「はぁい」
アシュレイは元気良く声を掛けた。
掛けられた側は生気のない瞳を彼女に向ける。
「こんな洞窟にいたなんて……道理で見つからないわけね」
アシュレイはやれやれ、と肩を竦めてみせる。
ここは地獄の第一層辺獄。
アシュレイが長年探していた相手はこの辺獄の端っこにある山岳地帯の洞窟にいたのだ。
「……何の用?」
蚊の鳴くような声。
悪魔として地獄に堕とされた彼女はもう何もやる気が無かった。
ただ、この洞窟で石のように座ったまま動かず、静かに時を過ごす。
それが彼女の余生であった。
「私はあなたを必要としている。バアル・ペオル」
その名に微かに彼女の体が動いた。
「……もう私は神ではない。人間達の信仰を失い、悪魔とされた」
「ベルフェゴールと呼んだ方がよかったかしら?」
彼女はアシュレイを睨みつける。
バアル・ペオルは彼女が神であったときの名前、悪魔となった今ではベルフェゴール。
「悪いけど、完全に悪魔になったのはあなただけじゃないの」
アシュレイは何故か胸を張り、不敵に笑う。
「モアブの地の女神よ。我が名はイシュタル」
ベルフェゴールの目が大きく見開かれた。
彼女もまた知っていた。
ソドムとゴモラをはじめ、広く信仰された豊穣の女神、イシュタルを。
「イシュタルが、私に何の?」
彼女は先ほどよりもハッキリとした声で問いかけた。
「あなたが欲しい」
アシュレイはそう告げ、ベルフェゴールの隣に座る。
そして、彼女はベルフェゴールの長く、茶色の髪を触り、その感触を楽しむ。
ベルフェゴールはそれを拒絶することはできなかった。
なぜならば、彼女はアシュレイの言葉を何度も反芻していたからだ。
悪魔となった彼女を求める者は今まで誰もいなかった。
誰からも求められなかった彼女はこのまま永遠に、薄暗い洞窟で時を過ごそうと決めていた。
神や悪魔とて感情が存在する。
寂しくない訳がないのだ。
孤独に押し潰されて、絶望の淵にあった彼女。
そんな彼女にストレートに欲しいなどと言ってしまったアシュレイ。
最高の口説き文句だろう。
「イシュタル……さま」
じーっとその紅い瞳でアシュレイを見つめ、呟くようにその名を呼ぶベルフェゴール。
「今の私はアシュレイ。そろそろアシュタロスになるわ。ま、好きに呼んで」
「……アシュ様」
まぁいいか、とアシュレイは思い、とりあえずベルフェゴールの胸元を見る。
ディアナ程ではないがそれなりに大きい胸。
とりあえず落とせたっぽいから、手を出していいよね、問題ないね。
そう心で呟き、アシュレイは言ってみた、
「ねぇ、ベルフェゴール。あなた、長いことココに1人でいたんだから、他人の温もりを忘れているんじゃなくて?」
彼女の美しい顔に手をやり、耳元で囁くアシュレイ。
ベルフェゴールは背筋がぞくぞくした。
それは期待であった。
彼女は理知的な女神であったが、同時に放埒な性も司っていた。
早い話が、アシュレイと同じで好き者なのだ。
「アシュ様……あなたが、私を欲しいと言ってくださって、私……火照ってしまいました……鎮めてください。私の体を……」
期待に染まった目で自分を見つめるベルフェゴールにアシュレイは実感した。
ベルフェゴールを見つけてよかった、と。
「あら、あらあらあら」
ベルフェゴールと1戦どころか、10連戦した後、彼女はベルフェゴールと共に加速空間へと帰還した。
そこで出迎えたディアナにアシュレイはあることに気がついた。
「ディアナ、化粧しているのね」
主にすぐに気づいてもらえ、ディアナは嬉しそうに笑みを浮かべる。
面白くないのはベルフェゴール。
新参者という立場など知ったことかとディアナに敵意の篭った視線を向ける。
それに気がついたディアナは鼻で笑い、その大きな胸を強調してみせる。
女として負けるわけにはいかないベルフェゴールもまたその胸を強調する。
アシュレイを無視して、女の意地を懸けた戦闘が始まるかと思いきや、そんなことなかった。
なぜならば……
「あっ」
「あんっ」
無視されたアシュレイが2人の胸をそれぞれ鷲掴みにしたからだ。
しかも、無駄に凄いテクニックで揉みしだき始める。
「皆を交えたベッドの上で歓迎会をするしかないわ……」
手っ取り早く仲良くなるにはそれが一番、とアシュレイは付け加えた。
「ともあれ、ディアナ、この子がベルフェゴール。あなたが先輩なんだから、仲良くしなさい。しないと……」
言葉に出さず、念話で告げる。
1年間、抱かない、と。
「ベルフェゴールも、もっと友好的にしないと駄目。仲良くしないと……」
こっちもまたアシュレイは同じように抱かない、と念話で告げる。
2人共それはとても嫌であった。
故にアシュレイが胸から手を放した後、表面的には仲良く握手する。
だが、アシュレイにそんな小芝居が通じるわけがない。
やれやれ、と溜息を吐き、彼女はとりあえずディアナを押し倒した。
自らもディアナの上に覆いかぶさり、突然のことにポカンとしているベルフェゴールに顔を向ける。
「ヤるから、あなたも混ざりなさい。生やせるでしょ?」
ベルフェゴールは何度も首を縦に振り、2人に近づいたのであった。
時間は進み、加速空間で数十年の月日が経過していた。
ベルフェゴールはアシュレイ主催のベッドの上での歓迎会により、テレジア以下のメンバーともそれなりに友好的な関係を築くことに成功した。
今日はどうしようかなー、と大人形態のエシュタルの膝の上に座って考えていたアシュレイ。
そんな彼女の下にニジがやってきた。
「ベルフェゴール様、とんでもないポヨ」
開口一番、彼女はそう告げた。
基本、自分より力の強い魔族には様付けのニジ。
そんな彼女は新しく入ってきたベルフェゴールの凄さを目の当たりにしていた。
ニジが所属しているのは研究開発部門。
世界についての研究を始めとして、様々なことをやっている部門だ。
「どうかしたの?」
「下級魔族や中級魔族による人海戦術をやるポヨね?」
「うん。今、だいたい200万くらい集まったみたいよ」
「その200万の魔族達に素手で突撃させるよりも、何か武器を持たせた方がいいと彼女は言って……」
ニジはポケットから図面を取り出した。
それをアシュレイは受け取り、思わず衝撃を受けた。
「これ、銃よね? いいの? ハルマゲドンに銃なんて」
「まあ、向こうも宇宙戦艦とか繰り出してきてるらしいポヨ。いいんじゃないポヨか?」
ニジの言う、宇宙戦艦とは先のアシュレイとの戦闘やこれまでの戦闘で上位悪魔に手も足も出なかった下級神族や中級神族に何とか戦力になってもらおう、と神界が投入し始めたフネだ。
そのフネはどう見てもSFアニメに出てくるような宇宙戦艦であった。
「はっはっは! そういうのならば任せてくれたまえ!」
そんな声と共に彼は颯爽と登場した。
「助けて! アシュえもーん!」
「ハハハ、しょうがないなぁアシュレイくんは……」
エシュタルの膝から立ち上がって叫ぶアシュレイにそう答えるアシュタロス。
こんなこともあろうかと、を地で行っているアシュタロスだ。
彼への期待は大きい。
「というか、いいの? 工事ほったらかして」
「私は休憩さ。ドグラがやってくれている」
「ならば問題ないわね」
「で、逆天号とかどうだろうか?」
アシュタロスがどこからともなく取り出した写真。
それに写った巨大なカブトムシ。
「これに搭載されている断末魔砲は上級神族すら撃破できる!」
「見た目が嫌」
「ならばこっちだ! とある世界では王族のみが使用できる聖王のゆりかご! 月の魔力を使用すれば上級神族をも撃破できる! オプションとして大量のガジェットというロボットがついてくる!」
「いや、それもちょっと……もうちょっと宇宙戦艦ヤマトとか機動戦艦ナデシコとかガンダムとかそういうので」
アシュレイの要望に不満そうな声を上げるアシュタロス。
「有名なのをもってきてもつまらないではないか!」
「いや、聖王のゆりかごも十分有名だから」
アシュレイのツッコミを華麗にスルーして、アシュタロスは唸る。
彼の天地魔界に並ぶ者無しと謳われる頭脳が冴え渡る。
「じゃ、BETAとか?」
「地球が危ないでしょ。というか、私が知っているのならまだしも、何で元々魔王のあなたが知っているのよ」
「人間の娯楽は面白いものが多くてね。じゃ、君の暗黒体と似ているキングギドラとか」
「私の方が大きいし、力も強い。私ってば最強ね!」
物凄い勢いで逸れていく話題。
しかし、ニジは2人を止める術を持たない。
それはエシュタルも同じことだ。
彼女は寂しくなった膝にしょんぼりとしつつも、アシュレイの翼を撫で始める。
「で、銃についてだけど、ま、いいんじゃないの? どうせ効かないだろうけど、まあ無いよりマシにはなるんじゃないかしら」
「いや、これは中々いいぞ。弾丸は魔力を込めたものや呪いを込めたものを使用すれば天使にも効く。魔界正規軍で使っているのとは形状が違うが、コンセプトは同じ筈だ」
魔界正規軍、という単語に首を傾げるアシュレイ。
そんな彼女にアシュタロスは将来、サッちゃんが作る政府の軍隊だ、と答える。
なるほど、と頷きつつ、アシュレイは告げる。
「ニジ、ベルフェゴールには量産できるならして、と言っておいて。とりあえず200万ね」
「あ、はいポヨ。失礼するポヨヨ」
ニジが部屋から辞した後、アシュレイは再びエシュタルの膝の上に収まった。
背中にあたるディアナと同じかそれ以上のけしからん胸の感触に頬を緩ませつつ。
エシュタルもまた、戻ってきたアシュレイの感触に頬を緩ませる。
アシュレイはしばらく考え込んで叫んだ。
「私も将来は大艦隊造りたい。艦隊決戦こそ戦争の華! 航空決戦もいいけど! 迫力は劣る!」
「だから逆天号をだな……」
「もっと戦艦らしい形にしてから言って頂戴」
「とりあえず試験運用という形で頼む。こっちで使うからデータを取りたいんだ」
「……最初から素直にそう言えばいいのに」
「いや、ノリで……つい」
アシュレイといると、とてもはっちゃけてしまうアシュタロスであった。
「とりあえず、午後のおやつでも食べようかしら? あなたも食べる?」
「そうしよう」
そのときであった。先ほど出て行ったニジがまたやってきたのは。
「あの、アシュ様。ベルフェゴール様に量産できるかと聞いたところ……もう量産準備ができていると……」
あまりの手際の良さに思わず沈黙するアシュレイ。
「彼女は理論と実務、どちらにも長けているからな。企業でいうなら開発部長だ。私の世界の魔界でも、彼女は地獄政府の魔法科学技術省で副長官だったぞ。ああ、確か、軍だと大佐だったかな。参謀本部で作戦の神様と呼ばれていた筈だ」
才女だな、と最後に付け加えてアシュタロスは締めくくった。
「……ベルフェゴールを引き入れてよかった。本当によかった」
アシュレイはそう呟き、ベルフェゴールにご褒美としていっぱい抱いてあげようと心に決めた。
「で、闇の福音計画はどうなったのかね?」
「ああ、あれ。中央市場覗いたけど、いい人間いなかったから今は凍結中」
「……早すぎやしないか」
「今度、暇なときに人間界で探してくるから問題ないわ」
人間から吸血鬼となる輩が出てくるのも、そう遠くはない……かもしれなかった。