アシュレイは自室でソファに座り、新聞を読んでいた。
三面記事にでかでかと載っている記事を読み、彼女は呟く。
「神界で大粛清……ね」
日刊地獄新聞。
政府発行のこの新聞によればつい最近、神界で色々な神が粛清され、永久封印されたとのこと。
「にしても、どうやって知ったのかしら?」
言うまでもなく、スパイが神界に潜り込んで……なんてことはできない。
故に彼女は幾つか予想し、その中で最も確率の高そうなものを選び出す。
「戦場に出てくる天使の数とかから推測したのかしらね」
大規模に粛清すればその分、神界の治安維持に天使を回さねばなるまい。
圧倒的に天使の数が多いが、他の神々も自らの使い走りを持っていないわけではないからだ。
粛清された神の使いが不満を抱いて反乱を起こす、なんてこともありえる。
「粛清する際、ルシフェルの指揮下にあったある大天使が多大な功績を上げた? 何でこんなことまで分かるのよ」
呆れたようにアシュレイは呟く。
そして、ふと思い出した。
フェネクス――ミカエルから渡されたルシフェルからの手紙を。
「……最高指導者になる際に協力して欲しい、と書いてあったけども……まあ、情報提供をしてくれたから協力しないと」
ルシフェルからアシュレイへの手紙。
そこには地獄で最高指導者となる為に協力して欲しい旨ともう1つ、エナベラの子孫の情報が書かれていた。
それによればエナベラの子孫は陸伝いに欧州方面に逃げたらしかった。
この時代、欧州といえばまだまだ未開の地。
隠れるにはうってつけの場所だ。
「捜索班は欧州を中心に捜索するように言ったし、まあ、とりあえずは問題ない筈」
どうやってルシフェルに協力することを伝えればいいのだろうか、と彼女は疑問に思いつつ、新聞の次のページを捲る。
「お、載ってる載ってる」
アシュレイは広告欄に自分が書いた募集が載っているのを見つけ、ちょっとだけ気分が良くなる。
言うまでもないが、女魔族募集の広告だ。
「淫魔達の数をもっと増やさねばならない。その為には種付けの相手がたくさん必要なの」
別に男の魔族でもいいが、そこはアシュレイの嗜好である。
繰り返しになるが、神魔族は両性か無性のどちらかだ。
例え見た目が男であっても、女になれるし、その逆もまた然り。
ただアシュレイ的にはやっぱり最初から女のほうがよかった。
「淫魔の孕ませ方なんて、人間で知ってるヤツなんていないでしょうね」
一般に自らの体内に精を取り込むことを主とする淫魔……早い話がヤりまくりの淫魔が孕む、というのは聞かない話だろう。
「淫魔にはスイッチみたいなのがあって、それで体の機能を切り替えるのよねぇ」
精を吸収する機能と精をそのまま溜める機能が淫魔にはある。
前者が食事で後者が子を成す為の機能だ。
「私にもあるのよねぇ……一応、私、吸血鬼で淫魔だし……そういえば最近、吸ってないなぁ」
リリスやリリムのような最上級の淫魔であっても、アシュレイが本気で精を吸収したら1時間と経たずに力尽きてしまう。
もしアシュレイが人間達から精を吸うなんてことをしたら、夥しい数のミイラの出来上がりだ。
何も精気は体を交わらねば吸収できないなんてことはない。
交わった方が一番効率が良く、気持ち良いからそうしているだけで、人間が空気を吸うかの如く人間をはじめとした動物が発している精気を吸うことができる。
長々と書いたが、そんなわけで彼女は滅多に他者の精気を吸わない。
というよりか、彼女は突っ込むことが多く、突っ込まれることは滅多にない。
「フェネクスの精気って美味しそう……」
思い立ったら即実行とばかりにフェネクスを呼ぼうとしてアシュレイは思いとどまる。
フェネクスは上司のセクハラが嫌でこっちにきた。
そんな矢先に自分がそんなことしたら、出ていってしまうかもしれない。
リリスとリリムにもフェネクスに対しては彼女から求めて来ない限り、淫魔達に手を出させないよう命じてあった。
自分がいきなり破ってはさすがに色々とアレだし、何よりフェネクスを失いたくない――彼女はそう思った。
「我慢我慢……鬱憤晴らしにあそこに行こう」
アシュレイはそう言いながら立ち上がった。
でもやっぱりフェネクスの肉感的な体に心が引かれないわけではない。
それでもアシュレイは無理矢理気分を変える。
これから行く、とある女魔族が経営している娯楽施設のことを頭に浮かべながら。
アシュレイの城から転移で1秒の場所にあるその娯楽施設は、見た目はどこにでもありそうな酒場だ。
建物自体は大きいが、観覧車が建物から生えたりしているという奇怪なこともなく、建物自体が実は魔族で、というオチもない。
極々普通の建物だ。
入り口の横には看板があり、そこには魔族が使う文字でコースと料金が書かれていた。
分かりやすく日本語に訳し、かつ料金を現代日本の通貨に換算すれば以下のようになる。
VIPコース 無制限殺し放題 何でもあり お持ち帰り可能 666万円
通常コース 1000人まで殺し放題 拷問器具まで使用可 66万6千円
お試しコース 20人まで殺し放題 道具はご自分でお持ちください 6万6千6百円
物騒な単語が幾つも並び、料金に至っては獣の数字になっている。
アシュレイはこの店に初めて行ったとき、サービスの良さと価格の安さ、そして人間の質の良さから虜になった。
今ではすっかり常連客である。
アシュレイはフェネクスのことを一時的に忘れることに成功し、これから始まる狂乱の宴に思いを馳せる。
そして、彼女は躊躇いなく店の中へと入った。
入り口をくぐった彼女を待ち受けていたのは受付嬢の女の魔族。
彼女はアシュレイを見るなり、カウンターから飛び出し、アシュレイに頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました、アシュレイ様」
「うん。今日もいつものVIPコースで」
「畏まりました。ご指名されますか?」
「今日はどんな子が?」
「こちらに……」
受付嬢が差し出したアルバム。
そこにある無数の顔写真。
「んー……この子で」
アシュレイが選んだのは金髪でつり目の、気が強そうな10代前半の少女。
備考欄にお嬢様と書かれていたことが決め手であった。
「はい、少々お待ちを」
受付嬢は待機しているその子に念話を送る。
数秒程でその子はやってきた。
「え、エリシア……と、も、申します」
彼女は白いドレスを纏っている体を震わせ、そう名乗った。
「案内しなさい」
受付嬢はエリシアにそう言い、アシュレイに笑顔を向ける。
「どうぞごゆっくり」
「うん。料金はいつも通りに城に請求して頂戴」
「はい、畏まりました」
会話が済んだのを見、エリシアは震える声でアシュレイを奥へと案内した。
それなりに長い廊下を歩き、2人が出たのは広いホール。
そこには幾つものソファとテーブルがあり、多くの魔族と人間がいた。
ただ、仲良く宴会というのでは当然ない。
人間の少女や女性、あるいは幼女が魔族にお酒を出すなどの奉仕をしている。
ただそれだけならばキャバクラと同じだ。
だが、それだけではない故にエリシアは恐怖している。
彼女もまた奉仕する側で遊ばれる側なのだ。
ホール全体に漂う血の臭いが、その答えだ。
「こ、こちらです……」
そう言って彼女が誘導したとき、べちゃり、と彼女の足元に何かが飛んできた。
可愛らしい少女の頭だ。
当然、頭のみでその胴体はない。
エリシアはそれを見ても恐怖に竦んだりはしない。
なぜなら、次にそうなるのは自分であってもおかしくはないからだ。
「飛ばすなら方向を考えなさいよー」
ぶー垂れたアシュレイ。
そんな彼女の声に気がついたのか、飛ばしたであろう女魔族が両手を合わせて軽く頭を下げた。
エリシアはその間に少女の頭を横に退かす。
お客に……それも最上級のお客であり、地獄全土にその名が轟いている大公爵に人間の頭を越えさせるなんてことをさせたら、恐ろしいことになる。
地獄において人間は家畜に等しい存在だ。
家畜は飼い主に抗うことはできない。
「あ、アシュ様……個室がよろしいですか?」
「そうして頂戴」
「は、はい。畏まりました。こちらです……」
ホールから歩くこと5分で個室に到着した。
個室は12畳程の広さで、ソファとテーブルが中央に置かれ、それらの横には冷蔵庫とグラスが入った小さな棚が置かれている。
そして、この部屋からは拷問器具や大人の玩具が置いてある器具庫に行くことができる。
勿論、共有の器具庫ではなく、この部屋専用の器具庫だ。
「さて、どうしようか」
アシュレイはソファにどかっと腰を下ろし、呟いた。
エリシアは落ち着かない様子で視線をあちこちに彷徨わせる。
「とりあえずはそうね……何か飲もう」
「は、はい。何をお飲みになりますか?」
「んーそうねぇ……適当に女の子を何人か呼んで、その子の心臓入りのお酒で。あなたが取り出してね」
「か、畏まりました」
彼女は持っていた通信機を使い、連絡を入れる。
1分と経たずに10人程の少女達がやってきた。
彼女達もまた恐怖に体を震わせている。
「じゃ、あの黒髪の子で」
アシュレイが選んだ少女は黒髪をショートカットにし、胸がそれなりに大きな子であった。
彼女の端正な顔は恐怖に歪んでいる。
この店のシステムを知っていても、彼女はその様子に興奮する。
システムとはサービス係の人間の女達は全て死んでも、その場で蘇ることだ。
無論、老いも病もない……不老不死であり不死身であった。
そうすれば長く楽しめる。
死ぬことや恐ろしい痛みに慣れれば楽しめるのだろうが、慣れろという方が酷であった。
無論、何度も酷いことを体験すれば精神的に人間が壊れてしまうということについても抜かりはない。
壊れないように狂わないように、精神強化魔法とでも言うべきものが掛けられている。
そして、これらの効果はお持ち帰りした後も続く。
彼女達は人間であって人間ではない。
強いて言うならば、魔族がお遊び用に改良した強化人間といったところだ。
さて、これは魔族にとってもいいシステムであった。
人間を絶望や恐怖させることは魔族にとって快楽の一つ。
また、人間を食べる際、これらは最高のスパイスとなるからだ。
なお、店に出てくる人間の女達は経営主である女魔族が加速空間を作って、そこに地球から攫った人間達を住まわせ、数を増やさせることで店に供給している。
無論、人が増えれば文明も発達することから、彼女の加速空間の中の人類は早くも中世時代となっている。
故に、エリシアのような金髪のお嬢様が店に出てくるのだ。
「い、いきます」
エリシアはナイフを手に持ち、黒髪の子に切っ先を向ける。
彼女は嫌々と首を横に振るが、外の少女達に取り押さえられていた。
「なるべくゆっくりとやって頂戴。そっちの方が味が良くなるから」
アシュレイは嗜虐的な笑みを浮かべ、そう言ったのであった。
一方その頃、アペプは頭を抱えていた。
「ミカエルを堕天させるなんて……」
アシュレイが疑問に思った新聞に書かれていた神界での出来事。
それは他ならぬルシフェルを通じて、地獄に情報が流れている。
彼もまたルシフェルが堕天したいということを知っていたからだ。
戦争をしよう、と最初に決めたのはアペプだが、今では後悔している。
彼は最高指導者であるから、未来を――より正確には人類の知らない本当の歴史を知っている。
それによれば、この戦争で人類は一度滅び、戦争に勝利した神族によって再び人類は創られることになる。
それが辿る筈であった本来の歴史。
だが、アシュレイの思いもよらない行動でその予定は外れ、本来ならば堕天しなかったミカエルが堕天してしまった。
これに加えて、ルシフェル達もまた堕天するのであるから、パワーバランスは魔族に一気に傾いてしまう。
「まぁ、ミカエルが堕天したということは隠されるだろうな」
アペプはそう呟く。
彼はルシフェルから聞いていた。
大天使の中で素質のある者がおり、新たなミカエルとなるだろう、と。
そしてそれは世界の後押しがあることを意味していた。
「世界がうまくやってくれたのか……」
元々、ミカエルは大天使だ。
ミカエルが熾天使となる為の功績をどこであげるか、といえばルシフェルが起こす反乱だ。
そこでミカエルはルシフェルを討つという功績を上げ、熾天使となった。
これが人間達の知る宗教的歴史。
しかし、フェネクスは遙か太古から神界の為に多く働き、その力を十分につけていたが為に大天使から熾天使となっていた。
つまり、元々熾天使であったミカエル――フェネクスがそのままいけばルシフェルを討てば問題はなかったが、堕天してしまい、パワーバランスが一気に崩れた。
魔族に傾いた天秤を戻す為に元々熾天使であったミカエルは表向きはいなかったことにされ、大天使であるミカエルとなりうる資格を持った者が討つことで熾天使ミカエルとなる。
しかし、たまたまミカエルとなりうる資格を持った大天使がおり、その天使が遙かに格上のルシフェルを討つなんぞ普通ならば天地がひっくり返っても有り得ないことだ。
言うまでもなく、世界による後押しであった。
一見、世界が人間達の宗教的歴史に合わせた形になるが、実際は神魔族のパワーバランスを取る為だ。
フェネクスがいなかったことにされるのも、熾天使ミカエルがセクハラが嫌で堕天しました、なんてことはとてもではないが人間には言えないし、神界の恥であるので隠すことに誰も異論はない。
「世界的に見れば問題はないのだろう。人類が滅びなかったことに対して、世界がアクションを起こしていないのならばそれは容認されたということ。問題はアシュレイだ」
勿論、彼女が戦争をサボっていたことではない。
その逆で、戦果を上げ過ぎてしまったことだ。
基本、上の者に下の者は逆らわず、絶対服従。
だが、同格同士であるならば話は違ってくる。
早い話、アシュレイの戦果に嫉妬した連中がうるさいのだ。
前線で神族をこれだけ倒した、ということは誇るべきものの一つであるのだが、アシュレイの戦果はそんなものを吹き飛ばす程にインパクトがある。
ルシフェルに間接的に堕天を勧め、ミカエルを堕天させ、自軍をすり潰してでも敵を完膚なきまでに殲滅するその戦争のやり方。
他の魔王や魔神の戦争のやり方はある程度数が減ったら撤退していたが、アシュレイは敵を殲滅するまで兵隊を注ぎこむ。
他の魔王や魔神達は神族を撤退に追い込んだりすればそれは勝利であり誇るべきものだが、アシュレイは神族を殲滅したことのみを勝利としてカウントする。
撤退と殲滅ではどちらがより良いかは言うまでもない。
「こればかりはしょうがないなぁ。うるさい連中を粛清するか……だが、それでは戦線に穴が空く……どうしたものか」
アペプの苦悩は続くのであった。