押して駄目なら引いてみろ

「死ねぇ……!」

 ぎゅっと彼女は体の下にいる高順の首を締め付ける。
 絞められた高順は苦しげな表情を浮かべながら、片手で首にかかっている手を掴む。
 だが、その程度ではビクともしない。

 つい数秒前まで高順の上に跨って腰を振っていた彼女であったが、高順が油断した隙に決行した。
 
 涿県の主城にて降伏した烏丸兵達、彼女らはそのまま高順の配下となったが、実態はその半数以上が高順の首を狙う、一攫千金を夢見る者達であった。 

 息ができずに口を何度も開き、涎を垂らしはじめた高順を見て彼女は確信した。
 
 勝った――

 次の瞬間、これまでに感じたことがない痛みが彼女の全身を貫いた。
 首を締めていた両手が緩んだ隙に高順は抜け出し、そのまま今度は逆に彼女を下に組み伏せる。

 ひくひくと痙攣している彼女に高順は息荒く告げる。

「女でも金的はめちゃくちゃ痛いのよ……!」

 そう言い、高順は深呼吸を数度して息を整えつつ、彼女の首を掴み、寝台から立ち上がった。
 少しふらつくが、既にこの感覚は何度も慣れたものであった。
 暗殺を仕掛けてきた彼女を引きずりながら、高順は部屋の外に出ると大声で亥倫ら5人組を呼ぶ。
 5人組の部屋は高順の部屋の真横、故に彼女らはすぐに廊下へと飛び出してきた。

「これ、今日のヤツ」

 高順はそう言い、痛みに悶絶している彼女を亥倫へと渡す。
 すると既に用意していたのか、隣の崔竪が暗殺者へ一枚の紙を張った。

『本日の敗者:夜』

 紙にはそう書かれていた。

「それじゃ、あとよろしく……ああ、璃奈、お水頂戴」

 高順は崔竪の後ろにいる金髪をツーテールにしている少女に頼むと、疲れた、と廊下に座り込んだ。

「真香、今ので何人目?」
「えっと、ちょうど100人目です」

 手元に持った記録帳を見ながら、金髪を短く切り揃えた真香が答えた。

「高順様、大丈夫ですか?」

 心配そうな表情で問いかけつつ、毛布を掛けてきた少女に高順は笑顔を向ける。

「大丈夫よ、沙奈……今日で確か20日か……」

 涿県を落としてからの経過日数であった。
 高順はすんなりと自軍へ取り込める、とは全く思っていなかった。
 その予想通り、降伏した翌日から早速朝駆け夜討ちとばかりに烏丸兵達は暗殺を仕掛けてきた。
 幸いにも、そこらの輩に負ける程に高順は弱くなかった。
 故に彼女は簡単に叩きのめして――かつて豪語したように、素っ裸で大立ち回りを演じた――ちょっとした悪戯として暗殺に失敗した連中を裸にして『本日の敗者』という張り紙を張って廊下に放置してみた。

 それを見た華雄らは大爆笑。
 その結果、暗殺者は殺さずに『本日の敗者』という張り紙を張って目立つところに裸で放置するという刑罰が始まった。

 烏丸兵達は失敗しても殺されない、ということを知り、露骨に暗殺を仕掛けてきた。
 朝昼晩、気が休まる暇がなかったが、ようやく鬱憤を晴らす時がきた、と張遼は大張り切りであった。
 彼女は烏丸兵達を誘い、酒盛りを開いては仕掛けてきた烏丸兵達を返り討ちにしていた。

 華雄や趙雲、孫策も似たようなものでうるさいお目付け役がいないことにゆっくりと羽根を伸ばして酒盛りを朝から晩まで烏丸兵達を誘っては開き、殺そうとしてきた烏丸兵達をその場で叩きのめしていた。

 酒と戦が同時に楽しめる――それはまさに華雄らにとってはこれ以上ない程のご褒美であった。

 対する高順はというと、そういうのは勝手にやってくれとばかりに日がな一日、郭嘉と政治やら戦術やら戦略やらと語り合った。

 なお、高順としては郭嘉には危ないので楼桑村に戻り、この暗殺合戦が一段落したときに賈詡らと共に改めてやってきて欲しいと願ったのだが、その心配は無用と郭嘉は告げた。

 烏丸は単純な武力と名声ばかりに目がいき、自分のような文官が狙われることはない、と郭嘉は断言し、事実彼女は一度も襲われなかった。
 
 また高順は毒を使われることや兵を狙われることを郭嘉に相談したが、それも彼女は心配無用と返した。
 郭嘉によれば烏丸は個人個人の力量が基本的に重視されており、末端の兵は徒党を組むということをしない。
 故に纏める者がいなければ自分の手で将を倒そうとする筈であり、無名の兵を狙うようなことや毒を使うことはない、と。

 高順は郭嘉の意見を全面的に信じ、護衛も兼ねて夜寝る時以外はほとんど行動を共にしていた。





「また襲われたのですか」

 そんな声と共に郭嘉がやってきた。
 彼女は青いナイトキャップに同色のパジャマという、初めて見たとき、どうしてこの時代にあるんだと高順が全力で叫んだ格好だ。

「まあね……お風呂に行ってきたの?」
「ええ、ゆっくりさせてもらっています。しかし、そろそろですね」

 郭嘉は極力裸の高順を見ないように、それでいて失礼に当たらない程度に視線を逸らしながら告げた。
 そろそろ、と言われたところで高順には何のことか分からない。
 曹操らが涿県に到着するのはまだ4、5日はかかる。
 そんな高順に郭嘉は告げる。

「そろそろ烏丸兵達も諦める頃でしょう。明日はこれまでより襲撃は少なく、明後日になればほとんど無いかと……これまでお疲れ様でした」
「ああ、そっちの話ね……確かにもう諦めてもいい頃ねぇ……」

 20日間に渡って行われた暗殺合戦。
 おまけに暗殺を仕掛けられた側は殺さずに裸で放置するのみ。
 そこまでの好条件を出されていても、唯の1人も討ち取れなかった。
 恨みでもあれば別だが、元々、名声目当ての烏丸兵達にそんなものはない。
 相手の実力が圧倒的に上であることを知れば基本的に腕っ節を重視する彼女達は高順を主と認めるだろう――

 郭嘉はそう考えていた。
 そして、それは正しかった。








 翌日から襲撃する者は減り、その次の日にはほとんど襲撃は無くなった。
 高順はこれを機に蹋達を通じて烏丸兵達の取り込み工作に力を入れる。
 この取り込み工作はすんなりと進み、数日としないうちに高順は書類上では1000名程の烏丸兵を配下とした。

 しかし、いつ裏切るかわかったものではなく、高順はやっぱり郭嘉に相談した。
 すると彼女は提案した。
 明確な武を示す為に烏丸兵達の前で蹋達と一騎打ちをしてみてはどうか、と。

 高順は華雄を代わりに出してもよいか、と聞いたが、当然却下されてしまい、渋々ながら蹋達と一騎打ちを演じることとなった。
 だが、高順には疑問が湧いてきていた。
 それは蹋達を負かしたところで果たして烏丸兵達が素直に言うことを聞いてくれるか、忠誠を誓ってくれるか、というものであった。








 練兵場のど真ん中にて高順は蹋達と対峙する。
 彼女ら2人を囲むように烏丸兵達がおり、ほとんど全員が蹋達を応援している。
 高順の応援をしてくれる烏丸兵は亥倫ら5人組くらいなものであった。
 一応、華雄らも観戦しているが、応援するまでもないと考えているのか、何も言ってはいない。

「かの高順と見える日が来ようとはな……」

 そう言いつつ、寝台の上とは打って変わって好戦的な笑みを浮かべる蹋達。
 やる気満々な彼女に対して高順の気分はあんまり盛り上がらなかった。
 それもその筈で彼女は基本的に座ってアレコレ指示しているのが好きであり、性に合っていると思っていたからだ。

 その辺は華雄や張遼も分かってはいるのだが、彼女らとしてはもうちょっと武を示して欲しかった。
 純粋に戦果を上げて欲しい、とそういう気遣いであった。
 
「良い? なるべく殺さないようにしてね? 後始末が面倒くさいから」

 そう告げるのは審判役の孫策。
 そんな彼女の手には酒瓶がある。
 酔っぱらいに審判を任せるというのは非常に心配であるが、高順陣営ではなく、かつ、ある程度の力を持っている人物となると孫策しか残らなかった。

「んじゃ、開始ー」

 何ともやる気のない開始宣言であったが、そんなことはお構いなしに蹋達が動いた。

 彼女は扱い慣れている槍を持ち、一気呵成に連続突きを放つ。
 対する高順は青紅の剣を抜いているものの、受けずに回避に徹する。

 高順は慎重であり、余程の実力差が無い限りは基本的に受けに徹し、敵が疲れたところを一気に攻める。
 夏侯惇と互角に数刻にも渡って戦い続けることができる体力を持つ高順だからこそ可能な芸当であった。


 軽々と繰り出す突きを回避する高順に蹋達はやり方を変えた。
 彼女は突きを繰り出す。
 高順は紙一重で、しかし悠々と横に回避。
 そのまま蹋達は素早くその場で回った。
 穂先は後ろへ、代わりに柄が高順目掛けて横合いから迫りくるが、彼女はその場でしゃがみ込み、片手を突いてそのまま足払いを敢行。
 蹋達は後ろへと飛び、それを回避した。


 攻防に烏丸兵達は静まり返った。
 

 大人の1人、蹋頓の娘である蹋達は母譲りの武勇を持ち、そこらの兵では敵わない程度の強さを誇っている。
 彼女が先陣をきれば敵は怯えて逃げ出す程。
 これまで蹋達とマトモに打ち合える者は敵軍にはいなかった。

 だがしかし、高順は違った。
 攻めてはいないが、それは攻めることができないのではなく、していないだけである、と烏丸兵達は気づいていた。
 元より、異民族における個々人の武は官軍のそれよりも高い。
 その程度、見抜けない者はいなかった。

「攻めてこい」

 蹋達は槍を構えながら言い放つ。
 
 彼女は確かに高順に情が湧いたが、真剣勝負となれば話は別。
 手を抜くことなど当然しないし、殺すことも躊躇わない。
 
 だが、実際に対峙し、僅かな攻防で蹋達は悟った。
 
 高順は強い――
 
 何故強いのにその武を誇らないのか、蹋達には理解できなかったが、彼女は勝てる手段を既に見つけていた。

 攻撃を仕掛けてきた瞬間の隙を攻める――
 
 いわゆるカウンター狙いであった。

 
 高順はその言葉に対し、剣を鞘に収めることで答えた。
 その行動に蹋達は首を傾げるが、次の高順が発した言葉にその疑問ごと消え去ることになった。

「あなたって弱いわね。この剣を使うまでもないなんて……」

 やれやれ、と溜息を吐いてみせる高順。

 軽い挑発であったが、蹋達には効果抜群であった。
 彼女はこれまで部族内で、あるいは官軍との戦で勝利を収めてきた。
 そう、ただの一度もこんな風に見下されたことがなかった。

 例えその相手が高順であろうとも、彼女の誇りが許せなかった。

「きさまぁ……!」

 憤怒の形相となった蹋達であったが、それでも足りぬと高順はその場に背を向けて座り込んだ。

「さっさとかかってきなさいよ。このくらいで相手をするのがちょうどいいんじゃなくて?」

 続く挑発に怒り心頭、湯が一瞬で沸くのではないかという程にその美しい顔を朱に染めた蹋達は駆け出した。
 そのまま槍を振り上げ、真っ二つにせんと猛烈な勢いで雄叫びを上げながら迫る。

 距離は一瞬にして縮まり、蹋達は高順目掛けて槍を振り下ろし――

 キィンと金属音が鳴り響く。



 高順は剣の柄を持ってはいるものの、剣を鞘からは抜かずに鞘でその一撃を受けていた。
 その鞘は急速にヒビが入っていき、やがて青紅の剣が露となった。
 対する蹋達の槍は穂先の部分が折れ曲がってしまった。

「見事」

 高順はそう告げ、ゆっくりと立ち上がる。

「使わないと宣言し、鞘にしまった剣を露にさせた時点であなたの勝ちよ」

 そう言い、彼女はその場を去るべく、ゆっくりと歩みを進める。

「ま、待ってくれ!」

 蹋達はそう言い、高順の前へと回り込んだ。

「何故だ? 何故、マトモに戦わなかった?」

 その問いかけに高順は言葉を詰まらせる。
 彼女としては圧倒的な力で蹋達を叩きのめしたところで果たして烏丸兵達がおとなしくついてくるかどうかは怪しい、と考えていた。
 故に烏丸の顔を立てるように、押して駄目なら引いてみろを実践した、というのが高順の本音。
 そして、これは郭嘉には相談しておらず、高順自身が戦闘前から考えた策であった。

 無論、烏丸兵達が調子に乗り、こちらの言うことをますます聞かないという危険もあったが、観戦している烏丸兵達は何も言ってこなかった。

「私は多くの者から恐られているが、今の戦闘のように私とて万能ではない。故に、それを補う為にあなた達が欲しい」

 そうもっともらしいことを言い、高順は深々と頭を下げた。
 蹋達は何がなんだか分からなかった。
 高順が勝手に決めた条件で自分が勝ったことになってしまい、そして高順から頭を下げられている。
 力を貸すのは降伏したあのときから決めていたことだが……改めてこのようにされてしまうと何だか気恥ずかしく、どう答えていいか分からなかった。

「あー、えーと……お前達、どうする?」

 困った蹋達は観戦している兵達に聞いてみるが、彼女達の間ではざわめきが巻き起こった。
 どうするか決めかねている様子であったが、そのざわめきを切り裂き、凛とした声が響いた。

「私は、私達は高順様に従います!」

 その声の発生源に一斉に視線が注目する。
 声の主は亥倫であった。
 彼女を含めた5人は高順の方へ体を向けて平伏していた。

 ナイスタイミング、と高順は頭を下げたまま心の中で喝采を叫んだ。

 人の心理というのは面白いもので、最初の1人があることをやれば後は皆、じゃあ私も、と最初の1人と同じことをする。
 烏丸兵達にもその心理は当てはまり、次々に彼女達は高順の方へ体を向け、平伏していった。

 最後に残された蹋達もまた高順に対し、平伏し、練兵場に響き渡る声で告げた。

「我等烏丸、1000余名。あなたに従うことをここに誓います」

 その宣言を聞き、高順はゆっくりと頭を上げた。

「よろしい、ならば最初の命を下す」

 高順は一拍の間をおき、告げた。

「武器を持たぬ者を襲うな、殺すな、犯すな、盗むな。それが基本と心得るように」

 御意、と周囲から一斉に声が上がった。
 さて、これから調練だ、と高順は思ったが、そういえばと孫策の方へと視線を向けたが、すぐに逸らした。

 孫策は酒瓶の山に囲まれて幸せそうに寝ていた。
 審判の意味が無かった。
 
 高順は気を取り直して華雄らの方へ視線を向けてみればこちらも一騎打ちなどもうどうでもいいとばかりに酒盛りの真っ最中。
 溜息を吐いた高順はとりあえず解散を命じるのであった。
 

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