ヘルマンは歓喜に震えていた。
つい先程、彼の下に届いたアシュレイからの叙任状。
戦争中ということもあり、とりあえず書面で、とテレジアが告げ、彼に渡していた。
そこには彼を伯爵とする旨が書かれていた。
さて、地獄政府についているアシュレイは大公爵。
その彼女は政府の要職にこそついていないが、叙任権を持っている。
すなわち、これによりヘルマンは地獄政府公認の伯爵となった。
「ああ、やっとだ。数千年掛けてやっと伯爵になれた」
ぐっと拳を握り締め、喜びをゆっくりと噛み締める。
「私も、随分強くなったものだ……」
自分で言うのもアレだが、彼は本当に強くなった。
最近のベアトリクスのシゴキではどうにか10分保つようになってきたのだ。
瞬殺されていた当初から比べれば大幅な進歩。
「だが、休暇というのはいささか頂けない。まだ、主であるアシュ様と共に戦場を駆けていない」
意見具申をしても殺されはしないだろう、と彼はアシュレイの執務室へと向かった。
アシュレイは執務室で考え事をしていた。
すなわち、神族との戦争で使う兵器はどんなものがいいか、だ。
ガンダムを持ってきても、光速で移動できる上位神族には太刀打ちできない。
ならば、どうにか対抗できるものを作り出すしかなかった。
「やっぱりイデオンか、イデオンなのか……」
自分と同等の、馬鹿みたいな力を持つ主神クラスに対抗するには馬鹿みたいなものをぶつけるしかない。
ううむ、と悩んだところで彼女は閃いた。
「究極の魔体を量産すればいいのよ!」
資源はある。資金もある。労働力もある。
ならば、やらない手はない。
「確か、主神クラスを撃破する為に作ったって言ってたし……」
そう呟きつつ、彼女は棚に置いてある資料を漁り、目的のものを見つけ出す。
彼女は机の上にそれを広げ、さらっと流し読みしていく。
「移動速度がネックね。まあ、移動できる砲台と考えればいけなくもないか」
要は数を揃えて面で制圧すればいいのだ。
たとえ光速で動けたとしても、隙間なく降り注ぐ砲弾を全て避けることはできない。
1発当たれば物理法則に従い、ほんの僅かに動きが止まる。
そこに追撃を加えればいいのだ。
「早速ベルフェゴールに造らせましょう」
ああ、部下に押し付けるって気持ちいい!
そんな気分でアシュレイはベルフェゴールに念話を送り、一緒に資料を彼女の下へ転移させた。
そのとき、ドアがノックされた。
アシュレイが許可を出せば、入ってきたのはヘルマン。
彼は帽子を取り、一礼する。
「アシュ様、実はお願いがあって参上いたしました」
「ん? 伯爵より勲章の方がよかった?」
「いえ、伯爵の件は実に有り難く存じます」
「じゃあ、何?」
「実はあなた様と共に戦場を駆けたい、と」
アシュレイはその言葉になるほど、と頷いた。
彼女は自分の部下と共に戦場で戦ったことはない。
というよりか、彼女が戦うと弱い連中が余波で消し飛んでしまう。
「そうね……あなたも強くなったし、今から暇だし、ちょっと2人でそこらの神族をボコしてきましょうか」
「は……?」
思わず、ヘルマンは目を丸くした。
2人でって、さすがにそれは危険なのでは、と彼は言いたかった。
だが、よくよく考えれば自分の主を倒せるような主神が出てきたら、こちらからも魔神や魔王がすぐに出てくる。
ならば、別に問題はなかった。
「アペプに今、念話で連絡したら許可を貰えたわ。それじゃ行きましょうか。ついでだから海王星を見に行きましょうか」
そんなわけで海王星見物も兼ねて神族をボコすことになった。
「宇宙に浮かぶブルーダイヤモンドみたいで綺麗ねー」
「はい、実に綺麗です」
宇宙空間なのに言葉が通じる2人。
魔族や神族はその声を空気の振動によって伝えるのではなく、自らの発する魔力を揺らして声を伝え合っているからだ。
「そういえば海王星の最大風速は2000kmなんですって。表面温度はマイナス218度でとても涼しそうね」
「そうですな……我々魔族にとってはリゾート地には持ってこいかもしれません」
「それに海王星の奥深くにはダイヤモンドがあるって聞いたことがあるわ」
「……リゾート地兼採掘場を作りますか?」
「作らない理由はないわ。夏の避暑地には持ってこいの場所。ただ、風速がちょっとアレだから、スカートが常時捲れちゃうわね……もうちょっと落とさせるか」
するとアシュレイは自らの手元に魔法陣を描いた。
そして、それを海王星目がけて放り投げた。
魔法陣はぐんぐん大きくなり、やがて海王星そのものを覆った。
「風よおさまれ」
彼女がちょっと気合を込めて、念じればそれは結果として現れる。
自然現象すらもねじ曲げてしまう、それこそが魔族にとっての魔法。
ヘルマンは敵である神族が神霊力を使い、奇跡を起こしたのは目の当たりにしている。
だが、自分の主が魔法を使っているところを見たのはこれが初めてだ。
基本、神族の奇跡も魔族の魔法も同じものであり、呼び方が違うだけだが……魔王クラスのアシュレイの魔法はまさに圧巻であった。
「さすがはアシュ様です」
心からの賛辞を彼は述べた。
「ま、これくらい軽い軽い。さて、そろそろ来るころかしら」
彼女はそう呟き、後ろを振り返った。
ヘルマンも同じように後ろを向く。
待っていたかのように空間が避け、神々しい光と共に彼らはやってきた。
「正義! 正義! 神ノ正義ヲォオオオオ!」
逝っちゃった目をした天使達がわらわらと湧き出してきた。
「大天使と天使……雑魚ですな」
「マトモな頭を持ってないのよね。大天使の中で上位になるとマトモになるんだけど……」
「ただの哨戒部隊でしょう」
「まあ、軽くやりましょうか」
2人に向かってくる天使の軍勢。
その数400体ほど。
人間であれば絶望的な戦いを強いられるレベルだが、アシュレイにとっては蟻を踏み潰すのと対して変わりはない。
アシュレイは腕を振るう。
巻き起こる衝撃波。
それは容赦なく天使に襲いかかり、先頭にいた数十体の天使達が永久原子ごと輪切りとなった。
「お見事。では、私も」
彼は拳を前に突き出した。
光の速さで……というようなレベルではさすがにないが、それでも結構な速さで数体の天使を撃ちぬいた。
撃ちぬかれた天使は粒子となって消えていく。
「悪魔パンチ? だったっけ?」
「よくご存知で」
「ベアトリクスがネーミングセンスないって言ってた」
鋭い一撃にヘルマンは崩れ落ちそうになった。
思わぬ伏兵だが、彼はへこたれない。
「私も何か技開発しようかなー」
ヘルマンの悪魔パンチを真似てアシュレイが拳を前に突き出した。
彼のパンチによって出るのが魔力の弾丸なら、アシュレイのそれはもはや巨大なレーザー砲であった。
残っていた天使達を一瞬で全て包みこみ、光が消えた後には塵一つ残っていなかった。
「強すぎるのも問題ですな……」
ヘルマンは呆れた顔で告げた。
「まぁね。私とタメ張れるのは主神クラスだし」
「さすがはアシュ様」
もはやヘルマンは強さの次元が違い過ぎてそう言うしかなかった。
主神クラスとは言うまでもなく、それぞれの神話に出てくる神々のことだ。
つまり、将来的には人間達の中で話題となるような有名どころとガチンコバトルができちゃうレベルなのであった。
「む」
ヘルマンは感じ取った。
先ほどとは比較にならない程の強大な力を。
今の自分を以てしても、一筋縄ではいかないことを直感した。
しかし、その力の持ち主をアシュレイは知っていた。
「あー、来たわね。金髪褐色翠眼巨乳娘」
「……えらい具体的ですな」
「一応、知り合いだもの」
「はぁ……アシュ様も意外と謎な方ですなぁ……」
「女は秘密があればあるほどいいって誰かが言ってた」
そんな雑談をしている間に、彼女はやってきた。
先ほどの天使が降臨したときよりも神々しい光。
周囲に溢れる神聖な気。
3対6枚の白翼を持ち、腰に神剣を吊り。
その凛々しい眼差しは2人の魔族をじっと見つめていた。
「み、ミカエル!?」
思わぬ大物にヘルマンが動揺する。
さしもの彼も、開戦以降、数多の魔族を屠っているミカエルの登場に驚かないわけがなかった。
そんな彼とは裏腹にアシュレイは親しげに手を上げる。
「やぁ、久しぶりね」
「……ああ、久しぶりだな。魔神アシュタロス……そう呼べばよかったかな?」
「あら、覚えていてくれたのね」
わーい、と喜ぶアシュレイにヘルマンはミカエルとアシュレイへ視線を交互にやる。
彼にはどんな繋がりがあるのか、さっぱりわからなかった。
「アシュタロスの名は一応広めてある。ちなみに私は今日が有給休暇明けの初出勤だ」
「……何年休んでるのよ」
ジト目で見つめるアシュレイにミカエルはふっと笑う。
「溜まりに溜まっていたものを消化したまでだ。ついでに何故かガブリエルも休んだせいで、ウリエルが怒髪天を衝く勢いであったのだが、まあそこはいい」
「ウリエルって男?」
「男だ。真面目で妹思いのな」
「妹について詳しく」
「アムラエル……と言ったかな。力天使だ」
「神界に行って天使全部お持ち帰りしていい?」
「駄目だ。というか、あなたは性格が若干変わっていないか? 前に会ったときはもっとこう、真面目というか凛々しいというか、そういう感じであったのだが」
「ああ、それはソドムとゴモラに関してのみよ。こっちが普段の私」
なるほど、と頷くミカエル。
話が途切れたのを見計らい、ヘルマンは恐る恐る口を開いた。
「アシュ様、いったいどういう関係なのですか?」
「ソドムとゴモラを焼き払った張本人よ」
瞬間、ヘルマンは魔力を全身に漲らせ、戦闘体勢を取る。
彼もまたアシュレイがソドムとゴモラをどれだけ大切にしていたかを知っていた。
例え勝てずとも、主の仇であるミカエルに一矢報いねばならなかった。
しかし、その決意はアシュレイによって止められることになった。
「落ち着きなさい。一応、和解しているから」
アシュレイの言葉にヘルマンはミカエルを睨みつつも、戦闘体勢を解いた。
それを見、ミカエルは感心したように告げた。
「良い部下を持っているのだな。羨ましい限りだ」
「あなたの部下はもうちょっとお勉強した方がいいんじゃないの?」
「……まあ、天使も様々なのでな。一応、私は大天使の長だが、大天使の中でマトモに会話ができるのは半分程度だ」
「そっちも大変なのね」
「ああ……特に好色な神が……ああ、ゼウスじゃないぞ。それ以外にもいてな……私を事あるごとに呼び出してはセクハラをしてきて……休暇中だというのに全く……」
「その神の名前、教えなさいよ。私が潰してあげる」
アシュレイでも、他人の部下に手を出してはいない。
将来的に出す可能性はあるが、ともあれ、それでもそれなりに雰囲気とかを考える。
ミカエルはアシュレイに対して告げる。
「牧羊神パーンというクソジジイ……失礼。ともあれ、そういう名だ」
「了解したわ。戦場に出してくれれば殺る」
そんな物騒な会話にヘルマンはおずおずと口を出した。
「一応、敵同士なのだが……それは利敵行為にあたるのでは?」
そんな彼にミカエルは答えた。
「無能な味方は有能な敵よりも恐ろしい。こっちで処理できないからな」
「……そちらも大変なのだな」
思わず同情してしまうヘルマンであった。
「魔族のように力こそ正義。強いものが偉い、というシンプルな構造ではなく、面倒くさい政争とかがあってな……」
長い溜息を吐くミカエル。
そんな彼女にアシュレイは提案してみる。
「ねぇ、私んとこにこない? あなたみたいな可愛い子だったら大歓迎なのだけども」
ミカエルはまじまじとアシュレイの顔を見つめた。
「……堂々と熾天使に堕天を勧める魔神なんぞ、初めて見たぞ」
「だって、ミカエル欲しいんだもんー」
「いや、それは嬉しいが、私が抜けたら……」
抜けたらどうなるだろう、と彼女は考えた。
彼女にもルシフェルから、あの計画について聞いている。
しばらく考えさせて欲しい、と保留にしてもらっているが……
ミカエルは思考する。
メリットとしては煩わしい政争や口うるさい他の神々、セクハラに振り回されなくなる。
デメリットとしては堕天したことで主の加護を失い、神界の戦力がちょっとだけ低下する。
精神衛生上から考えるとメリットの方が大きい……
今まで散々色々我慢したのだから、もういい加減自由にしてもいいだろう。
主には悪いが、そもそも主も「自分のやりたいようにやったらええでー」と常日頃から言っていたではないか。
ガブリエル達には悪いが、他に問題はない。
「後継者を作っておけば問題ないか……」
「そうよ。後継者がいればいいのよ。あ、でもその白い翼が黒く染まるのはちょっと勿体無いわ」
「まあ、そこはしょうがないな。ところで待遇は?」
「仕事は軍団の指揮くらい。衣食住付き。給料欲しいならあげるし、事務仕事がいいならそっちに回す……まあ、かなり自由よ」
「天国に思えてきたな。神界も事務と現場に分かれているが、偉くなるとどっちもやらないといけなくて……」
「ちなみに休みたいときに休んでいいわよ? 今日仕事めんどくせーって思ったら、私に直接連絡すれば休んでいいもの」
「堕天する。絶対する。もう少し待ってくれ。後継者を速攻で育てる」
「天使の制度は知らないのだけど、あなたが堕天したら熾天使としてのミカエルはどうなるの?」
「ああ、その点は問題ない。ミカエルも一種の役職名なのだ。私の本当の名は別にあってな。後継者にミカエルを継がせればいい。ああ、ようやく私ものんびりとした生活を送ることができるのか……!」
「……そんなに労働条件悪いの?」
アシュレイの問いにミカエルは頷いた。
そして、彼女は語りだした。
その酷さを。
「天使は主の召使に過ぎない。それはまだいい。主は尊い御方だ。だが、我々は同時に神界における全ての神に使いっ走りにさせられる。なぜなら、我々天使が最も数が多いからだ」
「有給休暇とかあるんじゃない。あなた、取ったでしょ?」
「数百万年程、休みなく働き、力をつけて熾天使となってようやく有給休暇が取れるようになるのがいいのならばな」
さすがのアシュレイも黙ってしまった。
そして、ヘルマンは労働条件の悪さに頭を抱えてしまった。
彼がアシュレイの軍に入った当初でも、毎日8時間労働であった。
「おまけに肉体的疲労もなく、食事もいらないから、休み時間すらないのだぞ? 毎日24時間全て働きっぱなしだ」
「給料がいいとかそういうオチが……」
アシュレイの言葉にミカエルは自嘲的な笑みを浮かべた。
「私の給料ではとてもではないが、何もすることができない」
そういう彼女にアシュレイは具体的に聞いてみた。
そして、聞かなければよかった、と後悔した。
現代日本の通貨に換算して、ミカエルの手取りは3万円。
それも寿命の無い種族であるから年俸制。そう、1年で3万円だ。
何もできないから、働くしかない。
数百万年働いてようやく数千万円貯まるのだ。
「神界も予算があってな。一番数が多く、使い捨てにできる我々天使の給料にしわ寄せがきている」
他にも、とミカエルは語る。
自分よりも力が弱いのにやたらとプライドが高い神の機嫌をとらないといけないとか、セクハラしてくる神がいたりとか、機嫌が悪いからと気晴らしに攻撃してくる神がいるとか。
「神々にレイプされたりとかは……?」
「それはまだない。だが、危なかったことは何度も」
「アシュレイはあなたを必要としている。いくらでも好きなだけ給料を払おう! だから、是非来てください」
ぺこり、と彼女はミカエルに頭を下げた。
それを見て、ミカエルは思う。
彼女ならきっとストレスのない生活を送れそうだ、と。
そして、彼女はルシフェル様の計画にも乗ろう、と決めたのであった。
アシュレイはとんでもない偉業を達成しつつあるのだが、それはまだヘルマンしか知らない。
彼はさりげなく歴史の転換点を目撃した重要な証人となった。
その後、地獄に帰還したヘルマンは同僚にこう言って回った。
アシュ様は偉大な御方だ。ついていけば絶対に間違いはない、と。