望まれぬ者達


 彼女は望まれていなかった。
 古くから続く魔法使いの家系であり、かつ貴族である名家にとって、世継ぎとして望まれたのは男子。
 しかし、生まれてきたのは女の子。
 おまけに、その娘が魔法使いとして高い資質を持っていたのだからたまらなかった。
 魔法とは大昔に誰かが編み出したもので、その洗練された術は魔力があり、呪文詠唱さえできれば誰にでも使えるお手軽なものである。
 無論、多少は勉強を必要とするが、簡単な魔法ならば感覚だけでもできるのは確かだ。

 だが、彼女は魔法を勉強することさえ許されず、城にほとんど軟禁された生活を送っていた。
 父親も母親も彼女を疎ましく思い、何故男子でなかったのか、と事あるごとに彼女を罵倒した。
 嫁に出すにしても、跡継ぎがいなければ最終的に他家により吸収されてしまう。
 生き馬の目を抜くこの時代、油断すればすぐに家は消えてなくなる。
 家の為に全てを使う、というのはこの時代を生きる貴族達にとって当然のことであった。



 しかし、少女はそれでも信じていた。
 いい子にしていればきっといつか父も母も自分を見てくれる、と。
 彼女は必死に勉強した。
 読み書きは無論、城にあった様々な魔法関連以外の本を読みあさり、あらゆることを学んでいった。
 ただし、魔法関連の本は読むことを禁止されていた為、一切読むことができなかった。

 そして、彼女が8歳の誕生日を迎えたときであった。


「よく頑張ったね」

 優しい表情の父。

「ええ、本当によくできた子だわ。お誕生日おめでとう」

 嬉しそうな表情の母。
 そんな2人に少女は自分の努力が報われたことを悟った。
 これまで誕生日に会いにきて、そして祝ってくれるなんてことはなかった。
 感動の余り思わず涙ぐむ少女であったが、ふと母親のお腹が膨らんでいることに気がついた。

「お母様……そのお腹……」
「魔法で調べてもらったところ、立派な男の子ですって!」

 声を張り上げた母親に少女は僅かに怯える。
 もう自分はいらない、と捨てられやしないか不安であった。

「さて、誕生日プレゼントに専属のメイドをつけよう」

 父親はそう言い、ドアの外にいる者を呼んだ。
 ドアが開き、入ってきたのはメイド服を着た少女。
 その髪の色は灰色であり、後ろで三つ編み団子にしている。
 彼女は少女の前にやってくると、頭を下げた。

「レイチェルと申します」

 再び頭を上げたとき、レイチェルと少女の視線がかち合う。
 レイチェルの瞳は灰色であった。

「これからは彼女がお前の面倒を全てみる。ああ、城の外に出ることも許可しよう。存分に……遊んできたまえ」

 妙な間があったが、少女は特に気にならなかった。
 彼女は生まれて初めて城の外に出られるようになったことで、胸がいっぱいだ。

「では私達は用事があるのでな……」

 父親はそう告げて、母親と共に部屋から出て行った。
 後に残された少女はどうしたものか、と考える。
 何となく気まずい雰囲気であった。

「お嬢様、どうなさいますか?」
「えっと……とりあえず、外に出たい」
「畏まりました」

 恭しく頭を下げ、レイチェルは少女を先導する。
 そして、2人は城外へと出たのであった。








「……行ったか」

 父親は書斎の窓からレイチェルと娘が城から出たことを確認し、溜息を吐く。

「教会の司祭とは既に話をつけてあるわ。たまたま魔女が潜り込んで、うちの娘を堕落させた、というシナリオよ」

 母親が革張りのソファに座り、そのお腹を優しく撫でながらそう告げた。

「やれやれ、高い処分代だ。司祭も足元見た値段を提示して……いらん出費は勘弁して欲しいのだがね」
「しょうがないわ。合法的に誰もが納得できる方法で処分できるなら、これほどいいことはないもの」

 娘を他家に嫁に出してもよかったのだが、その高い魔法資質により、将来的に敵対関係となった場合、非常に面倒くさい事態となる。
 それならばさっさと殺してしまった方が後腐れがなく良い、と彼らは判断した。

「ともあれ、まさかあの魔女が手に入るとは思ってもみなかった」

 彼は思い出す。
 魔女……レイチェルを商人が売りに来たときのことを。

「どっかの貴族が手放したんでしたっけ? 飽きたとかで」
「ああ。それで押し付けられた商人が泣きついてきたんだ。あんな傷物の体では商品にならない、と」

 その言葉に母親ははてな、と首を傾げる。
 見たところ、レイチェルの体に傷はなかったからだ。
 そんな彼女に彼は言い難そうな表情で告げる。

「下の口がゆる過ぎて駄目という意味だ」

 一瞬で母親の顔が朱に染まる。

「まあ、そういうわけだ。あんな魔女とやりたがる物好きがいるとはなぁ……」

 世の中広いものだ、と彼は呟いた。












「わぁ!」

 少女は辺り一面に広がる花畑に思わず声を上げた。
 こんなにたくさんの花を間近で見たのは初めてであった。
 彼女は深呼吸して、花の香りを胸いっぱいに吸い込む。

「いい匂い……」

 そう呟いた少女にレイチェルは微笑んでいる。

「えっと、その、レイチェル……この花が何か分かる?」
「これはラベンダーですよ」

 うんうん、と少女は頷きつつ、次々に花の名前をレイチェルに聞いていく。
 聞かれた彼女は嫌がるなどということは当然せず、花の名前を答えていく。

 やがて少女は花畑の端っこにある木に紫色の花が咲いているのを見つけた。

「こっち! こっちへ来て!」

 彼女はレイチェルの手を引っ張ってその木の根元まで連れていく。
 そして、彼女はその花を指さして尋ねた。

「あれは何?」
「あれはライラックです。紫色だけでなく白色の花もありますよ」
「ライラック……綺麗でいい香り……」

 気に入ったらしい少女にレイチェルはその小さな体を抱っこした。
 わわわ、と慌てる少女。
 彼女が抱っこされた経験は物心ついてから一度もなかった。

「うわぁ……」

 間近で見るライラックに少女は感嘆の息を漏らした。
 そのとき、羽音が彼女の耳に入ってきた。
 気がついたときには目の前に蜂が。

「蜂! 蜂!」

 混乱し、じたばたと暴れる少女。
 しかし、レイチェルは動じず、ゆっくりと彼女を地面に下ろした。

「あぁ……びっくりしたぁ……」

 へたり込んだ少女をレイチェルはくすくすと笑う。

「むー」

 恥ずかしさに頬を膨らませる少女であったが、それがまた返って可愛らしかった。
 レイチェルはそんな少女の頭を優しく撫でる。
 その感触は少女にとって新鮮であった。

「レイチェル」
「はい、お嬢様」
「そういえば私ってあなたに名前を言ってなかったと思うの」
「はい、聞いておりません」

 撫でられながら、少女は告げる。
 自らの名を。

「私はエヴァンジェリンよ。よろしくね」 












 城へ戻ったのはすっかり日が暮れてからだった。
 夕食を済ませた後、エヴァンジェリンを自室に送り、レイチェルもまたエヴァンジェリンの部屋の傍に設けられた自室へと戻った。

 そして、彼女は懐から木彫りの人形を窓辺に置き、床に両膝をつき、祈り始めた。

「アシュ様……一時の平穏を今、私は得ております……ですが、私の平穏はあなた様のお傍以外にありえません……」

 木彫りの人形を見つめる灰色の瞳には狂気の光。
 彼女はこれまでの全てを改めてお話致します、と切り出した。

「私は母と共に忌々しい人間達に捕まりました。そして、私は母と共に人間共の慰み者となり、ある日、母はもう緩くて使い物にならない、と言われ私の前で生きたままお腹を引き裂かれ、死にました」

 そして、と彼女は更に続ける。

「人間達は私に母の死体を食べるように言いました。私は母からアシュ様がご教授された多くの魔法を教えていただきましたが、私には魔力を封じる手錠が掛けられており、抵抗する術がありませんでした」

 レイチェルは深呼吸し、続ける。

「アシュ様、私は告白致します……あのとき、なぜ助けてくれなかったのか、とあなた樣を疑ってしまいました」

 彼女は苦痛に満ちた表情でその言葉を告げた。
 彼女にとって、アシュレイを疑ってしまったことは何よりも大きな罪であった。

「私はある日、噂を聞いたのです。多くの魔族達が何かを探している、と。彼らは自らをアシュタロスの配下である、と名乗ったと……」

 彼女は両目に涙を溜め、更に言葉を紡ぐ。

「あなた様は私を、私達を見捨ててはいなかったと……必死に探してくださっていたと……」

 彼女はエナベラの記憶から知っていた。
 アシュレイは彼女に将来的にアシュタロスとなる、と言ったことを。

「それなのに私はあなた樣を疑ってしまい……如何なる罰もお受けいたします。これより先に私へ振りかかる災いは全て罰なのでしょう。あなた様の御心を傷つけてしまった罰……」

 唐突に扉が開いたのはそのときであった。
 レイチェルは素早く人形を懐に隠し、その人物へと視線をやった。

「……旦那様」
「話は全部聞かせてもらった。如何なる罰も受けるそうだな」

 嘲笑を浮かべ、彼は告げた。

「ちょうど下男共は鬱憤が溜まっていてな。彼らの性欲を処理しろ。如何に緩くてもどうにかなるだろう」
「……畏まりました」

 レイチェルは了承し、頭を下げた。
 彼女は攻撃魔法を知らないが、それでも脈々と受け継がれた治癒魔法を応用し、生物であるなら必殺できる魔法を扱える。
 だが、マトモな格闘術を知らない彼女には不意打ちができる状況でしかその魔法は効果を発揮しない。
 何よりも、先ほどアシュレイへこれから振りかかる災いは罰である、と宣言したばかりだ。
 
「それとエヴァンジェリンに魔法を教えろ」

 思わぬ言葉にレイチェルは思わず顔を上げる。

「お前の扱う魔法でも、この城にある魔術書を使ったものでも何でも構わん」
「……畏まりました」

 一拍の間を置き、彼女は了承した。









 翌日から早速レイチェルはエヴァンジェリンに魔法についての講義を開始した。
 彼女は深夜遅くまで行われた下男達との行為の疲れも見せず、元気に振る舞う。
 エヴァンジェリンは今まで存在は知っていたものの、それでも手を出すことができなかった魔法を学ぶことができ、非常に嬉しかった。
 しかし、2人はまだ知らない。
 これがエヴァンジェリンの運命を決定的に分かつこととなったことを……

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