さよならは言わない

 

 ベルフェゴールを引き入れて現実時間でおよそ2000年が経過していた。
 相も変わらず、飽きることなく神族と魔族はドンパチを繰り広げ、その間、地球の人類はヤッさんへの信仰を広め、異教の神を悪魔と断じていく。
 ある程度広まったところで、地理的な理由からその広がりを止めた。
 さすがに全世界へと広まるにはこの時代の交通手段では荷が重すぎた。

 そして、地獄ではアシュレイの城も完成し、彼女は加速空間から城へとその拠点を移すことになった。
 余りにも絢爛豪華であることから観光名所として上位魔族達の間で有名になったのは誤算であった。
 しかし、しっかりと見物料や土産を買わせるアシュレイは転んでもタダでは起きなかった。
 ただ、悲しいこともあった。
 アシュタロスがアシュレイの家庭教師の役目を終えてしまい、元の世界に帰らなければならなくなったのだ。
 既にアシュレイとアシュタロスの世界は一応は関連性が失われていることから、戻ってしまえば再び来ることや、連絡を取ることは極めて困難。
 連絡一つするにしても、異世界への干渉となるので神魔の最高指導者に許可を取らねばならないし、準備時間も多く必要となる。
 なお、逆天号はアシュタロスが改良版を元の世界で造るとのことで、こっちの世界にそのまま置いていってしまった。

 ともあれ、城の建設開始段階で僅かな時間しか彼には猶予がなかった。そこから更に1000年も粘った彼を責めることはできなかった。





 そして、アシュレイは火星の異世界にいた。
 
「懐かしい……」

 彼女は思い返す。
 初めて火星に降り立ち、アシュタロスとかき氷を食べたときを。
 コスモプロセッサを使い、世界を創造しながら雑談したことを。

「感傷に浸ってる場合じゃないわね。私もやることが多いから、さっさと済ませないと」

 アシュレイは気分を切り替えて、アシュタロスから譲り受けた鍵をコスモプロセッサに挿し込む。
 この鍵を挿し込み、そして魔力を流して起動となる。
 無論、魔力には認証機能があり、アシュタロスから譲り受けた時点でアシュレイのものしか受け付けないようになっていた。

「コスモプロセッサをいつまでもこんな洞窟に置いておくわけにはいかないし……」

 火星極冠にあったこれも、異界の中に当然取り込まれた。
 とりあえず、とコスモプロセッサを洞窟に移動させ、その上から十重二十重の結界を張ってあったのだ。
 今回、アシュレイがやってきたのはコスモプロセッサの守護者を作るため。

 彼女は鍵盤を叩き、創造する。
 エルフ、獣人他様々な種族がいる中で、唯一作っていなかった人間を守護者にチョイスする。
 もし既存の種族にすれば摩擦が生まれ、対立が起きてしまう可能性があるからだ。

「はい、完了と」

 そう告げた彼女。
 その横には小柄な少女が裸で立っていた。
 彼女はアシュレイを認識すると、ゆっくりと跪いた。
 既に創造段階で必要となる知識を全て頭に入れてあり、説明する必要はない。
 少女の姿で創ったのはそうした方が侵入者が油断するからであった。

「あなたの名は……そうね、アマテルよ。空でこれを守護しなさい」
「はい……アシュ様」
「ちなみに天照大御神って神がいるけど、そこから取ってるから。天空にいるんだから、ちょうどいいもの」

 アマテルは何も言わない。
 もし、有難き幸せとでも言おうものなら悪魔であるアシュレイにとって皮肉となってしまうからだ。

「さて、あなたの国を創る前に……あなたを頂こう」
「存分にご堪能くださいませ」

 何年経っても、やはりアシュレイはアシュレイであった。
 彼女はその後、アマテルの国を創り、コスモプロセッサを安置する為の場所を創り、帰還した。









「アシュ様! ご報告します!」

 帰還したアシュレイを待ち構えていたのはベアトリクス。
 彼女は何だか晴れ晴れとした表情だ。
 我が世の春がきた、と言わんばかりの。
 ベアトリクスは冥王星付近で軍団を率いて神族と戦っていたのだが……その表情からアシュレイは勝利を容易に察することができた。
 この戦闘はアシュレイの軍団のみが参加した戦闘。
 つまり、単独で神族の軍勢を撃破する、というアシュレイにとってもベアトリクスにとっても夢であったことがようやく叶ったのだ。

「どうかしたの? ベアトリクス」
「先の戦闘において神族に対して我が軍は大打撃を与えました!」

 アシュレイは思わぬ戦果報告に万歳してしまった。
 ベアトリクスもつられて万歳。
 そんな感じで万歳三唱した後、アシュレイは興奮気味に彼女に問いかける。

「どんな感じだったの?」
「上級神族を含む、およそ20万に対し、我が軍は4個軍団、200万を投入し、敵軍を殲滅しました!」
「今日は勝利記念パーティーよ!」

 再び万歳するアシュレイにベアトリクスは若干声のトーンを落として告げる。

「ちなみに被害は80万です」
「あーあーきこえなーい。補充なんぞ幾らでもいるから問題ないわ」

 スキップし始めたアシュレイに更に朗報が舞い込んできた。

「アシュ様!」

 興奮気味にやってきたシルヴィア。
 彼女は太陽系の外で軍団を率いて戦っていた。

「我が軍は上級神族を多数含むおよそ50万の敵軍を殲滅しました!」
「ああもうシルヴィア大好きぃいいいい!」

 シルヴィアの大きな胸に抱きついて顔を埋めるアシュレイ。
 そんな彼女を優しく抱きしめ、シルヴィアは続けて言った。

「なお、投入した6個軍団300万のうち、戦死者はおよそ250万です」
「聞こえない聞こえない。代わりなんぞいくらでもいる。赤紙だけで兵力なんぞ簡単に集まるわ」

 そう言って、アシュレイはシルヴィアの下半身へと手を伸ばしつつ、ベアトリクスに尋ねた。

「ところで予備兵力は?」
「1200万です」
「軍団に所属していないわよね?」
「勿論です」
「なら問題ないわ。あと、今回の戦で活躍した連中に勲章でも与えておきなさい」
「はい、アシュ様。それとヘルマンですが……まだしぶとく生きてます」

 アシュレイの手が止まった。
 シルヴィアはもう少しで大事なところに当たりそうなアシュレイの手を名残惜しそうに見た。

「……彼、もう上級魔族クラスよね? 何か凄いレベルアップしてると思うんだけども」
「はい、アシュ様。この間の魔力診断では中級魔族の枠から既に飛び出しています」
「確か、彼は私の軍に入って以降は伯爵を名乗っていなかったよね?」
「はい。一兵卒として功績を認めて、アシュ様に爵位を頂きたい、と……当時は見上げた忠誠だと感心した覚えがあります」
「なら、伯爵を彼に授けるわ。もう十分活躍したし、しばらく彼は休暇よ」
「では、そのように……あの、アシュ様……私も……」

 最後の最後でおねだりするベアトリクス。
 アシュレイは勿論、異論などなく。

「久しぶりに3人でやりましょうか……!」









 シルヴィアとベアトリクスとその場で致した後、アシュレイは自室に戻っていた。
 彼女を部屋で出迎えたのはリリスとリリム。
 加速空間での時間も考えれば既に億単位の年月を共に過ごしていた。
 言うまでもないが、アシュレイを含め、年齢について触れるとハルマゲドンよりも恐ろしい事態になる。

 アシュレイはいつもの黒いワンピース姿のまま、ベッドの上に仰向けになった。
 そんな彼女に集る淫魔2匹。
 アシュレイは与えられる快楽に心地良さを感じつつ、これからどうしたもんか、と考える。

 軍団の強化についてはひとまず置いておくとして……問題は闇の福音計画だ。
 2000年前から凍結されていたこの計画はアシュレイが人間界に行って人間を探すのが面倒くさいという理由でずっと凍結されたまま。
 無論、ソドムとゴモラの末裔に関しては探させているが、やはり眷属にする者は自らの手で探さなければならなかった。
 そして、ソドムとゴモラの末裔探しも、目印なんぞないことから大海にいるメダカを探すよりももっと難しいものとなっている。
 何よりも、捜索にあたっている魔族は戦場に出されないことから、捜索班がサボっていたことまで発覚していた。

「んっ……まあ、アレができればそういうのも解決する……」

 アシュレイが呟くが、リリスもリリムもそれに何かを言うということはしない。
 彼女達は今、アシュレイの体を味わうので夢中であった。

「とりあえず、エナベラの子孫だけでも……探したいわ……」

 闇の福音計画と同時進行でエナベラの子孫を探そう、と決意する彼女。
 一通り、考えが纏まった彼女はゆっくりと瞼を閉じた。













「すまない、アシュレイ」

 その言葉は唐突であった。
 アシュレイの城の落成記念パーティーにて、アシュタロスはテラスに呼び出し、彼女に謝った。

「どうかしたの? 浮かない顔で」

 ワイングラス片手に尋ねてきた彼女に対し、彼は告げた。

「私はそろそろ元の世界に戻らねばならない」
「え……?」

 アシュレイはその言葉を理解できなかった。
 会った当初は先生、今ではいなくてはならない存在。
 そんな彼の別れの言葉を、彼女は理解できなかった。

「だって、家庭教師の期間はまだ残っているのでしょう!? 最後なんてマトモに教えてもらってないじゃない!」
「だが、それらは既に済んでいる筈だ。前にも言ったように、君はもはや私と同じかそれ以上だと」
「でも、オーバーしても落成まで頑張ってくれたじゃないの!」
「逆さ。そこまで私は粘ったのだよ。そろそろ戻らねば私は世界により強制的に戻されてしまう。今、向こうでの私は魂の牢獄による復活の為に一時的に死んでいる状態だ」
「ならばなぜ、様々な資料や逆天号なんかを持ってこれたの?」
「裏技があってね。魂そのものに仕込んでおいたのさ」

 そして、彼は懐から3つの瓶を取り出した。
 それに入っている淡く発光しているモノ。

「霊基構造? 誰の?」
「私が向こうで創った3人の使い魔、もはや娘と言ってもいい……ルシオラ、ベスパ、パピリオのものだ」

 彼は瓶をアシュレイに手渡した。
 受け取った彼女は首を傾げている。

「アシュタロスとは過去と未来を見通す者でもある。君は勿論、私もまた未来が視える。夢という形でな。未来を見たい、と思えば見れるもので、滅多に使わないが、久々に昨日使ってしまったよ」

 そこでアシュタロスは語った。
 自らが辿るだろう未来を。
 そして、1人の少年と自らの娘ともいえる使い魔の悲劇の別れを。
 彼は自分が死んだ後、アシュレイにその娘を蘇らせて欲しい、と頼んだ。
 
 計画ではコスモプロセッサにより、一時的に彼女が全ての次元で唯一のアシュタロスとなり、彼の世界ともまた繋がる。
 そして、彼の世界とアシュレイの世界は無理矢理平行世界とされる。
 それは一時的なものではない。
 世界システムの改変……すなわち、世界の中身を弄るのではなく、世界同士の共通点を見つけてくっつけるだけなので、世界による修正力も働かない。
 そして、平行世界であれば自由に行き来できるのが魔神や魔王であった。



「私は解放される。唯一の心残りは君の行く末を見れなかったこと。君の未来はまだ見えない。おそらく、ここが異世界であるからだろう」

 アシュレイはワイングラスを取り落としてしまった。
 割れる音がどこか遠くに聞こえる。

「嫌よ! 嫌! 絶対嫌! やっぱりあなたの自殺はおかしい!」

 アシュレイは恥も外聞もなく、アシュタロスの胸に顔を埋め、手で彼の体を叩いた。
 そんな彼女に彼は苦笑し、その頭に手を乗せ、ゆっくりと撫でる。

 そういえばこういう風にしたことはこれが初めてだな、と彼は気づいた。
 そして、自分の娘にはこうしてあげよう、と心に決めた。

「有史以前に神として崇拝され、いつしか悪魔となり、ずっと守るべき存在である人間と敵対し続け、人間に貶され……」

 彼はそう言いつつも、撫でる手を止めない。

「そろそろ、私を休ませてはくれないか?」

 彼の問いかけに彼女は彼の胸から顔を上げた。
 その目にいっぱいの涙を溜めて。

「それではあなたが救われない!」
「仕方ないことさ。君も知っている通り、光の者が闇に落ちることはあるが、その反対は無い」
「それなら私と共にいればいい! あなたが余計なことを考えないくらいにこき使ってあげる!」

 その言葉にアシュタロスは驚いたように目を丸くし、ついで穏やかな笑みを浮かべた。

「それは確かに嬉しい。君がそんなことを言うなんて……だが、先に言った通り、私は一時的に死んだ状態だ。これ以上、長引いてしまうと世界により強制的に蘇生されてしまう」
「強制的に蘇生されると……どうなるの?」

 アシュレイとしても分かっていた。
 だが、それでも彼女は問いかけた。

「私はずっと暗闇の世界にいたという風にされる。つまり、君と過ごした記憶が消されてしまう」
「コスモプロセッサなら……!」

 一縷の望みをかけ、彼女は問いかけた。
 だが、彼は首を横に振る。

「君も知っているだろう? システムそのものに手を加えることはできない、と。私をこちらの世界の存在にするということは世界を直接改変するということになる。こちらの世界も私の世界も、それを容認しないだろう……必ず失敗する」

 彼の言葉にアシュレイは泣きじゃくった。
 いつもの妙に自信に満ちた彼女の姿は泣く、まるで子供のように。
 そんな彼女を見て、アシュタロスは自分も変わったな、と今更ながらに感じた。
 かつての彼ならばこのような態度は取らなかっただろう。
 だが、今では寂しさや不安を感じている。
 自分がいなくても、アシュレイはうまくやっていけるだろうか、という不安。

 そして、彼は気がついた。

「まるで親子だな……」

 言葉に出し、彼は苦笑した。

 彼女は相変わらず大声で泣いている。
 幸いにも結界を張ってあるので、その声は洩れないし、他の者からは姿さえ見えないだろう。
 アシュタロスは屈み、アシュレイと同じ視線となり、彼女の両肩を掴み、自らの目を見させる。
 彼女の声が止まり、涙だけがただ流れている。

「アシュレイ、君はよく頑張った。胸を張れ。君は私の自慢の……」

 アシュタロスは僅かな躊躇の後、告げた。

「生徒であり、娘だ」

 彼はアシュレイの小柄な体を抱きしめた。

「あしゅ、たろ……す……」

 ひっくひっくとしゃくりあげながら、彼の背中に手を回す。

「お、おとうさんみたいだった。なんか、へんだけど……おとうさんみたいだった」

 その言葉に彼は目を閉じ、優しく告げた。

「……そうか……ありがとう……!」





 
 それから数分、2人は抱きしめ合っていたが、やがてゆっくりと離れた。
 アシュレイはゴシゴシと服の裾で涙を拭った。
 いつも紅い瞳がより紅いのは気のせいではない。

 彼女はアシュタロスをまっすぐに見据えた。

「アシュタロス」
「何かね?」
「絶対にまた会いましょう」

 アシュタロスは微笑んだ。

「ああ、今度は普通の人間か、弱い魔族として君の下でこき使われるのも悪くないな」
「給料は出さないから安心して」
「……安心できないな、それは」

 そして2人は笑い合う。

「それでは行ってくるよ。ちょっと世界に戦いを挑んでくる」
「ええ、いってらっしゃい。私はあなたを超えてるけど、もっと凄くなる。私の魔力だけで、世界を改変できるくらいに」
「造物主にでもなるつもりかね?」
「限定的に、修正力が働かない程度に改変するだけだから問題ないわ」
「そこは造物主になる、と言うところではないかね?」
「嫌よ。魔王っていう肩書きの方がカッコイイもの」

 アシュタロスはくつくつと笑い、彼女に背を向けた。
 アシュレイが見たその背中は大きかった。

「ではな。また会おう」
「ええ、またね、アシュタロス」

 そして、アシュタロスはこの世界から消えた。












「アシュ様……! アシュ様!」

 その声にゆっくりと瞼を開ければリリスとリリムの心配そうな顔が飛び込んできた。

「どうかしたの?」

 ゆっくりとアシュレイは体を起こす。

「涙が……」

 リリムの言葉にアシュレイは涙が頬を伝っている事に気がついた。

「何か、嫌な夢でも見たの……?」

 リリスの気遣いにアシュレイは首を横に振る。

「とても、楽しい夢だったわ」

 アシュタロスが元の世界に帰ったとしかアシュレイはテレジア達に伝えていない。
 リリスとリリムは主人の言葉に首を傾げたものの、何だかアシュレイが元気一杯なので気にしないことにしたのであった。

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