動き出す物語

 
 アシュレイがソドムとゴモラから戻ってきた。
 当然、彼女は現実空間から加速空間へと入ったことになる。
 そんな彼女の目の前には未だに戦っているリリスとリリムの姿が。

「……で、まだ勝負がついていないってどういうことなの」

 審判役のベアトリクスは安楽椅子に腰掛けて、読書をしている。
 どうやらあまりにも暇だったらしい。
 しかし、そんな彼女はアシュレイを見つけるなり、慌てて立ち上がり直立不動となる。
 そんなベアトリクスに構わない、と告げてアシュレイも2人の戦いを見る。

「何と言うか……悪魔らしくないわね」
「こっちの時間では結構な年月が経過していますから、魔力も既に切れており、このような戦いに」
「途中休憩挟んでもよかったのに」
「1週間に1日くらいは休ませました。ただ、2日くらいで魔力が切れるので……」
「……それでああなってるのね」

 そう言って肩を竦めるアシュレイ。
 彼女が現実空間にいた時間は8時間。加速空間では8年が経過していることになる。
 そんな中、リリスとリリムはずーっと戦い続けていた。
 勿論、2人共、戦闘力が低い種族である淫魔なのでそこまでド派手な戦いではない。
 ともあれ、そんなことは戦ってる2人には関係なく、当初は魔力を砲弾のように飛ばしたり、レーザーのように飛ばしたり、と色々やっていた。
 ただ、魔族といえど魔力が切れることはある。
 2人は回復が追いつかずに今、アシュレイの目の前で繰り広げられているような、殴り合いを行っていた。
 お互い防御せずに顔やら腹やら容赦なく殴り合っている。
 ただ、お互いに決め手に欠けているらしいことは容易に分かった。

「……不毛な戦いね」
「休憩させましょうか?」
「いえ、もう終わりにしましょう。淫魔らしく、ベッドの上でどっちが上か競ってもらいましょう」

 最初からそうすればよかったのだが、アシュレイとしてもここまで長期戦になるとは思ってもみなかったので致し方ない。
 アシュレイが背を向けたそのとき。

「くたばれ年増ぁあああああ」
「しねええクソガキぃいいいい」

 そんな声が聞こえ、ゴキッという音が聞こえてきた。
 アシュレイが振り返れば、そこには互いの頬を殴ったリリムとリリス。
 お互いに決まったらしく、2人はゆっくりと地面に倒れ伏した。
 それを見たアシュレイは疑問を顕にする。

「……一応、親子じゃなかったっけ?」
「淫魔も悪魔の一種ですから、こういうものでしょう」
「ドローでいっか。何かもうめんどくさくなった。リリスが代表でリリムがその補佐。2人纏めて傍におけば問題ない」
「2人は居住地区に放りこんでおきます。数日もすれば完全に回復する筈です」
「そうして頂戴。私はちょっとあちこちで実験しているから」

 そう告げ、アシュレイは彼女の家へと向かっていった。










「……今日もダメか」

 シルヴィアはそう告げ、溜息を吐いた。
 彼女は現在、地上……ではなく、地獄にいた。
 それもその筈、シルヴィアとベアトリクスにはアシュレイの部下となる優秀な人材を見つけ出す、という仕事があったからだ。
 しかし、ベアトリクスはアシュレイに呼び出されてしまった為に今日は彼女1人だ。

 シルヴィアが何をしていたか、というと……酒場の椅子に座って待っていただけだ。
 地獄といえど、一応街がある。
 勿論、人間の倫理観にたってみれば悪徳の街なのであるが、街は街だ。
 その街の住民は基本魔族であり、他にも魔族が連れてきた家畜やペットとしての人間がいる。


「待遇が悪いのか?」

 シルヴィアはそう呟き、手元にある求人広告の写しを眺めてみる。

『あなたも魔王候補の部下に!
 高待遇! 淫魔と寝れる!
 女性形態魔族優遇!
 学歴・経験不問!
 寮完備! 殺し合い多数! 幹部昇任あり!
       採用担当係シルヴィア、ベアトリクスまで連絡を!』


 そんな宣伝文句と共にデフォルメされたアシュレイの姿が描かれている。

「……わりといいと思うんだが」

 この広告、作ったのはシルヴィアであった。
 うーんうーん、と悩む彼女。
 アシュレイが満足する美貌を誇っている彼女が頭を抱える姿はアシュレイが見れば垂涎ものであった。
 しかし、残念なことにここに彼女はいない。
 そして、今この場にいる魔族達は強いか弱いか、しか興味はない。
 姿形なんぞ好きに変えられる魔族……あるいは神族にとって、表面的なものなど何の意味もない。 
 ともあれ、シルヴィアは悩むのを止めて立ち上がった。
 彼女は立ち上がり、給仕をしている魔族の少女にずんずんと歩いて行く。

 少女はというと、ひっ、と小さく悲鳴を上げる。
 その拍子に彼女のコウモリの翼がビクンと震えた。

 シルヴィアはアシュレイの使い魔であり、その魔力は上級魔族クラス。
 今、この酒場にいる者達は中級魔族程度、給仕の少女は下級魔族クラスだ。
 誰も、シルヴィアに口出しできない。

「お前、アシュ様のところに就職しないか?」
「……え?」
「いい加減、私も成果をあげないと困るんだ。というわけで就職しろ」
「ええ!?」

 アシュレイに褒められたいシルヴィアとしてはベアトリクスに差をつける為にも、成果を上げる必要があった。
 
「文句はないな?」

 シルヴィアが睨めば少女は涙目になりながら、僅かに頷いた。
 他のお客達は素知らぬ顔。
 給仕がいなくなっても、また別の給仕を連れてくればいい、というのが魔族的思考だ。
 適当に弱いヤツをボコして言う事聞かせればいいのだ。
 同格と戦ったり、弱いヤツを嬲るのは魔族にとって娯楽の一つであった。

「よし、とりあえず1人確保と……ああ、もう求人広告なんてまどろっこしいことはせずに適当に戦って拉致するか……」

 シルヴィアが他の客達に視線を向ける。
 彼らはマズイ、と思って我先にと酒場から逃げ出して行った。

「根性無しめ……敗北主義者はいらん」

 シルヴィアがカウンターへと目を向ければ、先ほどまでいた筈のマスターはおらず、代わりに1枚の紙が張ってあった。

「本日をもって閉店します……ふむ、閉店ならば仕方がないな」

 そんなシルヴィアの横で少女はこれからの未来を想像し、その恐ろしさに泣いていた。
 泣き声にシルヴィアはやれやれ、と溜息を吐く。
 しかし、このまま泣かれっぱなしというのも個人的にうるさいので嫌であった。
 ならば仕方なし、と彼女は己の主が最も得意とする手段に出ることにした。

「ちょっとこっちを向け」

 少女が顔を向けたところを強引にその唇を奪う。
 視線が間近で交差し、彼女は目を白黒させているが、シルヴィアは構わずその口内へと舌を侵入させ蹂躙する。



 しばらくの間、店内に水音が響き、シルヴィアが離れたときにはすっかり少女は腰砕けの状態となっていた。
 何度も言うようだが、基本、魔族に性欲はあんまり無い。
 逆に言えばそっち方面には大多数の魔族が初心である。
 それは少女も例外ではなく、こんなことをされて快楽を覚えこまされてしまえば……あとは堕ちるだけであった。

 少女はぽーっと、潤んだ瞳でシルヴィアを見つめている。

「これで終わりではない。ベッドの上でのことも教育してやる」

 シルヴィアはそう告げ、少女をお姫様抱っこし、その場を後にした。










 シルヴィアが少女を調教している頃、アシュレイは屋敷地下に設けられた実験場にいた。彼女は大規模な魔法陣を描き、その上で大量の本を引っ散らかしてうんうんと唸っている。

「お忙しい中、失礼致します」

 そのような声と共にテレジアが現れた。アシュレイは生返事を返すだけだ。

「アシュ様、リリスのことですが……」
「もう解決したでしょー?」

 呑気にそう返すアシュレイ。
 彼女の視線はテレジアには向かず、目の前の本のページに向いている。

「私とリリスについては……その、気まずさというかそういうのが……」
「それなら簡単よー」

 そう返して、がさごそと別の本を漁る。
 目的の本を見つけ、内容を確認しつつ、彼女は続きを言う。

「リリスを無理矢理でもいいから抱いてー耳元で謝っとけば万事解決ー」
「そういうものですか?」
「淫魔なんてそういうものよー、あっさりしてるからー」

 私としてはドロドロしてる方が面白いんだけどー、と付け加えたアシュレイの言葉を聞かなかったことにして、テレジアはとりあえず普通に謝っておこう、と決意する。
 普通に謝って何かむしゃくしゃしたら、その場のノリでやっちまえ、とも考えた。
 そう考える辺り、主であるアシュレイの影響を受けている証拠だ。

「あ、そうそうテレジア聞いて!」

 アシュレイが急に声を弾ませた。
 彼女はしっかりとテレジアの方を向いて、花の咲いたような笑顔を披露している。
 眼福だ、とテレジアは緩みそうになる頬を必死に堪える。

「空間における魔力濃度の関係で新発見なの。一定以上の濃度になると空間そのものに影響を与えることができるの」

 つまり、とアシュレイは声を張り上げる。

「これを利用すれば時間そのものを操ることができる!」
「残念だが、アシュレイよ」

 そんな声と共にアシュタロスがどこからともなく現れた。

「上位悪魔や天使、神々にとって時間を操ることはできて当然のことだ。私もある程度なら操れるぞ?」

 でなければ加速空間なんぞ作れん、と締めくくるアシュタロスにがっくりと項垂れるアシュレイ。

「ところでアシュレイ、例の件で提案があるのだが……」
「テレジア、席外して頂戴」

 アシュレイの言葉にテレジアは音も無く、その場を後にした。
 それを確認し、アシュタロスは言葉を続けた。

「世界システムの改変についてだ」
「システム改変は世界に潰される、という結論が出ている筈よ」
「だが、世界システムに則った改変ならば潰されない」

 ふむ、とアシュレイは手に顎をあてる。

「それは道理だ。もし、それを妨害してくるならば世界は自己矛盾により崩壊してしまう。けれど、あなたの望みは自己の消滅であった筈。魂の牢獄に手を加えることはシステムの改変に繋がる」
「そうだ。おそらく直接書き換えようとすれば失敗する。だが、間接的にやれば問題はない。そう、世界のバックアップを受けた輩に倒される、というやり方ならば」
「人間に倒されるつもり? 陳腐な御伽話のように」
「神族を考えていたが、人間にやられるのも悪くはない……たとえ、サッちゃんやキーやん、ヤッさんであっても私を牢獄から連れ出すことはできないのだからな」

 悲痛な表情のアシュタロスを見、嫌な話だ、とアシュレイは思う。
 友好関係にある知り合いの自殺の相談を受けているのだから。

 善と悪はコインの裏表でありながら、基本、悪は常に善に負け続けなければならない。
 つまり、世界を維持するために魔族は基本的に悪として神族や人間に負け続けなければならない役割を強制されている。
 魔族の中には自分達が虐げられ続けなければならない状態に多かれ少なかれ疑念を持っている者も多い。

 もっとも、アシュレイとしてはそんなの関係ない、と常々思っている。
 彼女がそう思うのはまだ若いからだ、というのはアシュタロスには簡単に予測がついた。
 時間軸的には未来にあたる彼の世界では高度に発達した人間文明を消すのが惜しいという理由で、魔族は勝つことも完全に負けることも許されてない。
 永遠に悪役で在り続けることしかできない、救われない邪悪であることを強制される。
 そして、アシュタロスを含め、神々や上位天使、魔王、魔神は死ぬと神魔のバランスが崩れるため強制的に復活させられ死ぬこともできないという魂の牢獄に囚われている。

 アシュタロスは邪悪な存在であることを拒んでいた。そうであるが故に彼は新たな世界の創造もしくは聖書級大破壊――ハルマゲドン――を起こそうとしている。
 そうすれば彼は世界を乱したという罪で世界により――宇宙意思と言ってもいい――牢獄から解き放たれ、死ぬことができる。

 新たな世界の創造もハルマゲドンも、どちらも実行されれば世界が消える。
 邪悪な存在であることを拒むが故に、最も邪悪な存在になりかけているのだ。

 アシュレイもまた時が経つにつれ、邪悪な存在として忌み嫌われ、永遠に中途半端に負け続けることを強制される絶望を知ることになるのだろう。
 アシュレイ自身としてはそうなっても変わらない自信はあるが、実際、どうなるかわからない。


 アシュタロスはアシュレイに心配を掛けぬよう、無理矢理笑みを浮かべ、明るい声で告げた。

「テストケースとしてこの世界を利用したい。ああ場所の選定は既に済んでいる」
「例のアレかしら? 膨大な人間の魂が必要みたいだけど」
「それらは将来的に解決する。戦争で死んだ人間の魂を使えば問題はないからな」
「で、場所は?」
「神族・魔族から邪魔を受けず、もっとも地球から近いそれなりの大きさの惑星さ」

 それを聞き、アシュレイは手を打った。

「火星ね」
「ああ、火星だ。そこに新たな世界を創造する。君にはそこの管理者になってもらいたい」
「例の装置に関するデータその他諸々は全て頂く。それが条件よ」
「無論だ。それに加えて私が観測した世界システムの作用と思われる事象などのデータも渡そう。何かの参考になる筈だ」
「私は将来的に例の装置無しで改変ができるようになりたいわ」

 そう告げるアシュレイにアシュタロスは答えた。

「できるさ。君ならばな」

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