「……うん、つまんない」
アシュレイはポツリと呟いた。
彼女が前線でブッ殺したい、ということをアペプに伝えたところ、彼は快く承諾し、早速、膠着状態に陥っている戦線に投入した。
何分、戦場は広大な宇宙。
戦線はどこまでも広がっていく。
下級魔族と下級神族がささやかな戦闘をし、両軍が互角となってしまう場所がいくつもあるわけで。
今回、アシュレイが投入された戦場はまさに、そのささやかな戦闘が行われている場所であった。
結果は言うまでもなく、開始5秒で敵軍は消滅。
彼らと戦っていた下級魔族達はただただアシュレイの力に畏怖するばかり。
そんな彼らの視線を無視し、アシュレイは次の戦場へと向かう。
彼女に与えられた任務は548の埒があかない戦場を、思うように埒をあけることだ。
しかしながら、さすがのアシュレイといえども、あっちこっち飛び回って瞬殺するだけの仕事はつまらなかった。
「ソドムとゴモラの跡地に行ってみようかしら」
360個目の戦場を片付けて、彼女は呟いた。
息抜きがてら、花でも供えようという魂胆だ。
無論、少しサボってもいいよね、という気持ちが彼女にはあったりするが。
誰も止める者などいないので、問題なし、と判断した彼女は地球へと転移したのであった。
そして、彼女はソドムとゴモラがあった場所にやってきた。
彼女は上空からそこを見、思わず呟く。
「……ここまでど派手にやられたんじゃ、いっそ清々しいわね」
隕石でもぶつかったかのようなクレーターしかそこにはなかった。
その底にはどこからか流れ込んだ水が少し溜まっている。
彼女は上空から手を合わせ、黙祷した。
数分後、閉じていた目を開け、あちこち見回してみれば視界の端に違和感が。
よく見てみればクレーターの端っこの方に何かがある。
何事か、とアシュレイは思いその場へと転移し、衝撃を受けることとなった。
「私が教えた文字……生き残りがいるの?」
そこにあったのはそれなりに大きな岩、その周囲には僅かな草花が存在している。
そして、その岩には文字が彫られていた。
風雨の影響から掠れていたが、それでも十分に読むことができ、そこにはこう書かれていた。
『イシュタル様は我々ソドムとゴモラの民の偉大なる女神である』
生真面目な神族が生き残りを見過ごす筈がない、と彼女は無論、アペプ達もまた思っていた。
だが、このような証拠を見せつけられては、その先入観は間違っていたと言わざるを得ない。
そうと決めたら行動がわりと早いアシュレイだ。
彼女はただちに念話でもってアペプをはじめとした多くの魔王や魔神にソドムとゴモラの生き残りがいることを告げ、ついで暇があったら捜索を手伝うよう要請した。
次に彼女はテレジアへと念話のチャンネルを切り替え、ベルフェゴールの捜索を一時中断してでも、全力でソドムとゴモラの生き残りを発見するよう命じる。
無論、数百年も時が経過していることから、いるとしたらその末裔となる。
捜索が難航するのは想像に容易いが、それでもアシュレイはやらなければならなかった。
自らを崇めてくれた民を彼女は決して見捨てない。
それは大昔、ソドムとゴモラの神殿で彼女が宣言したことだ。
約束は守らなければならなかった。
念話が終了した後、彼女はゆっくりと背後を振り返った。
そして、ある一点を見つめ、言葉を紡ぐ。
「そこにいるんでしょう?」
その言葉に空間が僅かに揺れ、そこからある青年がゆっくりと出てきた。
神々しい12枚の白い翼、周囲に溢れる神聖な気。
「ルシフェル……かしら?」
「如何にも。私はルシフェルだ。あなたに伝えることがあり、やってきた」
黒い髪と黒い瞳を持ち、美しい顔の彼にアシュレイは意外そうな顔となる。
彼女が知っているサッちゃんとは雰囲気が全然違うからだ。
ともあれ、彼女は一番の疑問を口に出すことにした。
「なぜ、私に攻撃を仕掛けないの?」
「なぜ、地球上で魔族は攻撃をしないのか……それと同じことだ。我々は人間に配慮している」
「ならば、なぜ私の街を潰した?」
「そもそものきっかけがこちらの不手際だ。一部の過激な武神達が扇動し、開戦へともっていった」
「だが、人間達は関係ない筈だ」
「そうだ。だが、多くの武神達は戦争に勝つことしか考えていない。それが彼らの存在意義であるから、致し方ないが」
アシュレイはなるほど、と頷いた
信仰は神にとっても悪魔にとっても力の源の一つ。
ただ、悪魔は信仰を失いやすいことからもう一つ、特典がある。
どれだけ恐怖されるかということだ。
多くの人間に恐怖されればされる程に悪魔の力は増すことになる。
「我々は此度の戦争をなるべく早く終わらせたいと思っている」
「だが、武神達はそう簡単には折れないでしょう?」
「そうだ。魔王や魔神達に過激派を潰してもらいたい」
「自分の尻くらい自分で拭けないのかしら?」
アシュレイの最もな言葉にルシフェルは黙りこむ。
彼に反論する術はない。
「ま、とりあえず理解したわ。私の街は私への補給となる信仰を断つと同時に自分達を信仰しなければこうなるぞ、という見せしめの為に潰された、とね」
あっはっは、と頭に手を当てて笑ったアシュレイは次の瞬間、ルシフェルの首を掴んでいた。
万力の如き力でギリギリと彼は首を絞めつけられ、苦しげにその端正な顔を歪ませる。
「あまり、ふざけたことをやるとお前達を皆殺しにしたくなってしまう。世界の滅亡なんぞ知ったことか、と……な」
ルシフェルをゴミのように放り投げ、彼女は告げた。
彼の心に棘となる言葉を。
「お前はそれでいいのか? 盲目的に従っているだけで、それでいいのか? 自ら行動を起こした者を神は救うと誰かが言っていたぞ。たとえよろしくない行動をとったとしても、最終的にそれでうまく片付けば誰も過程は気にしないものだ」
アシュレイは彼に背を向けた。
「お前達の過激派を処理する件については了承した。アペプには私から伝えておこう」
彼女はそれだけ言い残し、その場を後にした。
「私は、どうすればいいのか……」
主は偉大。
これは間違ってはいない。
主は光。
これも間違ってはいない。
主は全知全能である……
「真に全知全能であるならば、今回の戦は起きなかった。主とてできないことがある」
真に全知全能であるならば、主が過激な武神達を抑えられぬ筈がないのだ。
「必要悪というのも世界には必要だ。世界は光と影により成り立つ。だが、我々は魔族に……いや、今回に限っては彼女だけに押し付けているように感じる。どうしたものか……」
悩むルシフェル。
彼は神々と悪魔、そして人間が共存共栄し、世界を保てば良いと常々考える。
これは彼だけではなく、多くの穏健派神族の共通意見だ。
今回の一件は魔族と神族の意思疎通に齟齬が生じたからではないか、と彼は思う。
魔族には魔族の事情があるが、それは神族である彼には分からない。
ならば、と彼は考えた。
「私が魔界の指導者となれば魔族の事情を知ることもできる。そして、事情を汲んだ上で戦争を起こせなくする為にデタントを神族側に提案すれば……」
デタント――緊張緩和――に一番賛成するのはおそらくアシュレイであろう、とルシフェルは感じた。
彼女は気丈に振舞っていても、心のどこかではうんざりとしている筈だ。
ともあれ、彼が指導者となれば神族のトップはヤッさん。
ヤッさんならば確実に彼の提案を受ける。
ある意味、出来レースだ。だが、悪いものではない。
無論、彼が魔界の指導者となるには堕天しなければならない。
その苦痛たるや想像を絶するものがある。
だが、彼は思う。
アシュレイをはじめ、悪魔でありながらも神として信仰されていた者達が今回の戦争で完全に悪魔とされた苦痛を考えれば、堕天など生ぬるいものだ、と。
「だが、私1人が魔界に行ったところで、既存の勢力に潰されてしまうのが目に見えている。果たして賛同してくれる者がいるかどうか怪しいが……信頼できる者に聞いてみても良いだろう」
彼は脳裏に信頼できる天使達をピックアップしつつ、ソドムとゴモラの跡地に黙祷する。
そして、数分後、彼は黙祷を止め、神界へと戻ったのであった。