとう!」
そう言い、須臾が千奈に抱きついた。
そんな彼女の頭を千奈は優しく撫でてやる。
「何事かしら? 何か涼しげな声が聞こえたのだけども」
縁側からアシュレイがやってきた。
翼と角はしまわれており、浴衣姿だ。
彼女は既にお風呂に入った後であった。
「須臾がな、京の通りを覚えれんちゅうから教えてたんや。手毬唄にあるんよ。今のが東西の通りでさっき教えた南北の通りと合わせて使えば迷うことはなくなるで」
へー、と思わずアシュレイも感心。
「明日菜お嬢様もご一緒にどうですか?」
須臾がそう尋ねた。
彼女はこの1ヶ月でみっちりと勉強しており、その敬語や標準語は完璧だ。
須臾の提案に特に断る意味もないのでアシュレイは頷き、草履を履いて庭に出た。
「ほな、いきますえ」
千奈の言葉にアシュレイと須臾が鞠をつきはじめる。
それを確認し、千奈もまた鞠をつき始めた。
そして、3人は声を合わせて歌い始める。
「まるたけえびすにおしおいけ」
夕暮れの空に3人の声が響く。
風鈴が風に揺られて鈴を鳴らす。
どこかで烏が鳴いている。
魔王も陰陽師も烏族の忌み子など、各々の立場や出自は関係なく、彼女達は今、対等であった。
そして、そんな3人を見守る連中がいた。
「……楽しそうだな」
数百m先で展開されている光景にフェネクスはポツリと呟いた。
それに同意するかのように彼女の左にいたテレジアが口を開く。
「アシュ様は今、とてもリラックスしていらっしゃる。我々の前でもしてはいたが、種類は違うと思う」
その言葉にフェネクスは頷きつつ、ちらりと右側へ視線を送る。
「妾も混ざりたいのじゃ」
しょんぼりとしている玉藻がいたり。
「アシュ様……私にも是非……」
うずうずとしているベアトリクスがいたり。
他にもディアナとかエシュタルとかシルヴィアとかがいたりする。
中でも極めつけは……
「ああ、童心に返っているアシュ様も素敵ですわ……」
目が危ないフレイヤがいた。
言うまでもないが、彼女達は皆、アシュレイの様子を見に来たのだ。
数ヶ月に1度くらいしかアシュレイは地獄やフレイヤに連絡をしていない。
そもそも、神魔族にとっての数ヶ月は人間にとっての1週間に等しいのだが、待たされている側にとっては数千年にも感じられる。
「……どうすればいいのかな」
彼女達に混ざって、困惑する白髪の少年の姿があった。
彼もまたアシュレイを見ている。
「日を改めればいい。お前の用事は明日の午前中に行っても問題はないだろう?」
「それもそうだね」
そう言いながらも、彼はアシュレイから視線を外さない。
「このまま地獄に帰るのも嫌だから、妙神山に寄って行く?」
ディアナの提案に誰も異論を唱えない。
彼女達は何だか騒ぎたい気分であった。
「お前も来るか?」
エシュタルは少年に問う。
「僕が行ってもいいのかい?」
どんなことがあっても、大抵は無表情な彼だが、今回ばかりはその顔には僅かだが、驚きが表れている。
「構わんだろう。お前も同僚なのだからな」
エシュタルの言葉にうんうん、と頷くテレジア達。
「……セクストゥム……セレステを呼んでも?」
「構わん。どうせなら他の連中も呼んでしまえばいい」
エシュタルの言葉に彼は僅かに頷いたのだった。
一方その頃、アシュレイの城では――
「……幾ら何でも無用心過ぎやしないかね」
ヘルマンは自らの執務室で途方に暮れていた。
アシュレイの様子を見に行ってくる、と主力メンバーが続々と地上に行ってしまったのだ。
代理として、ヘルマンを置いて。
そして、まるで図ったように湧いて出てくる様々な問題。
自分の権限で処理できるものは処理し、できないものはテレジアの執務室に届け、と普段はのんびりとしていた彼の生活は一変していた。
食事を摂る暇もなく――まあ、悪魔だから摂らなくても大丈夫だが――彼は仕事に忙殺されていた。
ようやく一息ついて出てきたのが先ほどの言葉だ。
もし、今、どっかの魔神にでも攻められたら、城はあっさりと陥落してしまうだろう。
何しろ、ヘルマンは上級魔族でしかない。
そのとき、扉がノックされた。
彼が許可を出せば入ってきたのは――
「やぁ、子爵。ちょうどいいところに来てくれた」
ヘルマンはにこやかな笑みを浮かべて入ってきたコンロンを出迎えた。
「ヘルマン侯爵……ここが採用試験会場でいいのかね?」
「採用試験?」
コンロンの言葉にヘルマンははてな、と首を傾げた。
「あれから考えた結果、サタン様に正直に告げたら暇をもらったのだよ」
ヘルマンはその言葉に思わず笑みを浮かべた。
「では子爵。君はアシュ様の下で働きたいのかね?」
「ああ、私はアシュタロス様の下で働きたい」
「よろしい、では採用だ」
そう言った直後、扉がノックされ、ヘルマンが許可を出す前に扉が開く。
そして、ベルフェゴールが大量のダンボールを宙に浮かしながら入ってきた。
「これ、お願いね。技術部の予算とかその他諸々」
「……ニジ君は元気かね?」
ヘルマンは技術部門の長として頑張っている筈のニジについて尋ねる。
「さっき倒れて死んだように寝てるわ。だらしがないわね。たった10年程、不眠不休で研究してただけなのに」
ヘルマンはツッコミたいがやめた。
コンロンはどう反応していいか分からずただ傍観するだけ。
「じゃあね」
ベルフェゴールはさっさと出て行った。
後に残されたコンロンとヘルマンはお互いに顔を見合わせる。
「……侯爵、アレをどうするのかね?」
「……子爵、君を私の秘書に任命しよう。そして、今からアレを処理するぞ」
ヘルマンの言葉にコンロンは冷や汗を流す。
サタンのところで気楽に公務員やってた方が楽だったかな、と彼は思ってしまった。
そして、死んだように寝ている筈のニジの部屋では――
「姉さん……大丈夫ですか?」
ニジと瓜二つの少女が甲斐甲斐しく看病していた。
「うぅ……ザジ……私が死んだら……冷蔵庫にあるプリンは墓前に供えて欲しいポヨ……」
苦しげな表情を見せているニジだが、まだまだ余裕がありそうだった。
「あ、さっき食べました」
「な、なんだってえええ!」
ニジはがばっとベッドから起き上がり、ザジの胸ぐらを掴んだ。
「ど、どういうことポヨ!? アレは私が楽しみにとっておいた熟成プリン! アシュ様の威光でもって1週間待ちのところを無理矢理手に入れたのに!」
ちなみにアシュレイはそのことを知らない。
これが彼女の耳に入ればきっとニジをおしおきするだろう。
「とても美味しかったから安心して」
親指を立てるザジに頭を抱えるニジ。
「で、姉さん。アシュ様を紹介してくれるんじゃなかったの?」
「アシュ様は今、地上でバカンス中ポヨ……しばらくすれば帰ってくる筈ポヨ……」
「じゃあ、しばらくは姉さんのお世話をしてあげるね」
「嬉しいような悲しいような複雑ポヨ……とりあえず、プリンは同じ物を買ってきて欲しいポヨヨ……」
「わかった。明日買ってくる」
「……ところで何で食べたポヨ?}
「そこにプリンがあったから」
ニジはそれなら仕方がない、と思ってしまった。
彼女もまたプリンを愛する者としてその気持ちは痛いほどよくわかる。
「ところで姉さん、まだポヨポヨ言ってるの? もう実家じゃ、誰も使ってないのに」
「た、確かに私は滅多に帰っていない……というか、こっち来てから一度も実家に帰ってないポヨ……手紙は出していたのだけどポヨ……」
落ち込むニジの背中をさするザジ。
しかし、ニジはあることに気がついた。
「……キャラ作りでウマウマポヨ!」
そんなニジにザジはどうしたものか、困った顔となるのであった。