海王星見物兼ミカエルに堕天を勧めたアシュレイは地獄に戻ってきていた。
しばらくくつろいでいた彼女であるが、あることを思い出し、ベルフェゴールを執務室に呼んだ。
そして、彼女は告げた。
「究極の魔体の弱点は移動速度と接近戦に弱いことなの」
アシュレイの言葉にベルフェゴールは頷く。
彼女も設計図を見た段階でそれは分かった。
「で、移動速度は単なる砲台として使う予定だからいいとして、問題は接近戦に弱いこと」
「専用の護衛を?」
「それがいいと思う。けど、あなたは究極の魔体に掛かり切りになると思うから、護衛の方は私が全部やろうかなと」
「それは助かります。私としても次元転移シールドをどうやって再現しようか、悩んでいたところです」
「あ、それはオミットしちゃっていいわよ? 数が欲しいから量産性を上げないと」
「純粋な装甲と防御結界のみでよろしいですか?」
ベルフェゴールの問いにアシュレイは頷き、言葉を紡ぐ。
「操作に関してだけど、逆天号にコントロールルームを置いて、そこから全ての個体を操作しようと思う。そうすれば煩雑にならずに済むし」
「そうですね。ですが、一応、逆天号無しでも個体ごとに操作できるようにしておきます」
「そうして頂戴。あとコントロールを奪われたときの為に別系統で自爆装置を」
「了解しました」
うんうん、とアシュレイは頷き、不敵な笑みをその顔に浮かべた。
「久しぶりで腕が鳴るわ……マトモに何か造るのはこれが初めてだけども」
「アシュ様と一緒の空間で作業できるなんて……体が疼きます……」
そんなことを言いながら、2人は加速空間に入ったのであった。
そして、およそ1000年の時が経過した。
「ふふふふ」
怪しく笑う茶髪の女性。
白衣姿が妙に似合う彼女はベルフェゴール。
彼女は眼下に広がる巨大なスペースにご満悦だ。
そこには究極の魔体と呼ばれたモノが、無数に並んでいた。
必要なものを集め、試行錯誤し、試作機を作り上げ……ようやく量産にこぎつけた。
ここまで掛かった時間、現実時間でおよそ1000年。
試作機を造るまでは加速空間で行えたので大幅な時間の短縮が可能であったのだが、そこからが大変であった。
生産ラインは200年程で一応立ち上げたものの、何分、大きい・複雑・危険という量産性を下げるものが三拍子揃っているので思うように生産は進まない。
事故が起きるなんぞ日常茶飯事で、出てくる問題を全て解決するのに700年という時間を費やしていた。
そして、この1000年で戦況は神族側に傾いている。
とある熾天使がまるで誰かにアピールするかの如く、鬼神の如き強さで上級魔族を蹴ちらしまくった為だ。
そのおかげで彼女はそれなりに待遇改善されたものの、強い女を征服したいとかそういった欲望に駆られた神々からのアプローチが酷くなる一方であった。
そして、その熾天使に軍の主力ともいえる上級魔族を潰されて、アペプをはじめとする他の魔王や魔神の軍勢はガタガタ。
唯一、アシュレイの軍団はこれまで何度も行われた戦闘で、常に膨大な損害を被っていることから、しばらく練度を上げるように、と前線に出ていなかったのが幸いした。
40個軍団、2000万余りがフル編成で残っており、予備戦力として3000万を確保している。
一応、練度の向上を図っているが、元々死ぬことを前提とした鉄砲玉であるのでそこまで重要視されていない。
その合計5000万の鉄砲玉に女性型魔族が1人もいないことが、アシュレイの性格を如実にあらわしていた。
また、41番目の、史実のアシュタロスには存在しない軍団もまた存在した。
死ぬことが確実の戦闘を乗り越え、レベルアップしたことで上級魔族となった者のみで構成された軍団だ。
その軍団の構成員は熾天使よりやや劣るか同等であり、アシュレイの虎の子の軍団であった。
ともあれ、アシュレイはそっくりそのまま自分の軍団を残していることから、地獄政府での発言力も結構上がっていた。
ただ、一部の口さがない魔神達からは軍を出さず、彼女自身も1000年の間、前線に出なかったので腰抜け呼ばわりされたりしている。
そういった連中は無駄に声が大きいので、彼女の軍に所属していない一部の中級・下級魔族達からも「実は大したことないんじゃ?」という疑惑がかけられていた。
「究極の魔体だと呼びにくいから、エヴァンゲリオンでいいかしら?」
横から聞こえた声。
ベルフェゴールが視線を向ければ、目を輝かせ、並ぶ魔体を見つめるアシュレイの姿。
何体も並んでいるところを見るのは彼女も初めてだ。
「福音……ですか?」
その問いに彼女は視線をベルフェゴールへ向ける。
「駄目かしら?」
「もう少し悪魔らしいものの方が……」
「それもそうね。じゃあ、フリーダムガンダムとか」
「それもちょっと……」
度重なる駄目出しにアシュレイは可愛らしく頬を膨らませる。
ベルフェゴールは恐る恐るその膨らんだほっぺたを指で突っついてみた。
ぷしゅーとアシュレイは空気を抜く。
ベルフェゴールは抱きしめたくなった。
「じゃあ……巨神兵とか」
「むしろ、魔神兵の方がいいのでは?」
「それでいいわね……で、もう1つの方はどんな具合?」
究極の魔体改め、魔神兵とペアになって行動するもう1つの巨大人型兵鬼。
接近戦に弱いなら、接近戦に強い機種も造ればいいじゃない、というとてもシンプルな理論で、アシュレイが加速空間に数千年篭って設計・試作したモノ。
「別の格納庫にございます」
「行きましょう行きましょう」
アシュレイは我先にと転移した。
その後を慌てて追うように、ベルフェゴールもまた転移した。
「うわぁ……爽快ね」
アシュレイは眼下に広がる光景に感嘆の声を上げた。
たとえ自分で造ったものだとしても、隊列を組んだ状態で並ぶこの兵鬼を見れば彼女も感嘆せざるを得なかった。
魔神兵が大砲を背負っている為、やや不恰好な姿であるのに対し、こちらは直立不動し、その身には頑丈そうな鎧を纏っている。
さながら重装歩兵だ。
「この兵鬼の名前は何と?」
いつの間にか傍にいたベルフェゴール。
その問いかけにアシュレイは答える。
「鬼神兵でいいと思うの。東洋の鬼をイメージして造りました」
ストライクガンダムとか名付けられるよりはよっぽど良かった。
「アシュ様、魔神兵は年産3000、鬼神兵は年産5000を目指します」
うむ、と満足そうに頷くアシュレイ。
そんな彼女にベルフェゴールは聞いてみた。
「ところでアシュ様。闇の福音計画はどうなりましたか? かなり前に寝物語として聞いたのですが……」
アシュレイはベルフェゴールの言葉に思わず手を叩いた。
「鬼神兵を造るので手一杯で忘れてた。思い出させてくれて感謝」
闇の福音計画を思い出したのと同時にアシュレイはエナベラ子孫捜索もまた思い出した。
一応、そちらの捜索は忠誠心のあるヘルマンを筆頭に使える少数の魔族でもって、行われている。
だが、やはり進捗状況は芳しくない。
エナベラのデータなんぞ存在しないので、問答無用で探し出す例のアレを使うしかなかった。
「ま、おいおいやってくわ」
魔族に寿命など無いので、別に5000年くらい遅れても、何も問題はなかった。
ただ、アシュレイはあることを忘れていた。
捜索しているエナベラの子孫は人間。
途中でその血筋が途絶えてしまうかもしれない、ということを。
もっとも……これから数時間後に起こる、神界での出来事が、彼女を2つの意味で狂喜乱舞させることになった。
「ミカエルよ。そろそろどうだ? ワシと一夜を共にせんか?」
下半身が四足獣、上半身が人間、その頭にはヤギのような角。
牧羊神パーンだ。
ここは神界の片隅にある彼の神殿。
彼の前に片膝をつき、頭を下げているのは今日も呼び出されたミカエル。
彼女は内心うんざりとしながらも、表面上はいつも通りに振舞った。
「パーン様、私は一天使に過ぎません。貴方樣のような高貴な御方と一夜を過ごすということは恐れ多く……」
相手を煽てて、煙にまいてしまうのは既に彼女の常套手段。
彼女としてはできるものなら炎の神剣でもって、目の前のケダモノを天の火で焼いてしまいたいのだが、それはさすがにできない。今はまだ。
さて、ミカエルはこの1000年で多数の上級魔族を撃破した為、ルシフェルやメタトロンが予算審議会で陳情したこともあり、一応待遇の改善がなされた。
ただ、それはあくまで給料のみで1年で30万に上がった。
10倍に上がっても、全く彼女は嬉しくなかった。
無論、彼女としても上司であるメタトロンやルシフェルにセクハラに対する抗議を何百回もしている。
だが、 同じ熾天使で女のガブリエルからセクハラに対する抗議が全くないことと神界の足並みを乱すことに繋がるとしてメタトロンから我慢するように、と言われていた。
彼としても気苦労が多いのは彼女も知っている。
もし、神界にいるのがヤッさん関連の宗教のみであったなら、ミカエルへのセクハラはなかっただろう。
何しろ、セクハラをするような相手がいないのだから。
だが、現実はごちゃまぜ状態であるが故に、彼女は大きな苦労をしていた。
ミカエルはそろそろ我慢の限界に達していた。
数千年も我慢していた彼女は驚嘆に値する我慢強さだが、その分、キレたとき、恐ろしいことは想像に難くない。
「よいよい。ワシはそなたが良いのだ。全ての天使の中で最も強く、気高く、美しい」
「恐悦至極でございます。ですが、あくまで私は一天使ですので……」
そう言う彼女にパーンはその体を寄せ、その手でミカエルの顔を上げさせた。
「エメラルドのように美しい瞳だ。そなたのような女は1万年に1度いるかいないかだろう」
「ありがとうございます。ですが、あなたのような高貴な御方なら、きっと私よりも相応しい方がいらっしゃる筈です」
「いやいや、その謙虚なところもまた……戦場では恐ろしい強さで悪魔共を斬り払い、神界では可憐なその容姿で神々を魅了する……」
パーンはミカエルの横に腰を下ろし、その美しい黄金色の髪を撫でる。
「黄金のような髪だ。まさにそなたに相応しい」
そう言い、彼はゆっくりとミカエルの胸元に手を伸ばす。
彼女は拳を握りしめる。
まだ、後継者は育っていない。事を起こすにはまだ早い。
そう自分に言い聞かせる。
「ほぉ……見事な胸……実に良い感触だ」
胸を揉みしだかれるミカエルは屈辱に震える。
「天使は皆、処女と聞く。下の方も、さぞ心地良かろう」
パーンは何も言わないミカエルを同意した、と都合良く解釈し、彼女を押し倒した。
そして、素早く立ち上がり、自らの4本の足で彼女の体を押さえつける。
いやらしい笑みを浮かべたパーン、ミカエルの瞳に恐怖が走る。
「さすがのミカエルといえど、こちらの戦は初めてだろう。ワシがリードしてやるから安心せよ」
「嫌っ!」
ミカエルは咄嗟にパーンを振り払おうとするが、自らの神霊力を全て注いでいるのか、彼は小揺るぎもしない。
「恐怖に怯えるそなたもまた良い。では、頂くとしよう」
ゆっくりとパーンの手がミカエルの衣服へと伸びていく。
そして、彼がそれを破ろうとした瞬間……!
ミカエルは己の神霊力を全て使い、衝撃波を巻き起こした。
たまらず吹き飛ぶパーン。
だが、彼も神。
空中で体勢を立て直し、床に着地した。
そして、憤怒の形相で叫んだ。
「おのれミカエル! 神であるワシに刃向かうのか!」
その言葉でミカエルの堪忍袋はブチ切れた。
積もり積もった不満が、その口から一気に噴出した。
「いい加減にしろ! このクソジジイ! だいたい何で主の天使である私が他の神々の面倒までみなければならんのだ! お前達神々にとっては神界は天国かもしれんが、我々天使にとっては地獄だ!」
「なんだと……! 貴様は光を否定するというのか!」
「黙れ! 自らの地位を私利私欲に使うお前なんぞに言われたくない! そもそも今回の戦争も主とは関係ない武神達が引き起こしたもの! お前達なぞ消えてしまえ! 疫病神め!」
パーンの顔がこれ以上ない程、真っ赤に染まる。
彼はどこからともなく、シュリンクスと呼ばれる笛を取り出し、それを吹き鳴らした。
そして、彼は大声で叫び、念話を全方位に向けて発信する。
「天使ミカエルの反乱なり! であえ! であえ!」
「とりあえず貴様の首は頂いていく」
戦士として最高の冷静さを保ち、ミカエルが振るった剣は過たず、パーンの首をはね飛ばす。
それだけでは我慢ならん、と彼女は彼の体を自らの炎で持って焼いた。
これにより彼は呆気無く死んでしまった。
単なる牧羊神でしかない彼は他の神々と違い、神魔のバランスを保つ為の、魂の牢獄に入っていなかったのだ。
「豚が……というよりかヤギか。ようやく死んだか。同じヤギの角を持つアシュタロスの方が万倍マシとはどういうことか……」
そして、彼女は考える。どうしたものか、と。
もう神界にはいられない。
あと5分もしないうちに警備の天使が駆けつけてくるだろう。
……とりあえず地球に行き、そこからアシュタロスに助けを求めよう。
即断即決。
どうせなら手土産に、と彼女は神殿内にあるパーンの宝物庫へ赴き、そこからいくつかの金品を頂いていく。
彼女が神殿から出たとき、そこには既に無数の天使が蠢いていた。
「ミカエル様!? 先程、パーン様から反乱がどうとかの緊急通信が……」
1人の天使の言葉にミカエルはとても不思議そうな顔を作ってみせる。
そして、問いかけた。
「この私が弓引くと思うか? そういうプレイとやららしいぞ」
ミカエルとして彼女が築いたものは大きい。
その一言であっさりと天使の軍勢は引いてしまった。
パーンの好色はそれなりに有名であったからだ。
「……もう彼らは私の部下ではないのだな」
ぽつり、と呟いた彼女。
「まさか君が一番最初に堕ちるとは思ってもみなかったよ」
直後、横から聞こえた言葉に彼女はすぐさま神剣を抜き放ち、その声の主へと向ける。
向けられた方は両手を上げ、敵意が無いことをアピールする。
「まあ、パーンの好色については君からうんざりするほど愚痴を聞かされたからね。いいんじゃないかな?」
「……バアルゼブル、一応、それは問題発言だぞ。私が言うのも何だが」
そうだね、と朗らかに笑うバアルゼブル。
一転、彼は真面目な顔となり、彼女に告げる。
「逃走経路はここに。それとこっちはルシフェル様からアシュタロスへの手紙だ」
経路の書かれた紙と封筒を受け取り、彼女は軽く頷く。
そのとき、全身に痛みを感じた。
まるで体の中から引き裂かれていくような、強烈な痛みが。
「堕天が始まった。急ぐんだ」
バアルゼブルの言葉にミカエルは頷き、その痛みを無理矢理我慢し、走りだした。
空を飛べば簡単に見つかってしまう。
おまけに神殿周辺には警備上の理由から転移を妨害する結界が張られている。
故に、地を行くしかなかった。
結界の外に出てしまえばそこから一気に転移し、地球へ行ける。
堕天が終わった瞬間、神界にいる全ての者に魔族と認識されてしまう。
時間との戦いであった。
「さて、後始末は僕がしないとね。主に事の顛末を話して、神界の大粛清をしなくては」
彼女にちょっかいを出していた神々のリストは既に出来上がっている。
彼らも自分達が原因で戦争で武勲を上げ、熾天使の中でも有数の実力者であったミカエルが堕天してしまうという大失点となるとは思ってもみなかっただろう。
「最近の他の神々の暴走は目に余るよ。こういうのを腐敗した権力者と言うんだよね」
やれやれだ、と彼は溜息を吐き、その場を後にした。