「では、よろしくお願い致します」
深々と中年の男が頭を下げた。
彼が頭を下げている相手は魔族であるが、破壊が大好きな、そこらにいる魔族ではなかった。
その魔族は時代など関係ない、と言わんばかりのスーツ姿であり、見た目は極普通の人間であった。
彼は答えた。
「ええ、確かに受け取りました」
「これでこの村には手を出さぬよう……お願いいたします……」
「勿論ですとも、村長。悪魔は嘘をつきません。我々は約束を重視致しますので」
このスーツ姿の魔族は地獄にある様々なものを取り扱っている中央市場の者だ。
中央市場は地獄政府が運営しているので、彼も一応は公務員ということになる。
ともあれ、重要なのは彼の身分ではなく、地獄政府が運営しているということだ。
中央市場は神界を除くあらゆるところからあらゆるものを仕入れている。
人間界からは主に人間を商品として。
勿論、無理矢理奪っていくというようなことはせず、生贄として差し出すことで如何なる魔族も手を出さない、とそういう契約を結んでいる。
「あの……実は……」
中年の男が躊躇いがちに声を掛けた。
「実は今回の生贄は……私の、5歳の娘なのです……」
無理かもしれませんが、なるべく死なないようにお願いします、と彼は頭を下げる。
そう言われても魔族の彼としてはどうしようもない。
買い手を選ぶということはできないからだ。
「善処はしましょう」
故に彼は曖昧な返答をする。
ただ、それでも中年の男には十分であった。
彼としても、娘はもはや二度と戻ってくることはない、と覚悟している。
無論、悲しいし悔しいし魔族なんぞ消えてしまえ、と彼は思う。
だが、そうはならない。
現実は非情だ。
魔族へ生贄を差し出すようになってから、大雨や干ばつなどの災害が無くなったのだ。
これらは地獄政府の一部門である災害対策部が行っている仕事なのだが、それは人間達には分からない。
ともあれ、災害が無くなったおかげで村人達は洪水に怯えることもなく、飢餓に苦しむこともなく、豊かになった。
生贄として差し出す者は1人。
村人達は生贄とされる者に心を痛めつつも、皆を助ける為の神聖な者である、と見るようになってしまった。
「では、失礼致します。また1年後に」
スーツ姿の魔族は会釈して地獄へと帰っていった。
後に残された村長は込み上げてくる涙を堪え、その場を後にした。
「ここが地獄なの? とっても活気があるわ!」
その少女はとても明るく、元気があった。
彼女は檻には入れられているものの、それ以外は特に何の束縛もない。
檻の中から、彼女は初めて見る地獄に思わず感嘆を上げてしまった。
少女の瞳に映るのは多くの魔族達。
彼らは買い物袋を持っていたり、商品を背負っていたり……手に持つものも様々だが、その姿形も様々であった。
悪魔として想像されている姿と全く同じ者もいれば、より恐ろしい異形の者、もしくはどう見ても人間にしか見えない者まで。
中央市場とはいうものの、その実態は21世紀の日本にあるスーパーマーケットと同じようなものだ。
ある魔族が檻に入った彼女の前で足を止め、値札を見る。
その魔族をまじまじと見つめる少女。
目と鼻の先で悪魔を見るのは彼女は勿論、初めてであった。
「……鬱陶しい」
その魔族は彼女の視線を不快に思ったらしく、すぐさま離れていった。
鬱陶しいから、と殺したりはできない。
中央市場での騒ぎはご法度だ。
騒ぎを起こせば魔王や魔神が出てくる。
一瞬で騒動を沈静化させる為には圧倒的な力を持った者が出てくるのが一番早いのだ。
しばらく彼女が檻の中であっちこっちに視線をやっていると、また別の魔族がやってきた。
次にきたのは女の魔族。
綺麗であるが、まるで氷のような雰囲気を持っている。
「……5歳か。12歳がいいのだが」
彼女は値札に書かれていた少女の年齢を見るや、興味を失い、去っていった。
「何だったんだろう……?」
少女にはさっぱり分からない。
その魔族がその筋ではそれなりに有名なサディストであり、人間の少女を嬲り殺していることを。
次に来たのは優しそうな雰囲気の青年であった。
ただし、その背中には烏のような翼がある。
「ああ、ちょうどいい」
彼は値札を見るや否や、即決した。
すぐに彼は店員を呼び、その少女を購入した。
「私をどうするの?」
檻から出されたが、その代わりに手錠をされた少女は青年に連れられて歩く中、問いかけた。
「お肉屋さんに行くんだよ」
「お肉屋さん?」
少女の村にお肉屋さんというものは存在しなかった。
不思議な顔をしている彼女に青年は苦笑し、告げる。
「色んなお肉を売っているところだよ。この中央市場の中にあるんだ」
「そうなんだ」
少女はそう答えつつ、あちこちに視線をやる。
先ほどとはまた違った光景だ。
いくつもの店が軒を連ね、多くの魔族が店内を覗いたり、通路の脇に設けられたベンチに腰掛けて世間話をしている。
それらの店は巨大スーパーにあるテナントなのであるが、少女には分からない。
少女は魔族達の会話がどういうものか、と耳を傾けてみる。
その様子を見た青年は彼女に翻訳魔法を掛けてあげた。
『アシュレイ様こそ将来魔界を背負って立つだろう!』
『ゼウスを倒すなど、そこらの魔族には到底できない。素晴らしい方だ!』
『今度行われる戦闘ではアシュレイ様が指揮を取られるらしいぞ。政府の友人から聞いたんだが、アペプ様はアシュレイ様に魔王となってもらう為にもう少し功績が欲しいらしい』
少女にはさっぱり分からなかった。
そんな彼女に青年は告げる。
「今、地獄ではアシュレイ様というとても強い御方がいるんだ。大公爵であり、その魔力は星を破壊してもなお余りある程に」
「そうなんだ。凄いなぁ……」
「もしかしたら会えるかもしれないね。アシュレイ様の従者の方は店によく来るんだ」
目を輝かせる少女に青年は再び苦笑した。
それから2人は20分程歩き、彼の店に到着した。
「わー! 凄い!」
少女は店内を見て、はしゃいでいる。
棚に並んだ様々な種類のお肉。
それらには保存の為に魔法が掛けられているが、少女には分からない。
彼としてもここまで喜んでくれると嬉しいものだ。
「お、来たよ。アシュレイ様の従者の方が」
窓から見えたその容姿に彼は少女に告げた。
数秒と経たずにその従者である彼女が店内に入ってきた。
彼女は金髪を三つ編み団子にし、黒いゴスロリチックなメイド服を着ている。
「これはテレジア様、よくお越しくださいました」
「ああ……そっちの人間は?」
テレジアは見慣れぬ少女に店主である青年へと視線を向ける。
「たった今、仕入れたばかりです」
「そうか」
そう答え、テレジアは少女の前へ。
「お前は何歳だ?」
「5歳!」
元気いっぱいに答えた。
「処女か?」
テレジアの問いに少女は首を傾げる。
その様子にテレジアは青年へと視線を向けた。
「処女です」
「たまにはアシュ様に食してもらってもいいと思うのだが……」
テレジアの意図を悟った彼は告げた。
「処理に30分頂ければ」
「よかろう。あと牛肉や豚肉なども頂こう」
「畏まりました。では先に処理しますので……」
「うむ。30分程、他の店を見てくる」
「はい。脳はどうされますか?」
「スープにするので、とっておいてくれ」
「はい、畏まりました」
2人の会話が済んだのを見計らい、少女はテレジアに問いかけた。
「ねぇねぇ、アシュレイ様って凄いの?」
「ああ、凄い方だ。そして、お前はその方の糧となる。喜ぶがいい」
ではな、とテレジアは店内を出て行った。
「さて、ちょっとこっちにおいで」
青年は少女を誘った。
彼女は首を傾げながらも彼の後をついていく。
そして2人は店の奥にある部屋へ……屠殺部屋へと入っていった。