神々の憂鬱

「本当によかったんか……?」

 彼は独り、自室で呟いた。

「本当にやってよかったんか……?」

 自問自答するも、答えは出ない。
 全知全能に限りなく近い存在である彼をもってしても、その解答を得るのは不可能に近いことであった。

 そのとき、部屋の外に気配を感じ、彼は扉へと視線を向ける。
 数秒後、ノックがされた。
 彼が許可を出せば2人の青年が部屋へと入ってきた。

 最初に入ってきた青年の背には6対12枚の輝ける翼が。
 彼の名はルシフェル。
 明けの明星と呼ばれ、次代の熾天使の長としてメタトロンから指名を受けている強き熾天使であった。

 そして、彼の後ろからはメタトロンが現れた。

 メタトロンとルシフェルは片膝をつき、頭を垂れた。
 そして、メタトロンが口を開いた。

「主よ、此度の一件は我々の不手際にあります。我々が他宗教の武神を抑えきれなかったばかりにこのような結果に……如何なる処罰もお受けする所存です」

 メタトロンは今代の熾天使の長。
 ミカエルの前で彼は不愉快だ、と言ったものの、それはあくまで熾天使の長として主の決定に不服をもってはならない、ということから出た言葉と態度。
 彼としても、無力な人間を殺傷するのは忍びない。

 ならばせめて苦痛少なく、と彼が配慮した結果、討滅の役目をミカエルに任せた。
 彼女の力ならば苦痛を感じることもなく、一瞬で――自分達の身に何が起こったかすら感じることなく――死ぬことができるからだ。

「構わへん。責任は全てワシにある。もっと過激な連中と会合を重ねておくべきやった。そうであれば地球に手を出すことなく、人間達に迷惑も掛けずに済んだんやからな」

 すまん、と彼が頭を下げた。
 これにはメタトロンとルシフェルが慌てた。
 頭を下げてはならない人が頭を下げている……これは公に知れたら大問題であった。

 2人が頭を上げるように数分間、懇願し続け、ようやく彼は頭を上げた。

「彼らは武神やった。単なる脳筋な神族とはちゃう。戦争のプロや。如何にして戦争に勝利するか、ワシよりも知っとる存在や。ただ、その後のことを考えている連中は少数やけどな……」

 主の言葉に対し、メタトロンは告げる。

「主よ、今回の一件で一部の人間達に豊穣の女神として崇められていたアシュレイが完全に悪魔として堕ちました。主が助言を与えた人間達はどうも余程追い詰められていたようで、助けてくれたあなた様を無条件に崇拝し、それ以外の存在を悪魔と断じているようです」
「人間の気持ち程、分かりにくいものはない……っちゅーことか」

 彼はエジプト地方にて奴隷の階級にあったヘブライ人の中から1人の若者に助言を与え、そこから脱出できるように手助けをした。
 彼としては悲惨な目に遭っている人間達を助けよう、という気持ちからのものであったのだが……今回の一件と相まって悪い方向に転がりそうであった。

「主よ、我々は戦争を終わらせる方法を考えねばなりません」

 ルシフェルが告げた。
 彼の言葉に主は頷くが、その口から出た言葉は極めて困難であることを示すものであった。

「こっちは武神達の多くがやる気満々でそれに同調する神族は多い。何分、真面目過ぎるヤツが多いからな……対する魔族も今回の一件は笑って済ませられるレベルではない……」

 特に人間達の間で神としての信仰を失い、完全に悪魔とされてしまったアシュレイに至っては烈火の如く怒り狂っているだろうことは想像に難くない。

 今回のソドムとゴモラ消滅の引き金となった根本的な原因は過激な武神達の突き上げだ。
 彼が言ったように、神族には真面目な連中が多い。
 そんな彼らを悪魔滅すべし、という風潮にもっていくのはとても簡単なことであった。
 無論、メタトロンをはじめとした天使達は抑えに回り、穏健派で知られる竜族の長、竜神王やオーディン、太陽神ラー、仏陀なども抑えに回ったが、最高権力者の辛いところで配下の半数以上が戦争賛成に回っては容認せざるを得なかったのだ。
 そして、彼らが容認すれば彼としても容認せざるを得ず、ソドムとゴモラの討滅を天使に命じたのであった。


 解決策が見えない彼らの下にさらなる悪い知らせが舞い込んでくる。
 それはミカエルからの念話であった。

『緊急通信失礼します! 武神達が主や他の神族以外を崇拝する人間達を勝手に攻撃し始めました!』
「なんやとぉ!」

 彼――ヤッさんは立場を顧みず、思わず叫んでしまった。












「これで良いだろう」

 彼は呟いた。
 彼の眼下には街があったのだが、そこは既にクレーターと化している。

「信仰が増え、戦争を有利に進められる。同時に敵の力を削ぎ落とすこともできる。一石二鳥とはこのことか」

 満足気に彼は頷いた。
 三面六臂のその特徴的な姿。
 その顔は神とは思えぬ程に端正ではない。

「阿修羅様、帝釈天様より連絡が」

 配下の神族の1人がそう前置きし、告げる。

「我、20の街を討滅せり、とのことです」
「……ほう」

 阿修羅は面白い、とばかりに顔に笑みを浮かべる。
 今、彼が滅ぼした街の数は18だ。
 神といえど、ライバル心というものは存在する。
 特に阿修羅と因縁深い帝釈天ともなれば。
 一応、帝釈天と彼は今でこそ和解しているのだが、それでも感情的なしこりはあった。

「負けるわけにはいかん。後始末は任せた」

 彼は部下に告げ、その場を後にした。
 阿修羅をはじめとした武神や軍神はあくまで戦争にどうやって勝利するか、それしか考えていなかった。









「戦争……ですか?」

 思わず彼女は問い返した。
 生まれてまだ数百年しか経っていない彼女にはピンとこなかった。
 そんな彼女に対して彼女の姉は微笑んだ。

「あなたが戦場に出ることはありません。竜族として恥じぬ力を持てるよう今は鍛錬に励むのです」
「はい!」

 元気良く返事をして、彼女は再び剣を振るい始めた。
 戦争が始まったというのに、神界は特に変わった様子はない。
 それは神界にある竜族の生活圏でも同じこと。

「竜神王様はどういう判断をなさるのか……」

 姉は呟くが、確信があった。
 おそらく竜族も戦争に参加することになるだろう、と。

「上位悪魔ともなれば主神に匹敵する力を持つと聞くが……はてさて、どのくらい強いかのぅ」

 そんな声に彼女が振り返ればそこには一匹の衣服を纏った猿がいた。
 彼女は彼にやれやれ、と溜息を吐く。

「斉天大聖殿、一応言っておきますが、竜族の生活圏に入ることは許可がなければ駄目なのですが?」
「何、堅いこと言うな」

 そう告げて彼は懐からキセルを取り出し、一服やり始めた。
 かつて神界で大暴れした彼にとって、ルールなんぞ破るために存在するものでしかなかった。

「で、あのお嬢ちゃんがお主の妹か? 大竜姫よ」
「はい、妹の小竜姫でございます」
「ほぉ……」

 斉天大聖は目を細め、一心不乱に剣を振るっている小竜姫を見つめる。

「筋はいいのぅ。鍛えればそれなりにはなるじゃろうて」
「鍛えますか?」
「それもいいかも知れん」

 そう答え、彼は口から煙を吐き出して、輪っかを作る。

「まあ、しばらくはわしも魔族相手に大暴れするので忙しい。今回の戦が終わった後じゃな」
「やはり、あなたも出るのですか」
「うむ。お釈迦様からいの一番に話が回ってきてのぅ。できるだけ人間の被害を抑えてくれ、とな」

 斉天大聖はキセルを懐にしまう。

「それに……一番割を食ったアシュレイというお嬢ちゃんをどうにか救わねばなるまいて」

 斉天大聖は……というよりか、神族達もアシュレイのやっていたことは察知している。
 穏健派の中では人間達を導いた、と彼女を評価する声すらあった。

「戦争は長く、辛いものとなるじゃろう。それに、この戦争の目的なんぞ自己満足以外の何物でもない」

 彼はそう告げ、その場を後にした。
 
 結局のところ、善が一方的に勝利することもなく、悪が一方的に勝利することもない。
 それだけは誰もが――阿修羅などの武神達ですらも――知っていた。

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