強引な解決策


 リリスは悩んでいた。
 それはアシュレイにどんな顔で会えばいいか、というもの。

 アシュレイが現れるまでは人間達を食料としていたが、現れてから人間界に捨てられるまで一切、人間と交わっていない。
 リリスだけでなく、他の淫魔達すらも。
 それほどまでにアシュレイが最高であったから。

 おかしなことだ。
 淫魔としては別に人間と交わろうとそれは極普通のことで、何食わぬ顔でアシュレイの前に出ても問題はない。
 例え、吸精虫を仕込まれていたとしても。
 食料となる人間と交わることが、たとえ最高の食料であるアシュレイがいても、おかしくはないことだ。

 淫魔達はリリスを人間界に捨てて、人間と交わっているところを見せてアシュレイを失望させる、というリリムの提案を良し、とした。
 それでアシュレイの寵愛をリリスは失うだろう、と。
 だが、前述したように淫魔が人間と交わることは不自然なことではない。
 それを淫魔達は恥ずべきこと、と認識した。
 淫魔達の価値観が変化している証拠であった。





「……リリス、何をやっているのだ?」

 眉間に皺を寄せて考え込んでいるリリスを見かねたエシュタルが声を掛けた。

「あ、エシュタル……様」
「……今更様付けとか、気色悪いからやめろ」

 基本、リリスはアシュレイ以外は呼び捨てであった。
 それが今回の一件で様付けしよう、と思ったのだが、いきなり言われた側からやめるように言われてしまった。

「あ、えとさ……どういう顔で会えばいいのかなって……」
「別に普通の顔でいいのではないか? お前に非は無い。アシュ様も特に何も言わないだろう」

 魔族らしい魔族であるエシュタルにとって、不意を突かれたとはいえ、他の淫魔達よりもリリスの方が僅かだが力が強い。
 ならばこそ、これまで通りで問題はない、と考える。
 弱いヤツが悪いのであって、今回の一件は単なる妬みに過ぎない、と彼女は判断していた。

「だけど……私、人間に汚されて……」

 その言葉にエシュタルは思わず唖然とする。

「……淫魔がそういう事を言っていいのか」
「だって、アシュ様だと……人間とやるよりも凄くて、淫魔である私が失神するくらいに……」
「まあ、アシュ様がいいことには同意する」

 エシュタルもまたちょくちょくアシュレイに部屋に呼ばれているのは言うまでもない。

「ともあれ、さっさとアシュ様の下へ行け。お待たせしてはならない」

 エシュタルの言葉にリリスは悩みながら、その場を後にした。






 アシュレイの部屋に入ると、そこには先客がいた。
 リリムだ。
 彼女はリリスを見るや否や、困惑した顔となる。
 対するリリスもまた同じような顔だ。

 魔族といえど、さすがに気まずい。
 アシュレイも一応、ソファに座って、リリムの前にいるのだが、エシュタルが言った通り、特に何とも思っていないようであった。
 それどころか久しぶりに会うリリスに手を振ってくる始末だ。
 そして、彼女はそんなリリスとリリムの気まずさを無視するかのように、明るい声で告げた。

「感情的に納得いかない部分が多々あると思うから、殺し合いしよっか」

 リリスとリリム、2人揃ってアシュレイをまじまじと見つめた。
 確かに、淫魔も一応、肉体が欠損しようと再生する。もっと言ってしまえば、肉体を吹き飛ばされた程度では死なない。
 神々や天使、悪魔は精神と霊魂からのみ構成された存在であり、人間などに干渉する場合には、受肉によって物質的な肉体を得ることによって行われる。
 彼らは例外なく極めて高い復元能力(分子レベルでの再構築及び時空レベルでの復元能力)を持つため、彼らを倒すには「肉体」のみならず、本来の姿である「精神」「霊魂」の全的破壊を行う必要がある。
 これらの核、すなわち肉体の核、精神の核、霊魂の核はそれぞれ永久原子と呼ばれ、完全に殺すにはこれらを全て破壊しなければならない。
 故に、たとえ淫魔であっても永久原子を砕かない限り――他の魔族よりも純粋に防御力が低い為に極めて砕きやすいが――死なない。

 しかし、なぜ殺し合いなのか……そういう疑問は当然の如く、2人に湧いた。
 その疑問を見透かしたのか、アシュレイは告げる。

「だって、話し合いなんかじゃ解決しそうにないでしょ? なら、スッキリと殴り合いすればいいじゃない。恨みっこなしで」

 自分の提案こそが最善と思っているのか、アシュレイは何だか満足そうな顔だ。
 彼女の頭にあるのは番長同士が喧嘩して仲良くなる、というものだ。
 昭和の漫画かアニメのようなノリであった。

「あ、今いいこと考えた。勝った方が淫魔を取りまとめるっていうのはどう? リリスも今回のことで一皮剥けたと思うし」

 2人の意見なんぞ聞いちゃいない、とばかりにどんどん話を進めるアシュレイ。
 まあ、アシュタロスを除けば彼女の決定を覆せるような力を持った者はここには存在しない。
 リリスやリリムが文句を言おうと――実際には言うことすらできないが――アシュレイの決定は覆らない。

「あの、アシュ様……他の淫魔達は納得するでしょうか?」

 リリムのある意味もっともな疑問にアシュレイはあっけらかんと告げる。

「私が黙らせるから問題ない。まあ、就任したらお祝いとして淫魔全員に奉仕してもらうけども」

 その言葉にリリムとリリスはぎょっとする。
 淫魔全員に奉仕……それはつまり、1人で自分以外の淫魔達全員のお相手をするということだ。

「他の淫魔達全員とやったら、きっともっと妖艶で淫らな淫魔になれると思うの」

 思うの、という単なる予測でそんなことをさせられてはたまらない。
 そして、2人に拒否権なんぞ存在しない。
 つまり、確実にどちらかが淫魔の取りまとめになってしまう。
 リリスもリリムも、どうやって負けるか思考を巡らせる。

 アシュレイのことだから、わざとらしくいい加減にやっては到底満足してくれないことは想像に容易い。
 ならばこそ、真剣にやった上で負けた、という状況を作らねばならない。

 しかし、アシュレイは2人がそう考えることまで見抜いていたのか、にやにやと笑ってさらに言葉を紡いだ。

「淫魔の取りまとめになったら、常に私の傍にいても問題ないわね。もっと言えば常に私に奉仕させても問題ないと思うの」

 リリスとリリムは睨み合う

 アシュレイの傍で常に奉仕……それは実質的なアシュレイの独占だ。
 淫魔ならば誰もが望むことを報酬にされては真面目にやらないわけにはいかない。

「というわけで家の外で戦ってきて。外に審判役を頼んだベアトリクスがいるから」

 そう言い、アシュレイはソファから立ち上がった。

「私はちょっと行くところがあるから。今日は私が教える日なの」

 彼女はあの祈祷所で宣言した通りのことをやっていた。
 学校を作り、読み書きを教え、医学を教え……
 もっとも、文字自体が未だに存在していなかったので、それならば、とアシュレイは敢えて日本語を教えることとした。
 言葉と文字でかなりチグハグなものになったが、そこはそれ。
 アシュレイ=イシュタルの使う、神聖なる言語と現地住民達は勘違いしてしまった為に習得に励んでいた。

 アシュレイとしては母国語の方が意思疎通が楽だし、という極々個人的な理由だ。
 そもそも、彼女には念話、いわゆるテレパシーでもって相手の精神に直接伝えることすらできるのだから、文字どころか言葉もいらなかったりする。
 ともあれ、そんなわけでアシュレイは日本語を教えていた。

「今のところ、神族に動きはないみたいなのよね……天使がきたらどうしようかしら……」

 そんな呟きにリリスとリリムは首を傾げる。
 しかし、既に2人のことは意識になかったアシュレイはさっさと部屋から出ていってしまった。

 後に残された2人はお互いに顔を見合わせる。

「えっと、リリム……とりあえず、どうしよっか?」
「……とりあえず、外で戦いましょうか。リリス……いえ、お母様」

 一応、仲直りの兆しは見えた……のかもしれない。

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