大山鳴動して鼠一匹

「ふぅ……」

 出すものを出した男はゆっくりと女から離れる。
 それを見て、別の男が入れ替わりに女の下へ。

「しかし、こんな美人が娼婦……いや、金すらとらないからそれ以下か? ともかく、ありがたいことだ」

 彼の言葉に順番を待っている男達は一様に頷く。
 
「だがよ、コウモリみたいな翼があるから……もしかしたら悪魔か何かじゃねーのか?」

 並んでいた男の1人がそう言った。
 しかし、別の男が反論する。

「悪魔だったら、俺達はとっくに魂を取られてるだろう。まだ生きているから違うってことだ」
「それもそうか」

 そんな会話がなされている中、路地裏から女の叫びが聞こえてくる。
 道行く人々は気にも留めない。
 路地裏の娼婦というのは彼女がやってきてから僅か1週間で街全体にその存在が知られていたからだ。
 そして、その女が来てから今日でちょうど1ヶ月目であった。

「ふぅ……」

 先ほど入っていった男がスッキリした顔で出てきた。
 また別の男が路地裏へと入っていく。

 女――リリスは毎日100人近い男に抱かれていた。
 しかし、その日々も今日で終わることとなる。

 唐突に路地裏から女の声が消えた。
 その数秒後、異変は起きる。


「ん?」

 妙な感覚に襲われ、ある男が空を見上げた。
 並んでいる他の男達も空を見上げる。
 道行く人々も足を止め、空を見上げる。
 市場に買い物に来ていた親子も、道端で雑談していた女達も、川辺で遊んでいた子供達も、その街の住民達は誰一人例外なく、空を見上げた。

 空には黒い太陽が浮かんでいた。








「……少々、やりすぎたか?」

 思わずエシュタルは呟いてしまった。
 眼下にあった街は巨大なクレーターと化している。
 いや、それだけならば彼女の仕事であったから、問題はない。
 ただ、問題は周辺にあった湖や草原までも消し飛ばしてしまったことだ。

「人界ではもう少し加減しないといけないな……」

 アシュレイの弟子であるエシュタル。
 彼女が弟子入りしてから既に数えるのもバカらしい時間が経過している。
 当初こそ下級魔族程度の力しかなかった彼女も、今では立派な上級魔族だ。
 弟子入りした結果、アシュレイが教えてそこまでの力を持った……というのは正確ではない。
 何分、アシュレイもまだ修行の身、彼女はエシュタルに書物を読むように指示し、魔力の伸ばし方などのいくつかのやり方を教えただけで、あとは自習という形式であった。
 勿論、それだけでは到底足りないので、アシュレイと一緒にアシュタロスの授業を受ける始末だ。

 ある意味、予想できたことだが、エシュタルとしてはアシュレイは上司であり師匠だと認識している。
 十分に尊敬に値する力を持っているからだ。

「エシュタル……あんまりやり過ぎるとこの星が壊れるでしょ」

 横合いからそんな声。
 エシュタルが視線を向ければ、そこにはリリスを抱えたディアナの姿が。

「無理を言うな。加減が難しいのだぞ……」
「足らぬ足らぬは努力が足らぬと誰かが言ったわ」

 ディアナはディアナで自分の鍛錬法が確立しており、偶にアシュレイやアシュタロスに助言を受けている程度だ。
 アシュレイが引き入れたときには中級魔族クラスであった彼女も今では上級魔族となっている。

「ともあれ、リリスの中にあった虫は取り除いたし、街も潰したし、神族に目をつけられないうちにさっさと帰りましょうか」
「ああ、そうだな……」

 2人は転移の為、ゲートを開いたのだった。










 リリムは最近、常に機嫌が良かった。
 彼女はアシュレイにギアスをかけてもらい、永遠にアシュレイのものとなったからだ。
 リリスに関して不安なことはあるが、それはそれ、これはこれである。
 一応、時間稼ぎはうまくいっており、現実空間での換算で1ヶ月少々を稼いでいる。

 ともあれ、ギアスをかけてもらったのはリリムだけではなく、リリス以外の淫魔全員なのだが。
 そして、リリムにとって嬉しい誤算があった。
 それは彼女の功績が認められ、また、アシュレイの要望もあって常にアシュレイに求めてもいい、という権利が与えられたことだ。
 
 そんな彼女は今日も今日とてアシュレイに呼ばれた。
 今日はどんなプレイをしようか、と期待に胸を膨らませつつ、彼女はアシュレイの部屋の扉をノックした。

 中から許可が出、リリムはゆっくりと扉を開けた。
 そして、一気に冷や汗が吹き出した。
 立っていられない程に体が震える。

 部屋の中から底冷えのするような、膨大な魔力がリリムを出迎えていた。
 その魔力の主は誰だか分かっている。
 リリムは直感する。
 リリスの件がバレたのだ、と。
 
 入りたくはないが、入らないわけには行かない。
 彼女はさながら水中を歩いているかのような重圧を感じながら部屋の中へ足を踏み入れた。





 リリムは部屋に先客がいることに気がついた。
 テレジアだ。
 彼女はリリムよりも震え、怯え、両膝をついて頭を垂れていた。
 リリムは視線を動かし、彼女の前にいるだろう人物を見、そして後悔した。

 紅い瞳は爛々と輝き、その小柄な体からは膨大な魔力が零れ出ている。

「リリム、喜ばしいことがあったの」

 口ではそう言っているが、その顔は全く笑っていない。
 リリムは自分の覚悟が如何に軽いものであったかをたった今、思い知った。
 魂を鷲掴みにされているかのような、そんな圧倒的な恐怖の前には覚悟なんぞ吹き飛んでしまった。

「あ、アシュ様……その……」
 
 リリムは謝ってしまおう、と言葉を紡ごうとするが、それをアシュレイが遮る。

「いつも通りにしてくれないのかしら? 私の征服欲を満たしてはくれないのかしら?」

 見えない手で首を握られているかのような、そんな圧迫感にリリムは口をパクパクと開く。
 さながらリリスがリリムに何かを言おうとしたときのように。

「まあ、いいわ。リリスが見つかったの。いえ、正確には何時まで経っても見つけてこないから、ついさっき私が直接出向いて探したの。私の探索魔法の精度を舐めないでもらいたいわ……」

 アシュレイはそう告げて、ゆっくりとリリムに近づく。
 リリムはあまりの恐怖に床にへたり込んでしまう。
 そんな彼女にアシュレイは手を伸ばし、その頬を触る。

「吸精虫……あんなものを体内に仕込まれて、人間達と交わっている姿を見たわ」

 リリムは何も言えない。
 否、あまりの重圧に口を開くことすらできない。

「まあ、それ自体はいいわ。寝取られた感じで私、すっごく興奮したし。とりあえず、エシュタルとディアナにリリスの救出とその街はこの世から消すように指示して……たぶん、もう消えたでしょうね」

 そこで言葉を切り、アシュレイはリリムに問いかける。

「何で、私が自らそうしなかったと思う?」

 しかし、彼女はリリムに答えを求めてはいない。

「それはね、私に許可無く勝手にリリスを弄った馬鹿共にお仕置きをする為よ」

 アシュレイの瞳に射すくめられ、リリムは完全に蛇に睨まれた蛙となってしまう。

「ん?」

 そこでアシュレイは視線を移した。
 その先はリリムの下半身。
 アシュレイは思わず笑みを浮かべる。
 そして、彼女から出ていた魔力は収まり、重圧もまた消えた。

「リリム……あなた、こんなときでも濡らして……」
「え……?」

 そう言われてリリムは自分の下半身を見れば確かにそうであった。
 漏らしているというのではなく、確かにアシュレイの言った通りだ。
 淫魔の標準的服装とも言える際どいビキニ、そのパンツは確かに濡れていた。
 そして、それにより頭もまた反応したのか、彼女は昂ぶりを感じ始める。

「淫魔はドMって聞いたけど、ここまでとは……アシュレイちゃん、大感激。もっと激しく、色んなことできるわね」

 ルンルン気分の彼女にリリムはどうしたものか、と考え、とりあえず思いっきり頭を下げた。

「あ、もうリリスの件はいいわよ。寝取られとか本当にぞくぞくしたし。テレジア、あなたも今まで通り頑張って頂戴」

 あっけらかんと。そう言い放つアシュレイにリリムは唖然としてしまう。
 これにはテレジアも同じらしく、アシュレイをまじまじと見つめている。
 そんな2人にアシュレイは不思議そうな顔となる。

「だってリリスは私から離れられないもの。それにリリムみたいな淫魔を殺すなんて、勿体無いし、リリスとリリムの親子丼というのも中々乙なものだし」

 うんうん、と頷くアシュレイ。
 どうやら彼女の根源は破壊欲とか知識欲ではなく、性欲であるらしかった。
 そうでなければこんな割り切り方は到底できない。
 もっと簡単に言ってしまえば快楽主義者だ。

「で、テレジア。私としてもまあ、ちょっとリリスを優遇し過ぎて、淫魔達に構いすぎていたから、これからは気をつける。そうね……使い魔と淫魔がやってるのを眺めるのもいい……」

 怪しげな笑みを浮かべるアシュレイ。
 テレジアとしても、主である彼女がそう言うならば一点を除いて問題はない。

「アシュ様、私はこのような失態をお見せしてしまい……栄えある貴方樣の使い魔として、一時の感情に流されるなど……」

 テレジアはアシュレイへ向き直り、深々と頭を下げる。
 彼女は今回のことで何よりも、主の顔に泥を塗ってしまった事を何より恥じた。
 むしろ、そのことに関して処罰を受けたいと思ってしまうくらいに。

 その胸中を察し、アシュレイは告げる。

「テレジア、それじゃリリムを今この場で抱きなさい。普段真面目なあなたが、淫らになっている姿を見たいわ。それが処罰よ」

 主が処罰と言うならそれは処罰となる。
 故にテレジアは躊躇いなく承諾する。

「畏まりました」
「え、ええ?」

 唐突な言葉にリリムは柄にも無く困惑する。

「リリム、さっさと脱げ」
「あ、え、テレジア様……? 本当に……?」

 彼女の体の方は問題ないが、精神的にそういう気分ではない。

「さっさとしなさいよ」

 アシュレイが言った。
 すっかり観客と化した彼女はいつの間にやら淫魔を数人、召喚していた。
 ギアスを結んだことにより、何時如何なる場所でもこうして呼び出すことが可能だ。
 どうやらアシュレイはリリムとテレジアの濡れ場を肴に他の淫魔達で鬱憤を晴らすつもりのようだ。

 リリムは観念したように一応、衣服にあたるかもしれないビキニを脱ぎつつ、思った。
 拍子抜けする程にあっさりと解決したなぁ、と。


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