「そういえば……私って魔眼とか使えるのかしら?」
人間用の魔法開発も一段落したとき、アシュレイはそんなことを思った。
魅了、石化、運命操作その他諸々の様々な効果を引き起こすことができる魔眼。
悪魔であるならば何がしかのものを持っているのが当然だ。
もっとも有名なものは見たものを殺すバロールの魔眼だろう。
未だ訓練以外で戦闘をしたことがないアシュレイとしては自分の力が使いたくてしょうがない。
私ってこれだけ強いのね、と自己陶酔に浸りたいのだ。
「あーそういえば今ってどのくらいだっけ?」
地下実験場に篭っていた彼女に時間の感覚は既にない。
「この空間で168年です。現実時間では1週間が経過しております」
アシュレイの問いに答えたのはいつの間にかいたテレジア。
「ああ、いたの……何か用?」
「はい、先ほどシルヴィアとベアトリクスが帰還しまして……アシュ様の新たな配下を多数引き連れて参りました」
「なんだって!」
アシュレイは座っていた椅子から勢い良く立ち上がる。
「こうしちゃいられないわ……ちょっと確認しとかないと。あ、でもその前に」
そこら辺に落ちていたいらない紙を手に持って睨みつけた。
基本、悪意を持って睨むことにより、持っていれば魔眼は発動する。
一瞬で紙が溶けて消えた。
アシュレイはまじまじと握っていた手を見つめ、ついでテレジアに視線を向けた。
「何が起こった?」
「もう少し、大きめなもので試した方がよろしいかと」
「……それもそうね。確か屋敷の外に岩がいくつか転がっていたから、それで試すとしましょう」
「ついでに配下となる者達にお会いください。屋敷の外におりますので」
そんなわけでアシュレイは実験場を出た。
出て少しすると、リリスとリリムに会ったので「私の虜になれ~」と念じながら睨んだら一瞬で獣のように発情したので、彼女はそのまま縛って放置した。
アシュレイは自らの目に魅了の効果があることを確信し、もう一つの効果に胸を高鳴らせつつ、屋敷の外に辿り着いた。
「……色々いるわね」
屋敷から出てきたアシュレイに注がれる無数の視線。
それらは全て彼女を品定めしているかのようなものだ。
そんな悪魔達とは少し離れてシルヴィア、ベアトリクスがいた。
2人はアシュレイがどのようなことを新たな配下達に言うのか、期待に胸を高鳴らせている。
アシュレイはそれらを無視し、手近にあった岩を睨みつける。
するとどうしたことか、岩が溶けていく。
それも高熱で溶ける、というものではなく腐り溶けていく。
腐臭に顔を顰めるアシュレイは岩から視線を離し、値踏みする悪魔達へと向ける。
そのとんでもない魔眼に恐怖し、一斉に逃げ出そうする悪魔達にアシュレイはその身に秘めた膨大な魔力を解放した。
ずん、という擬音が聞こえそうな恐ろしいまでの重圧。
多くの中級魔族、僅かな上級魔族達は逃げることもできず、ただ一様に畏怖の視線をアシュレイへと向けた。
「私はアシュレイ。将来的にはアシュタロス。好きに呼ぶといい。あなた達は幸運だわ」
くすり、とアシュレイが哂う。
「裏切らない限り、私に潰されないのだからね」
アシュレイの言葉に居並ぶ悪魔達は背筋に悪寒が走った。
それと同時に喜びがあった。
こんな強いヤツの下につけるなんて、と。
「で、そうね。私の魔力だけで分かったと思うのだけど、少し戦ってみましょう。シルヴィア、おすすめの輩を」
「そこにいるヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマンが適任かと」
「私かね!?」
まさかの指名に思わず声を上げるヘルマン。
ほう、とアシュレイの視線が彼を捉える。
「ここに来るまでに無駄に回る口で才能ある若い者がどれほど強くなるのか好きだとか何とか言っていたではないか」
「いや、それはあくまで……」
「アシュ様は十分お若いし、才能も豊かだ。存分に戦ってこい。そして死ね」
「酷くないかね!? 一応私も部下なんだが!」
シルヴィアとヘルマンのやりとりにベアトリクスは溜息一つ。
対するアシュレイは今までにいないタイプの存在に興味津々といった風だ。
「で? ヘルマンでいいの?」
「はい、アシュ様。一応、半殺し程度に済ませてくだされば……」
ヘルマンは仕方がないので気分を切りかえた。
殺されないという保障が――酷くあやふやなレベルであるが――ある中で魔神クラスのアシュレイと戦えるならば幸運だ、と。
なんだかんだでアシュレイは既に魔力だけなら魔神に匹敵するレベルだ。
ヘルマンは周囲にいる悪魔達をかき分け、アシュレイの前に立った。
その距離は5mも無い。
「お初にお目に掛かります、アシュ様。私、ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマンと申します。地獄の辺境にて伯爵を名乗らせてもらっております」
「そう……あなた、面白そうだから一応、頭に留めておくわ」
「恐悦至極。さて、そろそろ始めさせていただきます故」
「いいわよ。どこからでもかかってきなさい」
そう言ったアシュレイであったが、その場にただ突っ立ているだけだ。
戦闘体勢をとるということすらしない。
ヘルマンはおもいっきりその拳でアシュレイの頬を殴りつけた。
しばしの間の後、殴ったヘルマンの拳が砕け散った。
「これは、とんでもない……」
彼は手首から先が無くなった右手を抑えつつ、口から石化光線を吐いた。
しかし、それはアシュレイに当たることなく、彼女の周りにある何かに無効化された。
「何とも複雑な呪圏……!」
呪圏とは上位悪魔や上位神族が常時展開している超多重結界だ。
半ば無意識的に展開されているこれは余程の実力差がない限り、一撃で貫くことはできない。
このレベル同士の戦闘では呪圏を素通りできる唯一の武器「自己の肉体」による殴打と共に大量の魔力を打ち込み、同時に相手の呪圏を外側から1枚ずつ解呪。
また自身の呪圏の修復を行い相手の呪圏を全て剥がしてから最大攻撃を叩き込むのがセオリーとなっている。
アシュレイの呪圏はヘルマンの石化光線を難なく無効化してしまった。
そして、自己の肉体が唯一の武器と述べたが、今回の場合は例外だ。
ヘルマンは呪圏を素通りできる肉体でもってアシュレイを殴った。
その拳には彼のほぼ全ての魔力が込められていた。
しかし、それを食らってなお、アシュレイは微動だにせず、逆に殴ったヘルマンの拳が砕け散った。
「私はただ立っているだけで最低で数十億か、それ以上の魔力があるわ」
アシュレイの言葉にヘルマンは思わず目を剥いた。
他の魔族達も呆然としていた。
あまりにも魔力の桁が違い過ぎる。
上位魔族や上位神族が通常活動を行う際に引き起こされてしまう事象があることは既に述べた。
まさにヘルマンが殴ったアシュレイがそれだ。
通常、魔族は元来の肉体強度に加え、内包している魔力によってその強度が上乗せされる。
つまり、上位神魔族ともなれば寝ていようが本を読んでいようがどんな状態でも永久的に肉体強化の魔法が掛かっているのと同じ状態だ。
しかもその強化魔法の効果は魔力に比例する。
すなわち、立っているだけで数十億もの魔力を内包しているアシュレイはダイヤモンドよりも遥かに硬い。
人間に分かりやすいように置き換えれば、ボクサーの世界王者が巨大なダイヤモンドを殴ったような感じだ。
当然、熟練したボクサーの繰り出す拳は素早い。その分、何かに当たったときの反動もまた大きい。
そんなわけでヘルマンの拳は砕け散ってしまったのだ。
「いやはや……まさに魔神だ」
ヘルマンが何気なく発した言葉。ぴくり、とアシュレイの耳が動く。
魔神、と呼ばれたことは初めてである。
「そうよ、この魔神である私があなた達の主なの。光栄に思いなさい」
高笑いし始めるアシュレイ。
彼女の機嫌は一気に良くなった。
そして、ひとしきり笑ったところで彼女は尋ねた。
「ヘルマン、あなた、もうちょっと強くなりなさいよ。私、将来的に神族に喧嘩売る予定だから、最低でも智天使クラスとは殴り合いができるようになってもらいたいの。今のあなたじゃ精々大天使クラスと渡り合える程度だし、弱すぎるわ」
「……え?」
思わずヘルマンは聞き返した。
他の魔族達も目を瞬かせている。
「地獄で魔王になった後、地上侵攻して制圧して、神界攻めいって主神達の顔面殴った後、女神達をDNAの名にかけて犯す。以上」
開いた口が塞がらない、とはまさにこれだ、というような表情を見せるヘルマン。
「待て待て待て! それではハルマゲドンが起こるぞ!?」
敬語をかなぐり捨てて彼は叫んだ。
その懸念はもっとももなものだ。
「大丈夫よ。どっちにしろあっちもこっちをこの世から消滅させたくてうずうずしていると思うし」
ガス抜きよ、と涼しい顔で告げるアシュレイ。
この辺はアシュタロスからの受け売りだ。
ヘルマンはどうしたものか、と他の魔族達を見てみた。
何だか目を輝かせていた。
彼らとしては憎き神族を潰せるならハルマゲドンだろうが何だろうが大歓迎だ。
この時代、まだ神魔のデタントははかられていない。
将来的にはそうなるとしても、まだドンパチしても大丈夫であった。
「というか、人型の悪魔が多いのね。もっとぎとぎとのヘンテコなのだと思ったのに」
アシュレイが見たところ、見た目は全員人型の悪魔だ。
勿論、変身して彼女の言うところのぎとぎとのヘンテコなのになることもできるだろうが。
「それに……女性型もちらほらいるし……」
褐色肌で白い髪をショートカットにした小柄な少女がアシュレイの目についた。
彼女は自分にアシュレイの視線がきたことに気づき、頭を下げる。
「お会いできて光栄ポヨ」
「……ポヨ?」
アシュレイは思わず首を傾げた。
「地獄の辺境出身ポヨ。方言ポヨヨ」
「ポヨヨ? ウヨヨ?」
なんかヘンテコなのがきたわねー、とアシュレイはシルヴィアとベアトリクスを見る。
私は知りません、と首を横に振るシルヴィア。
アシュレイの視線がベアトリクスに注がれる。
「恐れながらアシュ様。方言こそアレですが、それなりにやり手ではあります」
「そうなの?」
「はい。また彼女の家は代々学者の家系でもあり、自前で研究機関を持っているそうです」
「お父様は公爵を名乗っているポヨ。手を出さないで欲しいポヨ」
少女の言葉にアシュレイは勿論、シルヴィア、ベアトリクスも合点がいった。
つまり、アシュレイへの生贄だ。
娘を差し出すから潰さないで欲しい、というもの。
「ま、いいわ。ただし、私には協力してもらうから」
「勿論ポヨ。必要となったときに言って欲しいポヨ」
「で、あなたの名前は?」
「ニジ・レイニーデイポヨ」
「ニジ? 虹……ああ、なるほど。いい名前ね」
「ありがとうポヨ」
雨の後には虹が掛かる、という意味だろうとアシュレイはあたりをつける。
何で名前は日本語で苗字が英語なのかわからないが、まあそういうこともあるだろう、と彼女は納得する。
ヘルマンなんぞどう見ても人間の名前だし、と。
そんなやりとりがされている中、シルヴィアはベアトリクスに尋ねた。
「ところでベアトリクス。なぜ、敬語を教えなかった?」
「何でも、あのポヨというのは彼女の出身地では『です』という意味合いらしい」
「……それなら仕方がないか」
「ああ……」
2人は家族全員がポヨポヨ言っている光景を思わず想像してしまい、げんなりとした気分になった。
そんな従者達とは裏腹にアシュレイの気分は最高に良かったのであった。