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戦争の足音

「戦争になるの?」

 アシュレイの問いかけに彼女の前に片膝をついている特使は重々しく頷いた。
 シルヴィアとベアトリクスによる部下集めは地獄で話題となり、その2人の主であるアシュレイは期待のルーキーとしてその名が轟くこととなった。

 そんな折、地獄全体を統治する魔族による政府――現在の政府首班兼国家元首はエジプト神話における悪の化身、アペプ――から特使がやってきたのだ。
 彼が預かってきたアペプ直筆の書簡には次のように書かれていた。

『神族の横暴、もはや我慢ならん。鉄槌を下し、世界を夜に染め上げる故、アシュレイ殿には是非協力していただきたい。協力していただけるのであれば大公爵の地位、空白となっている領地や財宝その他様々なものを贈呈したい』

 アシュレイとしては悪い条件ではない。
 何しろ、公爵の者はいるが、大公爵の者は今の地獄にはまだ存在しない。

 しかし、彼女にはどうしても確認しなければならないことがあった。

「協力するのは考えないでもない。むしろ、私個人としては協力したい。だが、一つ確認したいことが」
「何なりと……」
「私が守護している街についてよ」
「その点については心配ありませぬ。地上は神々にとっても自らの力となる信仰を得る為に必要な場所。自らの補給源を断つような真似はしますまい」
「ならば戦場はどこに?」
「地上……地球以外の様々な惑星、すなわち宇宙でございまする」
「SFなんだかオカルトなんだかよく分からなくなってきたわね」

 アシュレイの呟きに首を傾げる特使。
 そんな彼に何でもない、と彼女は告げる。

「ともあれ、ソドムとゴモラに手を出さないということであるなら、極めて良い返事を返すことができるわ。一応、私の部下に戦争が可能かどうか、聞いてみるから時間を頂きたい」
「心得ました。では1ヶ月後に返答を聞きに参ります」
「そうして頂戴。ま、いざとなったら私だけ出るから」
「心強いお言葉、アペプ様もさぞお喜びになるでしょう」



 特使が帰り、アシュレイは早速テレジア、シルヴィア、ベアトリクスの3人を呼び寄せた。
 集まった彼女達に開口一番、アシュレイは尋ねた。

「何か予定より早く神族と戦争することになったみたい。ということで戦争するわよ」

 パチクリと目を瞬かせる3人。
 それからさらに数秒の後、テレジアが尋ねた。

「マジですか?」
「マジ。戦争に協力すれば大公爵になれて、おまけに領地とかいっぱいくれるんですって」

 アシュレイの言葉にベアトリクスが口を開く。

「軍としては一応可能ではあります。ただ、総数が少ない上にそれほど強い輩もいませんので、派手に立ちまわることは極めて難しい、と言わざるをえません」
「近衛も似たようなものです。というか、近衛って私1人しかいないのですが」

 続けたシルヴィアの不満の言葉にアシュレイはそういえば、と思い出す。

「何かエシュタルとディアナが親衛隊つくってたわね。改名したと思ってたんだけど、違ったの?」
「……違います」
「それじゃ、シルヴィア、あなたこれから親衛隊の長ね。エシュタルとディアナには私から言っておくから安心して」

 シルヴィアが頷いたのを確認し、アシュレイがテレジアに尋ねた。

「うちの財政は戦争に耐えられるかしら? いや、正直、お金使うところとかないんだけども」
「アシュ様、お言葉ですが……一応、配下の魔族には給料を支払っておりますので」
「マジで!? 下っ端なんて奴隷と同じで使い捨てだと思ってたんだけど! 人件費なんて聞いてないわっ」
「いえ……一応、地獄は貨幣経済なので……まあ、本当にあってないようなレベルですが」

 何分、力が強い魔族は何でもやれてしまうのが地獄だ。
 例えば酒場のウェイトレスを拉致しようと、力が強ければ何も制裁は無い。

「貨幣は力の弱い魔族への救済策かしらね?」
「そうです。一応、地獄の法律で自分より弱い魔族が金銭を差し出してきたら見逃してあげるよう努力すること、というものがあります」
「そんなの聞いたことないわ。っていうか、地獄で法律って……」

 何だかなぁ、と呆れてしまうアシュレイ。
 アシュタロスがいたならきっと苦笑したことだろう。

「ともあれ、必要なのは人件費くらいなので耐えられます。別にいざとなったら支払わなくてもいいですし」
「それもそうね。じゃ、一応、戦争準備を進めておいて。まあ、どっかの星条旗の国みたいに戦時体制に移行してバカみたいな量の兵器を量産するわけじゃないから、楽なもんだと思うけども。あ、それとさっきの特使を呼び戻さないと……」

 アシュレイの言葉に3人は頷く。
 結構簡単な魔族の戦争準備であった。








 そして数日後、アペプによりアシュレイが大公爵となったことが地獄中に伝えられた。
 期待のルーキー、魔神アシュレイの参戦により魔族達は大いに士気を高めることになった。

 さて、そんなわけで戦争に参加することになったアシュレイは地獄の政府が置かれている議事堂へと赴くことになった。
 具体的な作戦などについて協議する為に。
 その議事堂はエジプト風の神殿であった。
 何気に自分と同格かそれよりも上の存在と会うのは初めてのことなので、アシュレイとしてはわくわくドキドキと興奮していたのだが……


「……なんというか、普通ね」

 思わず、小声で彼女は呟いた。

 巨大な円卓に座っている魔神やこの時代の魔王、そしてこの時代の魔界最高指導者アペプ。
 アシュレイが想像していたのは見ただけで体が震えるような連中であったのだが、ちょっとした威圧感を感じる程度で、普通の悪魔にしか見えなかった。
 ふと視線を感じ、その方向へ視線を動かせばジャッカルの如き頭を持つ男が彼女を見ていた。

「というか、女が私だけってどういうことなの……」

 そうボヤく彼女にアペプは咳払いをして、話を始めることにした。
 どうやら先ほどの呟きは彼には丸聞こえであったらしい。
 彼は彼女のペースに呑み込まれたら魔王でもマズイ、と直感した。

「神族との戦争だが、まず宇宙空間にて各自最大戦力を展開。感づいた神族側も展開してくる筈なので、それを迎撃。以上」
「……いや、それが作戦?」

 アシュレイの言葉に答えたのは先程のジャッカルの如き頭を持った男――セトであった。

「作戦を立てようにも、向こうもこっちも戦力が膨大だ。個々の戦闘では戦術的に巧く動いて損害を最小限にはできるが、基本的にはイタチごっこだ」
「虚しくなりそうだわ。それ」
「神界にでも攻めこめればどうにかなるのだがな」

 そう肩を竦める彼。

「……あ、今いいこと思いついた」

 ピンときたアシュレイは居並ぶ彼らに尋ねた。

「今、地上に神っているの?」
「今なら地中海地方でゼウス達が好き勝手やっているな」

 そう答えたアペプにアシュレイはうんうん、と数度頷く。

「私に任せてくれればゼウスの首をもってくるわ。まだ開戦はしていないから、失敗したら1魔族の暴走ってことで処理して頂戴」

 基本、神魔族の戦争に宣戦布告なんてものは存在しない。
 どっちかが相手の戦力が集まっているところを見つけたら、戦闘をふっかけ、そのまま全面戦争に発展というものだ。

 アシュレイの言葉にアペプが値踏みするかのような視線を向け、セトが興味深そうに見つめる。
 他の魔王や魔神達も新米が何を言うのか、興味津々といった様子。

「ゼウスは好色。そこを突くわ……」

 そう前置きし、アシュレイが告げた計略は魔界側としては酷く魅力的なものであった。





「良いのか?」

 会議終了後、セトがアシュレイに尋ねた。

 アシュレイの計略は満場一致で可決され、成功の暁には彼女は魔王に昇格することとなった。
 また、その計略の実行タイミングは彼女に一任された。
 だが、成功の確率は残念ながら非常に低い。
 ゼウスは確かに好色だが、暗愚ではないからだ。

「良いのよ。ハイリスク・ハイリターンは好きだもの」
「だが、お前は穢される」

 セトはそう告げ、アシュレイの翼へと手を伸ばす。
 ひょいっと彼女は避ける。
 アシュレイはジト目で問いかける。

「触りたいの?」
「……ああ」

 しょうがないわねー、と一応、上の存在のご機嫌を取る為にアシュレイはセトにその翼を触らせる。
 その感触に彼は思わず感嘆の溜息を吐いた。

「さっき初めて会ったばかりだが、お前は美しい」
「……何を言い出すのよ」

 そう言われて悪い気はしないアシュレイ。

「本当だ。夜の闇のような翼、勇壮な角……」

 セトはアシュレイの容姿をこれでもかというくらいに褒めた。
 そこまで褒められればアシュレイとしても嬉しい限りで。

「あなたが女性型だったら、お持ち帰りしていたのに」

 しょぼん、と項垂れるアシュレイ。
 一応、立場的には上位存在なのだが、彼女としてはもうそこらはどうでもよくなっていた。
 問題なのは見た目が男なのか女なのか、その一点だ。
 さすがのセトもそういう意味で落ち込まれるとは考えもしなかったので、どうしたものか、と考える。

 そして、ある案が閃いた。

「ならば、私の血を飲むか? お前は吸血鬼と聞いている」
「頂きましょう」

 セトはどこからともなくナイフと小瓶を取り出し、自らの指を傷つけ、その小瓶に血を垂らした。

「そういえば、やるタイミングは一任されたけども何か期限とかあるの?」
「特にはないな。まあ、1000年くらいの間にやればいいだろう。開戦はお前の計略の後であるからな」

 小瓶に血が溜まるまでの間、アシュレイとセトは暇であった。

「私、すっかり忘れていたことがあったの。血を吸えば私は強くなれるということ……」

 ちょうどいいことに彼女のターゲットはゼウスだ。
 ついでに吸ってしまっても問題はないだろう。

「ゼウスか。基本、神と悪魔は裏表。お前が神の血を吸った瞬間にお前の内部で神聖な血は邪悪に染まり、お前に力を与えることだろう」
「神の肉とかはどうかしら?」
「それも同じことだ。しかし、それはお前にしかできないことでもある」





 そんな風に雑談しているうちに小瓶一杯に血が溜まった。
 アシュレイはそれをセトから受け取り、一気に飲み干した。

 瞬間、彼女から膨大な魔力が吹き荒れた。
 内からみなぎる力にアシュレイはセトに不敵に微笑んだ。
 セトは思わず唾を飲み込んだ。
 たった小瓶一杯の血を飲んだだけで一気に彼女の魔力量が跳ね上がったことがわかったのだ。
 彼は溜息混じりに呟く。

「お前はきっと魔王に、それも強力なものになれるだろう。将来的には宰相か、もしくは政府軍のトップか……」

 やはり、とセトは続けた。



「お前は、美しい……」

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